泣き愛


私がその獣と出会ったのは、寒い寒い冬の夜。月の無い晩のこと。
しんしんと降る雪がすべての音を吸い込んで、草の無い地面を隠していく。
湯浴みを終え、自室への縁側を歩きながらその光景に見入っていると、
真っ暗がりの庭の中にただ一匹、そいつは佇んでいた。
「…三郎?」
私の呼び掛けに、黒衣を纏った彼はゆっくりと顔を上げる。よくよく目を凝らせば黒に混じって紅色が映えていた。つん、と鼻を突く血の匂い。
ああ、忍務帰りなのか。
一人納得してから再び声を掛けようと口を開きかければ、彼は私の視線を捉えて一歩、こちらへ踏み出した。
鋭い瞳、押し殺せていない殺気。忍務での昂ぶりがいまだ治まらないのだろう、ただの獣と化していた。
「さぶろ、」
名を呼ぶ前に押し倒された。
気付いた時には私の身体を両手で手繰り寄せる彼がいて、そのまま縁側の床に二人して倒れ込んだ。身体を板の上に打ち付けて、後頭部に至ってはごちんと鈍い音がしたんだけど、痛がっている暇もない。
三郎の唇が私の唇を塞ぎこんだから。
しつこいほどに口内をねぶられて、彼の腕から抜け出そうと必死に身を捩る。べつに嫌なわけではない。だって三郎は私の恋人だ。けれど突然のことに息を吸う間も無かったから、苦しくて仕方がない。酸素が欲しくて彼の脇腹をバシバシと叩いた。
口付けからようやく解放された頃、彼は私を抱き締める腕にひときわ力をこめて、私の肩口に擦り寄った。
そして再び静寂が訪れる。
「…三郎?」
「・・・」
三郎は何も言わない。私からは彼の表情が見えなくて少し戸惑う。
ああ、きっと忍務で何かあったんだ。
合わせた胸から彼の心音が伝わってくる。ドッドッと悪戯に跳ねる彼の心臓は、血の匂いと共に熱まで移してきそうな気がした。
おそらくこの獣は、自分の昂ぶりを治める術が見付からずにひどく戸惑っているのだろう。
ならば私に出来ることは、獣の中で泣いている彼自身を引き戻してあげること。
「三郎」
「・・・」
「三郎、三郎」
「・・・」
優しく、優しく、何度も名を呼ぶ。
彼は何も応えない。でも、それでいい。私はいつでも何度でも呼んであげる。
「…う、ぅ」
不意に獣が小さく呻いた。
耳元で深く酸素を吸い込む音がする。痛いほどに力の籠もった腕が柔らかくなるのに比例して、心音も少しずつ落ち着いてくる。
「三郎」
「・・・」
彼を残して獣が去っていくのが分かった。いま私にしがみ付いているのは、いつもの三郎だ。
「三郎」
最後にもう一度だけ名を呼んだ。
彼は私を両の腕から解放すると、その手を黙したまま私の身体へ滑らせる。
こんなところで剥かれては寒さに焼かれてしまうと思ったが、抵抗するのは止めにした。いつもなら跳ね除けて赤い舌でも見せてやるところだけれど、今しばらくは好きにさせてあげようと思う。
彼の手付きが、生まれたての赤子のようにおぼつかないものだったから。
まるで私の生やぬくもりを確認しているような、そんな手のひらだったから。
「三郎」
「・・・」
「泣いてるの?」
「…、ぃてない」
初めて彼から返されたのは、言葉というより声だった。耳元で話しているのに聞き取れない程の、小さくて弱々しい声。
「・・・」
「…し、たん、だ」
「うん?」
ぽつり、ぽつり。
彼は言葉を紡いでいく。
「殺した」
「うん」
「敵を、殺した」
「うん」
「殺すしかなかった」
「うん」
「まだ、子供だった」
「…うん」
三郎のウソつき。
やっぱり、泣いてるじゃない。
たとえ涙が出ていなくても、心が張り裂けてるじゃない。
「・・・」
両腕を伸ばし、ぎゅっと彼を包み込む。それから優しく頭を撫でた。
「泣いていいんだよ?」
「私は、泣かない」
「責めてほしいから?」
「そうだよ」
不器用な奴。
あれだけ秀才と謳われていながら、泣くことも出来ないなんて。
「…ねぇ三郎」
「・・・」
「そんなものは、忘れてしまいなさい」
忘れてしまえば、責められようとも泣こうとも思わないでしょう。
「背負わなくていいから」
「・・・」
「三郎が背負わなくても、いいから」
かわりに私が背負ってあげる。
全部ぜんぶ背負ってあげる。
泣けない貴方のかわりに、私がたくさん泣いてあげる。
だから全てを忘れるといい。私が全て覚えてるから、何もかもを忘れるといい。
何もかも忘れて、いつも通り笑って、いつも通り授業を受けて、
いつも通り、また忍務に出掛けるといい。
「…ご、め」
「そこはね三郎、"ありがとう"だよ」
彼を抱く腕に力をこめる。
湯上りの身体には血の匂いも熱も大きすぎたけれど、少しでも早く彼の罪を自分へ移してしまいたかった。
三郎は小声で、ありがとう、と囁いてから、
私の胸元へ静かにこうべを下ろしていった。





泣き愛






「…お前だけは、私に殺されないでくれ…」

彼の歪な囁きは、雪の積もる音に埋もれて消されてしまった。


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