コイビト


そこに居たのはボサボサ頭の男前。
「たっ、竹谷先輩…」
「危ないとこだったなあ」
助かった…。
私、助かった。
助かったんだ!
「ぅ…ふえええ」
「うお!?」
先輩にしがみついて泣きじゃくる。顔から出るもの全部出てるけど今ばっかりは許して下さい。
「よく分かんないけど、大変な目に遭ったな」
降ってきた先輩の言葉が優しくて安堵に安堵を重ねる。私の涙腺、締まることを知らない。
「そんなことより、」
竹谷先輩は上を見てキッと眉間に皺を寄せた。
「三郎! お前、いつからそこにいんだよ!?」
え?
「見てたんなら助けてやれよ! 可哀想だろ!?」
竹谷先輩の視線を追って上を見れば、すぐ傍の木の枝に鉢屋先輩が仰向けで寝転がっていた。
ほ、ほんとだ…いつからそこに居たんだろ…見てたなら助けてくれても良かったのに!
「あーあ。邪魔するなよハチ。あと少しで面白いもん拝めたのに」
返ってきた言葉はなんともヒトデナシな発言。
「なんだよその最低な発想!」
「そうカッカするなって」
ムクリと起き上がって私達の前へ降り立つ鉢屋先輩。
「べつに助けてやらないことも無かったさ」
顔じゅうグズグズの私を見てニヤリと笑う。
「咄嗟に思ったのが『七松先輩助けて』じゃなくて『鉢屋先輩助けて』だったらな」
顔面に熱が集まる。だって私、声に出した記憶は無い。どうしてバレてるんだろう。
「なんだそりゃ…。ヤキモチとか、ガキかよ…」
「うるさい」
「お前ときどき本当に性悪いよなー」
「ああはいはい、悪うござんしたよ」
少しは反省の気持ちがあるらしい。鉢屋先輩は伸びたままの変質者もとい牧之介を指差して、あとであれを外に捨てて来るよ、と呟いた。まあ鉢屋先輩はたまたま居合わせただけで特に何かしたわけではないのだから、反省することは本来なにも無いのだけれど。
「お手を煩わせてすみません」
「ああ、いいってべつに。牧之介を掃除すんのは毎度のことだし」
「牧之介がもたらすのは厄しかないからな」
「え?」
みんな牧之介の知り合いなんだろうか。ひょっとして学園で知らないのってまた私だけ?
疑問に思っていると私の表情で察したらしい鉢屋先輩が解説を始めてくれた。
「自分で自分のことを剣豪と謳ってるだけのへっぽこが花房牧之介さ。戸部先生のことを勝手にライバルと思ってて頻繁に挑戦に来るんだ。あまり関わるなよ」
そうだったのか。私、随分しょーもないの助けちゃった。
「・・・」
助けた、で思い出した。懐の饅頭の存在。そうだ、せっかくだからお礼にこれをあげよう。
「あのコレ、一つしか無いんですけど…」
「ん?」
「良かったら二人で半分ずつ食べて下さい」
手前に居た竹谷先輩へ饅頭を手渡す。おぉありがとう!と笑顔を見せてくれる彼に胸の内が暖かくなった。
本当は善法寺先輩にあげようとしてた分だ。だけど善法寺先輩にあげたところで喜んでもらえるかなんて分からない、七松先輩みたいに逃げられちゃうかもしれない。だったらこうした方が饅頭も報われるはず。
「よこせハチ。私が半分にする」
「やだ。お前がやると俺の取り分が少なくなるから」
二人で軽口叩き合いつつ、饅頭を器用に半分こする竹谷先輩。二人ともすぐに食べ始める。
「あ、美味い」
「お口に合って良かったです」
「え? ななしが作ったの?」
「はい」
片割れの饅頭は残念な人に食べさせてしまったけど今回は違う。ああ良かった、私の人生初の成功作がようやく報われた。嬉しいな。
「ぅおーい!!」
その時だ。聞き馴染んだ明るい声が届いたのは。
「あ、七松先輩」
竹谷先輩が私の後方を見ながらぽつりと呟く。
私は、振り返らなかった。
「ななし! 饅頭はどこだ!?」
「え」
七松先輩の発言に対して声を漏らしたのは竹谷先輩だ。もしかして七松先輩が食べる予定だった饅頭を頂いてしまったのかと目を白黒させている。…竹谷先輩が気にすることないのに。
「饅頭食べる! 私は食べるぞ!」
やたら意気込んでる様子から何かの覚悟を決めてきたみたいだ。今の今まで悩んでたのかな。
べつにもうどうでもいいや。
「私達が食べましたけど?」
しれっと返答してくれたのは鉢屋先輩だ。なんだか気持ちが良い。
「食べたって…え…?」
七松先輩が背後でポカンとしている気配。それはそうだ。一口食べたら地獄をみるはずの私の料理を食べて、目の前の二人がピンピンしているんだから。
「美味かったですよ」
ハッキリしてて痛快な鉢屋先輩の言葉。七松先輩が呼吸を止めたことが分かる。今更気付いたってもう遅い、だって饅頭はもう無いもん。
「な…んだとオォ!!?」
「それでなんで俺なんスかああ!!?」
怒りの矛先が竹谷先輩の胸倉に向かい、竹谷先輩が悲鳴をあげた。七松先輩、いわゆる逆ギレ。
「…逃げたのは七松先輩じゃないですか」
ぼそり。なんだかやるせなくなって地面へ言葉を落とす。七松先輩が私を見つめているような気がするけど、今は目を合わせたくない。
「ななし…」
今となってはどうしてそんなに七松先輩に食べて欲しかったのか分からない。思い浮かべるのは善法寺先輩だけで充分だったんじゃないのかな。
…でも、どうしてかは分からないけど、
「七松先輩に、食べて欲しかったのに…」
人生で初めて美味しく作れたお饅頭。
「一番最初に食べて欲しかったのに」
美味しい、って笑ってほしかった。
上達したな、って一緒に喜んでほしかった。
頑張ったな、って褒めてほしかった。

