テスト勉強
七松先輩と成り行き上のお付き合いが続いて数日。
彼は私のもとへちょこちょこ訪れた。
部屋で何をするでもなく、茶菓子を囲んで会話に花を咲かせる。咲かせるといっても、語り手はだいたい先輩で、私は聴き手側。実習の話だとか、委員会の話だとか…先輩にとっては日常茶飯事な内容でも、私にとっては奇想天外で面白い。
時々会話のキャッチボールが出来なくて疲れることもあるけれど、私はこの時間が素直に好きだと思えた。私にとって今まで"本の中の世界"でしかなかったような経験を、七松先輩はたくさんしている。もっと言えば、本に書いてないようなこともたくさん経験している。聴いていて凄く為になる。
だからその日、七松先輩が私の部屋に来た時、また楽しい話をしに来てくれたと思ったんだ。
「ななしっ!!」
スパン!と勢いよく戸を開けて部屋へ踏み入ってくる七松先輩。忍ぶ気なんて更々無い。
「あ、先輩。こんにちは」
宿題していた手を休め、先輩に背を向けて押し入れへと歩いた。茶菓子を隠し持ってることが先生にバレたら大目玉なので、押し入れの私服の下へいつも仕舞いこんでるのだ。
ごそごそとあさってみれば残り少ないお煎餅しか出てこなかった。ちょっとがっかり。
「先輩、すみません。今日はお茶菓子これしか、」
「違う!」
「え?」
先輩が次に叫んだ言葉に、私はただ面食らうしかなかった。
「勉強教えて!!!」
そんなわけで。
今、私の文机に二人で向き合っています…。
向き合ってると言っても並んで向き合っているのでは無く、七松先輩の膝に私がすっぽり納まる形。いつぞやの如くめちゃめちゃ至近距離。前から思ってたんだけど七松先輩はこのポジションが好きなんだろうか。
何度されても慣れやしない。私としては勉強教えるどころじゃない。この状況にいっぱいいっぱいだ。
「あ、あああ、あの、せっ、せんぱ、」
「ん?」
「わっ、私、六年生の勉強なんて、わわ分からな、」
「大丈夫! 四年生の問題だから!」
この人にプライドというものは存在するのだろうか。というかなんでそんな状況になってしまったんだろう。
「ど、どうして急に四年生の問題なんか…?」
「いやーそれがさあ、」
私にぴったり身を寄せながら、あっけらかんと話し出す彼。
「このあいだ久々に座学の授業があったんだけど、私の無知っぷりに先生が怒り狂っちゃってさー」
「え!?」
「私だけ補習させられたんだ」
四年生の問題を、なんてケロッとした様子で話す。いまいち呑み込めない。だって七松先輩、成績良いはずなんじゃ…
「七松先輩は優秀な忍者だと他の先輩方からお聞きしていましたが…」
「え? ああまぁ実技は」
なるほど、そういうことだったのか。確かに七松先輩、机に向かって勉強するのが好きそうな性格には思えない。失礼かもしれないけど。
「んで、明日個別テストなんて言われちゃってさ。初めは『カンニングするからいーや』って放っといたんだけど、どうやら先生が解答を肌身離さず持ち歩いてるみたいなんだ…」
肌身離さず持ち歩くなんて…相当な厳戒態勢だなぁ。向こうも相手が七松先輩だからこそ、本気なんだろう。
