過去


「ななしさん、こっち終わりましたよ」
「んー…じゃあねぇ、あとこれお願い」
「あ、そいやこんなん出て来ましたけど」
「何それ。どこにあったの」
「カウンター下の整理棚」
「うっそ、知らん!なんに使うかもよく分からん!」
「…あとで売ってきます」
"捨てる"じゃないところが実にこの子らしい。



私は、店を閉めることにした。



それもこれも土井先生の家へ移り住むためだ。
引っ越しの荷造りで動き回っていた私は店側の片付けまで手が回らなかったので、助っ人にきり丸を呼びつけた。本当は一人で全部こなしたかったが、あまりのそくさしていたら夏休みが終わってしまうので仕方ない。
きり丸にとっては、ここで最後のアルバイトだ。
「…でも本当に大丈夫っすかねぇ」
「何が?」
「だって、土井先生には言ってないのに」
きり丸の言いたいことはよく分かる。
これは完全なる押し掛けだ。
「言ったら、先生はダメって言うに決まってるじゃん」
「でも、ダメって言われてないうちから店やめちゃうなんて…もったいない…」
「帰る場所があったら押し掛けたところで断りやすいじゃない」
作業しながら会話する。
そりゃあ、私だって先生の立場だったらさすがにこれはドン引きだ。たった一度しか会ってないのに次に会ったら好きだと言われ、挙げ句の果てに身一つで家へ押し掛けてくるなんて、ちょっと頭のおかしい女なんじゃないかと疑ってしまう。
だけどべつにそれでいい。
もう、後戻りは出来ない。
軽く流されて終わってしまうような女なら、重い重いと悲鳴をあげられるくらいの女でいいんだ。
苦手意識を持たれようが嫌われようが、その時点で私の本気度は先生に伝わってるはずなんだから。
「まぁ、僕としてはななしさんが土井先生んちに住んでくれた方がありがたいから応援しますけど…先生、留守しがちだからよく大家さんに追い出されそうになるんで」
「あ、そうなんだ」
「帰るたんびに家が売りに出されてる悲しさときたらないっすよ。誰かが家で待っててくれた方が安心して帰れますもん」
まるで自分の家のように話すきり丸がなんだか可笑しくて、少しだけ笑ってしまった。





