迷子2
迷子2の次屋視点
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「困ったねぇ…」
二人揃って遥か遠い空を眺める。脱出方法でも考えているのか、先輩は目の前でうんうん唸りながら頭から湯気を出しかけていた。
「まあ、大丈夫っスよ。実習コースなんだから永久にほっとかれたりしないでしょ。最悪死ぬこたないだろうし」
空元気だったけど、俺の言葉に「そうだよね」なんて楽天的な言葉を返してくる。この人、素直なんだか単純なんだか。
普通のくのたまだったらここで怒るぐらいはするだろうに。あんたの方向音痴が原因で、とか、どうして登器の一つも持ってないの、とか。なのにこの先輩ときたら怒るなんて選択肢は頭の隅にも無いらしい。ここまで気の長い人は忍たまでもそうそう居やしないだろう。ずいぶんとまあ珍しい忍者が居たもんだ。
そんなことを考えつつぼんやりと目の前の彼女を眺めていたら、彼女の視線が俺の左腕に留まった。そのままサッと青ざめる。
「次屋くん、怪我してるの!?」
「へ? ああ、掠り傷ですけど」
「駄目だよ、見せて!」
「えっ」
言うなり俺の腕を手に取って応急処置を始める。えらく手際が良い。まるで保健委員みたいだ。
傷口をなるべく刺激しないようにしてくれてるのが手付きで分かるものの、それでもやっぱり少し痛む。だけど表には出さない。俺がここで痛がったら、気ィ遣いなこの人はきっと気にしてしまうから。
「ごめんね、ありがとう…」
「何がっすか?」
「庇ってくれたんだよね」
少し、驚いた。たぶん気付かないと思ってたのに。気を遣わせるのが嫌だから気付かれなくていいと思ってた。
委員長の彼女だけあって、ひょっとしてこの人も周りに機微な人物なのかもしれない。ただ普段は周りにそう思わせないだけ。
「あーと…そりゃ買い被りです」
「・・・」
「なぞの先輩って、なんだか保健委員みたいですよね」
「え?」
照れ隠し半分、話題を逸らすことにした。
「応急処置の手際良いし、今日の不運も散々だし」
「そ、そうかなあ!?」
適当に振った話題だったのに思った以上に食い付きが良くてビビる。
「なんでそこで嬉しそうにするんスか」
「へ? あっ、」
不謹慎ですみません、みたいな顔。なんだか不思議な人だ。
「次屋くん、助かったあとは保健室に行って、その傷みてもらってね。絶対ほっとかないでね」
言い聞かせるように前のめりで忠告してくる。ちょ、近い近い、かなり近い。この先輩、状況分かってんのかな。たぶん分かってねーんだろうな。
「俺たぶん助からないから大丈夫です」
「え!? なんでそんなこと言うの!? 大丈夫だよ、助かるか、」
「いや、そうじゃなくて」
「なに?」
「この状況が委員長に知られたら俺、殺されるなあと思って…」
互いの距離を思い出したらしく、ハッとしたような表情。嘘だろ…今になって状況理解したとか、そんなオチか。
「・・・」
「・・・」
「だっ、だだだ大丈夫だよ…だってホラ、成り行き上だしさ!」
後頭部を壁へぶつけそうなぐらい急激に身を離したかと思えば、真っ赤な顔でしどろもどろに喋る彼女。今の一瞬の沈黙なんなんだよ。いま絶対「否定できない」って思ったろ。
「いやでも元を辿れば俺の方向音痴癖が原因なわけだし…」
「でっ、でっ、ででも、別に穴に落ちただけで、何かあるわけじゃ、ない、から、」
「や、だって…」
先輩があんまりどもるモンだから俺も段々恥ずかしくなってきた。俺相手にそこまで照れる必要無いじゃんか。なんだコレ変な空気。
「現に近いし」
ここで再び一瞬の沈黙が襲来。なんだか目も合わせづらい。
俺今なんつった? 自分で言ったことなのにちょっと意識してきた。自分で自分に言葉の暗示掛けちまうとかもう最悪だ。
「ごっ、ごご、ごごめん。そっそうだよねなんでこんな、ち、近いん、だろ、ね」
慌て過ぎっス先輩…。
「ごめ、こんな…私なんかと近い、とか…」
「へ?」
「ふ、不快にさせ、て、ごめ…」
「や、ちが…そん、な、こと、は…」
ヲイィなんだコレどうなってんだコレ上手く声が出てこないぞコレェ!
「・・・」
「・・・」
この人は委員長の彼女だから間違っても手は出さねーよけどやっぱ照れんだろ俺だって年頃男子だしってか情けないけど俺べつに今まで女子とそんなに接点があったわけでもねーし対処法とか知らねーし助けてくれ作兵衛こんな時どうするのが最善策なんだいやでもあいつに訊いたところであいつも分かんねーんだろうな!!
