悪酔


二人が出掛けたあと、外から大根を持ってきて調理場で切る。いつもと変わらないラビちゃんのゴハン。
「ゴハンだよ〜」
切れっ端を地べたに置けば全速力でラビちゃんが飛んできた。お腹空いてたのか全力で食らい付く。ウサギは性欲が一番強いというけれどこのコの場合は食欲なんじゃなかろうか。まさしく花より団子。
「大根余っちった…何作ろ」
残りは私の朝ご飯。うーん、いいや面倒だからサラダにしよう。どっかに胡麻が余ってたはず。
そういや二人とも何時頃帰って来るんだろ。そもそも帰って来るときは雅さん一人なのかな。つーか何処の呑み屋行ったんだ。んんん、まいっか。子供じゃないんだから干渉したって仕方ない。
適当に調味料を漁ってたら大根に齧り付いてたはずのラビちゃんが足もとへ擦り寄って来た。
「およ?どした?」
しゃがんで頭を撫でてあげる。ああそういえばまだお水をあげて無かったな、なんて思い当たった。このコが甘えて来るときはだいたい咽喉が渇いた時か単純に寒い時だ。
「気付かなくてゴメンね。今持ってくるよ」
こんな時だけ甘えたなラビちゃんが可愛くて、両手でほっぺを挟んで撫で繰り回してやる。飼い主そっくりにあったかいねえ君は。
『あそこの夫婦も半忍半農だぞ』
さっきまで居た雅さんの言葉が脳裏をかすめた。…今の私達に子供は居ないけれど、
「今の私らにとっちゃ、ラビちゃんが乱太郎かな」
今は、まだ。
「・・・」
悲しきかな、子供が欲しいと思ったところですぐに出来ちゃくれないのが世の不思議。私が子供を欲しがったあの時以来、雅さんも私も合間みちゃ子作りに励んでるけどこれがなかなかうまくいかない。毎度見計らったように生理がやってきてがっかりする。そのヘンの若いカップルなんてアッサリぽーんと子供出来ちゃったりしてるのになあ。そういや、妊娠するためにはストレスを溜めないこと、って昔誰かに聞いた気がする。誰からだっけ…くノ一時代の友達だったか店に来てた常連さんだったか…誰だか忘れちゃったけど。欲しい欲しいと構えてるから逆にそれがストレスんなっちゃってんのかな。いやはや難しい。
「おっ」
私の感傷をそれとなく察知したのか、ラビちゃんの方から掌に頬擦りしてきた。本当、ラビちゃんてば変なところで勘が良いよね。誰かさん並みに。
「グズグズしてごめん、すぐ持って来るから」
立ち上がって外へと向かう。今日は寒いから井戸の水も冷たいだろうな。魔界之先生、こんな中で蒸し手拭い用意してくれたんだ。改めて感謝しなきゃ。

『なぞのさんには私なんかより素敵な男性がいくらでも寄り付くでしょうし…』

「・・・」
子供が欲しい、と思うのは。
出来るだけ、一人になる時間を少なくしたいから。
『私よりあなたを幸せに出来る男性も、世にはたくさんいるでしょうし…』
一人になると、思い返してしまうから。
『私にはなぞのさんの方が男泣かせに見えます』
利吉くんがあのとき私の中に納まっていた蓋をずらして行ってから、自分でうまく閉じ切れずそのままになってしまっている。私一人じゃ蓋のし直し方が分からない。ここへ来た当初は雅さんが力を貸してくれたからうまく感情に蓋が出来たんだ。
だけど今はあの時のようにいかない。さすがに今の雅さんには相談出来ない。自力でなんとかするしかない。
『どうしてなぞのさんは、私なんかにこだわるんですか?』
するしかないと、分かっているのに、
『そのうち私を待ちきれずに飛び出して行くだろうと、正直、そう思ってました』

