野外訓練1
気持ちとは正反対の青空が恨めしい。
「困ったなあ…」
塹壕の中から空を見上げ、何度と知れない溜め息をまた一つ吐き出した。
午後の実習は裏々山での野外訓練だった。先日体育委員会のみんなで設営したばかりの、新しいコースでの訓練だ。
クラスのみんなと違って私は委員会の際、ここへ事前に来たことがある。だからみんなよりはこの授業に自信がある!…なあんて軽々しく忍者の三病に掛かったのが運の尽き。私は見事にみんなの列からはぐれ、しまいには足を滑らせて土手から落っこちた。しかも転げた先に落とし穴が空いていて、そこから更に落っこちた。まるで以前の次屋くんとの騒動を思い出すぐらい、それはもう立派な不運の連続だった。次屋くんの時と違ったことといえば、落ちた穴が蛸壺ではなく塹壕だったこと。上を見れば地上が遥か遠かったので、暗闇の中へ続いている道を仕方なく歩いて進んだ。そして頭を出した先が、
「ここ、どこ…?」
授業中だというのに、私はものの見事に迷子になった。
かくして冒頭に至る。
「・・・」
塹壕から頭だけ出していても仕方ない。とりあえずここから出よう。
「よいしょ」
地上に手をついて穴の中から身体を引っ張り出す。まいったなあ、きっと今頃先生怒ってるだろうな。
ここ、どこだろ? どうやって帰ればいいんだろ? 周りに木々が生い茂ってるから、裏山か裏々山の中には違いないんだろうけど…。
塹壕を出て少し進んだところで、ばちん!、と足元で弾かれるような音がした。
「痛い!」
咄嗟に視線を落とせば、私の足を目掛けてヘラのように削られた竹が地面から身体を起こしていた。どうやら罠に掛かったようだ。
「な、何これ…」
痛みに半べそ掻きながらしゃがみ込む。足にへばりついているその竹を剥がそうと手を伸ばした瞬間、ヒュッ、と頭上を何かが掠めた。
「!?」
慌ててそれを視線で追えば、それは背後の木へ勢いよく突き刺さる。
目を凝らさなくてもすぐ分かる、それはまごうことなく、
「・・・!」
四方手裏剣だ。
身体から血の気が引いていく。私いま、しゃがみ込まずに立ったままだったらあれをマトモに喰らっていた。
飛んできた方角へ目をやれば、手裏剣を発射したらしい罠のあとが残っている。
「何、ここ…」
罠だらけじゃないか! それもかなり過酷なものばかり。現に竹がへばりついている私の足は、うっすらと血が滲んできている。竹の表面に棘がしつらえてあったらしい。
「こ、こんな罠だらけの場所…」
足りない脳味噌で必死に状況を推測する。
これだけ過酷な罠が至る所に仕掛けてあるということは、ここは間違いなく五年生以上が使用するコースなんだろう。どうしてこんなところに出てしまったんだ。いったいなんだったの、あの塹壕!
「ど…っ、どうしよう…」
腰が抜けてへたり込んだ。怖い、動けない。下手に行動を起こせばまた何かの罠が作動してしまう。
目の奥がじんわりと熱くなってきた。痛みと恐怖で泣きそうだ。でも泣いてたって仕方ない。座り込んだまま足にくっ付いている竹を剥がし、刺さっている数本の棘を抜き取る。
「あ、いたた…」
出血自体は痛みを堪えればどうにかなる。けれどそれ以前に、捻挫でもしたのかすっかり腫れ上がってしまっていた。これじゃあ腰が抜けていなかったとしても動けやしない。
血の滲む片足へ頭巾を巻きつけて止血した。痛い、痛い、でも我慢。ここは我慢だ、頑張れななし。
「…できた」
応急処置を終えたところで途方に暮れる。これからどうしよう。上級生にもなって情けないけど、先生見付けてくれるかなあ。
「・・・」
―サアアア―
「…寒い…」
風が、辺りを吹き抜ける。
誰の声もしない。草木が揺れる音がして、虫が鳴いて、鳥が鳴いて、けど、それっきり。
罠だらけの危険な場所で、見知らぬ場所で、私は今、一人きり。
…心細い。
忍者が孤独に脅えるなんて馬鹿らしい話だけれど、怖くて寂しくて仕方ない。先生お願い、早く迎えに来て下さい。
今ばかりは静寂が嫌いだ。自分一人で何か喋り続けようか、静寂を破るために。でも何を喋るの? 普段から口数少なくて、私、話すことに長けてないよ。
前に次屋くんと蛸壺へ落ちた時もこんな気分になったなあ。だけどあの時は次屋くんが居た。だから、心細かったけど孤独なんて感じなかった。あの時は確か、熊が来て、それから天気が曇り始めて…。…そうだよ、今だって熊が来るかもしれないし、いつ天気が変わるとも限らない。状況はあの時とおんなじだ。なんだか余計に気が滅入って来た。
早く帰りたい。
『もうすぐ見付けてくれるはずですから』
ふいに、あの時の次屋くんの台詞が頭を過ぎる。あの時は七松先輩が助けに来てくれて、最後に凄く安心したんだ。だけどあの時は委員会中だった。今は違う。あの時みたいに七松先輩が助けに来てくれることも無い。
助けに来てくれることも、無い。
…助けに…
…助けに、来てくれたら、いいのにな…
「えっ」
自分の思考にびっくりする。行き当たったその考えに思わず声が漏れた。
