(吉良のみ 女主男主混在) 吉良と悪霊少女/ 「ねえ、吉影さん」 底冷えするか細い声が耳元に吹き掛けられる。私の肩に置かれた彼女の美しい右手は、真冬の海底に放り込まれたように冷たかった。青白い顔に浮かんだ虚ろな瞳と張り付けられた微笑みが、幾度も私の神経を磨耗させる。 「わたし、あの日の2日後は友達と買い物に行く予定だったんです。その3日後に気になる人と、2人っきりで遊びに行く約束も、してました。来月は私の誕生日で、最新ウォークマンを買ってもらうはずだったんですよ。楽しみだったのになあ」 つらつらと。抑揚のない声で既に何回と聞かされた恨み言が私の耳をなぶる。彼女の手から放たれる冷度が、徐々に私の体温さえも奪っていった。左肩は鉛と化したように重い。 「ねえ、聞いてますか、吉影さん」 聞きたくもない怨恨の情を四六時中並べ立てる彼女は、自身がとうの昔にこの世の者ではないことくらい自覚しているくせに、私に憑き纏ってくるのだ。 「ああ、聞いているよ」 君から切り取った左手はとっくの昔にもう何処かへやってしまったんだ。だから、早く消えてくれ。 「貴方だけ幸せになるなんて、許しませんからね」 きひひ、と。いびつな笑い声と共に、彼女の目が色を帯びて歪められた。 デッドマンズQと女の子/ 「じゃあ吉良さん、これ見てください」 そう言いながら彼女は持っていた雑誌のあるページを開いた。気は進まないが目を寄越すと、一人の女性と目が合う。上品な微笑みを称え、両手を膝の上で丁寧に揃えた、世界中の誰もが知っているような女だった。 「モナリザじゃないか」 「はい、モナリザです」 「それがどうかしたのか」 「なんとも思いませんか。その、手、とか」 「いいや、なんとも」 思ったことをそのまま口に出せば、懐疑心たっぷりな目でじとりと睨まれる。 「貴方ほんとに吉良吉影ですか」 「ああ、間違いなく」 「嘘だ」 「本当だ」 「ぜったい嘘だ」 忘却の海に溺れた私でも自分が吉良吉影であることくらいは分かっている。というよりそうであるということしか知らない。 「なあ、ところで」 「はい、なんでしょう吉良さん」 「君はいったい誰なんだ」 突然雑誌が私の顔目掛けて飛んできた。当然のことながら私をすり抜けて向こうの壁にぶち当たる。名も知らぬ彼女は酷く顔色を悪くして帰ってしまった。よく分からない女だ。 偶然開いたページで、モナリザが曖昧な笑みを持って私を見ていた。 吉良とカニバ少女/ 正直に申し上げてしまいますところ私は吉良吉影なる人物が何処で誰と何してようが割かしどうでもいいのが本心なのであります。ただその私が心底好む容姿と健康状態と身体状況が依然保たれているのならば、後は彼がいずこからやって来た旅行者を有り余る欲望のまま吹っ飛ばそうが『彼女』さんの見目麗しい爪に目が飛び出るほど高いマニキュアを塗りたくっていようがどっかそこらへんで人目も気にせず『彼女』さんの指先をぺろぺろしてペロリストになっていようがなんだっていいのです。そしてその溢れんばかりの純情を注ぎに注ぎまくった『彼女』さんとあっさり手を切るだなんていういとも容易く行われるえげつない行為を短期間で成し遂げていようがそれはそれで彼の自由なのですからやはり私にとって特別心に刻まれるようなことではありません。あえて言うなら勿体ないわ食べ物を粗末にすんじゃねーというところくらいでしょうか。あの白く柔らかな餅肌洋菓子のように均整のとれた造詣太陽にかざせば密のごとき血が見て取れる血管控えめに生えた飴細工もかくやというほどの儚さと美麗さを併せ持った爪、手に対する偏執は持ち合わせていない私ですが成る程流石手フェチと呼べば世の中の真っ当な手フェチの方々に失礼な気がするくらいの手フェチが選んだ手なのですからそこは惹かれるものがあるのであります(一回試しに味をみてみたらそれはそれはこっぴどく叱られて泣きかけたのでそれ以降は決して手を出したりしたことはないのですが、手だけに)。けれでも私のダイヤモンドの胃袋をもってしても腐りかけの肉というものは往々にして相手が悪いと言いますか分が悪いと言いますか兎に角ノーサンキューな感じなので捨てるくらいなら私にくださいなんてことも言えません。いつも泣く泣く肉片が塵芥と化す場面を見届けます。悲しいことです。話は戻りますが前述の通り吉良さんが何処で何をしでかしていようが私の脳味噌の稼働時間が増えるというのはないわけです。