大木先生
「これから毎朝ワシに味噌汁を作ってくれ!」
畑を耕したあと家の中へ入り、さあ昼ご飯の仕度をするぞと手を洗ったところで。
私の同棲相手である大木雅之助は、真正面から私の両肩を引っ掴むと真っ赤な顔してそう叫んだ。
「今も作ってるじゃん」
「…ああ、そうか」
そうだよなあ、なんてしょんぼり肩を落として私へ背を向ける。
近頃、彼はずっとこの調子。
今のは彼なりのプロポーズだったのだろう、けれど私は今の言葉にOKを出してやる気など毛頭無い。
べつに彼のことを嫌いなわけではない。むしろ大好きだ。だけど私が欲しいプロポーズの言葉はそんな遠回しなものじゃない。もっとストレートな言葉が欲しい。言わんとしていることは既に伝わってるからまあ私が折れてやってもいいけど、プロポーズなんて一生に一回なんだし、出来ることならここは譲りたくない。あんたが私の欲しい言葉をくれるまでとことん粘ってやる。
ってか、いい加減そこに早く気付いてくれないかな。いい大人なのに。
しかし彼は何を勘違いしているのか、はたまた誰に吹き込まれたのか、飾り気のある台詞でプロポーズした方が女は喜ぶと勘違いしているらしく、あれやこれや考えては毎日毎日こうして私へ挑んでくる。昨日は「ワシと一緒にラッキョウ作ってくれ」で、一昨日は「ワシと一緒にラビちゃん育ててくれ」だった。どれもこれも今更でしょうよ。ちょっと考えれば分かるじゃん。どこまで残念なの。
「なんでもいいけど、お昼は田楽にするよ。いい?」
「んー…」
駄目だ、生返事。これはもう私の言葉なんて耳に入っちゃいないだろう。次のプロポーズの台詞は何にするかまた脳味噌搾っているに違いない。
まあいいや、いつものことだし。ほっとこ。
豆腐の入った桶を手に取ったところで、畑前の道を誰かが歩いてくるのが目に入った。
「…あれ?」
「大木せんせーっ!」
元気よくぶんぶんと手を振っている彼。その姿に見覚えがあった。
「…七松くん?」
きらきらとお日様みたいに無邪気な笑顔。卒業する前から少しも変わらない。
間違いない、あれは忍術学園の卒業生、七松小平太くんだ。
「雅、お客さん来てるよ?」
「・・・」
「駄目だこりゃ聞いちゃいねーや。七松くーん!いらっしゃーい!」
入り口で私が手を振り返せば、彼は更に表情を明るくさせて走り寄って来た。もう良い年齢だろうに、まるで子供みたい。相変わらず可愛い子だな。
「奥さん、お久しぶりです!」
「文化祭に招待されて以来だね。ずいぶん久しぶり」
背後のA型男はそれまで何を話し掛けても右から左していたくせに、七松くんの"奥さん"という単語にやたら過敏に反応しやがった。まあ現金な奴。知ってるけど。
「お!? どうした小平太! 久しぶりだなあ!」
七松くんに負けず劣らずのニコニコ顔。…こいつめ、ここで否定してやろーか。まだ奥さんじゃねーんだけど、って。
「久しぶりに仕事で長期休暇を貰ったんで、馴染みのところを回って顔出してるんです!」
なるほど、それで恩師のところへ遊びに来たわけだ。
「そうか!まあゆっくりして行け!」
「はい!お邪魔しまーす!」
この師にしてこの生徒あり。大声大会かと言ってやりたいぐらい二人して元気が良い。
「七松くん、お昼まだ?良かったら食べてきなよ。今から豆腐ハンバーグ作るから」
「いただきます!」
「待て。お前さっきワシに田楽だって言ってなかったか?」
「え?言ってないよ? 余計なとこだけ聞いてんじゃねーよ」
「後半本音出てるぞオイ!」
だってさ、来客がいるのに手抜き料理はいかんでしょ。いよーし、料理頑張っちゃうもんね!
