ライバル
うどん屋で腹ごしらえしたのちの午後。アテも無く二人で町をぷらぷらする。
「あ。ねえ、豆腐が安いよ雅さん。あれ買ってかない?」
「買うも何も今豆腐桶持ってないだろ」
「貸してくれるって書いてあるよ?」
「構わんが帰りにしてくれ。豆腐桶持って町を歩くの面倒臭い」
「はーい。んじゃ帰りまで覚えててね」
「お前は覚えとく気無いんかい」
「なるべく覚えとこうとは思うけどたぶん忘れる! 他に安いものがあったら目移りするもん」
「少しは色気のあるモン買おうと思わんのか」
「え〜? だって私が色気づいてもただのおやま人形なんでしょ?」
「…根に持つな」
「持つよ! 何気にケッコー傷付いたんだからな! 終いにゃ色町へ繰り出されちゃうしさあ!」
「あ!あんなところに小間物屋が!」
「何ちょっと動揺してんだオッサン」
まあその節は私に非があったからこれぐらいにしよう。あんまりいじめても可哀想なので会話に乗ってあげるべく彼が指差した方を見た。本当だ、目新しい小間物屋がある。町に住んでた時には気付かなかったな、あんな店。あれも新しく出来たのかな。
「せっかくだから覗いてこっか」
「ん」
二人並んで店の前まで歩くと、店先に展示されてる紅やら櫛やらの色という色が目に飛び込んできた。あれまあ綺麗な品々だこと。
「いらっしゃい」
店の脇に立っていた人の善さそうな女将さんが笑って挨拶してくれる。反射的にこっちも軽く頭を下げた。
「今日はご夫婦でお出かけですか?」
「え、ええ、まあ…」
「旦那様から奥様へ贈り物ですか?」
ニコニコしながら訊ねられて言葉に詰まってしまう。やっぱり周囲から夫婦に見えてた事実は今更良いとして、単に見るだけのつもりが店員に見事捕まっちゃったこの現状。ううむ、どうするべき?
「奥様へ贈り物ですか?」
そのまんまのニュアンスで私から旦那様に訊ねてみた。こんな時ばっかり無茶ぶりしやがって!と顔に書いて見せる近ごろ尻に敷かれ気味の旦那様。ちょっぴり間があってから小声が返ってくる。
「…どれが欲しいんだ」
思いのほかあっさり折れたよ。女将さんてば「お買い上げありがとうございます」みたいな超笑顔。うひゃー根っからのアキンドですねーコワイわー。
「あ、じゃあ雅さん簪買って」
「ああ。好きなの選べ」
「私はなんでもいいよ。雅さん選んで」
「あ? んンなコト言ったってワシゃ女モンなんてさっぱりだぞ」
「いいのいいの、雅さんが選んでくれりゃどれでも記念だから。自分で選ぶんなら簪なんてリクエストしないよ」
んん、なんて険しい顔で唸ってから掌を簪の列の上で往復させる彼。…自分を乙女だなって思う瞬間なんだけど、悩んでくれるだけで嬉しいよね。こういうの。
ふと彼の手が一つの簪を掴み上げる。青紫色の五弁花が付いた簪。あ、それいいね!淡くて可愛い!
「!?」
心躍らせた次の瞬間。彼は途端に目付きを変えて殺気を放つと、それを元の場所へ戻して私に饅頭を投げた。
「はっ!?」
何がなんだか分からないまま饅頭をキャッチ。雅さんは勢いよく振り返ってその両手を横に振るう。目にも留まらぬ神速だ。
「え? え?」
ピタリと止まる彼の手を見ればそこに、両の人差し指と中指に挟まれてる、
「…団子の串?」
なっ、何!? 何ごと!? 団子の串なんてどこから飛んできたの!? ってか雅さんスゲェ!車返しするのが手裏剣じゃなくて団子の串とか絵ヅラ的にちょっとアレだけどスゲェ!
