くし1


午後の授業も終わって、放課後。
麗らかな陽射しに誘われて、中庭の木陰で涼むことにした。前までは天気なんて関係なく部屋の中に引きこもっていたけれど、最近はこうして外へ出ることも少なくない。一番の理由は例によって読書に集中できないからだけど、外の空気の美味しさがちょっとだけ分かってきたっていうのもある。
「この辺にしようかな」
涼むのにちょうど良さそうな場所を見付けて、草の上を手のひらで大まかにハタいた。ぽんぽんと軽い音。あ、この辺りが平らだからここに座っちゃおう。
「よいしょ」
腰を下ろしてから木に寄り掛かり、木漏れ日に目を細める。さわさわと吹き抜ける風が気持ち良い。このまま眠れそうだ。
「ここで読書しても良かったな…」
本も持って来れば良かった。部屋で読書してると背後が気になって集中できないけど、ここで木に寄り掛かって読書する分には集中できたかもしれない。うん、次からはここで読書することにしよう。そうしよう。
頭上の枝から聞こえる、ピチピチという鳥の声。うーん平和だなあ。くのたまの立場で平和ボケするのは良くないことかもしれないけど。
「・・・」
先輩方は今ごろ戦場で演習に励んでるんだろうか。そうやって思ったら少し心苦しい気もする。もしここに学級委員長が居たら「なぞのさんも呆けてないでこういう時ぐらい鍛錬しなさいよ」なんて小言を貰うに違いない。
「…あれ?」
そういえば今日って何日だっけ? よく考えたらこの間のお休みから五日経ったかもしれない。先輩方、今日学園に帰って来るかな。
七松先輩、私のところへ来るだろうか。もし来るとしたら会うのは結構久し振りだ。…な、なんだかちょっぴり緊張する。
え? おかしいな、緊張するような相手じゃないのに。いつも会ってる人なのに。
待って待って、そもそも来ないかもしれない。来ないかもしれないよ。私ってば何をどきどきしてるんだろ、これじゃ期待してるみたいでますますおかしい。いやいや、それ以前にもっと気にしなきゃいけないのが、本当ならここは善法寺先輩で頭を埋めなきゃならないはずで、それなのに、
「私ってば、また…」
「ななしちゃんッ」
「は、はいぃ!」
一人でぐるぐると頭を悩ませていたら、横合いから突然肩を叩かれて無意識にふんぞった。口から変な声も飛び出た気がする。びびびびっくりしたああ!
「はいぃ、ってどうしたの。凄い反応だね」
「た、タカ丸くん…」
振り返ってみればタカ丸くんが口元を押さえてクスクス笑ってた。うわあああ恥ずかしい! 私ときたらくのたまの癖して隙だらけ過ぎる。タカ丸くんが敵だったら今の一撃で死んでるよもう。
「ご、ごめん…ちょっと考えごとしてて…」
「何か悩み事?」
「え、あ、う、うん…」
我ながら歯切れの悪い答え方。だってここでタカ丸くんに相談するわけにはいかない。学園内での会話はどこで誰が聞いてるか分からないもの。
タカ丸くんは察しが良いから、私の歯切れの悪さに「訊いちゃいけないことなんだ」と理解してくれたみたいで、それ以上何も訊ねてこなかった。私の隣にのんびり腰を下ろす彼を見て、とりあえず会話を続けることにする。
「タカ丸くんも涼みに来たの?」
「ううん。ななしちゃんを見付けたから話し掛けようと思って」
のほほんと笑う彼に郷愁を感じた。幼馴染だけあってタカ丸くんはやっぱり落ち着くなあ。…この状況、他のくのたまに見付かりませんように。
「あ、そうだななしちゃん。あのね、」
「うん?」
ごそごそと懐を漁り始めるタカ丸くん。ふつふつと嫌な予感が芽生えてくる。
「この間の休みに髪結処へ帰ったんだけど、またお母さんから預かってきたよ」
じゃじゃん、と取り出された白い紙切れ。自分でも分かるぐらい眉間に力がこもる。
「・・・」
「…そんなに嫌そうな顔しないでよ」
「だって…」
また例の手紙だ。お母さんもいい加減こりないなあ。
「いつも伝書鳩させてごめんね。ありがとう」
しぶしぶ受け取って自分の懐へそれを仕舞った。
「読まないの?」
「うん。部屋に戻ってから読むことにする」
今読んだらせっかくの夕涼みが台無しになるもん。気分をぶち壊されたくない。
「あ」
不意にタカ丸くんが声をあげた。何だろう?
