教師と教え子
ここはひとつお手軽にブッ込み鍋料理。家にある一番大きい鍋を使っても食べ盛りのこの子達には足らないだろうから、あとから継ぎ足し出来るよう材料を多めに切っておく。近ごろ旦那様が稼いでくれるおかげで食材には困ってないしね。
「馳走してやるのはいいが椀が足らんだろ」
「お椀なら隅の風呂敷包みの中にありますよ。私が店を閉める時にいくつか持って来たんです。今並べますね」
「オイなんで急に敬語使ってんだ? 気味悪いな」
「いつもこうでしょう? あっ、大木先生は座ったままで結構ですから」
「なんだなんだ、裏でもあんのか」
「私が並べますから動かなくて大丈夫ですよ」
「何を企んでる?」
「はい、これ先生のお椀です」
「こら、無視するな」
「うるせーな生徒の前で旦那様立ててやろうとしてんだから空気読めや。はい、お箸です」
「お前肝心なところで矢羽音し損なってるぞ!? みずから台無しだぞ!?」
「ひょっとしてカカア天下ですか先生」
「カカア天下ですね!?」
「やかましい!」
「想像してた以上に二人とも仲良いですねえ」
あーあ、いいやもう。ヒトが気ィ遣ってやったのに。亭主関白になれるせっかくのチャンスを棒に振りやがって。
肩の力を抜いて素に戻る。みんなの前へ椀と箸を並べた。
「ななしさん、これもう食べていいですか!?」
自分の前に椀が置かれた途端、ヨダレ溢しそうな勢いで訊いてくる七松くん。うーん可愛いやっちゃ。
「いいよー。ななしさんは不親切ゆえ、よそってあげるまでしないから。自分で好きによそって食べな」
「いただきます!」
みんなが自分の分をよそう間にラビちゃんへ大根をあげる。いつも遅いお昼でゴメンね、たくさんお食べ。
「あ!美味い!」
「本当だ!」
「食堂のおばちゃんみたい!」
料理に口を付けたみんなから感嘆の声。良かった、どうやら口に合ったみたい。
「ほんと?薄くない?」
「いいえ絶品です!」
ここまで率直に褒め殺されると妙に気恥ずかしい。いやあ嬉しいなあ。張り切って作った甲斐あったぜ。
「噂には聞いてたけどななしさん、本当に料理上手ですねー」
「大木先生いいな〜」
「おーおー存分に羨ましがれ」
「うわっ、その顔ムカつく」
「そういえば大木先生とななしさんていつからお知り合いなんですか?」
「あ、そういや俺達それ知らないな。そもそも二人が知り合いだったことすら寝耳に水だったし」
「誰かからの紹介ですか?」
「ううん。大木先生はね、最初私がやってた定食屋の常連さんだったの。付き合いとしては土井先生よりずっと長いよ」
「へ!? そうだったんですか!?」
「うん」
「知らなかった!初耳です!」
「大木先生ってば水臭いじゃないですか!意中の女性がいたなら言ってくださいよ!私たち応援したのに!」
「そうですよ!文化祭とか実習イベントとか、あれだけ顔合わせてたのにそんなこと一言も言ってなかったじゃないですか!」
「アホ。なんでイイ歳こいて教え子に恋愛相談せにゃならんのだ」
「数日前に二人が恋仲と聞かされてどれだけ耳を疑ったことか」
「ホントびっくりしたよね! 僕なんて腰抜かしちゃった」
「俺達が知らない間にちゃっかり身ィ固めて…しかも相手がななしさんだなんて…」
「大木先生って昔からそういうフシあるよな」
「あるある。何食わぬ顔して最後はさらっとオイシイとこ全部持ってくみたいな。みんなが気付かない間に一人でイイトコ取りしてんの」
「そんなに褒めるな」
「褒めてません!」
雅さん、ホントみんなに慕われてんなあ。良い先生だわ。
「大木先生ったら知らない間に現役復帰してるし」
七松くんがそう言いながら自分の椀にあるつみれをつつこうとした時だった。雅さんが箸を伸ばしてそれを堂々と横取りする。なんでそんなことするんだと思ったけど、よく見たら大鍋の中にもうつみれが無かった。単につみれ食いたいんだなこの人。大人げねええ! 一言「ちょうだい」って声掛けりゃいいのに!
