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「げほっ、」
咽喉奥が苦しくて仕方ない。私がむせ続ける横で先輩はしょんぼりと眉尻を下げていた。
「ごめんね…」
あのあと煙玉を炸裂させた善法寺先輩は私の手を引いて蛇の群れから逃げ出した。おかげで難を逃れられたのだけど、何も構えていなかった私は諸に煙を吸い込んでしまった。
「ほんとにごめん」
「いえ、謝らないで下さ、ごほっ、」
「…ごめん」
ああもう私の気管の弱さときたらない。これじゃ善法寺先輩を落ち込ませるばかりじゃないか。どうして普通に呼吸出来ないんだ。
「先輩のおかげで助かりました、けふ、ありがとうございます、」
「だけど予告も無しに煙玉はなかったよね…」
「そんなっ、げほ、私なんて脅えるばっかりで何も出来ませんでしたし、」
「僕も咄嗟にどうしていいか分かんなくてさ…ああ確か蛇は煙に弱かった、って思い出したらもうああしちゃってて…」
「げふ、でも先輩がああしてくれなかったら逃げられませんでしたから、」
「けどななしちゃんに一言忠告するべきだった…六年生失格だよね…」
「違います! 煙玉が見えた時点で構えてなかった私がくのたま失格なんです!」
私がむせ続ける限り先輩は立ち直れない、そう思って一気に捲くし立てる。咳を肺の中へ無理矢理押し込んだ。
「…げほ、」
…無茶だった。
「・・・」
先輩の肩が更にどんよりと沈んでいく。並んで歩いてるのに二人の間でまるで天気が違うみたい。
あああコレはもう駄目だ、何か別の話題で励まそう。
「げ、元気出して下さい先輩。何はともあれ薬草がたくさん採れて良かったじゃないですか」
ほらほら、と背中の籠を強調して見せる。何でもいいから元気になって下さい。元気の無い善法寺先輩は私も悲しいです!
「・・・」
先輩は私と籠を交互に見てから短い息を一つ吐き出した。あ、あれ? 励ますつもりが逆効果だったかな?
「そうだよね…」
私の言葉にぽつりと返すと、少し先の地面を見ながら浮かない声で話し出す。
「だから、逆に少しがっかりしちゃったんだ…」
「え?」
がっかり??
「いつも薬草摘みに来るとだいたい何かしらのハプニングがあって、無事にたくさん収穫出来た試しが無いんだ。でも今日は何事もなく籠いっぱいに薬草が採れたでしょ。だから"今日はツイてる!"って少し浮かれてて…」
ああなるほど。その矢先でいきなり不運に見舞われたから、期待が外れちゃったんだ。
「で、でもホラ、今日はまだ蛇の襲撃に遭う以外、何の不運にもあってないじゃないですか。いつもに比べればまだ…」
「でも薬草摘みに来て煙玉を失うなんて、出費の方が大きい気もする」
可哀想な善法寺先輩。確かに不運だけどあまり気に病むのもよくないと思う。細かいことは気にするな!、の名台詞はこんな時に使う言葉かも。
「ななしちゃんまで危険な目に遭わせちゃうし…どうして僕はこう不運なんだろ…」
そんなに落ち込むこと無いのに。お互い無傷で済んだわけだし、私の方は何も気にしてないんだから。私自身もどちらかといえば不運体質だもの、不運の全てが善法寺先輩のせいというわけじゃない。
「元気出して下さい先輩…」
「・・・」
「私、前から思ってたことが一つあるんですけど…」
「え?」
「前に読んだ本の中に、陰陽道について語る本があったんです」
「陰陽道?」
「はい。で、その中に『人間が生まれながらに持っている霊気』の話があって…」
「ふーん。どんな話?」
「それが、霊気って人によって纏う波動が違うらしいんです。人って自分とは正反対の霊気を纏った人間に自然と群がるんですって。バランスを取ろうとするらしいんです」
「へえ」
「ちょっと飛躍しましたけど、それを読んでから私は保健委員会に思うところがあって…」
「え?うちの委員会?」
「周りとバランスを取るってことは、きっと保健委員会が纏ってる霊気はみんなの不運を吸い取ってくれてるんじゃないかと思うんです」