「大木雅之助ェ!」
いきなり飛んできた怒号は雅さんの視線の先に居た人物から。目を凝らせばそこに、眼鏡の似合うダンディなオジサマが居た。
「何でお前がここに居る!」
え?ええ?何?このヒト何?雅さんとどういうご関係?何の因果?町でいきなり背後から団子の串とかアリなん??
「それはこっちの台詞じゃあ!」
団子の串を打ち返しながら雅さんが同じぐらいの怒号を張り上げる。え、ちょっ、もう何が何だか。
「野村雄三ォ!お前こそ何でここにおる!」
ひらりと串を躱すオジサマに向かってずんずん歩き出す雅さん。は?ねえ私は?どうしたらいいのコレ。帰っていいかコレ。存在が空気なんですけど。
「授業もせずに町で遊び歩くたぁイイ御身分だな!」
「馬鹿者!こちとら出張帰りだ!」
「出張帰りで団子屋か!ただの言い訳だろ!」
「お前こそこんなところで何してる!年中遊べてイイ御身分だろうが!」
「阿呆!畑の忙しさ知らんでよく言える!」
ぎゃあぎゃあと大の男二人が路上で胸倉掴み合って大声大会。私、何故か取り残されたぞ。はてさてどうしよう。視線を逸らして横を見れば女将さんと目が合って苦笑された。いやそうですよね、店先でこんなん困りますよね営業妨害ですよね。いい大人が揃いも揃ってすいません。
「あの、雅さ…」
「お前、現に遊んでただろ!」
「ちょっと、」
「ワシがどこで何してようとお前に関係無い!」
駄目だこれ全然聞いちゃいねえ。二人ともいい加減にしてくれよ。本気で帰るぞ。いま無性にラビちゃんが恋しい。
「おや? ななしさん?」
不意に隣から掛けられた声に顔を向ける。と、そこに見知らぬおばあちゃんが居た。え、なんでこのおばあちゃん私の名前知ってるんだ。どっかで会ったっけ。毛頭記憶に無い。
「ええと…。すみません、何処かでお会いしたでしょうか…?」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと待っててね」
のそのそ歩きで小間物屋の裏に姿を消すおばあちゃん。少しの間があって、お久し振りの美人がそこから姿を現した。
「あ!シナ先生!」
「お久し振り」
凄い!今のおばあちゃんて山本シナ先生の変装だったんだ!本当に実年齢分かんないわ!まさしくプロのくノ一!
「今日はどうされたんですか?」
「授業で必要な物をまたチョコチョコと買い出しにね」
「そうなんですか。前に小松田屋へいらした時も確か授業の買い出しでしたよね。シナ先生、貴重なお休みをいつも仕事で潰されて大変ですねえ」
「いいえ、これがそうでもないの。プライベートで町に出掛けるとなるとくのたまの生徒がいつもついて来ちゃうから、授業の買い出しという名目で出た方が意外に羽を伸ばせるのよ」
生徒が付いてきちゃうって…学園にはシナ先生のファンが大勢いるってことか。シナ先生、本当に大変だなあ。かくいう私も自分が生徒だったら絶対ファンになってるけど。
「ななしさんは?今日はお買いもの?」
「いえ、デートでした。…さっきまでは」
「さっきまでは?」
正直なんて説明したらいいか私もよく分かんなかったので、いまだにモメてる問題児二人へチラリと視線を送った。私の視線を追ってその場へ目を向けるシナ先生。聞くより見る方が早い。
「やるか!」
「やらいでか!」
ぎゃんぎゃん吠える男二人を一瞥するなり、ああそういうこと、なんて呟いてシナ先生は全てを把握した。シナ先生はあの伊達者なオジサマについて何か知ってるんだろうか。
「シナ先生、あの方がどなたかご存知なんですか?」
「ご存知も何も同僚よ。二年い組実技担当の野村雄三先生。大木先生とは永遠のライバルで犬猿の仲だわ」
「ライバル!?」
知らなかった! 雅さんにライバルなんて存在したのか! 初耳だ!!