…子供が欲しい。
お願いだから、一刻も早く。










とっぷり日が暮れて夜になった頃。さすがに時刻が時刻なのでここへ帰ってくるのは雅さん一人だけだろうと踏んでいた。
だけどそれも大ハズレ。
「開けてくださぁ〜い…」
外側からバンバンと家の戸を叩く声はどう聞いても昼間の魔界之先生だった。おかえりなさい、と慌てて一声発してから家の戸を開けて迎え入れる。
「おわっ」
見てビックリ。魔界之先生に肩を貸してもらってる雅さんがそりゃもうベロベロのグデグデだったから。真っ赤な顔して今にも倒れそうなんだけど何コレ半分寝てんの?平気なの??
「こりゃまた悪い呑み方してきましたねー」
「ななしさん布団敷いてください!布団!」
肩を貸してるつーより、もはや担いでる状態。重くて堪らないんだろう魔界之先生は私の言葉に応える余裕もなく、雅さんを半分引きずりながら家の中へと上がって来た。私も急いで雅さんの布団を敷く。
「あー重たい!」
まる一日貧乏クジな魔界之先生。敷かれた布団の上に雅さんをぶん投げて転がした。転がる瞬間ベッと打ち身になったような鈍い音が聞こえたけど、当の酔っ払いは起きる気配もなく気持ちよさげに眠ったままだ。
「雅さんが潰れてるトコ初めて見たなあ」
どんだけ呑んだんだ。このヒト酒にはかなり強いはずなのに。明日の仕事ダイジョブなんかな。ってか酒くっせ!寝ゲロされませんよーに!
「私も大木先生がこうなるの久し振りに見ましたよ。相当溜まってたみたいですし」
溜まってたって何が?と訊き掛けて思い直す。そんなの、ストレスに決まってる。べつに訊かなくても分かる。
「近ごろ働きづめでしたからねえ」
「そうらしいですね。特にこのところはウマくいかないってさっき愚痴ってましたし」
「あ、魔界之先生にも言ってたんですか? 忍務が被ってた話」
「へ?被ってた?」
「え?」
違うの?
「私が聞いたのは不運続きの話ですけど…火打ち石の点きが悪くて参ったとか、忍者食を犬に食われたとか」
何それ初耳。私はてっきり乱太郎のお父上と仕事被った話かと思った。
「伊作の不運貰ったかもしれん!、なんて喚いてましたけどね。忍務が被ってた話って何です?」
「あ、いえ…」
どうやら雅さん、魔界之先生には乱太郎のお父上の話をしてないみたい。なんでだ。ううむ。
…あ、そうか! 部外者にそれを他言してしまったら、乱太郎のお父上の仕事が外部に洩れちゃうからだ! 自分はよくても猪名寺家に迷惑掛けるわけにはいかないもんね。
あれっ待てよ。それって…
「どうされました?」
「い、いえ! なんでも! 忘れてください!」
雅さんは人によって話の内容を選んでるってことか。あの乱太郎のお父上の話は、私を信用してくれてるからこそ零してくれた話。うわわわ何この優越感。ちょっと嬉しい。
「おかげでこっちは呑む間が全然ありませんでした…」
そんなこと言いつつ魔界之先生も充分顔赤いですけど。
疲れたように溜め息吐きながら腰を下ろす彼が何処となく不憫に思えてきた。どうしたもんかと考えてから、とりあえず彼の前に水を一杯差し出してみる。寒い時期の夜だからケッコー冷たいだろうけど、酔いを醒ますにはこれぐらいがちょうどいいんじゃないかし。
「ああ、気を遣わないでください。すぐ帰りますんで」
「魔界之先生も明日は仕事ですか? わざわざ送って頂いてすみません。帰宅が遅くなっちゃいましたね」
迷惑掛けるなよって忠告したのにな〜。三歩で忘れやがってこの大イビキ亭主は。
「いいんですよ、べつに初めてじゃありませんから。逆の時もありますし、お互い様です」
大人だなあ。今更だが魔界之先生っておいくつなんだ。雅さんより年上?
いただきます、と呟いて水を飲み下す魔界之先生をぼんやり見つめた。今日が初対面だからな…私、この人がどんな人かよく分かんないや。何を訊こう。何から話そう。ああでも多少は酔ってるだろうからまともな話はやめとこう。まずその派手な着物について訊ねるべき? あ、そだ。
「私の名前、よくご存知でしたね」
咄嗟のコトで訊きそびれたけどさっき"ななしさん"て呼ばれた気がする。最初会った時はただの"奥さん"だったのに。
まるまる一杯飲み下してから魔界之先生は眉間へ皺を寄せた。
「ご存知も何も…大木先生が私にどれだけ自慢してきてるか、あなた本当に知らないんですか」