「どしたの?」
寄り掛かってる木からほんの少し身を起こして彼の顔を覗いてみれば、彼の視線は私を通り越えてその先を見詰めてた。
「え?」
視界にニュッと割り込んできた、後ろから伸びる二本の腕。
状況を把握した次の瞬間だった。
「ななし!!」
よく知った体温にいきなり背中から包まれる。化学反応みたいに私の体温は一気に跳ね上がった。
「な、七松先輩…!!」
「ななしななしななしななしッ!!!」
ぎゅううと音がしそうなほど抱き潰され、ぐりぐりと肩口へ頬ずりされる。もさもさの髪の毛がくすぐったくて笑いたいけどそんな状況でもない。結果的に笑いを堪えるみたいになって口の端がフニャフニャ歪んだ。
「逢いたかったああ!!!」
いつも通りの馬鹿に明るい声でいつも通り恥ずかしげもなく叫ぶから、反比例するように私の方が恥ずかしくなる。タカ丸くんも最初はポカンとしたまま私達を見てたけど、そのうちまるで微笑ましいものを見るような顔をし出したから余計だ。そんな顔してないで出来ることなら止めに入ってようぅ!
「は、放して下さい!」
「やだ!!」
腕の中からなんとか抜け出そうとジタバタするも、お腹にまわされた彼の両腕はビクともしない。力の差なんて最初から知ってたけど妙に悲しくなる。
「恥ずかしいですから!!」
「だからテレるなって」
「ちが、そういうんじゃなくて…!」
「何と言おうとダメ! 絶対ダメ! 私の充電が完了するまで放さんからな!!」
有無を言わせないまま両足まで使って後ろからガッチリと抱き込んできた。なんだかこれじゃあたかも七松先輩の所有物だ。私の方も多少意地になって、先輩の腕と私のお腹の間に手のひらをねじ込んで引き離そうと躍起になる。
「ななしってばヒドイ! なんでそんなに嫌がるんだよ!」
「だ、だって…」
「あ!? もしかして私臭い!? おっかしーな、演習帰って来てからちゃんと風呂入ったぞ!」
「べつに臭いわけじゃなくてですね、」
あああもう相変わらず会話がキャッチボール出来ない! 無意識なのかわざとなのか!
「とにかく離れて下さいってば!」
「ななしに逢えなくて寂しかったのに」
途端、耳元で気弱な声が響くからドキリとする。私にとっては弱点の、捨て犬みたいなあの声音。
「ずっと逢えなくて寂しかったのに。ななしは私に会わなくても平気だったのか…?」
しょんぼりと呟かれて束の間いろんなことが脳裏を駆け巡る。先輩に表情を覗かれないよう咄嗟に俯いた。よく分からないけど本能的に今の表情を見られちゃいけないと思った。
私は、会わなくても平気だった。平気だった、はず。七松先輩が居なくても、普段通りに授業を受けて普段通りにご飯を食べて。普段通りに生活してた。生活してた、はずだ。
じゃあ、読書に集中出来なかったのは?
学園に居ないと知っていながら、今に帰ってくるんじゃないかって後ろばっかり振り向いてたのは?
気付いたら七松先輩のことばっかり考えてたのは?
「わ、わたし、は…」
ひょっとして私、寂しかったんだろうか。
「…ななし?」
七松先輩の不安げな声。お腹にまわしていた腕を片方だけ離すと恐る恐る私の額に触れてくる。私の顔を持ち上げて表情を覗く気なんだろう、阻止したい、だけど身体が動かない。恐ろしく頬が熱い。やだ、駄目だ、見ないで下さい。今の情けない顔を見ないで下さい。見ないで見ないで見ないで見ないで。
ああやっぱり、私はこの感情を知ってる気がする。だけどどうして、認めたくない。
「どうやら僕はお邪魔みたいだからそろそろ失礼するね」
絶妙のタイミングで割り入って来た声は、正面に居るタカ丸くんのもの。七松先輩の手の動きが止まる。ありがとうタカ丸くん、助かった。もしや彼なりの助け舟かも。
「なんだ、いつから居たんだ斉藤」
分かりやすい程ムスッとする七松先輩の声。ええええいつからっていうか最初から居ましたけどええええ! 先輩、明らかに気付いてましたよね!