「さすがにヤバいと思って長次に教わろうとしたら、四年生の問題ならなぞのに教われ、なんて厄介払いされた。ヒドイよあいつ!」
まあ、私が中在家先輩の立場だったら同じことを言ったかもしれない。これは相当に面倒臭い。だけど中在家先輩、引き合いに出すなら私以外にもっと良い人材がいたじゃないですか!それこそ善法寺先輩とか!ちょっと恨みます。
「助けてくれななし! 私このままじゃ落第する!!」
懇願されて途方に暮れる。
嫌とは言えないから教えるけれど、正直、私も成績はあまり良くない。間違ったことを教える可能性だってある。
「ええと…とりあえず、四年生の"忍たまの友"はありますか?」
「おう! 滝から借りて来た!」
借りて来たって…先輩、自分のは失くしたのか。
先輩は机上で忍たまの友を開いてみせる。同じ四年生でも、忍たまの友の方がくのたまの教科書よりだいぶ薄い。忍たまはそれだけ実践が多いってことなんだろうな。
「先生、テスト範囲については言ってましたか?」
「ぜーんぜん。四年生の忍友からまんべんなく出すって脅された」
そんな危機的状況でどうして前日まで放っとくんですか!、という言葉が出かけて慌てて飲み込む。今はそんなお説教をしてる場合じゃない。
困りつつも開かれた忍たまの友を手に取り、簡単にぱらぱらめくって読んでみた。くのたまに比べて色や作法が無い分、だいぶ小ざっぱりしている。基礎中の基礎だ。これなら私でもなんとか教えられるかもしれない。
「えっと、じゃあ、この火縄銃の飛距離の計算からいきますね。先輩、筆を持ってください」
「え!? いきなり!?」
「いきなりって…四年生はこんなのばっかりですよぅ」
「滝、すげえ!」
「集中してくださいっ」
なんのためにここに来たんですか!全くもう!
「悪い悪い。ふてくされるなって」
先輩は笑いながら右手で筆をとる。姿勢が前のめりになると必然、密着するわけで。
私の心臓、これから数時間も持つだろうか。
「もうやだ!!」
案の定、七松先輩は数時間どころか半刻でテスト勉強に飽きてしまった。
「疲れたよななし〜!」
もう嫌だと言いながら机の前から退く気配は無い。正確に言うなら、私にしがみついてぐりぐり擦り寄ってきたまま動こうとしない。
私だって疲れました先輩…。
「一休みしましょう。お煎餅食べますか?」
「食べる!」
私を抱えたままバリバリとお煎餅に食らい付く。私からは意地でも離れない気だとみた。
教えていて感じたことだけれど、七松先輩はきっと頭が良い。実践から得た知識は確かだし、洞察力だってある。ただ勉強嫌いなだけ。集中力が続かないから長時間も机と対峙していられないのだろう。
「・・・」
「どした? ななし」
七松先輩はおそらく天性の忍者なんだ。どんなに頑張っても授業についていかれない私とは違う。
「七松先輩は…」
「ん?」
少し、羨ましい。
「七松先輩は、どうして忍者になろうと思ったんですか?」
お煎餅をボリボリと噛み砕いていた口が停止する。
それから先輩は天を仰ぎ見て、うーん、としばらく考え込んだ。
「…なーんでだったかなあ」
「え?」
「思い出せないんだよなあ」
思い出せない?