傷付かなかったはず、ないじゃないか。

「ななし…」
「・・・」
「顔、上げてくれ…」
上げてくれと言われて素直に上げられるほど、私の心は広くない。だってまだ七松先輩を許したくない。きっと今ここで顔を上げたら先輩はあの捨て犬顔をしてるに決まってる。そうしたら私はまた絆されてしまう。
今日はもうこのまま自室へ帰ろう。一歩踏み出し、先輩方の横を通り過ぎようとした。
刹那、ぐいと肩を引っ張られる。
「!?」
背中を塀に押し付けられた。すぐ目の前には七松先輩。両肩を押さえられて動けない。
「は、放してくださ…!」
「また作ってくれ」
凛とした声。先輩が拵えていたのは捨て犬の顔なんかじゃない。私にとってはそれ以上に脅威である、あの射抜いてくるような真っ直ぐな瞳だった。
「次は、ちゃんと食うから」
軽い言葉にしか聞こえない。私の中で何かがキレた。一度大人しくなった涙腺が再び津波を起こす。
「次なんて、無い、です、」
「私が悪かった」
「あれっきりかも、しれないのに、」
そう、あれっきり…。あれっきりかもしれないんだ。
「つくりかたも、ざいりょうも、いつもとおんなじ、だから、まぐれかもしれないのに! もうつくれないかもしれないのに!! どうしてそんなに、かるく、う、うう、かんたんに、いわないで!!」
「それでもいい」
「よくない!」
「いいんだ。私が食べたい」
頬に伸びてくる先輩の手。あったかい手のひら。
「美味くても不味くても食うから。ななしの料理は全部食うから。私が食べたいから。だからもう他の奴に食わせるな」
ああやっぱり。
私はまた、絆される。
「ごめんな」
ほんの一瞬、額に落とされた柔らかい感触。以前一度だけ経験したことのあるそれと全く同じ。
涙はすぐに引っ込んだ。
「…え!?」
かわりに顔面へ熱が押し寄せる。え、だって…え!!? 今、えええ!!!?
頭が炸裂しそうになりながら目線を逸らす。
五年生二人はどこへ退散するでもなく、その場でちゃっかりしっかり今の出来事を目撃していた。竹谷先輩は両手で顔を隠しているものの指と指の間がだだっ開き。鉢屋先輩は両腕を頭の後ろで組んだままニヤニヤ笑ってる。私と目が合った瞬間、ゴチソウサマー、と口パクしてる始末だ。
何これ私また卒倒する…!
「な、七松先輩、放して下さい!」
「やだ。許してくれるまで帰さん」
「もういいです! 分かりましたから! 作りますからっ!」
「ほんとか!?」
「ほんとです!」
一刻も早くこの場から逃げたくて、先輩の手の中でキャーキャーと喚く。だけど先輩は放してくれない。それどころか何か思い出したような表情を見せた後、私の額に自分の額をくっ付けてきた。な、何この至近距離!?
「…そういやさァ」
「はい!?」
「続き、まだだったよな」
つ、続き!? 続きってこの間のアレのこと…!?
「だ、だってあの時はみんなが来たからやめたじゃないですか! 今だって先輩方が…!」
