やはり百年は長いものだったか。
何やら東洋の言葉が刻まれた本に没頭していたなまえに、そのような主旨の問いを投げ掛けたことがある。文字列を追う視線はそのままに、息をするついでと言わんばかりの粗雑さで返されたのは「短くはないだろう」という何とも曖昧なもので、確かにそうであることなど理解を超えて承知までしていたわたしにとってそれは退屈極まりない返答であった。わたしが欲したのはそんな不明瞭な答えではなく、けれどもだからといって逐一聞き返す程興味を注がれた事柄ではなかったので、此方も適当に相槌を打つのみで終わったことを記憶している。百年。遥か海底に身を置いてきた年月を改めてなぞってみれば、今更ながらもそれなりに長く重厚なものだったと認識させられる。暫く棺の中で眠るうちに時間感覚など消え去り、事実約一世紀の間惰眠を貪り続けていたなど初めは思いもしなかったのだ。




「どいつだ?」
「なにが」
「どいつにその口をつけたのかと聞いている」
「あはは、な い しょ」

戯れに奴自身の唇にあてられた人差し指や漏れる呼気から漂うそれは、紛れもなく嗅ぎ慣れた血の匂いであった。この女も自分と同様たる種族と考えるべきなのだし、食事といえば吸血行為を指すことくらい端から分かってはいるものの、しかしそれでもこの感情が沸き立つのを禁じ得ない。わたしの見ないところで他の男の首筋に口付け、その血を啜るところを思い描いただけで腹が立った。飢えたのならばこのDIOの元へ来ればいいものを。

「どうしてバレたんだろうなあ……しっかり匂いは消したと思ったんだが。久しぶりだったから飲みすぎてしまった所為かな。彼、貧血で倒れていなければいいけど」

くつくつと喉の奥で笑う女の手首を結構な力で掴み上げる。そこで漸く向けられた感情を理解したようで、自身の捕われた右手とわたしの顔を交互に眺めながらなまえは口元に薄く三日月をのせた。吐き出された溜め息は、恐らく諦念から生まれたそれに近い。

「なあ、私だって吸血鬼なのだから、それくらいしたって当然じゃないか。君が百年眠っている間にいったいどれだけの血を吸ってきたと思っているんだ?」

暗がりに浮かぶなまえの角膜に微かな光が滑る。百年という数字が脳髄を打った。忌々しいだけの陽とあった生温い日々や台本をなぞるよう作り上げた友情話を、脆弱であった時の記憶を光の打たない海底に置き去りにしてきてから久しいし、そんなものを思い返す気も毛頭ない。なまえと出会ったのは陽の柔らかく降り注ぐあの国の何処かだったかもしれぬが、薄暗いこの部屋ではその情景でさえ虚構だったのではないかと思えた。しかしあれから一世紀以上が経ったのは、どうしようもない程に事実である。

「そうか、それもそうだな」
「だろう?だからいちいち目くじらを立てないでくれよ」
「ああ……百年は、少し長かった」

自らとなまえの間に横たわる時の隔たりは、想像した以上にもどかしかった。生まれた焦燥感から何かを取り戻すように女の唇を自身のそれで塞ぐ。さて何れ程の拒絶と抵抗を見せるのかと思いきや、存外簡単に舌はなまえの咥内へと割り入っていく。気の向くまま舌を絡めとりながら艶やかな髪を梳いてやれば、液体であるかのように下へと零れた。全ての酸素を貪ってやろうと踏んでいたのだがそうも上手くはいかず、がりりと不吉な音と共に植え付けられた痛みに堪らず唇を離す。舌から生暖かいものが滴り落ちた。女の牙にはわたしの血がべっとりと付着していた。自分のそれを舐めるということはなかなかに不愉快だと思い知る。

「少し噛みすぎたかもしれない。案外普通な味がするんだね」
「貴様、」
「待って、動かないでくれ」

多少なりとも触れ合った互いの唇など欠片も気に留めなかったのか、息一つ乱さず淀みない口調で詰め寄られた。女の冷えた指先に口唇をゆっくりと開かされる。疼痛の鳴り止まぬ舌を親指と人差し指で挟み込み、傷口を確認するように撫で上げられた。血と唾液と指の温度が緩やかに混濁する。まるで真意が掴めず膠着せざるを得ないこの状態を端から見れば、それはそれは滑稽であるに違いない。

「驚いた。私はね、この百年間、君のような男は二枚舌を持っているに決まっていると、確信めいたものを感じていたんだよ。ほら、君は昔から嘘ばかり吐くし……」

わたしの咥内を覗き込むなまえの笑顔は、こともあろうに月の加護を受けたかの如く美しいものであった。

「勘違いだったようだ。君の舌は、一枚しかない」
 


title:カカリア
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