「!?」
当然、七松くん的には納得いかない。雅さんがそのつみれを口へ運ぶ前に、横合いから更に箸で奪い返す。箸と箸なんてお行儀悪いぞと思ったけど、どっちもどっちだから何も言えない。
「大木先生に現役で戻ってこられちゃ、私達が就職難で干上がっちゃいますよ」
続けられた言葉に棘が含まれる。あれ、なんだこの空気。二人の間で冷戦すんなし。
「甘えたこと言いよって。ワシみたいなオッサンを追い抜けんようならお前は三流じゃ。ど根性で何とかせい」
もいっちょつみれを横取りする雅さん。当のつみれはさっきから行ったり来たりしてすっかり冷めちゃっただろう。
ピキリ。二人の顔に青筋が浮いたのはほぼ同時。
「ちょっ、つみれならまだ作り置きあるんだから。喧嘩しないで、」
次の瞬間、二人の間で箸戦争勃発。一つのつみれを二膳の箸が同時につつき合って、つみれが宙に浮いてる状態になった。繰り出される箸のスピードが速すぎて私の動体視力じゃとても追い付けない。こんなショーモナイことで忍者の才能を無駄遣いしてんじゃないよ二人とも!
「そう思うなら一つご教授してくださいよ! 食ったら手合わせお願いします!」
「あぁ!? 断る!」
「なんで!!?」
「ねえ、二人とも聞いて、」
「誰かさん、いつも手合わせの度を超えるからな! 面倒臭いこと極まりない!」
「当たり前じゃないですか! 先生相手に手加減するわけないでしょ!」
私の存在、空気だな。困り果てて他の五人に視線を送れば何事もなく自分の椀をつついてる。あれ?何これ。ひょっとしてコレみんなにとっての日常風景?
「違うわ! どんだけ手負いになろうがいっつも気を遣るまで向かってくることを言ってんだ! こっちが加減し辛いんじゃ馬鹿たれ!」
「だって悔しいんですもん!」
「負けず嫌いにも程があるだろ!」
しかしまあ会話を聞いても分かるように当然実力は雅さんの方が上のようで。目にも留まらぬ箸戦争の隙間で七松くんから時々、イテッ、イテッと声があがる。雅さんてば、どさくさ紛れに七松くんへお得意のデコピンをかましてるようだ。大人げないを通り越してもうただのガキだこの人。
結果、最終的につみれを口へ運んだのは雅さんだった。
「ああああ!」
勝負に負けて落胆する七松くん。たかだかつみれ一つでこの世の終わりみたいな顔しなくてもいいのに。
「私の鍋えぇえ」
しまいに泣き出した。そんなにがっかりしなくても、と声を掛けようとしてビックリ。よく見たら七松くんの椀は空っぽになってた。眼前のガキ大将先生ときたら今の箸戦争でつみれどころか彼の椀まで綺麗にたいらげてしまったらしい。気付かぬ間に何てことしてんだこの教師。そりゃあんまりだろ。さすがのこの子も泣くわ。
「七松くん、これ食べな」
いくらなんでも不憫なのでまだ手を付けていない私の椀を彼へ差し出す。ラビちゃんに餌をあげる前によそったやつだから少し冷めちゃったけど…食べられないよりはいいよね。
「ななしさん…」
感動した、と言わんばかりの表情で瞳をうるうるさせながら椀を受け取る七松くん。素直な子やね。
だけど元凶であるガキ大将は私のこの行動が実に面白くなかったようで、自分以外に優しくするなと言いたげにすかさずまた箸を伸ばしてきた。ああもう生徒相手に何を妬いてんだアンタは!いい加減になさいよ!