「私がお前の部屋で発見されたら問題じゃん。今はいいだろ?」
えええそんな理由だったの!? 人目につくからやめたんじゃないの!? いじめから救ってくれた時あんなに堂々と姿晒してたじゃんとか、いつも隠れる気さらさらなく正面から入ってくるじゃんとか、もうシナ先生に見付かってたじゃんとか、ツッコミどころ満載過ぎてかえって何からツッコんでいいか分かんない! 暴君様フリーダム過ぎる!!
「だ、だめです! 今もだめです! 放して下さい!」
「聞こえない」
捨て犬が気付かぬ間に発情犬になってしまった。見えない尻尾がぶんぶん振れてる。私もうどうしたらいいの。どうするべきなの。覚悟決めるしかないの。
七松先輩が瞳を閉じたのを見て、心臓が破裂しそうになる。恥ずかしいのと緊張とで目眩がしてきた。視界がグラグラする。ああだめだ、こうなったら私も視界を塞いでしまえ。
真っ暗闇の中で竹谷先輩の「おほー」という楽しそうな声が聞こえた。
唇に吐息がかかる。
あと、少し――
「おい!」
飛んできた場違いな声は七松先輩の後ろから。
「お前、私の嫁に何をする! 俺を差し置いて話を進めるな!」
頭の上にボール大のデカいタンコブを持った牧之介が七松先輩の肩を掴んでいた。うわああいつの間に復活したんだろ。アレはきっとゴキブリ並の生命力なんだろうなあ。
「「あ」」
それまで傍観を決め込んでいた先輩方が揃って声を出す。どちらともなく、ああ死んだな、と呟いてた。
「ア゛?」
かつて聞いたこと無いほどドスのきいた声で牧之介を振り返る七松先輩。どんな表情をしているのか私からは見えないけれど、牧之介のリアクションからして修羅そのものであろうことが容易に見て取れた。
「ま、ままままた来るからなああ!!!」
先輩がまだ何も言わないうちから血相変えて退散する牧之介。または無い、と低く呟いてから奴のあとを追おうとする七松先輩。さすがに何かを察知したらしく「牧之介のような奴でも命は命です!」と叫びながら七松先輩にぶら下がる竹谷先輩。何これ。もうグダグダ。
気が抜けてその場にへたり込んだ。なんだか疲れた。部屋に戻ったらゆっくり休もう。
「こうも違うもんかねえ」
呆けている私へ声を掛けてきたのは、七松先輩と竹谷先輩を遠巻きに眺める鉢屋先輩。
「え?」
「牧之介と七松先輩、やろうとしたことは変わんないだろ。なんだかんだ"恋人"なだけあるよな」
変わらない…? 牧之介と七松先輩…?
言われてみればそうかもしれない。二人ともただ私に接吻しようとしただけ。
だけど私、牧之介はあんなに嫌だったのに七松先輩は嫌と思わなかった。緊張して、どきどきして、…え。ちょっと待って、それって…。えっ…? えっ!?
「面白いもん見れたなあ」
パニックを起こしてる私を差し置いて鉢屋先輩は楽しそうに笑っていた。

私、相変わらず自分の感情がよく分からない!


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