次は七松先輩の手合わせ――。
「はいっ!」
七松先輩は元気よく、列の奥から道場の中央へと躍り出た。
「よっし!私の相手はどいつだ!?」
七松先輩、なんだか楽しそう。待ちくたびれたような雰囲気も少し見られるけど。
元気な彼に反比例するかの如く、道場の中が静まり返る。五年生どころか六年生ですら、誰も七松先輩と目を合わせようとしない。立候補、いないのかな。
「まあ、そりゃそうだ」
「獲物があるならまだしも、肉弾戦であいつとやり合いたい奴なんているかよ」
「骨折り損もいいとこだろう。負ける気はさらさらせんがな」
隣から聞こえる、立花先輩と潮江先輩の小さな会話。
七松先輩は怪力だということを以前、不破先輩が教えてくれた。七松先輩、やっぱり優秀なんだ。
「もー!誰でもいいから早くしろよー!」
ぷりぷりと拗ね出す七松先輩を見兼ねたのか、私達の向かいに座っていた六年生が仕方ないとでも言わんばかりに重い腰を上げた。よくよく見れば、それは中在家先輩。
「えええ!やだぁ!」
さっきまで、誰でもいい!、と吠えていたくせに急速に首を横に振る彼。
「長次とはいつも手合わせしてるじゃん! つまんない!!」
表情に乏しい中在家先輩が少し困っているように見えた。それはそうだ。中在家先輩だって仕方なしに腰を上げたんだろうから。
どちらにしろ、このままいけばこの二人の対戦になることは明白だ。もとより七松先輩に拒否権は無いし、七松先輩に挑みたい人なんて他にいないだろうし…
「俺、よかんべえ?」
急に響いた場違いな声音は、生徒からではなく観客席からだった。
驚いて目をやれば、与四郎さんが先程と変わらぬ様子でひらひら手を振っていた。
「小平太としえーがしてぇ!」
学園中が一斉にどよめく。まさか与四郎さんが立候補するなんて誰も思ってない。
「あり? 与四郎、来てたのか!」
「おう!」
「先生、いいですよね!? 私も与四郎と戦ってみたいです!」
目を爛々に輝かせて先生方へ頼み込む七松先輩。良いわけない。授業の一環なのに、与四郎さんが相手じゃ授業にならないと思います。たぶん他のみんなもそう思ってる。
…本音としては凄く凄くすごーく見てみたいけれど。
「・・・」
木下先生と日向先生は二、三言会話してから七松先輩へ向き直った。
「まあ、いいだろう。もともと伊作が抜けているからな…与四郎くんが手合わせしてくれるなら、組み合わせの人数も帳尻が合うから好都合だ」
先生方が出した結論は意外なもの。観衆のどよめきが更に大きくなる。
七松先輩と与四郎さんの手合わせ…こんな機会、そうそうあるもんじゃない。一観客としてワクワクしてきた。
「先生方も自分の慾にずいぶん素直だな」
「誰だってそうさ。風魔の実力をみる絶好の機会だ。私だって見てみたい」
潮江先輩と立花先輩が再び小声で会話する。
そうか、先生方も与四郎さんの実力を見てみたいんだ。きっとこれは凄い一戦になる。特等席で見られて良かったなぁ、あとできり丸くんにちゃんとお礼を言わなくちゃ。
「ねーねー、次、誰が試合すんの?」
不意になんとなく聞こえてきた女子の声。道場の外でくのたまのみんなが話してるらしい。
「なんかねー、前の方に居る子の話だと、七松先輩と風魔の与四郎さんらしいよ」
「何ソレ。なんで与四郎さんが出んの?」
「わっかんない」
「ねー、立花先輩の出番まだぁ?」
「まだ先っぽいー」
「ウソー。私、もう帰ろっかな」
「善法寺先輩出ない上に、食満先輩の番も終わっちゃったしねー」
「え?帰んの?じゃあ私も帰る」
「私はまだ残る」
「いいよ、じゃあ私らが残ってるから帰りなよ。立花先輩の番になったら呼んであげるから」
「ほんと?ありがとう!」
嘘っ、信じられない! こんなに見モノな勝負を前にしてみんな帰っちゃうの!?