「ていうか寄るな!ラッキョ臭い!」
「んだとォ!!?」
取り付く島無し。女との色恋より男との喧嘩に夢中でこっちへ見向きもしない旦那様。まいったな。
「私これ帰ってもいいですよねえ」
途方に暮れてぼやいてみたら、シナ先生がにっこり笑って私の手をとった。え?なんだ? ちょっとドキッとしちゃったよ! 言っとくけど私シナ先生に口説かれたら真っ先にオチるからな!ガチだからな!
「せっかくだから、今から私とデートしましょ」
「…はい!」
そらみろ2秒でオチた! …って、え?
「え? いいんですか? シナ先生、これから買い出しがあったんじゃ…」
「ええ。だからこの店に用があったの。注文してしまえばあとは暇だから」
「この店に?」
「そう、作法の授業で使う手拭いを買いにね。女将さん、すみませんがこちらの手拭いは何枚ありますか?」
展示してある女性用の手拭いを指差してシナ先生は女将さんに訊ねた。それまで喧嘩の成り行きを見守っていた女将さん。シナ先生から急に話を振られて、すぐ確認してきます、と慌てて店の奥へ引っ込んでいった。
男二人の喧騒をBGMに女将さんが戻って来るのを待つ。手持無沙汰で、何となくさっきの簪を手に取った。青紫の五弁花が付いた淡い印象の簪。よく見ると中心にもう一回り小さい五弁花が付いてる。これ可愛いのにな。あと一歩で買ってもらえそうだったのに…残念。
「あら? ななしさん、簪を買うの?」
「え!? あ、いえっ!」
予期せずシナ先生に訊ねられて焦りながらそれを元の場所へ戻す。本当は欲しい。せっかく雅さんが選んでくれた物だから。欲しい、けど、自分で買ってしまったら何かに負けた気がする。我ながら大人げない。
「なんだったらホレ、あそこの店にネギが売ってるぞ! 買ってきたろか!」
「その台詞、まんま返してやる! そうしたが最後、あの店の玉子を投げ付けてやるからな!」
今日はもう絶対買ってもらえない空気だ。仕方ない、今日のところは諦めよう。また次の機会に買ってもらえばいいや。町に来るのは今日が最後なわけじゃないんだし。うん、早々に気持ち切り替えよう! じゃなきゃやってらんねえ!
「恋人を放って喧嘩に夢中なんて不届き千万よねえ」
私の考えを見透かしたようにシナ先生がボソッと溢す。今更だけど雅さんと私を恋人同士と認識してるあたり、喜三太達は学園へ帰ってからみんなにちゃんと報告してくれたんだな。
「あとで仕置きしなきゃね」
仕置き…? エ、仕置きって何!?
「や、いいですよ。大して気にしてませんから。おかげで私シナ先生とデートできるし」
「甘やかしたら駄目よななしさん。最初のうちにきちんとしつけておかないと、きっと今後つけあがるわ」
「ブッ」
シナ先生の言い草につい噴き出して笑っちった。シナ先生の中での雅さんて何? 犬? かなりウケる。
「でも本当にいいんですよ。なんか…楽しそうだから」
厭味で言ってるわけじゃない。本当に、ぎゃんぎゃん言い合ってはいるものの何処となく楽しそうに見えた。二人ともさっきから何だか楽しそうに喧嘩してる。彼らなりのコミュニケーションなのかな。女には分かり得ない男同士の友情だろう。だって雅さんのあんな顔、初めて見た。思いっきり童心に帰ってる。ここんとこメンヘラな私に付き合ってずっと神経すり減らしてたんだ、彼にだってたまの息抜きがあっていいはず。ここは放っといてあげよう。
「あら。なんだ、もうちゃんとしつけてあるのね」
私の顔色を窺いながらシナ先生がころころと笑う。そんな風に聞こえました?なんてとりあえず笑い返したけど、この先生には言葉にしなくても私の表情だけでいろんなことバレちゃってるに違いない。
女将さんが戻ってきて在庫が無いことをシナ先生に伝えると、シナ先生は「それほど急ぎじゃないから」と言って改めて手拭いを注文した。来週また取りに来ますと彼女が女将さんへ告げてから二人で男どもを一瞥し、じゃあ行こうと声を揃えてその場を後にした。
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