知るわけないじゃんそんなの。やっぱこの先生も存外酔ってるわ。
「マジですか。そんなにですか。家じゃそんな素振りぜんっぜん見せてくれないんですけど」
「そりゃあもう腹いっぱい聞かされてますよ。料理が上手いだの気が利くだの美人だの床上手だの美人だのまあああこっちが話逸らしてもまた戻っちゃうんだから!」
「美人て二回言ってますよ先生。水もう一杯入れますね」
「酔ってません!」
水を入れる前に寝転がってる顔面へ強烈なビンタを一発。ばちっ!と派手に音を立てたけど、当の酔いどれは寝苦しそうに一瞬息を止めただけで全く起きなかった。外で美人美人こぼすぐらいなら面と向かって言ってくれよ、おやま人形としか言ってくれなかったくせに。それ以前に苗床の話をヨソですんじゃありません!お馬鹿!
「大木先生、亭主関白って言ってたのに…自称だったんですね…」
しかもコイツしょーもないとこで見栄張ってたらしい。都合の良いことだけ魔界之センセに吹き込んでんじゃねーや。
「しかしななしさんも気丈な方ですねえ」
「え?」
「大木先生がずっと家を空けてたら寂しいでしょ?」
水を入れに腰を上げたら魔界之先生の方が話題をチョイスしてくれた。先日の利吉くんと同じ話題か。
「確かに寂しいです。でも雅さん、頑張ってくれてますから」
「素直だなあ」
「何がです?」
「たとえば仕事と見せかけて浮気してたらどうします?」
水瓶から魔界之先生に視線を移すと酔っ払い特有の表情で面白半分に笑ってた。雅さんに愚痴を零せなかった腹癒せか分かんないけど、この人おそらく私をからかって遊ぶ気だ。利吉くんと同じと見せかけて全然別の話題だった。
正直、雅さんは浮気してないと思う。男なんてどこで気が変わるか知れたもんじゃないから、絶対してないとはそりゃ言い切れないけど。ヤラシイ話、彼が一回一回の報酬で稼いでくる額はかなりのもんだ。あれだけの対価を貰ってんだから忍務に従事してる時間だって絶対長い。女遊びする時間があるようには思えない。何より毎度ボロボロの忍者服を繕ってるのは私だから、彼の多忙ぶりは目に見えて分かる。
だけど、
「んー、そうですねえ」
乗ってあげるのも一興かもしれない。
「してるかもしれませんねー。雅さん、すましてりゃ色男だから」
何気に雅さん以外の人と会話するのって久し振りだから、私にとってもいい息抜きになるし。
「してるかもって…妬かないんですか?」
「妬きますよ。妬きますけど咎めませんよ」
「そういうもんですか?」
「浮気してようがしてまいが雅さんは雅さんですから。つまるところ私のトコに戻って来るなら私はそれで充分です」
二杯目の水を差し出したら、はあ、と感嘆したような溜め息をもらす魔界之先生。
「単なる自慢と思ってたら本当に出来た奥さんだったんですね。大木先生いーなー…」
「あれ? 今の褒められポイントでした? 気付かなかった〜褒めて褒めて〜」
「いっそ私と浮気なんてどうです」
「横恋慕に燃えるたあ性格歪んでますねー」
「冗談ですって。褒めるようにケナさないでくださいよ辛辣だなあ」
横恋慕だったのは寝てるこの人もおんなじだけどね。
「からかってすみません。大木先生、浮気してませんよ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるぐらいあなた一筋です」
「ええ知ってます」
かえってちょっと重いぐらいですもん。
魔界之先生は一本取られたと言いたげに苦笑してから、受け取った水を飲み干した。それから寝ている雅さんを見詰めてぽつぽつ話し出す。
「大木先生はいろいろと溜め込む人のようなので…ななしさんの支えはかなり重要だと思います」
いつぞやシナ先生からも言われた台詞。それは、私が念頭に置かなきゃならないこと。
「…そうですね」
「おそらく、あなたの存在は支えそのものですから」
魔界之先生がどうしてその話をするのか未熟な私にはよく分からなかった。サングラスで視線が見えない。真意も見えない。
ただ、

「裏切らないであげてくださいね」

回らない呂律の中、彼はその一言だけ私にハッキリと告げたんだ。


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