私のことを残飯をあさる野良犬だとか他の動物が狩った食料を横取りするハイエナだとか取り敢えずそんな感じのよろしくない生物だと認識している吉良さんも私に対してそのような意識であるとてっきり思い込んでいたのですが。 「二日前駅前で君と知らない男が歩いているところを見たよ」 「はあ」 「二十代半ばくらいの。家族じゃないだろう?」 「違いますね、多分」 「じゃあいったい誰なんだい」 なんなんですかそれなんですかそれ言わなきゃいけないんですかそれ。一昨日ではなく二日前というところが些か気持ちがよろしくないというか吉良さんらしいというかつまりは気持ち悪いというか。確かに一昨日はどなたかと一緒にいた気はしますがはてさて誰だったでしょうかいまいち記憶が曖昧で煩雑としてはっきりしません。思い返す代わりに吉良さん特性パスタをぱくりといたしまして彼の視線から逃れますうめえ、いや何故逃げる必要があるのでしょうかないはずです。吉良さんがお目当ての女性とデートしたりなんやらかんやらやったりしてる間に私だってそれなりの異性間交遊を繰り広げているわけです。私の相手をしてくれる奇特な方は別段ただ一人というわけでなくんなこと吉良さんだって知っているはずなのに此処にきて何故。何故こんなことを聞かれなくてはならないのでしょうか理解に苦しみます。 「さあ誰でしょう」 記憶を辿ればその方の顔も名前もくっきり思い出せるのでしょうがどうにも面倒なので適当な返答を投げつけます。すると吉良さんは俄に不機嫌そうな顔をして「まあわたしには関係のないことだが」だなんて。だなんてだなんて!驚愕するほどその通りでございますしじゃあ最初から聞いてんじゃあねーと思う所存以外ありえないレベルです。最近の大人マジ分からん。 「ねえ吉良さん焼き餅って美味しいの」 「なんの話だ」 美味しいのならば死ぬほど焼いてやりたいけど生憎吉良さん相手に焼く餅は持ってないからさあどうしましょう。 吉良吉影17歳と後輩男主/ 薄幸そうな顔と目を引く金髪を見掛けた。 話し込んでいた女の子たちには悪いが、突然に話題を切り上げてその人物の元へと足早に向かう。後ろから不満げな声がたちどころに聞こえてきたけれど振り向いている暇はない。彼女らの埋め合わせなんて後でいくらでもできる。が、彼との時間は代えがきかないほど貴重なものなのだ。与えられた偶然に自然と頬が緩む。足は飛ぶように軽い。 「せーんぱい!」 後ろから肩を叩くと、この世に存在する全ての面倒事を集め切った壺の蓋を誤って開けてしまったような顔をされた。そんな表情をされても俺としてはテンションが垂直上昇するだけなのに、彼はまだ分かっていないらしい。なんだ、君か。言葉こそ丁寧なものの、声音の端々から鬱屈とした心情がありありと伝わってくる。しかめられた柳眉。嫌われてるんだなあ、俺。その目、凄く、すっごく、ぞくぞくしちゃいます、よ。 「一緒に帰りません?」 「遠慮しておくよ」 「つれないなあ」 そんなこと言わずに、ねえ。返事に従わず並んで歩く。 問答など意味はない。どれだけ拒否されようとどれだけ拒絶されようと、どれだけ意識外に排斥されようがどれだけ視界から排除されようが関係ない。そんなのは問題じゃない。俺には、理由にならない。 「……どうして君はぼくにつきまとうんだ?」 向けられた蔑んだ眼差し。先輩が俺に興味を持ってくれただなんて!先輩が俺に質問してくれるだなんて!ああ、此処が天国か。彼がいるところは何処でも俺にとって楽園だという真実にして真理は前から決まっていた揺るぎようもない事実だけれど。 実力を奥に隠しているくせに、あまり目立とうとはしない先輩。俺にまとわりつかれるのは、さぞかし迷惑なんだろう。 「俺、猫が好きなんですよ。猫グッズとか写真とか、めちゃくちゃ集めるくらいに」 能ある鷹は、いや、猫は爪を隠すものなのか。 「は?」 「先輩って、ほら、猫に似てるじゃないですか」 雰囲気から、細い瞳孔を持った瞳、しなやかな体躯、美しい髪。尻尾が生えていないことに違和感を覚えるし、耳の位置は頭の上でいいとさえ思う。 「だから、先輩は、俺のキティちゃん」 語尾にハートマークをつけるのを忘れずに。 猫を撫でるように喉元に手を這わせれば、途端に振り払われる。 「な、にするんだ!」 ああ、先輩が本気で怒った顔なんて初めて見た。