「七松くん、ヘイパス!」
私の呼び掛けに七松くんは持ち前の反射神経で椀を突き返してくる。間髪入れずに誰かさんの大嫌いな生卵を椀の中へ割り入れた。
「あああ!? 何てことしてくれんだ!」
「何てことも何もないよ。自分の分があんだから人の分まで横取りすんじゃありませんー」
「腹減ってんだから仕方ないだろ!」
「腹減ってんのはみんな同じ! 足せばまだあるつってんだから、少しの間ぐらい我慢なさいな」
途端、それまで黙々と食べ進めていた立花くんが堪えきれずに噴き出した。
「笑うな仙蔵!」
「いえ…この中で最強なのは紛れもなくななしさんだと思いまして」
「大木先生、絵に描いたような座布団ですねえ」
「言わんでいい!」
七松くんは生卵入りの椀を掴むと掻っ込むようにたいらげた。美味い美味いと呟きながらの豪快な食べっぷり。作り手としては嬉しい限りだ。
あっという間に椀の中を綺麗にして勢い良くその場に置くと、満足したように両手をパンと合わせる彼。よっぽど口に合ったのか若干さっきとは違う類の涙まで見えた。
「ごちそうさまでしたっ!」
それから私の方へぐるりと向き直って、あろうことかそのデカい図体で飛び付いてくる。あやうく押し倒され掛けたけど後ろ手を付いてなんとかとどまった。
「ななしさん、ありがとうございます!」
大型犬みたいにぐりぐり頬ずりして懐いてくる。頬ずりしてる場所がチチな上に十五の男子がやることかとツッコミたくもなったけど、まあ七松くんだからここは良しとしよう。彼はこういう無邪気キャラなんだろ、たぶん。
「もういいの? 足せばおかわりあるよ?」
反射的にボサボサ頭をヨシヨシした。なんだかデカい息子が出来た気分だ。きり丸より年下みたい。
「いいんです! 私は大木先生と違いますから!」
私にしがみ付いたまま元気良く叫びながら、七松くんはちらと視線だけを雅さんによこした。チチに埋もれたまんま雅さんと目が合った途端、彼はニヤリと不敵に笑う。あれ? 何、もしやそれが狙いだったの? 全然無邪気じゃなかった、ってかどうやら確信犯だった。
当のヤキモチ妬きときたら生徒の他愛無い冗談に対して笑顔の欠片も無い。青筋浮かべたまま箸を折りそうなほど握り潰してる。や、もうコレ完全に怒ってんな。真顔コワいですよーもっと穏便にいきましょうよー。
穏やかならぬ空気が心もと無くて他のみんなへ目を向けたけれど、巻き込まれたくないと言わんばかりに一斉に視線を逸らされた。どいつもこいつも冷てぇなオイ!
「っ、オモテ出ろ小平太! 手合わせしてやる!」
雅さんは音を立てて自分の椀を置くと勇ましく立ち上がった。手合わせってアンタ…さっきと言ってること違うじゃん。
「そう来なくちゃ!」
七松くんも釣られて飛び上がる。恩師から提案された果し合いがよっぽど嬉しいのか、それはもう満面の笑み。初めからこれが狙いだったと思いっきり顔に書いてある。むしろ飛び上がる瞬間に私若干突き飛ばされた気がするんですが。痛ぇよチクショウ。
「あ!ずりぃぞ小平太!」
「俺達もお願いしますよ先生!」
さっきまで他人を決め込んでいたくせにいきなり武闘派二人が口を挟んできた。
「断る! 人数が増えたところで骨折り損なだけだ!」
「酷い!」
「くっそ、こうなりゃ俺達もななしさんに、」
「やだ!触んな!どいつもこいつも利用するだけしやがって!泣くよ!?」
心は乙女なんだぞバカヤロー!利用されるだけの女になりたくねーよバカヤロー!
「そんな!ちっくしょ、どうしたら…」
「こうなりゃアレですよ先生!教師時代の情けないアレコレをななしさんの前で言いふらしますよ!?」
「お、その手があった!」
「ななしさんに知られたくないでしょう!?」
「なっ…!お前らこのワシを脅す気か!?」
「知ってますかななしさん! 大木先生、自分が"忍たまの友"を失くしたからテスト問題作れないとか言って野村先生の作ったテストをこっそり盗んだんですよ!」
「オイやめろ!」
「部屋の書棚の半分は春画だったし!」
「やめろって!」
「あ。その事件、僕も知ってる。大木先生ってば見終えた春画と一緒に忍たまの友を間違って捨てちゃってたんだよね?確か」
「伊作まで乗っかるな!」
「あの頃は私達も子供だったから、先生の言うことなすことは全て正しいと思っていたが…この歳になると"今にして思えば"みたいなことが結構あるな」
「そうそう。他には、」
「だああ分かった!分かったから! 手合わせしたい奴は全員オモテ出ろ!」
「「よっしゃああ!」」
犬猿二人も喜んで飛び上がる。
う〜ん、ちょっと残念。私としては旦那様の弱点をもっとたくさん聞きたかったけど…まあいいや。
今度またこっそり教えてもらお。
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