「わあ…」
淡黄色の中で鮮やかに映える赤い花々。はっきりとした赤なのに上品で、うるさく誇張されてない。全体的に柔らかい印象を受ける可愛い櫛。
「凄い、綺麗な柄ですね」
「気に入ってくれた?」
「で、でもいいんでしょうか…。こんな立派なもの、私なんかが頂いてしまって」
「当たり前だ! ななしに喜んでもらうために買ってきたんだから!」
嬉しい。こんなに高価な可愛い櫛、私持ったこと無い。もともとオシャレに疎いこともあるけど、いつもお財布と相談しては安物ばかり選んでしまってるから。
「ありがとうございます」
大切にしよう。新品は遅い時間に下ろすと縁起が悪いっていうし、今度町へ行く時にでも下ろそうかな。いそいそと開けた包みをまた丁寧に包み直す。私今きっと馬鹿みたいに顔の筋肉緩んでるなあ。
「ひゃっ!?」
不意に視界が暗くなったかと思えば身動きが取れなくなる。
「喜んでもらえて良かったああ!」
今度は正面から先輩に抱え直されたらしい。包んだばかりの櫛が先輩の身体と私の身体の間に挟まった。うわああ乱暴にしたら折れちゃいますよ先輩。
「あの、」
引っ付いたり離れたり。前々から思ってたけどこの先輩は私を抱き枕か何かと勘違いしてるに違いないんだ。文句を言おうと顔を上げて口を開けば、全開の笑顔がそれを遮った。
「礼ならチューがいいなー」
ニコニコしながらまたとんでもないことを言われる。顔面が沸騰したと自分で分かったから、慌てて下を向いた。こんな表情、人様に見せられないっ!
「お?」
とはいえ密着してるから、下を向けば先輩の胸へ顔を埋める形になるのは必然で。羞恥心に拍車が掛かる。
もう完璧に心臓がひとり歩きしてる。これだけくっ付いてたら先輩にバレちゃうんじゃないかな。ってか既にバレてたりして。
変だ。私、やっぱり変だ。さっきからしつこいけどどう考えても変だ。いつも以上にドキドキしてる。
どうして。七松先輩なのに。どうして。善法寺先輩じゃないのに。どうして。どうしてどうしてどうして。
「ななし?」
「・・・」
七松先輩の戸惑う声。それはそうだ、先輩はいつも通り冗談半分で言っただけだろうから。私がこんな反応すれば戸惑うに決まってる。
私の方だって、いつもなら「駄目です」って笑って一刀両断してたのに。それが、なんで。
声がうまく絞り出せない。無意識のうちに先輩の制服の裾を強く握ってた。
 が し り
「わッ!?」
私の背にあったはずの先輩の両手がいきなり肩を掴んできた。
「何この空気! 押し切ればイケる!!!」
心の声を盛大にアナウンスするものだから思わず後ろへズッコケかける。そうだ、そうだった。この人、肝心なところでちょっと残念な人なんだった。今のそれも確実に無自覚で言ってますね?
「顔あげろななし!!!」
「や…今は駄目です先輩…」
肉食系全開で顔を落とそうとしてくるから、その口元を両手でやんわり押し返す。
なんだか気が抜けた。少しだけいつもの調子に戻って来たかも。ああでもこれはこれで良かったかな、うん。
「ケチケチするな!減るもんじゃなし!」
「ところでこの櫛の花はなんていう花なんですか?」
どうせ会話に付き合ってもキャッチボール出来やしないのでこっちから球を投げてみることにする。善法寺先輩の言う通り、七松先輩にじわじわ似て来てるかも。
「花? えーと、何だったっけな」
新しい話題を出されると一つ手前の話題が川流れのように終わる彼。細かいことを気にしない人で本当に助かります。
「忘れちゃったんですか?」
「うん。いや確かに聞いたんだよ。何だっけ。花言葉がななしにぴったりでさあ」
「え? 花言葉?」
「そうなんだ。ええと、待って、思い出すから待って」
「そんな無理しなくても大丈夫ですよ」
「確か、えーと…。か…か…か…」
「"か"?」
「たきびばな」
「…"か"はどこ行っちゃったんですか」
刹那、視界が反転した。背中に軽い衝撃があって、ひゃあ、と口から間抜けな声が飛び出してくる。身体の下に柔らかい草と先輩の腕の感触。
「!?」
思わず息を止めてしまった。
見上げればすぐ傍に先輩の顔がある。というか覆い被さられていた。あんまり唐突だったから私の足りない脳味噌はすかさずパンクしてしまって、金魚みたいにただ口をパクパクさせるしか出来ない。
「悪い」
どうやら私は先輩に押し倒されたみたいだ。
「せ…んぱ…」
ようやく絞り出せたのは瀕死の雀みたいな声。何が何だか分からない。何をどうしてこんな状況に?
