来訪者


「こらっ、ラビちゃん。起こしちゃ駄目だよ」
真っ昼間から大イビキ掻いて眠りこける飼い主に興味津々。ラビちゃんはさっきからしきりに雅さんの周りをぐるぐる歩いてる。彼の眠りを妨げないように小声で注意しながら、ラビちゃんのお腹を抱えて引き寄せた。
「旦那様は疲れてんだからね」
彼が半忍半農の生活を始めてだいぶ経った。といっても今はもはや半忍に納まらないかもしれない。何せ雅さんは忍者として有能なので、あっという間に仕事の依頼が殺到してしまい、ここ最近彼は忍者の仕事で引っ張りダコだった。
自然、畑仕事をこなすのは私一人。女だけで作業するにはちょっとツラいもんがあるけど、彼が命懸けで稼いできてくれるなか私だけ楽をしたら忍びないから気力で頑張ってる。でも正直、コミュニケーションの時間が減ったことに関してはちょい寂しい。まあでも仕方ない、ワガママ言えない。もともと一人には慣れてるし傍にラビちゃんが居るからそう退屈には感じないけど、それでも以前を思えば時々センチになったりする。
今朝も忍務から帰って来るなり、彼は仕事の報酬を床に放ったあと忍び装束を脱ぎ捨てて泥のように眠り出した。あの馬鹿に明るい豪快さは何処へやら。顔を見せてくれるのは今回三日ぶりだけれど、たった三日で随分と老けたんじゃないだろうか。きっと夜通しの忍務だったんだろうな。今日はこのまま寝かせてあげようと思って、彼を起こさないように掛布団を引っ張ってきて被せた。
雅さんが普段どこでどんな忍務をこなしているのか私は知らない。"忍者は仕事の内容を身内にも話さない"とはよく言ったもんで、彼も例に洩れずそこんところのプロ精神が根っから染み付いていた。つっても訊いたところでどうせ話してくれないだろうから、私もあえて最初から訊かないんだけど。だからここ最近、彼はフラッと居なくなってフラッと戻って来る。その繰り返し。本音を言えば依頼された仕事が危険な忍務なのかどうかぐらいこっちとしては知りたい。だって気が気じゃない。けどそれを言い出したら忍者の嫁は務まらないし私の存在が彼の心労になるのも御免なので、強引に本音を圧し留めて我慢してる。
「もうお昼だねラビちゃん。これが終わったらお昼ご飯にしよ」
コレというのは雅さんの忍び装束の修繕作業。取り掛かってから早や何刻が経っただろう。
「あいでっ」
指に針を刺すのはこれで何度目か。相変わらず裁縫は慣れない。これが土井先生だったら神速で元通りに出来るんだろうなあ。痛みよりも自分の無器用さに泣けてくる。
「あと少しで終わるから、もうちょい待っててね」
私の傍らにお座りしてるラビちゃんをイイコイイコしたら、思いがけずラビちゃんの白い毛並を茶色くしてしまった。私の手が汚い為に。ありゃりゃ〜申し訳ない。
今更気付いたけど私の手ときたら真っ黒だ。それもこれも雅さんの忍び装束が土だらけのせい。洗ってから修繕すれば手は汚れないけど、先にボロボロの部分を繕わないと洗ってるうちにそこから裂けてしまう危険がある。だから仕方なしに修繕してから洗濯すると決めた。
つーかいったいどんな忍務だったんだよホント。塹壕戦で生き埋めにでもなったんか。ビビるわ。
目をショボショボさせながら作業が終わりに近付いた頃、
「手間かけて悪いなあ」
「だああ!コラ!危ないでしょーが!」
むぎゅっ、と。知らない間に起きたらしい旦那様に後ろから抱き寄せられた。あっぶねええ指を装束に縫い付けるトコだったろ馬鹿!
