町へ辿り着くまでに自分の気持ちを切り替えようと躍起になる。
私は、くのたま四年生。男性から声を掛けられさえすれば、あとはこっちのものなんだ。大丈夫、自信を持て私。
「うーん…」
どうしたら声を掛けられるような女性になるかな。いつもより見栄えが良いからといって、飛びぬけて美人なわけじゃない。私ぐらいの小娘なんて町にはごろごろいる。色気なんて皆無だから、シナ先生のような艶やかな雰囲気は出せないし。出来るだけ清楚な町娘を目指すしかないだろうな。でもお上品な歩き方ってどうやるんだろう? とりあえずいつもの猫背は正さなきゃ。あとは…よく分かんないや。タカ丸くんは、ななしちゃんはもともと町生まれの町娘なんだから気取る必要ないよ、って言ってくれたけど。
誰も見ていないのを良いことにお上品な歩き方をいろいろと研究してみた。くねくねと妙な動きをしながら町へ向かっていると、
「…あれ?」
向かいから、見覚えのある美人が歩いて来る。
「なぞのさん、これから課題なの?」
学級委員長だった。
化粧も着付けも慣れたもので、いつもの何倍も色っぽい。男なら誰でも振り返る、そんな美女だ。
「うん。委員長は町へ行かないの?」
「私はもう終わったから」
「えっ!?」
驚いた。だって授業が開始してからまだ少ししか経ってない。
さすがは学級委員長、これぐらいの課題はお茶の子さいさいなんだ。
「凄いね! 私なんてまだ町へ辿り着いてもないのに」
「凄くないわよ。こんな課題、簡単だもの。もう合格を貰った子、他に何人かいるわ」
「えぇ!?」
「他の子は町で時間潰してから帰るみたい。久しぶりの町での課題だからね」
み、みんなレベルが高すぎる…。私なんて不合格の可能性の方が強いのに。どうしよう、合格のコツは何なのか訊こうと思ったのになんだか訊くのも躊躇われる。訊いたら恥をかくこと必至。
「まあなぞのさんは色が得意なんだから、町へ着いたらどうせすぐ終わるで、」
途端、委員長の言葉が途切れた。私の背後をじっと見つめて黙り込む彼女。
「?」
私の後ろに何かいるの?
彼女の視線が気になって後ろを振り向いてみたけれど、べつに誰もいない。
「?? どうし、」
「あなたおそらく不合格ね」
「…え!?」
「まあ、気落ちせずに頑張りなさい」
いきなり不合格を宣告され、頭から煙が出そうになる。な、ななななんで?どうして?やっぱり私が地味な小娘だから? わけが分からない。
「なんで、」
私の追求から逃れるように、委員長は私の横を通り過ぎて学園へと走り去った。


さっきの委員長の言葉がぐるぐると脳内を巡ったまま、町へと辿り着いてしまった。
どうして委員長、あんなこと言ったのかな。私、ぱっと見てどこか変だろうか。何か重大なミスを犯してるだろうか。考えても考えても分からない。ううんううん…幸先悪い。
「…忘れよう」
とにかく気にしていても仕方ない。そうだ、今は課題に集中しよう。いけいけどんどん、細かいことは気にするな、だ。
自分なりに精一杯、清楚な町娘を装いながら町の中を練り歩く。不自然ではない程度に、周りへと視線を巡らせた。私のようなどこにでも居る町娘へ声を掛けてくれるのは、女なら誰でも良いと思ってる男性のみだろう。どこかにナンパ目当てで町を歩いている男性はいないかなー。
…あ。
いた。早速一人発見。ちょっとごろつきに見えなくも無いけれど、すれ違う女性一人一人を目で追ってるから、たぶんあれは間違いない。
「・・・」
彼の視界に入るよう、さりげなく歩を進める。彼が私へ視線を移したのを感じ取ってから、ごく自然に視線を合わせた。それからやんわり微笑んでみる。
ナンパ師らしいその男性はニヤッと一笑してから、私のもとへ近付いてきた。
よし、かかった!
「お嬢さん、お一人?」
やったよタカ丸くん! 私、男の人に声掛けられたよ!! ありがとう!
これなら思ったより早く課題を終わらせることが出来そうだ。
「はい。いま一人で、」
私が返答している最中だった。
彼は私の背後に目をやった瞬間、まるで蛇に睨まれた蛙のようにビシッと凍り付いた。
あれ?何ごと?
「え? どうし、」
視線を追って私も振り返る。が、やはりそこには誰もいない。
混乱したまま再び前を見れば、男性が大量の冷や汗をかきながら、すんませんでした!、と私の前から走り去って行く。
え!? え!? なんで!?
「待っ…!」
「ひぃぃぃぃ!!」
私の制止の声は駆け去っていく彼の悲鳴に消されてしまった。道端にぽつねんと取り残されてしまう。
いったいどうしたというんだろう。もう少しで課題がクリアできると思ったのに…。