あれ!?俺ひょっとして今テンパってる!!?
―ズズン―
「「!?」」
突如響いた、地鳴りのような一定の振動。地上を何かが歩いてくる。
―ガアァアァ―
それが何かなんて見なくても分かった。地を這うような轟き方。
「…熊…」
二人同時に血の気が引いた。五年生ときたら日頃どんなコースで鍛錬してんだ。信じられない。
目の前でオロオロしているなぞの先輩を見て、俺は少ない理性をかろうじて繋ぎとめた。言い方は悪いが他人の動揺を見て自分の冷静を保ったのである。
縋るような視線を向けられて、咄嗟に彼女の口へ人さし指をかざした。
「シッ」
早くどこかへ行ってくれと願う俺達に当てつけるかの如く、熊は穴の傍へと歩み寄ってくる。やめろ、どこかへ行ってくれ。頼むからこっちへ来ないでくれ。
―ずんっ―
蛸壺の傍で獣が雄叫びを上げる。びりびりと空気が揺さぶられた。鼓膜が破れそうだ。
「…っ!」
途端、なぞの先輩が背を反らして自分の口を両手で塞ぐ。叫ぶのを堪えたんだろう。カタカタと震えて酷く脅え出した。じんわりと瞳を赤くしていく様になんだか胸が痛んでくる。
おい、頼むよ。洒落になんねーよ。ここでこの人になんかあったら俺、委員長に合わせる顔がねーよ。俺だけならまだしもこの人まで熊の餌食なんて勘弁だよ。早くどっか別の処へ行ってくれ。早く!早く!!早く!!!
―ズシン―
熊が踵を返した気配。
「「・・・」」
そのままのしのしと遠ざかっていく。
「・・・」
「…ぅ」
「助かった…」
ああああ良かった、生き延びたああ! 俺が溜め息を吐いた頃、先輩は目の前でむせ返っていた。
「怖かった…」
安心したように空を見上げる。が、その表情は空に似て暗い。
俺も釣られて空を見た。
「雨になったらちょっと厄介だなあ…」
さっきまで晴れてたくせにいつの間に曇り出したんだ。水責めになったら最期、熊から逃れられたところで何の意味も無くなる。
困り果てて視線を戻せばなぞの先輩は不安そうに俯いていた。今にも泣き出しそうなその表情に、またズキリと胸が痛み始める。
俺、どうして方向音痴なんだろ。この人は俺に引っ張られてきただけでなんも悪くないのに。俺が迷わなければここまで不安にさせることも無かった。
今この人が心細い思いをしてるのは、紛れも無く俺のせい。
「!」
気付いた時には、手が伸びていて。
どうやったらこの人の不安を除いてやれるのかなんて俺には分からないんだけど、それでも伝えたくて。
ただ、謝りたくて。
「え!? え!? 次屋く、」
「…すんません」
「え?」
「俺のせいで…」
責めてくれりゃいいのに。あんたのせいでこんな思いしてるんだぞ、って怒ってくれたなら、俺はまだ救われるのに。
「…ううん。足を滑らせたのは私だもん。次屋くんのせいじゃないよ」
なんてこった。慰められちまった。不安を除くどころか逆にまた気ぃ遣わせたなこりゃ。
「大丈夫、大丈夫だよ。ここは蛸壺だからハッキリではないけど、空気がそんなに湿ってないから、きっと雨にはならないよ」
俺に話してるんだか自分に言い聞かせてるんだか分かりゃしない。
いや、二人同時に励ましたつもりかもしれない。
「ありがとうございます…」
「ううん、私の方こそ。励ましてくれてありがとう」
笑えるぐらいあったかいなあ、この人は。
…委員長となぞの先輩の始まりは、委員長による一目惚れだって聞いた。この人のこのあったかさを一瞬で見抜いたんだとしたら、悔しいけどやっぱり、
「…すぐ助かりますから、俺達」
委員長は、凄い人だ。
「うん、そうだね。すぐ助かる、から…」
「違う。これは確証です」
「え?」
「いつまた獣が来るかも分からないし、雨が降るかも分からないから、不安には違いありませんけど…。すぐに、助かりますから」
先輩は女なんだからこんな時ぐらい泣いたって構わないのに。そこまで気丈に振る舞う必要なんて無いのに。
それでも泣くのを我慢してるのは、たぶん、俺が後輩だから。
「あの人は…」
「あの人?」
「あの人は、なぞの先輩の傍を一日も離れてられないでしょうから」
早く来て下さいよ委員長。俺じゃあこの人の不安は除けないんです。俺じゃ支えになれないんです。
「もうすぐ見付けてくれるはずですから」
なぞの先輩が待ってます。
この人は、あなたでなきゃ不安を吐いて泣けやしないんですから。
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