「べつに邪魔するつもりは無いからそんな邪見にしないでよ。悲しいなあ」
「邪魔するつもりが無いならもっとこう、さらっと空気みたいにどっか行ってくれよ」
むしろ消えてくれよ、って吐息を掠るような小声が耳元で聞こえたけどここは聞かなかったことにしよう。
「あ、そっか。気が利かなくてごめんね」
タカ丸くんは立ち上がると、お尻に付いた砂を数回叩いてから私達へ背を向けた。と思ったら再びくるりと振り返って、
「そうだ七松くん、ひとつ良い?」
なんて人さし指を立てて笑う。
「ああもう何」
目に見えてイライラする七松先輩。この気迫を笑顔で受け流せるあたり、タカ丸くんて何気に大物かも。
「実習帰りだから仕方ないかもしれないけど、以前にも増して髪の傷みが酷くなってるよ。ちゃんと手入れしてね」
「だあああ余計なお世話だって!」
「洗うだけじゃダメだからね」
「さっさと行けよ!」
「ちゃんとトリートメントしてね」
「そのうちななしにしてもらうからほっとけ!」
「はいはい」
まるで思春期の息子を相手にするお母さんみたいな素振りで、タカ丸くんは踵を返して歩き出した。なんだか七松先輩の口から最後に爆弾を落とされたような気がするけど…いいや忘れることにする。
「ななし」
「は、はいっ?」
名前を呼ばれただけなのに無自覚のうちに背筋が伸びた。どうしよう、タカ丸くんが居なくなったから二人きりになっちゃった。変に緊張する。
私、やっぱりおかしい。二人きりになるのも抱き締められるのも今に始まったことじゃないのに。今さら七松先輩を意識するなんて。
「どした? 何だか今日様子が変だぞ」
うわああしかもバレてる。もともと他人の情に機微な人だから隠しても無駄だったかもしれないけど、隠そうとする間すら無かったうわああ。
「そ、んなことは…」
俯いたまま言葉を探してみたけれど、うまい言葉が何も見付からない。どうしよう、どうしよう、困ったな。
「ななしが元気無いと私も悲しいぞ」
「え?」
元気無い?
「よく分からんが元気出せ!」
驚いた。幸いなことに七松先輩の目には私が元気無いように見えたらしい。なんとありがたい、ここはそのラッキーな勘違いに乗っかっておこう。
「細かいことは気にするな、ですね」
「おう!」
充電が完了したのか、満面の笑みを見せたあと私から手を放す先輩。
「あ、そうだ」
と、今度はその手で自分の懐を探り始める。
「ななしに渡すもんがあったんだ」
「へ?」
ごそごそと服の内を探って取り出されたそれ。先輩の大きな手とは対象的な、小さな白い包み。
「何ですか?」
促されるまま受け取ってみる。私の手のひらにはちょうどいいサイズ。
「プレゼントだ!」
「プレゼント?」
「前に簪をあげ損ねたことあったろ? だから新しい簪をあげようと思ったんだけど、」
「けど?」
「私は女物に詳しくないから、店の人にななしの印象を伝えて選んでもらったんだ。そしたら簪じゃなくてこの櫛を薦められた」
「え?」
くし?
「五日前の忍務が終わった時、学園へ戻って来るほどの時間はなかったけど町へ寄るぐらいの時間はあったからさ。戦場でずっと持ちっぱなしだったんだけど、折れてなくて良かったー!」
櫛…櫛だなんて。どうしよう、素直に嬉しい。男性から何かを貰うなんて七松先輩がくれた花と体育委員会の歓迎会でもらった花ぐらいしか過去に思い当たらない。手元に残る何かをプレゼントされるのはたぶんこれが初めてだ。
「あ…開けてもいいですか?」
「もちろん!」
白い包みを丁寧に開いていく。
包みの真ん中に、漆塗りの綺麗な櫛が見えた。


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