せっかくの機会を理由も分からずに逃してしまい、しょんぼりと項垂れて道を歩いた。もうお上品に振る舞う気力なんて無い。ぬか喜びして損したなあ…うう、泣きそう。
「あれ? ななし?」
正面から聞こえてきた声に顔を上げる。私の前を通り掛かったその人物は、久方ぶりの五年生。
「あ、えと、不破先輩…?」
「…雷蔵が良かった?」
「こんにちは、鉢屋先輩」
私服姿の鉢屋先輩。忍たまは授業が無いから町へ遊びに来たのだろうか。不破先輩の姿が見当たらないけど、鉢屋先輩、今日は一人なのかな? 不破雷蔵あるところに鉢屋三郎ありと普段あれだけ謳っているから、この先輩にしては随分と珍しい。
「お前が化粧してるの初めて見たな。どうしたんだ?今日は」
「あ、いえ、今日は…」
言い掛けてハッとする。
私いま、凄いことに気付いてしまった。
この実習の盲点だ。
「きょ…っ、今日は、町娘なんです!」
「…は?」
――男性から声を掛けられること。ただし、始終くのたまとバレてはいけない――
シナ先生は、声を掛けてくる男性が知り合いではいけないとまで言っていない。そして何より、あのとき確かシナ先生は――
『"授業中のくのたま"であることが相手にバレないように』
と、のちのち噛み砕いて説明し直していた。それって、裏を返せば要するに…そういうことだ!
「だ、っ、だから、今日は町娘なんですっ!」
「あ? いや、知ってるけど…」
熱い視線でひたすら鉢屋先輩に訴える。鉢屋先輩は少し苦手だけれど、見知らぬ男性を相手にするよりはずっと気が楽だ。
とにかく私に声を掛けて欲しい。だって私から声を掛けてしまっては意味が無い。勘の良い鉢屋先輩なら気付いてくれると信じています、だから、どうかお願い、気付いて下さい…!!
「んん…」
鉢屋先輩は困ったように私から視線を外すと、小声で唸りながらぽりぽり頬を掻いた。心なしか顔色が少し赤い。
「なんだか事情はよく分からんが…まあ、言いたいことは分かる」
さすが鉢屋先輩! 私の意思が通じたらしい!
「けどなあ、」
「はい?」
「私はまだ死にたくない」
そう言ってちらりと私の背後へ視線を送る。
さっきからみんな何なんだ。どうしてそんなに私の背後ばっかり見るんだ。私の後ろにいったい何があるの!?
「何もなければ喜んで口説くさ」
先輩がそう溢した瞬間、私の背後に鋭い殺気が現れた。こんな町中で何者が現れたというのか。急いで振り返ってみるものの、やはりそこには誰の姿も無く、
「だから、なんで…」
悲しきかな、正面を向いたら鉢屋先輩まで姿を消していた。まるで面倒事に巻き込まれたくないとでも言わんばかりだ。
せめて背後霊の正体が何なのかを教えて欲しかったです…。涙出てきた。