「美味い!」
「喜んでもらえて良かった」
普段ここでは披露されることの無い豆腐ハンバーグを食べながら、満面の笑みを見せてくれる七松くん。美味しそうに食べてくれるから私も嬉しい。手間を掛けた甲斐があった。
対して正面に座しているド根性男はもくもくとそれをつついている。あからさまに面白くないという表情でさっきから私の顔をじっと見詰めてくる。なんだよ。言いたいことがあんなら
「言えよ」
あ、口に出た。
「…いつもはこんなの作ってくれないじゃないか」
どうやら私が外面良く手の込んだものを作ったことが気に入らないらしい。この人、こういうところが結構ガキだ。正直めんどくさい。
まあ、そんなところも可愛いと感じちゃう私も大概重症だけれど。所詮は惚れた弱み。
「あーはいはい分かったから。今度からちゃんと作るから」
私の返答に安堵したのかようやく箸を進める彼。七松くんが口いっぱいに豆腐を詰めながらケラケラと笑い出した。
「二人とも相変わらず仲が良いですね!」
そう見える?、って訊き返そうかと思ったけど、雅に余計ヘソを曲げられてもあとあと面倒臭いから言葉を呑み込んだ。
「食べ終わったらお皿そのまま置いといていいからね。あとで外行って洗ってくるよ」
「ありがとうございます!」
井戸で三人分の食器を洗って、ああそうだ梨を冷やしておいたんだ、なんて思い出して、それを桶に突っ込んで家へと戻る。三人でおやつタイムにしよう。
「…あれ?」
家に戻ったものの七松くんがいない。どこ行ったんだろ?
見れば、彼の草鞋が無かった。なんだ、もう帰っちゃったのか。早いなあ、来たばっかりなのに。
「七松くん、もう帰ったの? ゆっくりしてけば良かったのにね」
部屋の隅でぼんやりしてる雅へ声を掛けてみるも、雅からの返答は無かった。どうせまたさっきの続きでプロポーズの言葉を考えてるんだろう、そう思って放っておくことにした。
とりあえず桶を置こうかな、
「小平太なら帰った」
いつもの五月蠅さが嘘のようにそれまでダンマリだった彼から、急に言葉が飛び出して来たので、覚悟していなかった私はつい肩が跳ねてしまった。
なんだよ、随分と時差のある返答じゃないか。いったいどうしちゃったの。
桶から彼へ視線を戻せば、真面目な表情のまま再びぼんやりしていた。私と視線が合っているものの、心ここにあらず。先の言葉を何も喋ろうとしない。明らかにいつもと様子が違う。
ああ、きっと何かあったんだ。
「…どうしたの?」
苦渋を解すように少し優しく訊いてみる。少々の間があってから、彼はぽつりと呟いた。
「あいつは今度、死間になるそうだ」
一言そう溢してから再び言葉を失くす。
そういうことか。
七松くんのような優秀な忍者がタダで長期休暇を貰えるなんておかしいと思ったんだ。彼はきっと死間の任へ当たる前に、今まで関わって来た人の顔を見て回っているのだろう。
だからここも昼飯だけ食べてすぐに出て行った。
おそらく彼にはもう時間が無いのだ。
「・・・」
驚きや悲しみの類は不思議と湧いてこない。あるとするなら、最後ぐらい私も挨拶したかったという後悔だけ。
ただ、胸の底が冷えた気はする。
けれどそれは目の前のこの人も同じなのだろう。だからただぼんやりしているんだ。
「…割り切れんもんだな」
いざ教え子がとなると、――最後の部分は言葉でなくとも伝わってきた。
どんな環境下であろうと、忍でいる限りはいつ命を落としてもおかしくない。それは、教え子であるあの子もこの人自身も、最初から持ち得ている覚悟。
だけどこの人にしてみれば遣る瀬無いだろう。どんなに大切に育ててきた教え子でも、端から命を落としていく。その事実を堂々突き付けれられたのだ。
「…雅」
「・・・」
「私に、何か言うことがあるでしょう」
私の一言に目を見開いてから、今までに見せたこと無いほどの苦い苦い顔で笑う彼。
胸の底が冷えている今この時に言わせるか、そんな意志が瞳から伝わって来た。
「…お前は、」
「うん」
「…お前だけは、ワシの傍から居なくならんでくれよ」
「…よく出来ました」
ほら。
やれば出来るじゃないか、ちゃんとしたプロポーズ。
- 14 -
prev | next
back