私、今とんでもなく情けない顔してる!
「あの、」
「いきなり縄標はないだろ…」
ぼそり。呟かれた言葉は明らかに私への台詞じゃない。
「え?」
問い掛けるより早く、先輩の肩向こうで何かが動いた。空を切って視界の隅へと引っ込んでいくそれ。
「…縄標?」
どこからどう見ても縄標だった。目の前にある七松先輩の表情がみるみるうちに渋くなる。決まりが悪そうに私の上からのそのそ退けてくれたので、私も彼に倣って上半身を起こした。いったい何ごとかと縄標が飛んできた方へ目を向ければ、
「あっ」
怒り心頭の中在家先輩が縄標を振り回していた。そっか、七松先輩は中在家先輩の縄標を避けるために私を押したんだ。え、でもなんで中在家先輩が七松先輩に縄標を打つんだろう? そもそもなんで中在家先輩はこんなに怒ってるの。
「中在家先輩?」
問いかけてみたけれど、頬傷の上に青筋を作りながらフヘヘヘと笑うだけ。だめだ、どうやらこれは聞こえてない。相当怒ってるみたい。
「チッ」
舌打ち一つ。七松先輩は素早く立ち上がると私の頭をぐしゃぐしゃに撫でて、
「また今度礼してくれ!」
それだけ言い捨ててからいつもの駿足で走り出した。後方から火矢みたいに打ちまくられる縄標を躱しながら。
「…嵐だったなあ」
私だけをぽつねんと残して、あっという間に小さくなる二人の背中。急に静かになる。結局あの二人は何だったんだろう?
「ななしちゃん、災難だったねえ」
聞き慣れた穏やかな声。振り向けばそこに善法寺先輩が居た。
「あ、演習終わられたんですね。おかえりなさい」
「ただいま」
笑いながら私の隣へちょこんとしゃがみ込む。善法寺先輩と中在家先輩が帰って来てるってことは、他の六年生の先輩方も今さっき帰って来たんだろうな。
「長次が怒るのも無理ないよ。彼、小平太のせいでさっき先生に絞られちゃってさ」
「絞られる?」
「うん。帰って来てから先生方へ演習の報告しなきゃいけないのに、小平太ってば半分もやらないで姿消しちゃってね。小平太とペアを組んでた長次がしこたま怒られたんだ」
「七松先輩、授業を途中で投げちゃったんですか」
「まあ平たく言えばそうなるね」
「七松先輩どうしたんだろう? 疲れてたんですかねえ?」
「小平太が疲れる? んなワケないって」
「じゃあなんでまた…」
「そりゃあ、」
理由なんて明白じゃないか、と先に表情で語り掛けてくる善法寺先輩。
「ななしちゃんに早く会いたかったからでしょ」
「えっ」
「小平太、この五日間だいぶ我慢してたみたいだからね。ずっと堪えてたけど、いざ学園に帰って来たら辛抱出来なくなったんじゃない? …まあ後半は僕の勝手な推測だけど」
先輩の説明を理解してから急速に気恥ずかしくなる。オロオロそわそわ、居た堪れなくて両手足の置き場にさ迷った。私ときたら今日何度トマトになれば気が済むんだ。
「あれ?」
先輩の視線が私の膝上の包みに留まる。
「ななしちゃん、その白い包み何?」
「あ、はい。さっき七松先輩がくれたんですけど、」
「小平太から? 食べ物?」
「いえ。櫛です」
「櫛!? 小平太が櫛!?」
「そ、そんなに驚かなくても…」
「いや、小平太から櫛ってイメージ無いなと思って…」
「確かに。でもコレとっても可愛いんですよ」
柄を思い出すとまた顔の筋肉が緩んでくる。結局この花、なんていう花なんだろ。分からずじまいだったなあ。今度図書室で調べてみよう。
「ふーん」
私の小さな自慢に善法寺先輩は何故か視線を合わせてくれなくて、ただ斜め下を見詰めて相槌を打ってくれるだけだった。