ますます肩を落とし、町の中を歩く。
何の成果も無いままお昼になってしまった。仕方なく一人で定食屋に入り、お昼ご飯の焼き魚定食を注文する。定食が出てくるまでの間、パンパンに膨れた頭の中を癒そうと一度深呼吸した。
…明らかにおかしい。学級委員長も、ナンパ師の男性も、鉢屋先輩も。みんな私の背後を一瞥し、逃げ出してしまった。
私の背後に何かが居る。これは確証。
しかしいったい何だというのだろう。私の実習をことあるごとに邪魔し、けれどそれ以外は別段何もしてこない。私が振りかえった時には姿を消し、気配も感じさせないけれど、容易に殺気を放てる。ナンパ師は脅え、鉢屋先輩はまだ死にたくないと言った。
「・・・」
あらましを一本に纏めれば、背後のそれが何であるのか、いや、誰であるのかなんて簡単に想像がつく。だけど、
「し、信じたくない…」
認めたくない、受け入れたくない。嫌だそんなの絶望的過ぎる。だってもうその時点で私がこの課題をクリアできる確率0パーセントじゃないか。
『あなたおそらく不合格ね。まあ、気落ちせずに頑張りなさい』
委員長の言葉が身に沁みる。私いま、善法寺先輩と並ぶ不運を発揮してるかもしれない…。


定食屋を出てからしばらく、だるまさんが転んだ状態で町の中を歩いた。少し歩いては勢い良く振り返り、また少し歩いては勢い良く振り返る。そのうち尻尾を出すんじゃないかと期待して、…いいやむしろ出してもらわなきゃ困る。
けれど手練れな彼のこと。なかなか尻尾を出そうとはしない。私がいついかなる時に振り返っても、そこは必ず無人の空間である。
「困ったなあ…」
これじゃ不合格で補習確定だ。とにかくなんとかしなければ。
打開策を思い付こうと必死に脳味噌を回転させていた時だった。
 どんっ
「きゃっ!」
「いてえ!」
誰かがぶつかって来た。私からじゃない、相手が横合いからぶつかって来た。
びっくりして顔を上げると、柄の悪そうなオジサンが私を見下ろしていた。
「なんだてめえ!」
「え、あの、」
「いてえじゃねえか!」
俗にいう、当たり屋の人らしい。ぎろりと睨み付けられて足が竦んだ。怖い…!
「ご、ごめんなさ、」
「ごめんなさいだあ!? 謝って済むと思ってんのか!? アァ!?」
がしりと手首を掴まれ、片腕を持ち上げられる。握り潰されそうだ。痛い、放して!
「す、すみませ…!」
私が悪いわけじゃないけれど、恐怖心のあまり無我夢中で謝った。悲鳴を上げようとしたけれど声が咽喉奥に引っ込んでしまって上手く吐き出せない。誰か、誰か助けて!
その瞬間、
 ゴ ツ ン
「…っでぇ!!」
男性の顔面に飛礫が直撃した。衝撃のあまり、ぶつかった場所から血が噴き出している。石というより、もはや弾丸に近い。
飛礫は私の背後から飛んできた。
「何ッ、」
男性が何かを言う前に次々と飛礫の嵐が彼へ降り注ぐ。私の背後から飛んでくるものの私には一発も当たらないのだから凄い。コントロール抜群だ。
「ひいいぃ!!」
男性は私の手首を振り払うと、悲鳴を上げながら慌てて逃げ出して行った。
良かった、助かった…!
「・・・」
ここで挫けずもう一度、だるまさんが転んだを試みる。けれどお決まりのように誰の姿も無い。
…こうなったらもう強引に尻尾を出させるしかない!
咄嗟に駆け出し、狭い路地へと走り込む。角を曲がってすぐ壁に張り付き、全力で気配を消した。
息を潜めること数秒、
「しまった、見失っ…!」
角からひょっこり顔を見せたのは、まさしく私の背後霊。
「あ゛」
「七松先輩…」
…まあ、最後に至っては守護霊でしたけどね。


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