いじめ


「ななし…」

ハッと我に返った時にはもう遅かった。私、今とんでもない暴言を吐いた。完全なる八つ当たりだ。
「あ、の…」
こういう時、何を言ったらいいんだろう。機転がきかない自分に涙が出そうだ。
先輩は固まったまま動かない。私の暴言をまともに食らって酷く傷付いた顔をしていた。
どうしようどうしよう。何も、何も思い浮かばない、何も言葉が、何も、
「ご…ごめんなさい!」
自分でそんな雰囲気にした癖に、とてもその場に居た堪れなくて。
傷付いた先輩を残したまま、私は逃げるように自室へ走り出した。



自室に飛び込んで押し入れから掛布団を引っ張り出し、頭から包まる。ああ、やっと一人になれた。ようやく落ち着いた。今日はこのまま失恋の感傷に浸ろう。善法寺先輩への想いも涙と一緒に流れ落ちたらいいな。
ついさっきまでそう思っていた。だけど
今の私の頭の中は七松先輩のことでいっぱいだった。
大嫌いです――そう言った瞬間、七松先輩は本当に傷付いた顔をした。まるで捨てられた子供みたいだった。先輩のあの顔が忘れられなくて、さっきからぐるぐると私の中で罪悪感が往復を繰り返している。どうしてだろう。
…ああそうか。私はいつも人に対して当たり障りなく生きて来たから、誰かをこんなに傷付けたことが無かったんだ。
私、最低だ。
悪いのは七松先輩じゃなく、私なんだ。先輩の気持ちを知っていながら仲良く並んでご飯を食べていれば、付き合っていると勘違いされて当然だ。先輩の気持ちをはっきり断らずに宙ぶらりんなことをした私がいけない。
それなのに、私は、

『ななし…』

ああ、なんて八つ当たりをしてしまったんだろう。七松先輩を本当に傷付けた。私が善法寺先輩に同じフラれ方をしたら、およそ耐えられない。
「ふ、っ…」
七松先輩、本当にごめんなさい。
「ふええええ…」
ボロボロと溢れ出た涙は、誰に対するものだか自分でもよく分からなかった。



翌朝、目が覚めてから井戸へ向かうと、昨日と同じくトモミちゃんが先に歯磨きしていた。
「あ、おはようございますなぞの先輩!」
「おはよう」
向こうからぱたぱたとユキちゃん、おシゲちゃんが駆けてくる。
「なぞのせんぱーい! 昨日はどうでした?」
「おシゲも隣で歯磨きさせてくだしゃい」
そうか。三人とは昨日の朝に会ったっきりだから、七松先輩と私の関係についてまだ何も話してなかったな。丸一日会わなかっただけなのに、なんだか凄く久しぶりのような気がする。癒されるなぁ、この三人。
「あれ? なぞの先輩、目元が少し腫れてませんか?」
「あ、本当だ! 何かあったんですか!?」
「まさか、七松先輩に泣かされたんですか!?」
違う違う、泣かされてないよ。これは私が勝手に泣いただけだよ。慌てて首を横に振る。
「昨日はね、激動の一日だったよ」
善法寺先輩への想いの部分だけハショって、一部始終を三人に説明する。あんなに濃い一日は生まれて初めてかもしれない。
「やっぱりおシゲの読み通りでしゅ」
おシゲちゃんが腕組みをしながら得意気に言った。確かにおシゲちゃんが昨日井戸でした推測は正しかった。凄いなぁ、私よりよっぽどくノ一してるよ。
「でもなぞの先輩、これからどうするんですか? 勢い任せに"嫌いだ"って七松先輩に言っちゃったこと、後悔してるんですよね?」
「謝りに行くんですか?」
ユキちゃんトモミちゃんにもっともな質問をされて返答に困ってしまう。それについては私も凄く考えた。昨日散々泣いたあと凄く凄く考えた。自分の人生でこんなに考えたことは無いってぐらい考えた。
だけどいまだに答えは出ない。
「まだ迷ってるよ…。あのときの先輩の傷付いた顔が忘れられなくてずっとモヤモヤしてるから、謝りたいのはヤマヤマなんだけど…。わざわざ呼び出したり押し掛けたりして、『あの時の"大嫌い"はただの八つ当たりです』って説明して、そのあとまたご丁寧にフるのもなんか白々しい気がして…」
「まあ、確かに…」
少しの沈黙。みんなの歯磨きの音だけが響く。
「先輩、そんなに深刻にならないでくだしゃい」
「そうそう、別にもうこのままでいいんじゃないですか? 七松先輩はフラれたことを受け止めただろうし、何はともあれ結果オーライですよ」
「もともと先に噂を広めちゃった七松先輩自身に問題があったんですから。七松先輩も少しぐらい痛い目見た方がいいんです」
なんて優しい言葉をくれるんだろう。三人とも本当に良い子だなぁ。
「ありがとう。ちょっと元気出て来たよ」
私の言葉に三人揃って笑顔をくれる。良い後輩を持てて私、幸せだ。
元気が出て来たのは嘘じゃない。だけど、
私の中のモヤモヤは、やっぱり晴れないままだった。