確かに立花先輩や食満先輩は格好良いし、さっきの一戦も見応えがあって凄かったけど…
「うっし!いっちょむんだろーじゃんかよー!」
「望むところだ!いけいけどんどん!」
私は、この勝負の方がどきどきする。自分の中の高揚感に自分で驚いてるぐらいだ。
 …なんでだろう。
何故だか、七松先輩に勝ってほしい。
「あ!言っとくけど、素手だからって風魔の幻術は禁止な!」
「あんだ小平太、こえーんかァ?」
道場の中央で対峙する二人。ストレッチをする与四郎さんと、その場でトントンと跳躍する七松先輩。お互い和やかな雰囲気で、勝負の前とはとても思えない。
「なっ、べつに恐くないぞ!」
「わーってるって、使わねーよォ」
二人、話ながら軽く構えの姿勢を取る。
「幻術なんざ、使わねーでも勝てる」
与四郎さんのその一言を皮切りに、二人の纏う雰囲気が瞬時に変わった。私達のところまで圧し掛かってくる、空気を揺さぶるかのような覇気。殺気とも取れるそれは、先程までの和やかな雰囲気からはとても想像がつかない。
二人ともまるで別人みたいだ。隣にいる小松田さんも同じ気持ちなんだろう、ごくりと唾を呑みこむ音が聞こえた。
「始め!」
木下先生の掛け声を合図に、二人の視線が獣のように鋭くなる。
先に仕掛けたのは七松先輩。あっという間に与四郎さんの懐へ飛び込んで、下から拳を振り上げた。与四郎さんは彼の拳を躱すと、振り上げられたその右腕を自分の手の甲で弾いて受け流し、見事に彼の背後へ回り込む。そのまま七松先輩の背を目掛けて手刀を打つが、その手は空を切った。七松先輩が直感的に前へ飛び、与四郎さんから距離を取ったのだ。
それもこれも刹那の出来事。二人の動きが早すぎて、私は目で追うのが精一杯。七松先輩は獅子の如く縦横無尽に、対して与四郎さんは無駄が無く精練された動きで。どんな舞台を見るよりも凄い。
気が付いたら息をするのも忘れて見入っていた。
一瞬、七松先輩の口角が不敵に吊り上った気がした。まるで今のは小手調べとでも言わんばかりに。そのまま彼は先程以上の素早さで与四郎さんの懐へ再び飛び込み、次に正拳突きをお見舞いする。与四郎さんは七松先輩のその攻撃も難なく避けた。が、七松先輩はそれだけで終わらない。両腕を使って拳の嵐を繰り出した。当たるか当たらないかのスレスレのところで全て躱す与四郎さん。見ているこっちの目が回りそう。
「与四郎の奴、なかなかやるな」
「運が良いな小平太は。俺もあいつとやってみたかった」
立花先輩と潮江先輩の会話がまた私の耳を打つ。
先程のように与四郎さんは隙を見て七松先輩の腕を下から弾き、受け流した。今度は与四郎さんが七松先輩の懐へと飛び込む。
「!」
突いて来るかと思いきや、与四郎さんが仕掛けたのは足払いだった。七松先輩は持ち前の反射神経で後転飛びし、道場の壁に足を突いてまたもや彼から距離を取る。与四郎さん、本当に強い!
「だが小平太が有利だろう」
「まあ、肉弾戦だからな」
刹那、七松先輩の瞳がよりいっそう獣の色を増した。
――彼は、試合を楽しんでいる?
