随分と唐突に機嫌を悪くしたものだと思う。つい先程まであんなにも晴れやかだった空は今では嘘のように豪雨を降らしていて、加えるなら大きな雷も一つ二つどころではなく轟いていた。まだ夕方だというのに外は呆れるほどに暗い。いやしかし、だからといって天は機嫌を斜めにしているのだと決めつけたのは少し自己本位が過ぎるかもしれないと、形兆は叩きつけてくる雨の所為でろくに音が響かないCDをきっちりと仕舞いながら改めて考えた。もしかすると空は有頂天になっているのかもしれない。稲妻は笑い声で、雨粒は歓喜の涙だとか。CDの整列具合といえば、今日も何の狂いもなかった。
そろそろ季節の変わり目に差し掛かろうとする時分、最近は空模様が呆気なく変わることが多い。先に洗濯物を取り込んでおいて良かったと、彼は安堵からの息を浅く吐いた。けれど弟は。屋根を跳ねる大仰な雨音に彼は眉を寄せる。あのいつだって馬鹿なことをしでかす弟は、まだ学校から帰ってきていない。更に言うならば、雨に打たれ尽くして帰ってくるのではないかと、なんとなく予感めいたものを感じた。


「本ッ当ありえねーな〜ッ!なんで急にこんな降ってくんだよォ〜……」
「あーあァ、億泰君ったらべっちゃべちゃじゃん。髪の毛面白いことになってんよ!」
「ンなこと言ったらお前だってずぶ濡れでどっかの幽霊みたいになってっからな!人のこと言えね〜からなッ!」

笑ってしまうほどのタイミング。玄関の扉が開く音、だが次いで流れてきたのは形兆の予想とは外れ二人分の騒ぎ声だった。

「今タオルとってくるから、お前はそこで待ってろよ!」

どたばたと廊下を踏む音がだんだんと大きくなり、同じく段階を得て小さくなっていく。風呂場へ向かったであろう弟に向けて諦念にまみれた嘆息を吐くと、形兆は恐ろしく面倒とは思いつつも玄関へと足を運んだ。不可抗力にも耳にした声が、交遊関係の広い方ではない彼にしては割合聞き覚えのあるものだったからである。


「あ、形兆さん。お邪魔してます」
「……おう」

声の主はやはり思い違いではなく、兄弟共通の知人であるなまえだった。彼の姿を捉えた彼女は、玄関に水滴を滴らせながら申し訳なさそうに笑みを作る。水を含んでべったりと肌に張り付いた制服と髪の所為で、形兆は一瞬彼女を馬鹿でかいカラスか何かと見紛った。ほんのりと透けた肌になんの色気も見出だせないことに感服する。なまえはその手に随分と大きなビニール袋を提げていた。億泰が持っていたものだろうか、同じようなものが廊下にも置かれている。両方がやはり雨に濡れ、表面に水滴ばかりが張っていた。

「……なんだ、それは。何をそんなに買ってきたんだ」
「これですね、アイスです。全部アイスです。さっきオーソンに寄った時に、たまたま在庫処分セール中でして。すっごく安くなってたんですよ。ええ、勿論飛び付きましたとも。来るべき夏に備えられるのは今しかないと……あ、形兆さんは何がいいです?」

つらつらと滑らかに話す彼女が広げてみせたビニールの中には、確かに大小様々なカップやら箱やら包みやらがたんまりと入っていた。形兆はその量と種類に気圧されるというよりかは若干呆れつつも、満面の喜色を湛える彼女を見て不承不承にその中から一本抜き取る。途端になまえの目が水滴と関係なく輝いた。

「ああ、やっぱり小豆バーですか」
「やっぱりってどういうことだ」
「いやね、億泰君が、『兄貴が選ぶなら小豆じゃねぇかな』って言ってまして。ああ、兄弟って、凄いんですね。そんなことまで分かっちゃうんですね」
「……なんとなくだろ」

なんとなくでも凄いですよ、と睫毛についた滴を指先で拭いながら彼女は笑った。袋越しにたちまち広がる冷温が彼の掌の感覚をさらってゆく。そういえばもう夏はすぐそこまでやって来ているのだとぼんやり頭を掠めた。

「わりぃわりぃ。持ってきたぜェ〜!」

先程と同じくどたばたと足音を立て、億泰がタオルを抱えて戻ってきた。汚れた廊下に形兆は小さく舌打ちをする。が、揃って喧しい二人にはどうにも届かないようだった。

「ほれなまえ、タオル!」
「タオル!ありがとう!」
「おう、タオル!あ、兄貴、ただいま!雨が急に降ってきやがってよォ〜。おれもなまえもべっちゃべちゃだぜ!」

笑うような怒るような顔をしながら億泰はがしがしと彼女の頭を拭く。繊細さが少しも垣間見えない手つきに、けれども彼女はされるがままやんやりと口の端を緩ませていた。まるで飼い主とその犬のようだなと形兆は密かに思う。乱暴に扱われた所為で跳ね回った髪なんて特に似ている。鳥であったり犬であったり、忙しい奴だなと彼は心の内に呟いた。

「ねえ億泰君。とっても有り難いんだけどさ、なんでタオル一枚しか持ってこないの?億泰君のは?」
「あッ、やべぇ忘れてた!」

箸が転がり落ちても面白い年頃とは正にこのことだろうか、それとも彼ら二人の頭が特別緩く作られているだけだろうか。何が愉快なのか億泰となまえはげらげらと間抜けな笑い声を上げた。形兆はといえば頭を抱えたくなった。

「そういや見てくれよ!さっきなまえとオーソンに行ったらセールしててよ、アイスいっぱい買っちまったぜェ〜。夏に備えるなら今しかねえよな!」
「……それはもう聞いた」
「暫くの間はアイスの貯蓄を心配せずに済みますね」

早速たくさん食べましょうよ。楽しみですね!言いながら今度はなまえが億泰の頭を拭き始めた。飼い主と犬が逆転する。身長差のお陰で自然と屈む格好になる億泰なのだが、それがまた形兆の目に弟を犬として映させた。

「なんだっていいが……早くしねえと溶けちまうぞ、全部」

一瞬の呆けた顔。

「……、……あああ!」

途端に慌て始めた二人を見て、形兆はほんの少しだけ笑みを溢した。外はもうすっかり晴れている。彼はアイスの袋を破いた。
 
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