これから
「ところで何処へ行くんだ」
本日初めて掛けられた言葉に、半歩後ろの彼を振り返った。
そういえば今日は「おはよう」の挨拶を交わしたきりろくな会話をしてなかった気がする。朝起きて厠に行って洗顔して歯を磨いて髪を梳かして着替えて彼の髭を剃って朝ご飯を食べて、ラビちゃんにもご飯をあげて。この間私はぼんやり考え事をしてて言葉を発した記憶が無い。何も言わずに彼の袖を一度引っ張って玄関から出れば、彼の方も何も言わずにあとからついて来てくれた。
何も聞かずここまでついて来てくれた雅さんだけど、町へ入ってもいまだ語らない私にいくらなんでも痺れを切らしたようだ。まあそりゃそうか、全く説明無しってのも酷な話。
「んーっとね、まずは饅頭屋」
隠すつもりも騙すつもりもなかった。単に頭ん中がこれからのコトでいっぱいで説明すんの忘れてた。てかぶっちゃけ雅さんと会話すんの忘れてたんだよごめん。
「饅頭屋?」
「うん。そこで贈物用に何個か包んでもらう」
付き合う前から"都合の良い男"扱いしてたけど、いざ付き合ってみても"都合の良い男"になっちゃってるよなあコレ。私ってば雅さんみたいなイイ男つかまえてなんて罰当たりなことしてんだろ。いつか地獄見るなこりゃ。
「誰かにやるのか」
「隣のおばちゃんと大家さん」
近頃身に沁みて思うけど雅さんの存在は恋人っていうより精神安定剤みたいだ。居てくれればそれでいい、それ以上何も望まない。でも居てくれなきゃ不安になる。そんな感じ。
「私、雅さんいないと生きられないねえ」
「は?」
「いないとしぬ。すぐしぬ」
「急に何だ気色の悪い。熱でもあんのか」
「あ。ねえ、あの饅頭屋でいいかな。いいと思う?」
「知らん!ヒトの話を聞、」
「いいよね。ついでに自分のも買ってっていい?途中まででいいから雅さん持ってくれる?」
「…お前ワシに似てきたな」
「え?そう?良かったじゃん、似た者夫婦〜」
何だかよく分かんないけど適当に相槌を打ったらすげえ面倒臭そうな顔された。何ソレ、嫁が自分に似てきてんだったら喜べや!腹立つなその顔!
そんなこんなで贈物用の饅頭を購入。抱えながら隣のおばちゃんの処へ。
家の戸の前までやって来たものの妙に緊張して立ち尽くしてしまった。前は平気でこの戸を叩いてたんだけどな、何せ久し振りだからな。不躾な女が再来したと思われたらどうしよう。
少し後ろをついて来てたはずの雅さんは今居ない。挨拶へ行くのにワシは居た方がいいか、って訊かれたから、どっちでもいいよ、って答えたら気を遣ってくれたのか姿を消してしまった。こんなことなら一緒に居てってお願いするんだった。ああほら、やっぱりすぐしぬ!
ウジャウジャと考えてたら目の前の戸がガタッと揺れた。次の瞬間、戸が開いて、
「あっ」
「え?」
隣のおばちゃんが現れた。ちょっとお洒落な服を着てるから出掛けるところだったのかも。おわあああこんな展開考えてねーよ!向こうから現れるとかどんだけ間が悪いの!戸の前に突っ立ってたとか私ただの変質者じゃん!ストーカーじゃん!気持ち悪がられて終わりだわこんなん!
