本の返却、早いめに
「久しぶりに着たらなんだか帯がキツイような気ぃする…」
「やだよこのヒト!そのスタイルで太ったとか言い出す気?イヤミ?言わせねえよ?」
忍び装束に着替えて外へ向かう雅さんを見送る。
今夜は彼の初出勤。忍者仲間に顔が広いのか、それとも現役だった頃の功績か、フリー忍者としての仕事を募集したら雅さんはものの数日で仕事を見付けてきた。私に「大した忍務じゃないから一日で戻る」とだけ零していそいそと忍者服を引っ張り出していたのがつい昼間のこと。うちの世帯主ときたらいつも急なんだから全く。
「やっぱ忍び装束だと印象変わるねー」
「そうか?」
「仕事着ってカンジしてカッコイイ。雅さんて忍者だったんだー」
「今まで何だと思ってたんだ」
「農夫のオッサン」
「一言余分だコラ」
いてっ。デコピンされた。ひどいひどい家庭内暴力反対!
「んじゃ行ってくる」
「ん。気を付けてね」
「おう」
腕の中に居るラビちゃんの手を取ってバイバイすれば、彼は一瞬だけ苦笑してからあっという間に外の闇へ消えて行った。すげえなあ、今夜は新月で真っ暗だってのに。雅さんときたら人一倍は夜目利くんだろうな。さすがは元忍術学園教師。
「久しぶりに一人ンなっちゃったね」
ナデナデしつつ腕の中のラビちゃんに呟いたら「早よ解放してくれ」と言わんばかりの忌々しい表情を向けられた。クッソー、変なとこばっかり飼い主に似やがって! かぁわいくねエェエ。オバサン寂しがり屋なんだから相手してくれたっていいだろ減るもんじゃなし。
仕方無くラビちゃんを放ってから家の戸を閉めて灯りを消した。寒さから逃れるように布団へ潜り込む。本当、一人で寝るのは随分と久し振りだ。思い返せばここんトコずっと雅さんが傍に居たもんな。
「・・・えっ」
そんなことにすら今まで気付かなかった自分にかえって驚いた。独り身大好きな私が一人になる時間も忘れるぐらい、雅さんが傍に居て当たり前になってたなんて。
うわ、待てよ。これってちょっと凄いことだ。これまで同居し続けてて雅さんの存在を煩わしいと感じた瞬間が一度も無いってことだもん。それどころかむしろ今落ち着いてる。生まれも育ちも赤の他人なはずなのに。まあ今は新婚気分に近いからそう思えるだけなのかもしんないけど。
一緒に居て楽な存在だってことは、何気に夫婦相性がいいのかもしれない。
「…なんちゃって」
ストレスに感じてないのは私の方だけだったりして。雅さんからしたら多少窮屈に感じるかもなあ。一人気楽な男所帯の生活をしてたところに、私みたいな小ウルサいのが転がり込んじゃったわけだし。
…なんて、ウトウト考えながら夢の世界へ舟を漕ぎ始めた頃、唐突にラビちゃんが布団へ潜り込んできた。今夜は冷えるから寒さに耐えかねたんだろう。私の身体で何とか暖を取ろうと、腹帯をつついたり脇の下に挟まったりして布団の中でしばらくモゾモゾ暴れ回った挙句、最終的に乳の間へ挟まるに落ち着いた。お前は本当に現金なやっちゃな。ついさっきまで私のこと鬱陶しく思ってたくせに。
「最初から素直に抱っこされてりゃ良かったでしょ〜…」
寝言半分に文句を垂れながら、ラビちゃんの温かさにあっさり寝落ち。
雅さん、無事に帰ってくるといいけど…。
翌日の午後。
農作業の休憩にラビちゃんと戯れつつお茶を飲んでた時だった。
「大木先生ッ! 御在宅ですか!?」
家の外から突然飛び込んできた怒鳴り声。驚いてラビちゃんにお茶噴き掛けちまった。あああごめんよ!今のは熱いねビックリしたねごめんよおぉ!