部屋へ戻ってから櫛を小物箱へ大事にしまい込む。これを付ければ他のくのたまのみんなみたいに、ちょっとはお洒落に見えるかな。次の休みが楽しみだな。まめにお手入れもしなくちゃ。今まで櫛なんて使い捨てで大切にしたことないから、手入れ道具を揃えるところから始めよう。まずは椿油だ。
「へへへっ」
ひとりニヤけながら箱の蓋をパタンと閉じた。そろそろ夕飯の時間だから食堂へ向かうとしよう。今日はイイコトあったからいつも以上にご飯が美味しいはず。机に手を付いて立ち上がれば、懐から何かがぽろりと零れ落ちた。
「・・・」
存在を全く忘れてた、お母さんからの手紙。うわあ。テンション下がるよウワア。白い紙切れが「手に取れ」って主張してるよウワア。
「ょ、読みたくない…」
けど読むしかない。そして返事を書くしかない。ああもうせっかく良い気分でゴハン食べられると思ったのに! 出来ることなら忘れたままでいたかった。
「ええいままよっ」
美味しいご飯の為ここは正面から立ち向かおう。嫌なことは先に済ませるべきだ!
――そう思って読み始めたのがやっぱり間違いだった。
母さんからの手紙に、私は本日最高潮のトマト顔になるしかなかったから。



ななしへ
元気にしていますか。最近、ななしが顔を見せてくれないので父さんも母さんも少し淋しいです。これもななしが立派な大人になる為の試練だと思って、父さんも母さんも辛いけど我慢してます。それともあれかな、ひょっとして素敵な旦那様が見付かったからあまり家に顔を出さなくなったのかな。それなら母さん、安泰です。でも出来ることなら早く紹介しに来て下さいね。父さんが痺れを切らして待っています。
あ、そうそう。今日はとても印象的なことがありました。せっかくの機会なので書きますね。
ななしも知ってる通り、いつもうちの店には女の子ばかりがやって来るのだけれど、今日は珍しく若い男の子が一人でやってきました。若いといってもななしよりは年上かな? 凄く元気な男の子で、うちの店には無縁そうな子だったんだけど、何を探してるのか訊ねたら「彼女へのプレゼント」を探してるんですって。それで何をプレゼントするのか訊ねたんだけど、そこからが凄く印象的でね。その子、今までの明るさが嘘みたいに急にしおらしくなっちゃって「実は女性へ何かをプレゼントしたことないんです」って言うの。どっちかっていうと父さんが気に入るような雄々しい子だったのに、母さん、なんだかその子が可愛く見えてきちゃって。だから一緒になってプレゼントを選んであげることにしました。「彼女はどんな人?」って訊ねたら、これ以上ないぐらい楽しそうに彼女の長所をたくさん語り始めたから驚いちゃった。ああこの子は本当に彼女のことが大好きなんだなあって、聞いてる母さんも何だか楽しくなりました。しかもその子の彼女、長所が全部ななしにそっくりで。だから母さん、ななしにプレゼントを選ぶつもりで、その子に赤いかがり火花の櫛を薦めました。その子とっても喜んで、折っちゃうんじゃないかなって少し心配になるぐらいその櫛を強く握り締めて帰っていきました。
素敵な子だな、って思った。あんなに嬉しそうな笑顔を見たら、こっちまで嬉しくなってきます。
ななしもいつかあんな素敵な旦那様を連れて帰って来て下さい。ななしならきっと、あんな風にたくさん愛してくれる旦那様を見付けられると信じてますから。
母より



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