「お…お久しぶりです…」
頑張って絞り出した割には歯切れの悪い挨拶。ぎゃああもう印象最悪だコレ!いっそ饅頭だけ置いて逃亡しようか。
「…ななしちゃん?」
おばちゃんは目をぱちくりさせてからしばらく何かを考え込んで見せた。かと思えば掌で両目をゴシゴシ擦って、再び私をジッと眺めてくる。
「あの、」
言葉を投げ掛けた途端、エライ勢いで両肩を掴まれた。
「ななしちゃん!」
「へ!? はい!?」
「今まで何処に居たの!? 心配したよ!」
ワッと息を吐いて顔を綻ばせるおばちゃん。私が想像してた反応とだいぶ違った。温かい出迎えに思わず泣きたくなる。
「ごめんなさい。おばちゃんに何の挨拶もなく飛び出して、」
「いいのいいの!大家さんからある程度聞いてたわ!どうせまた半助が大人げないこと言ったんでしょ!?」
さあ中へ上がってと言わんばかりに玄関から身体を逸らすおばちゃんに、饅頭の前でやんわり手を振った。
「すみません。今日はご挨拶だけで…」
「どうして? 仲直りに戻って来たんでしょ?」
「いえ。私、もうここへは戻らないので…粗末ですけどおばちゃんにこれを差し上げようと思って来たんです」
ついっ、と饅頭の包みを差し出せば何が何だか分からない表情でおばちゃんはそれを受け取る。
「戻らない? ななしちゃん、本当に半助の処を出て行くの?」
「そう、ですね…。私、半助さんとはもう、」
「嘘でしょ? ただの痴話喧嘩じゃなかったの?」
むう、なるほど。当人同士のやり取りと周囲からの見解がそもそも食い違ってたみたいだ。私達にとっては別れ話からの離縁だったのに、周囲から見たら痴話喧嘩の家出ぐらいにしか思われてなかったんだろう。
「二人ともあんなに仲良かったじゃないの」
「…でも、」
「考え直さない? あの甲斐性無しにあれだけ尽くしてくれる人なんて、もうななしちゃんぐらいしかいないんだよ」
「・・・」
土井先生は幸せ者だ。普段どれだけ悪態をつかれてたって、隣のおばちゃんも大家さんも結局土井先生の行く末を案じてるんだ。親心に近いのかな。
「ごめんなさい。私はもう戻れないんです」
土井先生にフラれた時、私が真っ先に覚えたのは一人になる恐怖だった。だけど土井先生は違う。隣のおばちゃんがいて大家さんがいてきり丸がいて学園のみんながいる。私とは違う境遇で違うものを見ていたんだ。
きっと、最初から。
「ななしちゃん」
「お世話になりました」
私の存在が煩わしいと…居ても居なくても変わりないと彼が感じるのは、仕方のないことだった。
「私、今は訳あって杭瀬村で暮らしてるんです。新しい日常、とても楽しいですよ」
おばちゃんは何か言いたげに口を開きかけたけど、それ以上何も問い詰めてこなかった。人生の先輩だけあって私が本心で告げてるとすぐ察してくれたようだ。
「じゃあ杭瀬村でも達者でね。どうせ半助はろくに家に居ないから、私と遊びたくなったらいつでも気兼ねなくおいで」
「ありがとうございます」
「ところでななしちゃんは今日これからどうするの? 私は今から髪結処の斉藤さんところへ行こうとしてたんだけど、」
「あ、出掛けにすみませんでした!」
「いやいやいいの。良ければそのあと一緒にお茶でもどうかと思って」
「いえ、私はまだ行くところがあるので…せっかくお誘い頂いたのにすみません。あっ、大家さんのところにもご挨拶してきます」
「大家さん? 大家さんならここ五日ぐらい旅行に出かけてていないよ」
「え!?」
うそん!五日も待ってたら饅頭ダメになっちゃうよ!いや饅頭はべつにまた買やいいけど、農作業の合間でそう何度も町へ来れない。困ったな。
「あ、ひょっとしてそれ大家さんの分?」
「ええ、そうなんです。じゃあコレもおばちゃんが貰ってください」
「え?そんなにいいの? ななしちゃんが自分用に持って帰ったらいいのに」
「いえ、自分のはつ、」
連れが持ってます、と言い掛けて呑み込む。それを言ったらまたややこしくなるだろうからな、ええと、
「ついさっき食べてきたんです。だからもう充分かなって」
「そう? んじゃ遠慮なく頂くわ」
両手に饅頭包みを二つ抱えるおばちゃん。あーあ私ってばいっつも下調べが足りないよな。行き当たりばったり。
