中在家先輩について
怪我の具合もだいぶ良くなってきた。今では実技の授業も時々出席してる。
「借りてた本、そろそろ返さなきゃ…」
本日の授業を終えた後、自室へ戻り本を抱えて図書室へと向かった。
療養中に七松先輩が持ってきてくれた本。もとい、中在家先輩が選んでくれた本。どれもこれもとても面白かった。時間を忘れて読み耽った。中にはシリーズ作の「上巻」もあって、続きが気になって仕方なかった。図書室へこの本の続きを早く借りに行きたくて、療養を頑張ったぐらいだ。
続き、誰も借りてないといいな。それから、お礼を言いたいから当番は中在家先輩だといいな。あ、でも図書室は私語厳禁だからお礼を言えないかもしれない。どうしよう。ううん、まあいいや。中在家先輩が居たらとりあえず図書室当番終了の時間まで本を読めばいい。それで帰りにお礼を言おう。今日は別段、予定も無いし。
「当番が中在家先輩でありますように」
図書室の戸を前に今一度、願を掛ける。ここへ来るのも久し振りだな。
そろり、戸を開けて中を覗いて見た。自分で言うのも変だけれど日頃の行いが良いのかもしれない、今日の図書当番は中在家先輩みたいだ。やったあ。
室内へ入れば受付に座っている中在家先輩が私を見やる。私語厳禁なので自分の前に本をかざし、返却に来ましたよ〜、というアピールをしてみた。中在家先輩はいつも通り黙ったまま貸出カードの束をめくり、私のカードを取り出して返却日の記入を始めた。さらさらと綺麗な文字がカードの上を走り、それが私へ差し出される。私も持っている本を先輩の前の机へ置いた。
あとは、先輩が残りの返却処理を済ませてくれる。いつもの流れ作業。
くるりと身体の向きを変え、先輩から背後の本棚へと視線を移す。あれの下巻を探さなきゃ。続きが気になってたまらない。あ、ひょっとして次はまだ中巻だったりして。
目当てのものを探してきょろきょろしながら本棚の間を歩いた。どのへんにあるのかな。厚めの本だから結構目立つと思うんだけど…。うーん、なかなか見付からない。誰かに借りられちゃったんだろうか。それとも新刊だからまだ入荷していないんだろうか。可能性は否定できない。うう、少し気落ちしてきた。楽しみにしてたのに。
ふと誰かにツンツンと肩をつつかれた。振り返るとすぐ後ろに中在家先輩が立っていてちょっとビックリする。どうしたんですか?と疑問の意思を込めて先輩を見れば、彼は一冊の本を私へ差し出してきた。
「!」
それは進行形で私が探していた本である。驚きのあまり差し出されたそれを両手でガシッと鷲掴みしてしまった。あっ、いけない、本が潰れちゃう。
本から先輩へと視線を戻せば、探し物はこれだろう、と彼は瞳で物語っていた。さすがは中在家先輩、なんでもお見通しだ。お礼の意を込めて頭を下げようとしたものの先輩は私の表情を一瞥して先に受付へ戻ってしまった。もしかしたら私の顔は嬉しさいっぱいでやたら緩い表情になっていたのかもしれない。頭を下げる前に感謝の気持ちは伝わってたみたい。
図書室内で読む分には貸出処理をしなくて済むから楽だ。読書机の前に座ってウキウキで本を開く。
一刻もあれば読み終えるだろう、よおおし頑張って読み進めるぞお!
夜のしじまを破るのは
ざぶんざぶんと波の音
海賊たたらは船のうえ
大きな大きな船のうえ
今夜の冒険なんだろな
波はゆらゆら…ゆら、ゆら、ゆ、き、気持ち悪い…
本の中の主人公と一緒に船酔いしてきたうーんうーん気持ち悪いよう…
波に揺られるうえええ気持ち悪いよううう
「すまない」
唐突に聞こえてきた低音。私の意識は大波に打ち上げられて一気に浮上した。
「!?」
が ば り
慌てて頭を起こせば、すぐ傍で中在家先輩が申し訳なさそうに私を覗き込んでいる。えっ…えっ!? なん、ななななん、なんだ!? 状況に思考が追い付かない! ええとええと頭を整理しろ! 頑張れ私!
目の前には図書室の読書机。その上に広げられたままの、私が楽しみにしていた本の下巻。まだいくらも読み進んでない。
…ああ、私ってばなんてことを。図書室の読書机の上で図々しくも居眠りしていたらしい。あれ、待てよ?
「どうして中在家先輩が"すまない"なんですか?」
「?」
キョトンとした顔で見つめ返される。
「起こそうとして揺らしたら…『気持ちが悪い』と…」
顔面に熱が集中する。中在家先輩、私のそれは寝言です違うんです。言おうか言うまいか。恥ずかしいからのっかっておこうか。
「・・・」
目が覚めて思考が冴えてきたところで、はたと気付く。私達、いま口をきいた。ここはまだ図書室だから私語厳禁のはずだ。
「あ、あの…」
質問しようとしたけれど上手く質問が纏められずに口をパクパクさせた。だけど何でもお見通しの中在家先輩には私の言わんとすることが通じたらしく、もう閉館時間で他に利用者は誰もいないから、ともそもそ答えてくれた。図書室を閉める時間だなんて! 私ってばいったい何時間寝てたんだ。余計に恥ずかしい。
「す、すみません…」
小さくなって先輩に謝罪する。先輩は特に気にした風も無く頭を左右に振って見せた。
今、何時頃だろうなあ。
「もう夕飯だ。食堂へ向かうといい」
小声で溢しながら先輩は私の前にある本を受付へ持っていき、何も言わずに貸出手続きを始めてくれた。私ときたら"夕飯"の単語に声も出ない。もうそんな時間? 私の予想をはるかに超えて私は爆睡こいてたらしい。羞恥心で死ぬ。
というかそれが真実なら図書室の閉館時間はとっくに過ぎている。必然、中在家先輩の図書当番の時間もとっくに過ぎている。
「・・・」
中在家先輩、ひょっとして私を起こさないためにここへ居残ってくれてたんだろうか。
「…先輩」
「?」
「ありがとうございます…」
本を選んでくれたことも、今この時だって。何から何までお世話になりっぱなしだ。
…そう、中在家先輩はいつだって優しい。
中在家先輩と私の出会いは言わずもがな図書室だった。最初私は彼にあまり好い印象を持っていなかった記憶がある。無口で無愛想、笑えば不気味、何を考えているかよく分からない。そんな、まわりのみんなが彼に対して持っている印象と同じような印象しか持ち合わせていなかった。
彼が本当は後輩想いで親切な先輩であることに気付いたのはいつ頃だっただろうか。いつの間にか自然に、だった気がする。図書室に通い詰めてる間に彼の一挙一動を見ていて自然と気が付いた。
今この現状だってそう。私の身体に知らぬ間に掛けられていた薄手の掛布も、きっと中在家先輩の私物なのだろう。
そんな気がする。
- 41 -
prev | next
back