「いらっしゃるなら出てきてください!」
な、何ごと? つか、どちら様? 多少ビビりながらおそるおそる家の戸を開ける。
「はい…?」
隙間から顔だけ覗かせればそこに見知らぬ男の子が立っていた。最初は怒った様子だったけど私の顔を見るなりキョトンと目を丸くする。
「あ、あれ…?」
何度も瞬きしたあと目を擦り始める彼。誰だろこのコ? "大木先生"って呼んでたからきっと学園の生徒だろうな。
「大木先生なら今、留守だよ?」
「え? あ、えっと…」
「何かご用?」
「…あ! さては女性に変装して僕を騙そうってんですね!? そうはいきませんよ!」
え゛。何故そうなる。
「いやいや私まだオッサンじゃねーし。かろうじて」
「なんでもいいから本を返して下さい! 返却期限はとっくに過ぎてますよ!」
「本?」
「とぼけないでください! 学園の図書室から借りた農害虫の本です!」
何だそら。雅さんてば本を借りたまま返し忘れたってのか。そりゃ確かに雅さんが悪いなあ、この子が怒っても仕方のない話。まァあの人らしいっちゃらしいけど。
「ごめん。私、本のありかなんて知らない。あの人が帰ったら聞いておくよ」
「新手の撃退法ですか!? その手には乗りませんよ! なんとしても今日返して下さい!」
彼はそう言った瞬間、半分しか開いてなかった戸を両手で乱暴に開け放った。私といえば実は戸を掴んだまま体重掛けてたもんだから、お陰様でモロに重心崩してしまい前のめりにズッコケてしまう。
「だあっ!?」
結果、派手に転んで彼を腹の下敷きにしてしまった。
「ぎゃっ!」
「あたた!ごめん!」
両手を付いて慌てて彼を見下ろす。いやこれは申し訳ない! 乳の下ならまだしも腹の下っておま…! 色気皆無なこの展開がまさしくななしクオリティですよね生まれてきてごめんなさい!
「ッ!痛いじゃないですか!」
鼻を赤くしながら、覆い被さってる私を押し退けようと怒りまかせに両手を突き出してくる彼。が、
ぶ に っ
「え」
「ん?」
触りどころをやらかしたらしい。はずみで思くそチチを掴まれた。まあ悪気無いだろうからべつにかまやしないけど。
気にしたのは私より彼の方で、次には真っ赤な顔して硬直してしまった。え、え、何? どうしちゃった?
「お、大木先生が…本物の女の人になっ…」
震える声でそんなこと言い出すからこっちもつい噴き出してしまう。偽パイだと思ってたら予期せず本物でビビっちゃったんか。可愛い反応すんなあ、このコ!
「あっはっは! だから私、大木先生じゃないって!」
「え? いや、えっ? え?」
「いいよいいよ好きなだけ触っとけ! 旦那様がいないウチじゃなきゃ触れないかんね!」
身を起こして彼の頭を抱えれば、顔を更に茹蛸にして目を回し掛けてる。うははは超楽しい。今ちょうど退屈してたし。オバサンは若い子からかうの好きなんだぜ!
「だ、旦那様って…! 大木先生の奥方なんですか!? 大木先生、ご結婚されたんですか!? いつの間に!!?」
「んー…妻っても内縁だけどねー」
「ないえん? ないえんって何ですか?」
この子、私と土井先生の関係なんて知らないんだろうな。そりゃそうか。私と会ったこと無い生徒にとっては、教師間の恋愛私情なんて遠い世界の話だからな。たとえそこに噂話が落っこちてても興味が無ければ拾わないか。
「君は?」
「ぼ、僕は、二年い組の能勢久作、図書委員です」
「二年!?」
慌てて彼を解放する。二年ったらまだ子供じゃないか。しっかりしてそうな子だから三郎の一つ下ぐらいに思ってた。子供相手には今の冗談、ちょっと質が悪かったかも。多少の罪悪感。や、知らなかったんだよこりゃ失礼。
「あ、あなたは…?」
「あっ、ごめんね。なぞのななし」
「なぞのさん? 大木さんじゃなくて??」
「ななしでいいよ」
「大木先生は今日どちらに…」
「忍務に出てる」
「忍務!?」
「うん。私のせいで食い扶ち増えちゃったから今は半忍半農の生活してくれてんの」
「ぇぇぇ…全然知りませんでした…」
「だろうねえ。大木先生、今日が忍者としての初仕事だから」
頭を抱えて険しい顔になる能勢くん。あまりの急展開に思考がパンパンなんだろな。
