侵食されている、と思わずにいられなかった。
棚にきっちりと納められた文庫本、欠けることなく並んだ漫画、ケースにしっかりと収容されたCDたち。そのどれもがきちんと名前順、番号順になってそれぞれの場所に満たされていた。床には何一つ余計なものが落ちていない。サイドボードに指先をすうっと滑らせれば、埃が人差し指にまとわりつく、なんてこともない。愕然とする。此処は、本当に私の部屋なのだろうか?見知らぬ他人の家に入り込んでしまった錯覚にさえ陥る。皺一つないシーツの広がったベッドに腰を下ろして、辺りを見回した。数週間前までは雑多に物が積み上げられ、隙間も見付からなかった勉強机には、今では確かな空きがある。片付けるのが面倒で放っておいた服も、いつの間にかクローゼットの中で出番を待ち続けていた。
知っている。見違えるように変わってしまったけれども、此処は私の部屋なのだ。それは私が一番良く分かっている筈なのに、何故だろう、奇妙な違和感が私を捉えて離さない。新しく取り替えた薄緑のカーテンから、朝日がぼんやりとした輪郭を覗かせていた。




「あ、形兆先輩。おはようございます」
「ああ、なまえか」

朝礼が始まる二十分前、私は形兆先輩とばったり廊下で出会していた。いや、正しく言葉にするのならば、私は先輩と廊下で『偶然の』邂逅を果たすようわざとこの時間帯にやって来ていた。その為に私は以前より三十分も早く目覚めなければならない。二度寝は許されないし、ゆるりと身仕度を調えることも出来ないのだ。

「今日もこの時間ぴったりですね」
「そう言うお前も同じだろーが」
「私は、まあ、ええ」

それぞれの教室に至るまで、二人並んで廊下を歩く。彼の弟兼私のクラスメイトである億泰くんは、いつも始業ベルぎりぎりになって学校へやって来る。それが私にとっては酷く好都合で、心中いつも人知れずガッツポーズを決めていた。これは先輩と二人きりになれる時間が極めて少ないことから生ずる感情で、決して億泰くんを嫌っているとか、そういったものでは断じてないから誤解なきよう。

「私、最近おかしいんですよ」

秋空から流れる澄んだ空気には、愚鈍な私の声でも綺麗に染み渡る。窓ガラス越しの世界はソーダ水を引き伸ばしたように青白い。夕刻から夜になれば、それは先輩の纏う制服と同じ色に移り変わると考えて何処か妙にそわそわする。

「どうにも自分が自分ではないみたいで」
「風邪かなんかか」
「いえ、多分そうじゃなくてですね」

小さく苦笑する。私はいたって健康であった。寧ろ好調と表しても差異はないくらいで、だからと言ってこの掴み所のない違和感の原因を探し当てることは難しい。自分で理解出来ないことを他人が都合良く差し出してくれる筈もなく、今朝もずるずると貴重な時間は過ぎる。

「あの、先輩は散らかっている部屋と、整理された部屋、どちらがお好きですか」

あと少しで私の所属するクラスの教室に着いてしまう。焦りが唐突な話題変換を生んだ。怪訝な顔をするでもなく、僅かに微笑むこともなく、先輩はいつもの引き締まった表情のままである。

「きっちりしてる方に決まってんだろ」
「ですよ、ね!」

ほら、今日もじわりじわりと。

侵食作用

やっぱり侵食されている!
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