レンズの向こうで麻酔の切れたらしい男が大層痛々しい悲鳴を上げながらのたうち回っている。がたがた震える寝台を他所に、男にまとわりついた拘束具は彼の自由を奪って離さない。染みだらけのシーツに赤い斑が加えられた。
生きたままその身を解剖されるというのはなかなかに貴重な経験なのではないのだろうか。手術や治療とはわけが違う、人間の権利だとか尊厳だとかを一切合切切り捨てて成立するその行為。死へとそのまま直結する非人道的所業をいとも簡単にやってのける彼のことを、私は最小限の敬意と最大限の侮蔑を込めて先生と呼ぶ。

「おい、ちゃんと撮ってるんだろうなァ?」
「大丈夫ですよ、安心して下さい」

暴れる度に溢れ出す鮮血を撮り逃すことなく、じっくりと舐めるようにカメラを回す。初めの頃に比べてこの加虐趣味者がどういった映像を好むのかだんだん分かってきた。顔。兎に角顔だ。被験者の恐怖と激痛に歪む表情を中心に撮してやれば彼は酷くお気に召す。その他のものは二割程度でいい。これは私の海馬の中でも最も必要性の薄いと判断されるフォルダの中に折り畳まれた情報である。一刻も早くゴミ箱に棄てたい。

「チョコラータ先生」
「あぁ?」

先生がメスを這わせる度に泣き叫ぶ男の声が鼓膜を激しく殴打する。五月蝿い。ああ五月蝿い。せめてもっと静かに死ねないものか。大の大人が情けない。やりたくもないことをやらされて泣きたいのはこちらの方だ。

「先生、まだかかりますか」
「今一番いいところなんだから冷めるようなこと言うんじゃねえよ」

彼の脳からどれほどアドレナリンが大量分泌されているか知る由もないが、そんなこと言われたって私の頭は始めから今この時まで恐ろしく冷えきっている。更には長時間同じ体勢で撮り続けてきた所為か腕が痺れてきた。カメラを左手に持ち替え右手に持ち替えを繰り返してきたがもう限界だ。
だいたいボスのご命令がなければ私はこんな血生臭く埃っぽくカビの充満した部屋になんぞ足を踏み入れたりしないのに。彼とセッコの監視という名目でやって来ているはずなのに、何故毎回見ず知らずの人間を被写体にカメラを回させられるはめになっているのやら甚だ疑問だ。

「……ん?もう終わりか」

先生のつまらなそうな呟きで我に返る。先程まで元気に暴れまわっていた男がぴくりともせずにこちらを見ていた。レンズ越しに睨まれている錯覚さえ覚える。命の終わりとはなんて呆気ないのだろう。
先生がぞんざいに投げ棄てたメスが床と衝突してからんと乾いた音を立てた。録画終了ボタンを押せば身に染みて感じる、久方ぶりに到来した静寂。

「ご苦労だったな。どれ、見せてみろ」

半ば引ったくるようにカメラを奪われた。言わずもがな、先生の指先から被験者の粘っこい返り血が否応なしに受け渡される。慣れた手付きで巻き戻しの後再生されればそこには本日の行為の一部始終が全て収まっていた。横目でちらり盗み見ると、ふむ、我ながらいいアングルで撮れている。先生は満足そうに笑った。その形相は地球上の生物で最も下卑たものだと私は確信している。

「褒美は何がいい?角砂糖二つでいいか」
「私がそんな物欲しがるとお思いで」
「ふん、冗談だぜ冗談。そうだな、このテープをダビングしたのをやろう」
「いりませんよそんなもの」

あまりの不必要性に驚愕。

「なんだ、これを撮っている時のなまえときたら、随分楽しそうな顔をしていたのに」
「ゲスな憶測はやめて下さい。ちっとも楽しくなんかありませんでしたよ」
「嘘を吐くな」
「嘘じゃあないです」

なんと空虚で無意味な押し問答。一刻も早く帰って清潔なベッドで眠りたい。

「じゃあ今度は撮影中のお前をセッコに撮らせよう。それで分かるだろうぜ」
「ちょっと分かりません。意味が」

二度手間にも程がある、と思った。非難を含んだ眼差しを放ってやると先生はいやらしく笑う。本当に性格の悪い人だ。前々から言いたかったんですが内面もさることながらその化粧もどうかと思いますよ。

「ああいうときのお前の顔は、地球上の生物で最も下卑たものだとわたしは確信している」

ちょっと分かりません。意味が。

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