作業を終えて荷造りも完了。
夕暮れ前には、出発するだけとなった。
「今日はありがとう、きり丸」
バイト料を手渡すのは、これが最後。きり丸は小銭の袋を両手で受け取った。しゃらんと音が鳴る。
「一休みしてから出発しようか。奮発して桃買ってあるからさ、一緒に食べよう」
「らっきぃ! 御馳走様です!」
銭の袋を懐へ仕舞ってから、嬉しそうに縁側へ駆け出すきり丸。
裏で冷やしてあった桃を切り分けてから、私も縁側へ向かう。
いつものように真ん中に皿を置き、きり丸の隣へ腰掛けた。
「いただきまーす」
「どうぞ」
早速二人で桃をつまんだ。よく冷えてるけど、そんなに甘くないや。でも久しぶりに食べるから美味しい。
「・・・」
しばし無言になる。
ここでこうして二人並んでおやつを食べるのも、今日が最後なんだなぁ。なんだか今日はいろんなことに感傷的な気がする。
「…ななしさんは」
「うん?」
桃を食べながら、不意にきり丸が語り出した。
「ななしさんは、僕がなんで土井先生の家に居候してるのか、訊かないんですね」
「…なんで?訊いてほしい?」
「いや、そうじゃないすけど…」
気にはなってたけど、私情だからと思ってあえて訊かなかった。親類でもないのに生徒が教師の家に居候するなんて何か事情があるんだろう。
「訊いていいんなら、知りたいよ?」
「・・・」
きり丸は俯いたまま、ぽそぽそと言葉を紡ぐ。
「…僕、戦孤児で、帰る場所がなくて」
「・・・」
「だから、休みの間は土井先生んちで厄介になってるんです。バイトで稼がないと、学費が払えなくて…」
「…そっか」
予想通りの重い話。
きり丸は生意気だけど良い子だから、だいたいそんなところだろうと思っていた。
「じゃあ、ラッキーだねきり丸。これからは私もバイトの手伝いに使えるじゃん、先生みたいにさ」
私の言葉に顔をあげたきり丸は、私を見つめてしばらく目をぱちくりさせた。随分と呆けた顔だ。
「? どした?」
「いえ、べつに」
そのままふにゃりと破顔する。
ひょっとして同情されると思ってたのかな?
「へへへっ!」
嬉しそうに桃をたいらげる彼に、私もつられて笑みがこぼれた。
あっという間に皿の上が奇麗になる。
「ああ、もうなくなっちゃった…」
「そろそろ出発しなきゃね。お皿片付けたら、行こうか」
あんまりのんびりしていては日が暮れてしまうから。
「ここはどうするんですか?」
「実はもう売りに出して、買い手も決まってんだ。来週からは別の人が住むよ」
「いくらで!?」
「破格で」
「ええええもったいない!!」
「そりゃ場所が場所だもん。買い手が見つかっただけでラッキーだよ。それもこんなに早く」
だからこそ急いだんだけどね。
「でもななしさんがこんなにあっさりお店を手放すとは思わなかったなぁ」
「なんで?」
「だって女手一つでずっとやってきたんでしょ? 店を持ちたかったからとか、何か夢があったからじゃないんですか?」
「うんにゃ全然。むしろ料理は嫌い」
「へ!?」
「私が面倒臭がりなの知ってんでしょ。店開いたのは、女一人で暮らしてくのに仕方なくだよ」
きり丸はポカンとした顔で固まった。あれっ、そんなに意外だったかな?
「…せっかくきり丸が教えてくれたから、私も言っちゃおっかなー」
「え?」
「私も孤児なんだよね。でもきり丸と全然逆で、記憶がないの。ものごころついた頃には孤児院でさ」
これが記憶喪失ってやつなのか分かんないけど。
「院の他の子はみんな養子に引き取られてったんだけど、なんせ私はこんな性格だから愛想が無くてさ」
「売れ残っちゃったんすか」
「オブラートに包めよお前は」
デコピン一発。いてっ、と声があがる。
「院の中で一人年齢が高くなってきて、居辛いから10の時に飛び出した」
「10って…今の俺とおんなじだ…」
「うん。ほんで、くノ一になろうとした」
「えっ!?」
「…んだけど挫折して、きり丸みたいにコツコツ貯金してたから15でここに店出した」
そうやって考ると長いなぁ。ここに店開いてもう十年近くなるのか。あっという間だったな。
「…じゃあななしさんは、自分がどこの誰か知らないんすか」
「え、うん。まぁそうだね」
「辛くないんすか」
「なんでよ。幸せじゃん」
「え?」
「だって、きり丸には申し訳ないけど、何か大切なものを無くした記憶があるわけじゃないし、これから家族をなくす不安もないわけだよ。幸せでしょ」
まぁ、今となってはきり丸が弟みたいなもんだけど。きり丸がどう思ってるかは別として。
「それに想像し放題だよ。私ひょっとして武家のお嬢様だったのかなとか、城のお姫様だったのかなとか、それとも未来からぶっ飛んできた未来人なのかなとか」
「ブッ」
「自分で好きに設定できるんだよ。楽しいっしょ?」
楽天家といわれればそれまでだけど。私は自分の過去を悲観したことがない。世の中にはきり丸みたいに本当に苦労してる子がたくさんいるから。
「ななしさん、男らしい」
「女だっつの」
二人で笑い合ってから、空になった皿を持って立ち上がる。
「んじゃ、そろそろ行こっか」
不意に、ついっと袖が引っ張られた。
視線を向ければ、きり丸が一息吸い込んでから喋り出す。
「土井先生んちにななしさんが住むようになったら、きっと僕、舞い上がって言うの忘れちゃうと思うから先に言っときます」
「何?」
「今日からよろしくお願いします、ななしさん」
ニッと犬歯を見せて笑うきり丸。あんまり可愛いもんだから思わず抱き締めたくなった。
いけない、その前に「こちらこそ」って言わなきゃ。でも正直、嬉しくて声にならない。
「まぁ、土井先生が"住んでいいよ"って言う可能性なんて2%ぐらいでしょうけど」
…一言余分じゃなければ完璧なのに。こいつは全くもう!


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