これは前々からひっそり思ってたこと。委員長本人に向かって打ち明けるのはちょっと恥ずかしいけれど、少しでも善法寺先輩への励ましになるならそれに越したことは無い。
…食満先輩に関しては若干吸い取り切れてない気もするけど。
「私はまだ伏木蔵くんと左近くんしか知りませんが、保健委員会ってみんな優しいじゃないですか。いつも"人助け"に全力を尽くしてくれてて…だから保健委員会のみんなが纏ってる霊気は、周りの人達の不運をきっと吸い取ってくれてるんじゃないかと思って」
「…初めて言われた」
「保健委員会のみんなが私達の不運を吸い取ってくれてるから、みんなが幸運なんじゃないかなって。きっと保健委員会のみんなが居てくれなかったらバランスを失って、みんな不運体質になっちゃうんじゃないかって、そう思うんです」
あの本を読んでた時、保健委員会の『救えるなら誰でも救いたい!』っていう精神は纏ってる霊気にも表れてるんじゃないかと思ったんだ。陳腐な話だけど。
「…ありがとう」
少しの間があってから、善法寺先輩は柔らかく笑ってくれた。
う、うわあ、綺麗な笑顔。私ってばまた目を合わせられない。
「じゃあ今日無事に薬草摘みを終えられたのは、ななしちゃんが僕の不運を吸い取ってくれたからかもしれないね」
「へ?」
「ななしちゃんも優しい子だから」
ぼん、と音が出そうなぐらいに顔面が沸騰する。そんなの不意打ちだ。善法寺先輩、つくづく私を殺す気だと思う。
「な、何はともあれ元気出してくれて良かったです」
「うん。ななしちゃんのおかげかな」
「細かいことは気にするな!です」
こんな時、あの人の口癖の偉大さを知る。前向きな言葉だなあ。口にするだけでちょっぴり元気付いた。
「…ななしちゃんは前向きだね」
「えっ」
そ、そんなこと言われたこと無い。初めて言われた。誤解です!お母さんにも暗い暗いって嘆かれるぐらいなのに!
「それとも小平太に似てきた?」
不意に善法寺先輩の口から出て来た名前に、頭の中がびくりと弾む。
「正反対の霊気を持った人間に寄り添うっていうなら、小平太がななしちゃんに惹かれたのも道理だね」
くすくすと笑われて言葉に詰まる。
心当たりが全く無いわけでもない。確かに私は七松先輩と出会ってから、少しずつ人見知りが直ってきた。以前までは内気を通り越して引き籠もりでどうしようもなかったのに。
…私の方こそバランスをとっているんだろうか。自分でも気付かないところで。
「なんにしろななしちゃんに怪我させなくて良かった。それが今日一番の僕の幸運かなあ」
ななしちゃんに何かあったら僕は小平太からとんでもない仕打ちに遭うもの、なんて笑って続けられたけど正直笑えない。七松先輩を怒らせたらシャレにならないのはこれまでの付き合いでよく知ってるから。
「七松先輩、今ごろ忍務頑張ってますかね…」
「気になる?」
「え、あ、たっ多少は…」
「小平太も本当、よくやるよ。僕ら六年生は明日から長期演習なのに…働き過ぎだ」
「長期演習?」
「うん。今日の休みが終わったら明日から五日間、戦地に出向いて課題をこなすんだ。小平太としては一度学園へ戻って来るのが面倒なぐらいだと思うよ」
むしろ戻って来ないかも、現地で先に僕らを待ってたりして。そんなことを呟きながら重い籠を背負い直す先輩。
そうか。じゃあ明日からの五日間、六年生の先輩方は学園にいないんだ。善法寺先輩も、七松先輩も。
「・・・」
「だから本当は今日、休んでおいた方がいいんだけれど…」
「先輩方にとっては貴重なお休みなんですね」
「そう。僕もななしちゃんが薬草摘みを手伝ってくれたおかげで午後はゆっくり休めるよ。本当に助かった、ありがとう」
「いえ、とんでもないです」
不意に先輩の足が止まる。
「先輩?」
どうしたんだろ。私も止まって振り返った。先輩は私の顔をはたと見つめたまま動かない。こ、今度こそ何かマズイこと言ったかな。どうしよう。
「どうされたん、」
「よ、よく考えたら僕、」
あわあわと唇が泳いでいる。心なしか頬が赤い。
「休日にななしちゃんと二人きりだったんだ…」
・・・。
え゛
「ごごごめんん!!!」
い ま さ ら です先輩!