「一声掛ける癖を付けなさいと言ってるでしょうが! それが出来ないなら最低限、針と包丁を持ってる時だけは触るんじゃありませんよ! あなたを刺してもいいなら構いませんけど!?」
「母ちゃんかお前は」
人の話をろくに聞かない旦那様は私の剣幕を他人事のように見やってから、私の腹を抱えたまんま肩口へ擦り寄ってくる。おやまあ甘え下手なこの人にしちゃエラく珍しい。たぶん寝惚けてんだな。つかヒゲが痛えよヒゲが。
「まだ寝てて良かったのに」
「もう充分寝た」
「ウソ、起きんの早いよ。ちょっとしか寝てないじゃん」
「忍者たるもの、深寝しなくても休息には充分だ」
「雅さんてば学園に居た頃スパルタだったでしょ」
作業にならないので針と装束をその場へ置いて手を叩いた。見計らったように後ろから伸びて来た両脚がガッチリと私を抱え込む。いつもならスネ毛の一本でも引き抜いて冗談混じりに躱すところだけど、今は手が疲れてるからそんな気力も無い。
そういや雅さん、帰ってきたとき装束脱ぎ捨てて倒れ込むように寝たから褌一丁のままなんだった。ちらと後ろを見たところ腰のあたりで掛布団が団子になってるからまあ寒くは無いんだろう。この人、代謝良いし。
「今日は珍しく甘えただね。どしたの」
「うなじが見えてムラムラした」
「馬鹿か。心配して損したわ馬鹿か。馬鹿が」
「言葉間違えた。簪付けとるから嬉しくなった」
「間違え方に程があんだろ」
「使ってくれてんだな」
「うん? 最近よく使ってるよ。貰った当初はもったいなくてなかなか下ろせなかったんだけど、今はお守り気分。雅さんが居ない間、雅さんの代わり」
らしくないとは思いつつ、エヘヘーなんて破顔してしまう。こうして会話に花を咲かせるのも何気に久しぶりだからちょっと嬉しいな。
「ひあっ!?」
かぷり。唐突に耳を甘噛みされた。ウッカリ変な声出ちゃったじゃんよ恥ずかしい!
「何ナニ!? 今日ホントに変だよ!? どしたの!?」
「今度こそムラムラした」
「年中ムラムラしてんなアンタ!どんだけ盛ってんだ!思春期か!」
「お前が煽るから」
「煽ってないんですけど。とにもかくにも修繕が終わるまで待ってくんね? ラビちゃんにゴハンあげなきゃいけないし」
「お前はいつもワシよりラビちゃん優先だな」
「あったりまえじゃん。ラビちゃんを何だと思ってんの? 私の人生の伴侶ですよ? 普段はこの子と家に二人きりなんですよ?」
「次の忍務ラビちゃんに任せたろか」
「やめてやめて、次も雅さんが行って。亭主元気で留守がいい」
「おまっ、それ面と向かって言うなよ。傷付く」
こんなこと言いながら本当は心配で仕方ないんですよ。分かってんのかなこの男は。分かってないだろな。
うだうだ会話しながらいっこうに離れてくれない彼の腕をペシペシと叩く。が、逆らうように力をこめて更に私を抱き潰してくる天邪鬼。
「朝勃ち処理手伝ってくれてもいいだろ!」
「アンタそれが本音か! そもそも今もう朝じゃねえし!」
「口で…いや、この際チチ貸してくれりゃそれでいいんだ」
「煽ろーが煽るまいが関係無くガチガチかい」
「いっそ手だけでもいい」
「もっと気の利いた誘い方できないの? そんなだからイケメンの癖してモテねんだよ」
「ワシに雄三みたいなキザったい台詞吐けってえのか。無茶ぶりするな。口が腐る」
「へえ。野村先生、口説き文句お洒落なんだ? さっすが〜素敵な男性だこと」
「阿呆! あんな歯が浮くような台詞並べ立てられたら耳まで腐るぞ阿呆! あれはカッコつけてるだけのムッツリだ阿呆!」
「何ムキになってんの」
「土井先生は許せてもアイツだけは許さん!」
「アンタ私の父さんか」
「もう脚でいいわ脚で」
「あ、こら、勝手に人の着物捲んな。余裕無いなあ。何?エロい夢でも見たの?」
「起きたら本物の方がエロかったから、触らずにゃいられんだろ。あわよくば実践したくもなるだろ」