教室に入って席に着く。授業まではまだ少し時間があるみたいだ。図書室から借りた読みかけの本を手にしたその時だった。
「あ、なぞのさんが来たっ!」
前の席の子が私に気付いて振り返った。びっくりした。だって私と彼女は話をしたことがあまり無かったから。
「あ、本当だ!」
「なぞのさん、待ってたよ!」
「ねえなぞのさん、あの噂、本当!?」
前席の彼女に続いてクラスメイトみんなが私を取り囲む。唐突過ぎて軽くパニックになった。今まで話したことのない女の子達が目を輝かせながら私に質問攻めしてくる。
「あの暴君様も女に興味持つんだね!」
「告白、どっちからだったの!?」
「そもそもあの人、女と付き合えんの!?」
「どっか行った!? どこ行った!?」
「どこまでいってんの!?」
口下手な私は気が動転して思わず泣きたくなった。どうしよう、七松先輩と私、付き合ってないよ。七松先輩は付き合ってるつもりだったのかもしれないけど、昨日私がフッたんだよ。だけどみんなの気迫に押されてそんなこと言える空気じゃない。でも嘘は吐きたくない。困ったな、困ったな!
「やっぱ一緒に塹壕掘りとかさせられんの!?」
「え?」
塹壕掘り?
「え、って? あの人、趣味塹壕掘りじゃん」
そうだったんだ。全然知らなかった。塹壕掘りが趣味なんて、どこまでも忍者らしい人なんだな。
というかそれ以前に七松先輩の顔の広さに改めて驚いた。本当、知らない人なんて居ないんだ。知らなかったのは学園で私だけか。
「いーなーなぞのさん、あの暴君様を捕まえられるなんてさー」
「安泰だよね」
七松先輩、人気あるみたい。そりゃそうだよね、六年生だもん。
くのたまの就職率は忍たまよりずっと低い。就職口が狭き門なのだ。だからくのたまはくノ一として卒業するより、在学中に嫁入り先を見付けて中途退学する子の方が多い。
忍たまの六年生はだいたい優秀な生徒しか残っていないから、六年生を彼氏にした子は『将来有望な嫁入り先を見付けた』という意味でみんなから「安泰だね」と言われる。
私も例にもれず、ここには婿探しと作法を習う為にやってきた。両親から半ば無理やりだったけど。
だけど私はやっぱり、善法寺先輩のことが
「ていうかさ、さっきから気になってんだけど」
みんなより数トーン低い声。一番奥に居たひと際美人の女の子が言った。
「おかしくない? だってなぞのさんが好きなの、タカ丸さんだったんじゃないの」
学級委員長だ。腕を組んでフンと鼻を鳴らす。いかにも面白くなさそう。
「それとも二股かけんの?」
さすがにカチンときた。なんて一方的な言い方をするんだろう。私がいつタカ丸くんを好きだったっていうの。
「違うよ、私とタカ丸くんはただの幼馴染で、」
「昨日は六年生の先輩方と夕飯してたし、昼は五年生の先輩方だったでしょ。気が多いんじゃないの?」
なんでそんなこと知ってるんだろう。いったいどこに目がついてるの。これだからくノ一は怖い。善法寺先輩が好きだということを不破先輩に打ち明けなくて良かった。
どうしてこんな言われ方をしなければならないのか。腑に落ちない。
「私はべつにそんなつもりじゃ」
「そりゃ安泰してる今が一番楽しいもんねー」
凄く刺々しい。どういうつもりだろう、私を怒らせようとしてるとしか思えない。今まで話したこと無くて、成績優秀な学級委員長に憧れてたのに、こんなにイヤミな子だなんて知らなかった。
「はーい、みんな席に着いてー」
ムカムカしていると先生が入室してきた。そのまま授業開始。
一番後ろの席だから、最前列の学級委員長をなるべく視界に入れないようにした。



学級委員長を筆頭にクラスのみんなからいじめを受けてると私が自覚したのはその二日後のことだった。
初め、私の席に花瓶が倒れてた。誰かが誤って私の席で倒して溢してしまったんだろうぐらいにしか思わなかった。私はそれを黙って掃除した。
次に見たとき、私の席はチョークの粉まみれになっていた。前回に同じく、誰かが誤ったものだろうと思った。それも黙って掃除した。
更に次の時、私の席にまきびしが撒かれていた。そこでようやく、ああこれはいじめだなと思った。黙ってまきびしを片付けた。

初めはそんな軽いものだったけど、それがだんだんエスカレートしてきて。
忍たまの友を一年生のものと掏り替えられたり、実習でわざと罠に追い詰められたり、知らない間に布団や私服を破かれたり。
相談できるような友達が居なくて、一週間経つ頃にはノイローゼ気味になった。

ある日の夜。何度縫っても次の日には綿の出ている布団を頭から被りながら、私は部屋に籠もって泣いていた。食堂から自室へ帰ってきて湯浴みへ行こうとしたら、夜着も手拭いも泥塗れになっていた。なっていたというか、されていた。
もう、外へ出たくない。出たくないよ。
私がみんなに何をしたの。どうしてこんなことするの。口下手でうまく話せないけど、いつかみんなと友達になれたらいいなって、そう思ってたのに。どん臭くても授業についていかれるように、必死に頑張って来たのに。
誰か助けて
「・・・」
部屋の外に誰か居る。音は無いけど気配がある。
この時間にこんなとこに来るなんて。ああ、またいつものあれか。虫とか罠とか、私の部屋の前に何か良くない物を仕掛けに来たんだ。
もう嫌だ。限界だ。
「…っ!」
勢い任せに立ち上がって戸を開ける。
「こんなことして何が楽しいの!?」
半狂乱で叫んだ。仕返しがどうであれ、あとのことなんて考えない。顔も涙でぐしゃぐしゃだろうけどこの際どうでもいい。だってもう黙っていられない。
だけどそこには
「ななし?」

両手いっぱいに花を抱えた、一週間ぶりの七松先輩の姿があった。


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