学校じゃいつも澄ましているから、これは大変貴重だ。涼しい顔して、腹の内では何考えてるかいまいち分からなくて、一般人気取りしているけれど、俺は知っている、先輩の奥底にある得体の知れない不気味な狂気を。また身体中がぞくぞくする。ね、先輩、そんな表情するの、俺の前だけにして下さいね! 初期吉良とハイ吉良(川尻)と女の子/ 「前々から思っていたが、君は彼女に甘すぎる」 「それは君が彼女に厳しすぎるだけなんじゃあないか」 当の私と致しましてはどちらであってもいいしどちらでなくともいいのだが、頭上で展開されるお決まりの口論については些か嫌気が差していた。だいたい、だいたい本人を目前にして教育方針を論じ合うなどとはいったいどういう了見なのだと首を傾げざるを得ない。するなとは言わないが、時と場所を考慮に入れていただきたく存じあげるのである。せめて私のいない場でやって欲しい。吉良さんも川尻さんも同等たる主義主張趣味嗜好価値観を持っているはずなのに、頻繁にこうしてぶつかり合うのは性格上の問題なのだろうか。毎度両者に挟まれる私にとってはなかなかにいい迷惑である。 「……お腹空いた」 ぽつり呟いた何となしの言葉はご両人に拾い上げられることなくただ空気に融けて消えるのだ。くるるる胃が嘶きそうな気配を見せたいたいけな学生がいるというのに、こいつら視線すら此方に向けようとしない。こんな大人にはなりたくないなァと往々にして世の子供の脳内に蔓延りがちな使い古された台詞を心中で吐きつつ、どう足掻けばこんな大人になり下がることが出来るのだろうかと新たな難問に一人首を傾げた。しかし。だかしかし、果てなくどうでもいい。彼らの談義に介入する余地はまったくと言い切ってしまっても良いほどないので、諦めて私は意識を机上の数学プリントへと戻すことにする。くるり指先で遊んでからシャーペンをノックした。かちり。 「……あれ、」 視界に入った指先、更に言えば右手の親指の爪。マニキュアが剥げかけていた。レモンイエローを彩ってみたはずのそれが一角のみ色を失った様はなんとも不格好で、これでは何も塗らなかった方が随分とマシに思える。塗り直し。その四文字が頭に信号の如く明滅して気分は輪をかけて重くなった。面倒面倒、嗚呼何もかもが面倒だ。 「誰か塗ってくれないカナァ、」 敢えて何を、とは言わなかった。手の甲が見えるようにぷらぷらり右に左に手首を振れば、漸く此方を視認する二人分の目玉。形こそ違えど角膜の奥に見え隠れするジャアクな色は寸分の差異もない。 「ピンクにしようか。最近良いものを買ったんだ」 「赤にしよう。君にはこれが一番似合うよ」 そう言って先ほどまでの舌戦は何処へやら、いずこよりか取り出したる二つのマニキュア瓶がテーブルに置かれる。吉良さんは柔いローズピンク、川尻さんは鮮烈なワインレッド。 用意周到さに若干の気持ち悪さを覚えつつも、彼らの趣味にかける情熱には些か尊敬できる部分がある。不要な喧騒も息を潜めたのだからやはりこのネタは彼らにおいて大変有効だ。共通の嗜好がヒトとヒトとの無益な争いを終わらしてくれるのデスネ。 「君は何を言っているんだ?彼女には淡い色の方が似合う」 「そんなことはないだろう。それは貴方の思い込みじゃあないかな」 かと思えばワケわからんことで再び喧嘩が勃発しそうな雰囲気が漂い始めて、もうどう転んでも面倒臭いのには変わりないようである。当の私と致しましてはどちらであってもいいしどちらでなくともいいのだが、まあ敢えて意見させていただくと。 「私ネイビーブルーがいいなあァ」 「「駄目だ」」 こんなところばっかり息が合うのだから此方としては腹立たしいことこの上ない。彼らが私について気にかけることと言えば大方手首から先、いや寧ろそれ以外あり得ないのだからいちいち心を荒立てていては毎日がもたないのだけれども、だけれども立腹してしまうのは致し方なくしょうがないところなのである。私は今絶賛青がいい気分なのにその意見はちっとも採用されず、二人延々と平行線をたどり続ける不毛としか言い表せない口論を繰り返しているの、だ、からほとほとお腹空いたしピンクも赤もそれほど好きじゃないしすべてがすべて面倒臭いし、もうこいつら爆発して××だとかそんな往々にして子供染みた発想を胸に仕舞い込みながら私は今日も今日とて過ごすのでしたまる。 