何それ、どうしてそうなるんだ。私の中でいつから七松先輩は救世主様になってしまったんだ。こんな時にそんな都合の良い発想するなんて、それじゃ七松先輩に甘え過ぎじゃあないか。
そもそもおかしい。怪我をしたんだからここは本来、戻った時に善法寺先輩が手当てしてくれたらいいなあ、って思うはずだ。
今までの私だったら。
「〜〜〜っ」
頭の中がぐちゃぐちゃしてきた。授業中に不埒な考えを抱いてる気がしてきて、つい膝を抱えて顔を埋める。
七松先輩が助けに来ないことなんて分かってる。頼っちゃいけない、甘えちゃいけない。これは自分で蒔いた種、本来なら先輩どころか先生にすら縋っちゃいけない。自分一人で何とかせずに誰かを頼ることばかり考えてたら、私は本当にくのたま失格だ。
…けど…
『こういう時だけ、本当に頼りになるんです。あの人は』
助けに、来てくれたらいいのに。
怖かったなあって、また笑って頭を撫でてくれたらいいのに。
「…七松先輩…」
ぽつり、言葉に溢してみた。
その名を呼んで静寂を破ればいくらか不安が紛れるかと思ったけれど、呟いたところで不安は変わらなかった。静寂の中、私の声だけが空気を振動して地に落ちる。一人喋ってみたところでやっぱり静寂は静寂のまま。
ず し り
不意に頭の上へ何かが圧し掛かってきた。驚いて顔を上げようとしたその時、
「呼んだ?」
降ってきた声に仰天した。慌てて顔を上げれば、私の頭へ顎を載せていたらしい救世主様が私の顔を覗き込んでいた。
「あ…っ」
「どうしたななし。六年のコースで何してる?」
キョトンとした表情を向けられたあと、ニッといつもの陽のような笑顔を振り撒いてくれる。
思わず我が目を疑った。ほ、本物が助けに来てくれた! 慌てて自分の両目蓋を擦ってみる。
「六年生は今実習中だから、こんなとこに一人じゃ危ないぞ?」
彼が現れただけで、吹き抜けた風の寒さが嘘のように暖かくなって。
私の中で、何かが音を立てて弾けた。
「ふ…」
「ふ?」
「ふえぇええぇえ」
「…え!?」
先輩の胸にしがみ付いて泣きじゃくる。可愛い泣き方なんてものじゃなく、顔から出るもの全部出して幼児の如く不細工に泣き喚いた。とんでもなく情けないけれど、七松先輩が来てくれた、ただそれだけで、
「なっ、ななまづぜんばっ、ふあぁああ!!」
「な、なんかよく分からんがもう大丈夫だななし! だから泣くな! な!?」
うろたえながら背を擦ってくれる手がまるで陽だまりで。
私の心はあっという間に満たされてしまった。安心、という言葉だけでは足りない程。
「うぅうう…」
「よっぽど怖かったんだな。何があっ、」
刹那、私の背を擦る先輩の手に力が籠もる。彼は言葉を切った途端、今までの暖かさが嘘のように鋭い殺気を放った。
「せんぱ、」
私の呼び掛けに構わず、彼は空いている片手で真横へ何かを打った。動きが速くてはっきりしないけれど、大きさらからして打ったものはおそらく手裏剣だ。
次の瞬間には打った方角から「ギャッ」と鈍い悲鳴が聞こえてくる。いったいなんだろう。
「先輩?」
先輩は私の顔を再び覗き込むと同時、殺気を陽気へケロリと変えて笑顔を見せてくる。
「話途中でごめんな。他の六年生が陰から狙ってたみたいでさ」
「狙って…?」
「今、実習中なんだ。同級生同士で札の奪い合いをしてる」
「札?」
オウム返しで疑問を投げ続ける私に、七松先輩は私の背を擦って宥めながら実習の内容を説明してくれた。
今、六年生が受けている実習は"点数札の奪い合い"なのだそうだ。
授業開始直前、一人につき一枚札が配られた。札には自分の名前とその下に点数が書かれており、書かれている点数は各生徒の力量に応じて一点〜十点とばらばら。先生方の独断と偏見で各生徒に点数をつけられたようだ。一点〜十点とはいったものの、先生方の点数の付け方は相当シビアなようで、札の平均点は三点。大半の生徒が一点〜五点の間にとどまっているらしい。
そんな中、札を他者から力ずくで奪い集め、自分の札を含めて十五点分集めた者のみが合格できるという内容。制限時間は日没まで。不合格なら補習。
「ありがちな授業でマンネリだよもう」
めんどくせえ、と口を尖らす七松先輩に改めて大物の余裕を感じる。
私だったらそんな授業、絶対受けたくない。…札の平均点が三点ということは単純計算でも日没までに同級生を五人は相手にしなければならないということ。まあ自分の札を数に入れるなら四人だろうけど。やだ、考えるだけでお腹痛い。
「あ…授業の邪魔してごめんなさい…」
「え? いや、全然! つまんない授業だったけどななしに会えたから今は楽しい!」
私の背に両腕を回してぎゅううと抱き潰してくる。さっきの不安はどこへやら、すっかり安堵してしまった今となってはその笑顔がやたらこそばゆかった。
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