「能勢くんは大木先生に本を返してもらいに来たんだよね?」
「っ、そうです!」
「大木先生ってばそんなに延滞しちゃってんの?」
「してます! そのうち返しに来るかと信じて待っていたんですが…もう期限から二週間は経ちました!」
「二週間…」
「大木先生、いっつも本の返却期限を破るんです! これはもう確実に返しに来ないなと思ったから来ました! 奥さんからも何とか言ってやってください!」
そりゃヒドイ、と共感しつつも気分は複雑。雅さん的には今学園へ訪れるのが気まずかったんじゃないだろうか。正確には土井先生と鉢合わせしたくなかったのかもしれない。
うーん…一概に雅さんが悪いとは言い切れないな。少なからず私のせいでもある。
「悪いんだけどさ能勢くん、私本当に本のありかを知らないから今日のところは許してくれない?」
「まあ、仕方ないですね…」
「でね、もいっこお願いがあるんだけど」
「何です?」
じゃあ雅さんの代わりに私が学園へ本を返しに行くのかって言われたら、それは輪を掛けて無理な話なわけで。
「御足労申し訳ないんだけど、数日したらまた取りに来てくれない?」
「は!?」
「能勢くんじゃなくてもいいんだ。えーと…」
土井先生…は火薬委員会の顧問だったよね確か。
「図書委員会の人なら誰でもいいからさ」
「そんなわざわざ…それぐらいは、」
「お願い! そんかわりその時こそ絶対に本を返却するって誓うから! ね!? お願い!」
両手擦り合わせて拝み倒す。お願いしますお願いします神様仏様能勢様!
「…絶対ですよ?」
「うん!!」
「分かりました。じゃあ今日のところは引き下がります」
不満げな表情で渋々きびすを返す能勢くん。ちょっとカタブツだけど優しい子だなこの子。
「あ、待って能勢くん」
「なんです?」
「せっかくだから上がってかない? もし暇ならお茶の一杯でも飲んできなよ」
「え? でも、」
「畑仕事疲れたから休憩してたんだけど、一人で暇だったんだ。良かったら話し相手してくれない?」
一人きりだった昼下がり、かくして話のお供が出来ました。
「そういやあの本、どこやったっけ…」
仕事から帰って来た亭主に一通り事情を話せば開口一番、そんなことを呟かれた。オォォイまじで勘弁しろよ私約束しちゃったぞ? 絶対に返すって約束しちゃったんだぞ?
「ちょっとーしっかりしてよー。学園の備品失くすとかアンタそれでよく教師してられたな」
「いつも備品失くすたんびに生徒が貸してくれたからな!」
「ガキ大将じゃねえか」
なんて冗談はさておき本当にどうしよう。能勢くんに取りに来てと言っちゃった手前、本が見付からなきゃガチで困る。これはもう家じゅう大捜索するしかない。ああくそ余分な仕事増やしてくれちゃってもう!今度町へ行ったら餡蜜おごらせてやる!
「あ、待て。ひょっとしたら、」
不意に雅さんが閃いた顔をした。何? 心当たりあんの? どんなか細い記憶でもいい、今は藁にも縋りたい。
「ラビちゃん!」
び く り 。それまで蚊帳の外だったラビちゃんが名前を呼ばれて飛び上がる。雅さんが口を開き掛けた瞬間、
「あ、コラ!」
彼が何も言わないうちに外へ向かって脱兎した。え?どういうこと?
「なになに?」
「ラビちゃん、ありゃ本を隠したな」
「え!?」
「アイツ収集癖があってなあ。気に入ったもんは自分の宝箱へ持ってくんだ」
「宝箱?」
「だいたい庭に穴掘って突っ込んどる」
「うっそ。んンな猫じゃあるまいし」
「だがあの慌てようはどう考えても犯人だろ」
「え、待ってよ。それって学園の本が庭に埋められてるってこと?」
「・・・」
「・・・」
二人同時に青ざめてから慌てふためきつつ庭じゅうを捜索した。思い違いであってくれと心の底で願ったものの、願い叶わず。雅さんの読みはドンピシャリで庭の穴から土まみれの本が現れた。
「…やっちまった」
「どうしようね、コレ…」
ボロボロの本を前に二人揃って途方に暮れる。
図書委員長の中在家くん、これを見て果たして許してくれるだろうか。なくした方が良かったかもしれない。
- 68 -
prev | next
back