「留三郎みたいに"強くなりたいから"だった気もするし、文次郎みたいに"カッコイイ忍者に憧れて"だった気もするし、いさっくんみたいに"誰かを救いたいから"だった気もするし、その全部かもしれないし…」
意外な回答。
七松先輩は猪突猛進型に思えたから、善法寺先輩のように揺るぎないきっかけがあるんだろうと勝手に思い込んでいた。
「きっかけ、初めはちゃんと覚えてたはずなんだよ。でもさ、」
声のトーンは変わらない。
はずなのに、
「忍務で人を手に掛けてから、全部忘れちゃった。思い出せないや」
その言葉だけ、やけにハッキリと私の鼓膜を叩いた。まるで一音一音ブツ切りに繋ぎ合わせたように。
「あ…」
ひょっとしたら私は失礼なことを訊いてしまったんじゃないだろうか。
彼は時々こうして現実味の帯びた言葉を会話に出してくる。それも故意ではなく無意識に。私の住んでる世界から近いようで遠い、生身の忍者の言葉。
どうして私は七松先輩を少しでも羨ましいなんて思ってしまったんだろう。天性の忍者だからこそ、私には考えられないような辛い経験を既にたくさん味わっているんだ。
「ごめんなさい…」
恐る恐る振り返れば、いつも通りの七松先輩がキョトンとした顔で私を見ていた。
「へ? 何を謝るんだ?」
「いえ、あの…」
うまく説明できなくてしどろもどろになる。そんな私に先輩はニッと笑顔を見せて、私を抱き締める腕に力をこめた。
「なんかよく分からんが、細かいことは気にするな!」
「はっ、はい」
「きっかけは覚えてないけど、今は一流忍者になりたくて仕方ないぞ! お前を守れるようになりたいからな!」
顔から思わず火を吹きかける。余すところの無い笑顔を向けられて、咄嗟に忍たまの友へ視線を戻した。
「ところで、なんでそんなこと訊くんだ?」
「あ、いえ…。私は誰かを救えるくノ一になりたいんですけど、筆記も実技も芳しくないので…。七松先輩にはどんなきっかけがあったのかなぁと思ったんです」
「そっか! ななしならなれるさ。努力家だし」
「なれる…でしょうか…。私、今の授業にもついていくのが精一杯なので…」
「・・・」
途端、視界がぐるっと回り、腰からストンと畳に着地した。何事かと視線を前に向ければ、真剣な眼差しの七松先輩と目が合う。
どうやら私は先輩に抱え上げられ、向かい合わせに座らせられたようだ。
「ななし、お前何か勘違いしてるぞ」
「へっ?」
「お前は立派なくノ一だよ。もっと自信を持て」
「え…」
どの辺が立派なくノ一なんだろう。付け焼き刃にしか聞こえない。
「…たとえば、だ」
「はい」
「私が明日のテストで落第して、学園を辞めることになったとする」
「えっ」
「だけど…まあ先生には悪いが、私は今辞めたとしても、これからも忍で食っていける」
「・・・」
…確かに。七松先輩の実力なら、今辞めてもこのさき不自由はしないだろう。
「お前だっておんなじだよ」
「え?」
「私達上級生になれば分かることだけれど、ここは下級生が考えてるほど甘い場所じゃない。忍たまでもくのたまでも、素質の無い奴は下級生の時点で振り落とされてるよ。勉強はからっきしな私が居残ってるのなんて良い例だろ。お前だって入学以来、退学していく同級生が居なかったわけじゃないだろう?」
居なかった…わけじゃない。むしろたくさん居た。みんな、落第したのか心が折れたのかは定かではないけれど。
「お前は四年生で、上級生なんだ。実力だけならプロにだって通用するってことさ」
七松先輩、凄い。シナ先生に言いくるめられた時を思い出すぐらい、言葉が巧み。
「誰だって四年生まで上がれるわけじゃないんだ」
不安が晴れて胸の内がほかほかしてきた。
なんだか術に掛けられてるみたいだ。
「だから、自信を持て」
「…はい!」
自信、湧いてきた。私ってば単純だなあ。
「細かいことは気にするな!」
また私の頭をぐしゃぐしゃと撫でてくる。あったかい手。
「七松先輩、ありがとうございます」
「おう!」
安心したら俄然、やる気が出て来た。
「テスト勉強、第二ラウンドいきましょう!」
一度腰を上げて机へ向き直れば、先輩は再び私の背後から筆を持った。
「・・・」
「次はどの分野だ!? ななし!」
「…あの、先輩」
「なんだ?」
「勉強教えるかわりに、一つお願いしても良いですか」
「ああ、なんでも言え! ななしの頼みならなんでも聞くぞ!」
「離れてもらえませんか? その…恥ずかしくて…」
「…やだ」
「え!? いっ、今、なんでも聞くって…!」
「あんまり騒ぐとチューするぞ」
「ごめんなさい」
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