いつも私の傍で楽しそうに笑っている彼からは恐ろしいほどかけ離れていて、なんだか背筋が寒くなった。
少し、こわい。
「…ななしちゃん、大丈夫?」
私が強張っていることに気付いたのか、隣から小松田さんが心配の声を掛けてくれる。
「あ、はい。平気で、す」
私達が話してる間も目の前の二人は止まらない。七松先輩はそのまま壁を蹴り、三度目、与四郎さんのもとへと距離を詰めた。向かってくる七松先輩に、今度は与四郎さんが攻撃を仕掛ける。真っ向から拳を突き入れる、が、
「!?」
予想に反して、七松先輩は手の甲でそれを受け流した。先程の与四郎さんの技を盗んだのだ。
更に驚いたのはここから先。七松先輩は勢いを付けたまま止まることなく与四郎さんの両肩へ手を付くと、彼を飛び越えて背後に回った。
「チッ!」
試合開始後、初めて声を漏らす与四郎さん。避けるに間に合わないと判断したのだろう、繰り出される七松先輩の回し蹴りに防御の構えを取る。
「ああ、受けちまった」
「与四郎の負けか」
立花先輩と潮江先輩の会話が聞こえるのと、与四郎さんが七松先輩の蹴りを両腕で受け止めるのはほぼ同時。
「ぐっ!」
受け身の姿勢で蹴りを止めたのだから、別段直撃したわけでは無い。しかし与四郎さんからは呻き声が漏れる。七松先輩の蹴りを受け止めた彼の両腕はびりびりと震えていた。蹴りの威力が傍目から見ても分かる程に。
そうか!七松先輩の攻撃は一発一発が重いのだ。立花先輩の"与四郎の負けか"は、七松先輩の攻撃を"受けたら"最後――そういうことだ。
「くそ…!」
与四郎さんの腕が痺れた一瞬の隙をついて、七松先輩は次の攻撃を繰り出す。そこからの与四郎さんは防戦一方。
「ほんと、戦うことに関してだけセンスいーよなアイツ」
「お前が言えたクチか」
圧され気味の与四郎さんと楽しそうな七松先輩を前に、どことなく不安感を覚える。
私が好きなのは善法寺先輩だし、七松先輩が私のものというわけでもない、けれど、
私の中で七松先輩の存在が少しずつ遠くなっていくような気がして――。
「おらっ!」
背水の陣。与四郎さんはバランスを崩すこと前提で、空いてる左足で七松先輩へ横合いから蹴りを入れた。が、
「!?」
彼の左足を受け止めたのは七松先輩自身でなく、七松先輩の松葉色の上衣。
「変わり身!?」
当の本人が私達の視界から一瞬にして消えた。慌てて視線を四方に向けて彼の姿を探す。
「上か!」
一番に叫んだのは修了者の列に居た食満先輩。咄嗟に上を見れば、人と思えぬほどの跳躍で与四郎さんの上を舞う七松先輩の姿があった。
「しまっ…!」
束の間の油断が仇となった。そのまま与四郎さんは肩から七松先輩に体重を掛けられ、床の上へと叩きつけられた。至極楽しそうな七松先輩が苦しそうな彼の上へと圧し掛かる。
「もらった!」
与四郎さん目掛けて拳を振り下ろす彼。
――こわい。
こんなの、私が知ってる七松先輩じゃない。まるで別人だ。
…嫌!
「な…七松先輩っ!!」
気が付いたら私の口は勝手に叫んでいた。
「ッ!」
途端、狂気の獣に近い彼の拳が減速した、気がした。
「とった!」
与四郎さんは再び彼の拳を受け流すと、彼の鳩尾へ手刀を決める。七松先輩は咽喉奥からくぐもった声を出して与四郎さんから飛び退くと、苦しそうに咽せてから視線を前に戻した。が、そこに与四郎さんの姿は既になく、
「俺の勝ち、だな」
与四郎さんの姿は七松先輩の背後にあった。その左手は七松先輩の後ろ首へと添えられている。
「錫高野与四郎、一本!」
木下先生の声が道場に響き渡る。静かだった観衆がワッと声をあげた。
「ウソおお!」
道場の中央で悔しそうにしている七松先輩。その雰囲気が私の知っている彼と同一で、どっと安堵が訪れた。
 …あ、あれ?
私、そもそもなんで不安になったんだろ。
私が好きなのは善法寺先輩なんだから、七松先輩の存在が遠くなったってべつに気にならないはず、じゃぁ、な、
「えれー助かった!ありがとよ!」
物思いに耽っていたら、いつの間にか傍までやって来たらしい与四郎さんに頭を撫でられた。み、みんなどうしてそんなに私の頭を撫でるのか…。
「次。六年ろ組、中在家長次。前へ」
呼ばれて道場の中央へと歩を進める中在家先輩。しかし七松先輩が駄々を捏ね、道場の中央から動こうとしない。
「やだああ! 先生、今のナシ! もっかい!」
「何がもう一回だ!六年生にもなって色で負けるとは情けないにも程があるぞ!お前は補習だこの馬鹿!」
「えええええ!!」
しょんぼりと項垂れる七松先輩。さっきの獅子のような気迫はどこへやら、まるで子犬みたいだ。
その二秒後、立ち直りの早い彼は私の方へくるりと向き直り、
「ななし〜! 負けちゃったよぉ〜!」
慰めて!と言わんばかりに私の方へ猛突進してくる。が、脱ぎ捨てられた彼自身の上衣で中在家先輩にすれ違いざま顔面をハタかれていた。
「いひゃい!!」
「…汗を拭け」
隅から、俺もそろそろ長次と戦おうかなあ、なんて潮江先輩の呟きが聞こえてきた。


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