「どうしよう小平太に知られたら殺される!!」
赤くなったり青くなったり、見事なまでの百面相。な、なんだかどうしよう、私まで釣られて赤くなってきた。まさか善法寺先輩にそれを意識されるなんて思ってもみない。
「だ、大丈夫ですっ!」
「何が!?」
「べつに何かあったわけじゃないですし!」
「…何かって?」
「・・・」
「・・・」
二人で完熟トマトだ。
「わああ小平太許してくれええ!!」
「おおお落ち着いて下さい善法寺先輩!! 今日はただの薬草摘みとその手伝いです!! ヤマシイことなんて何も…や、ヤマシイことって何でしょうか!!」
「僕が訊きたいよ!!」
ななな何だこの空気。ふわついてて変な空気! 気恥ずかしくって仕方ない!
「とにかく薬草摘んで帰っただけですから!」
「そうだよね!今日はただの薬草摘みだった!決してデートじゃないよウンウン!」
「か、かえって七松先輩の前でそれ言ったら自殺行為です!」
「うん僕も今言いながら自分で思った!しかも言ってて凄く恥ずかしかった!」
「清々しく宣言しないで下さいよ!」
お互いに言葉を掛け合ってから暫しの沈黙。落ち着け、いったん落ち着くんだ。言葉を選ばなきゃ。いつぞやみたいに恥ずかしさのあまりまた失神してしまう。
「…も、もし七松先輩に何か言われても、」
「うん?」
「私が、何も言わせませんから」
「え」
「文句言わせませんから!」
「…ななしちゃん、強くなったね」
だって私からしたら今日は好きな人と二人きりだったんだ。こんなことって滅多にない。たまには満喫したっていいじゃないか。
そう、たまには…
「今日は、ただの薬草摘みです」
「うん、そうだね」
「…薬草摘み、ぐらいなら」
「ん?」
「薬草摘みぐらいなら、時々手伝いますから」
言葉にしてから。
チクリ、小さな背徳感が生まれる。
「薬草摘みぐらいなら私にも出来ますから」
「え」
「遠慮なく言って下さい」
こんなに大きなこと、昔の私じゃ言えなかった。今の私だから言えること。善法寺先輩の言う通り私は強くなったと自分でも思う。
「…じゃあ、」
私と視線を合わせないまま善法寺先輩は正面へ向かって言葉を落とす。
「これからも、時々お願いしようかな…」
やった!嬉しい!!
私の心臓、今日はもたないかもしれない!!!
こっちを見ずに先に歩き出す善法寺先輩。表情が見えないから彼の真意は分からなかった。
嬉しい、けど、
『ななし!』
私を取り巻く心苦しさは、いかんともし難くて。
「・・・」
最初から分かってたことなのに。自分で種を蒔いたのに。
「…ごめんなさい」
心の声が小さく小さく口から漏れ出る。
今さら、何もかもが自業自得だ。
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