「いいよいいよ納豆プレイでしょ?納豆プレイなんでしょ?納豆買ってくるから待っててよ」
「オイなんで納豆が出てきた!? 萎えるからやめろ!」
「萎えろ」
その時、家の戸を誰かがコンコンと叩いた。外に誰か居るらしい。普段は開け放っている戸だけど、雅さんの睡眠の妨げにならないよう今日は閉め切りにしてたんだ。
「誰か来たよ雅さん。私出るから今のうちに服着なよ」
「くっそ萎えた」
「聞けとかもう言わない。アンタそういう人ですよね」
会話のキャッチボール出来てないものの半分は聞いてるんだろう、身体を離してくれる彼。しぶしぶ普段着へ手を伸ばす雅さんを見届けてから、立ち上がって玄関へ向かった。せっかちな訪問者なのかさっきより少し強めに戸が叩かれる。今出るから待っててよ。
「はーい。どちらさま?」
戸を横に滑らせて顔を出せば、ずいぶんと御無沙汰の快活な笑顔が私を出迎えた。
「すげえぇ! 噂は本当だった! 本当にななしさんが住んでたああ!」
そこに居たのはニッコニコの七松くん。その隣には忘れもしない美男子こと立花くんが居た。目が合ったら微笑んだまま軽く頭を下げられる。
「ななしさん、お久しぶりです!」
「久しぶりだね! 今日はどうしたの?」
「私達、大木先生に用があって来たんです!」
「大木先生は今いらっしゃいませんか?」
「大木先生? いるよ? 呼んでこようか?」
「いえ、お邪魔します!」
「えっ」
七松くんが一歩踏み出し、私を押し退けて強引に家の中へ入ってこようとする。けど、
 バ ン ッ
「痛ッ!?」
私と七松くんの間に突然家の戸が割り入ってきた。七松くんはモロに戸へぶつかったらしく外で悲鳴を上げている。視線を上げると私の頭上で、戸をスライドさせたらしい腕が後ろから伸びていた。考えるまでも無い、家主の腕である。振り返れば、服を着終えた雅さんが戸を抑えたまま溜め息を吐いてた。
なんで閉め出すの?と訊こうとしてやめた。だって顔に全部書いてあったから。『面倒臭い奴らが来た』と言わんばかりに。
「痛いじゃないですか大木先生!」
無理やりにこじ開けようと七松くんが外からガタガタ戸を揺らす。雅さんも負けじと中から戸を押さえつけた。
「なんで閉め出すんですか!? 入れてくださいよ!」
「すまんなあ! 今ウチの戸壊れてて開かんのだ! ここは諦めて帰れ!」
「今開いてたじゃないですかあ!」
「目の錯覚だ!」
「蹴破れ小平太。壊れてるなら破ったところでお咎め無いだろう」
「あ、そうか!その手があったか!よーし、」
「ああああ待て待て!急に直った!直ったから!」
この先生にしてこの生徒あり。お互い無茶苦茶だ。大声大会かと錯覚するほどにどっちも元気良いし。
破壊するぞと脅され、なくなく戸から手を放す雅さん。一拍の間があったのち、外から勢いよくスパーンと戸が開け放たれた。
「お邪魔しまああす!」
上機嫌でずんずん家の中へ踏み入ってくる七松くん。…は、良しとして。
もう、忍術を超えて幻術なんじゃないかと。
再度開け放たれた戸の向こうには何故かさっきより生徒が増えていた。そこには立花くんの他、中在家くん、潮江くん、食満くん、善法寺くんの姿まで。私の知る六年生が勢揃いしてた。
「お久し振りですななしさん」
「急に訪ねてすみません」
「(モソモソ)」
「僕達もお邪魔させて貰いますね」
七松くんに続いてじょろじょろと上がり込んでくる彼ら。呆気に取られて言葉を失う。いや、べつにいいんだけどさ。急展開過ぎてオバサンちょっと思考が追い付かないよ。歳だね。
隣で小さく舌打ちしている世帯主にこっちが溜め息つきたくなった。アンタいったい教え子を何だと思ってんだ。そしてどういう教育をしてきたんだ。なんだか訊くのもコワいわ。
順に腰を下ろす彼らを眺めながら、ああ今日はもう装束の修繕出来ないなあ、なんて頭の隅で考えた。


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