吉良17歳と後輩男主/ しぱぱぱと軽快なだけの音を鳴らして馴染みのパッケージを開封する彼は、普段通りの浮わついた笑みを携えている。加えて鼻唄までもを奏で出したのだから目も当てられない。何故下級生が上級生の教室に堂々と居座っているのか、何故わたしの隣に腰を落ち着けているのか、というよりも根本からして何故毎度毎度彼はわたしに付きまとうのか。帰宅したくないとまでは言わないが、家にいるのが煩わしく感じてわざわざ放課後の遅くまで校内に留まっているというのに、これでは帰った方がマシだ。 「先輩もどーぞ」 「……ぼくはいい」 彼には受験勉強に勤しむ先輩を気遣うという発想はないのだろうか?ふぬけた笑顔でポッキーを差し出されるが迷惑以外のなにものでもない。途切れてしまった集中を取り戻すためにも英文を強く睨んだ。 It is difficult to realize the enormously important role 「えー、遠慮しないでくださいよ!」死ね。 「ほら、あーん」 無視を続ければ引き下がると思ったのだがどうも勘違いだったらしい。むふふと変態じみた笑いとともに、チョコレートにまみれた先端部分で唇をつつかれる。それでも無視を決め込めば、今度はまるで口紅でも塗るかのようにゆっくりと菓子を口唇に這わされた。 我慢の限界である。わたしは無言でポッキーに噛みついた。罠にはめられたようで非常に癪だ。 「ね、先輩先輩、ポッキーゲーム、しましょうよ」 断固拒否する。わたしはにやついた顔が近付くよりも早く菓子を全て食べきった。あ、と空気の抜けたような声が彼の口から流れる。 「もう一本、」 「いらん」 「それはダイレクトにキスしてもいいという、シャイな先輩からの精一杯のアピールでしょうか」 「舌を咬みきられて死にたいのか」 「それは舌を入れてもいいという、シャイな先輩からの」 「…………」 「痛い痛い痛い、無言で殴らないでグーで殴らないで冗談ですってば」 デッドマンズQと吉良と女の子/ ※デッドマンと吉良が別々 わたしが自分の名前を口にすると、女は大きく見開いた瞳を更に丸めて、いっそ目玉が溢れ落ちるんじゃあないかと思うほどの驚きを顔に表した。何か言いたげに唇を震わせ、それでも言葉に成り得なかったのか、息を飲む音だけが耳に届く。それから随分たっぷりと時間をかけてわたしの言葉を頭で咀嚼し、吟味し、漸く嚥下したようで、 「吉、良さん吉良さん」 後ろにいる男の派手なスーツの裾を頼りなく掴み、上擦った声を掛けた。 「急に大声を出さないでくれるかな」 「あの、でも、大変なんです」 「わたしだって今大変なんだよ」 「『彼女』さんにマニキュアを塗るのは後にしていただけませんか」 哀願の中には確かな嘲りが含まれていた。「そんなどうでもいいことより」という意識が見て取れるような口振りである。至福の時を無価値扱いされた生前のわたし、つまり吉良はそれでも忙しなく動かしていた手元を止め、未だ驚愕の色を浮かべる彼女に向き直る。 「どうしたんだい」 「そこ、あそこに吉良さんがいるんです」 「……………は?」 躊躇いもなくしかめられる眉。まあ当然と言えば当然か。 「何を言っているんだ」 「だから、あそこにも吉良さんがいるのです」 女がわたしに向けて指先を伸ばす。吉良は彼女の指針に促されて視界を空中に放った。丁度わたしの右斜め上らへんに目をさまよわせている。そんなところには誰もいないぞ、馬鹿めが。 「何もないじゃないか」 「見えないのですか。そこに、可笑しな格好をした吉良さんが」 「さっきから君の言っている意味が全く分からない」 理解不能、ついていけないといった顔をして吉良は再び肉塊の先を塗装する作業に戻った。我ながら冷たい男である。女は趣味に没頭する吉良と宙へ浮かぶわたしを交互に見比べ、少し俊巡した後、こちらへそろりと近付いてきた。どちらを相手にした方が面白味を感じるか、それを考えていたようである。現に先程までの動揺した表情は既に微塵もなく、代わりに口の端をふわふわさせていた。 「あの、」 最小限の音量での呼び掛け。囁き声は神経質な同室者を気遣ってのことか、はたまた悪戯を施そうとする悪餓鬼のような心境からか。 「幽霊の貴方、本当に吉良さん?」 「ああ、わたしは吉良吉影だ」 「なんというか、顔も似てないし全然違う方のようですが」 「色々あったんだ。よく覚えていないがな」 へえ、と感嘆の息が漏れる。 (中途半端に終わる) |