「大家さんもツイてないねえ。せっかくななしちゃんが饅頭持って挨拶に来てくれたのに留守なんて」
「よろしく言っておいてください」
「分かった。伝えておくよ」
おばちゃんの処を離れて少し歩いた頃、何処からともなく雅さんが目の前に降り立った。
「律儀なやっちゃな」
なんだ、姿は見えなかったけどしっかり見ててくれたんだ。ってか何処から見てたんだろ。さすがプロの忍者。
「んー…。だってさ、隣のおばちゃんや大家さんには凄くお世話になったから。挨拶も無く姿消す、ってのは土井先生と別れることとはまた別次元の話かと思って」
「ふーん。で、次は?」
「特にないよ。どこでもいい。雅さんは行きたいトコある?」
「へ?」
「へ、って何」
「いや…だってお前、その為だけに来たのか」
「うん」
「ワシはてっきり土井先生の家へ忘れ物を取りに帰るとか、そーゆーんだと…」
「忘れ物? べつに無いよそんなん。今んところ雅さんチで困ってるもの無いし、必要な物があったら取りに帰らないで新しく買うよ」
「いいのか? それで」
「土井先生も私の置き土産が邪魔だと思ったら捨ててくれんでしょ。あ、きり丸が売るかな」
「ワシがついてくる必要あったのか」
「え〜そんなこと言わないで付き合ってよ。私が雅さんとデートしたかったのー」
「・・・」
「あっはっは!いいねその顔!ガラスのオッサンてれちゃって〜!きもちわるっ」
「うるっさい!お前が柄にもないこと言うからだろうが!」
「前から思ってたんだけど雅さん、不意打ちに弱い人? ははーん弱点見たり」
「あのうどん屋がいいな」
「ちょ、せめてツッコミはくれ。寂しいから」
うどん屋を見付けたが最後、一直線にさっさと歩き出す雅さん。私もそれに付いて歩いた。
店へ入ればピカピカのテーブルとピカピカの椅子が並んでいて、そこへ向かい合わせに座る。周りを見回せば壁に貼ってあるメニューの紙がやたら白かった。新しい店なのかな。そういえば見たこと無いやココ。やった、食べるの楽しみ。
奥からやってきた店主にうどんを二つ注文して、出てくるのを待つ。正面を見れば当然だけど雅さんと目が合った。…なんていうか
「違和感」
「何が」
「よく考えたら雅さんと二人でどっか出掛けるとか、今まで無かったなーと思って」
「今更だろ。よく考えんでも今までに無いわ」
「だよねー。やあだァ初デートだよォ雅之助ェ」
「へえへえ、おだてたって揚げはやらんぞ」
「チッ、今回はテレてくんねえのか。つまんねーの」
「イタイケなオッサンをからかうのも大概にしろ」
「大木雅之助をイタイケなオッサンと称してるのアンタだけだよ」
違和感というか新鮮だな。男の人と二人で町のうどん屋に入るなんて果たして何年ぶりだろう。下手すりゃ生娘だった時以来かも。
私達、いま端から見たらどんな風に見えてんのかな。恋人同士っていうより夫婦に見えるかもしれない。まあそれもあながち間違いではないけれど。
「・・・」
不意に雅さんが神妙な面持ちへ変わる。目の前で唐突に口元を引き結ぶからさすがにふざけ過ぎたかと少し焦ってしまった。
「雅さん?」
呼び掛ければ、ぽつり、
「これからのことなんだが…」
真面目な声音で語り出す彼。
「これからのこと?」
「ああ」
「…と言いますと?」
「ワシは忍者の仕事をいくつかいれて半忍半農になろうと思う」
驚いた。そりゃもう猛烈に驚いた。突然の告白に驚いた。
「なんっ、」
なんで?と声が出掛けたけど引っ込めた。今のは雅さんなりにいろいろ考えて出してくれた結論だ。訊くまでも無い。雅さん一人なら今まで通り畑仕事だけで充分食っていける、でもそこへ私という食い扶ちが増えたから今まで通りにはいかない。そりゃあ夫婦二人とラビちゃんだけで子供が居るわけじゃないから、今のままでも切り詰めればなんとか暮らしていけなくはない。だけど必然、贅沢は出来ない。
「…そう。怪我しないでね」
「おう」
正直、諸手をあげて喜べない。旦那様を戦場へ送り出す上、一人になる時間が増えるってことだ。でも養ってもらう身の私が意見出来る立場でもない。やるからにはちゃんと笑顔で送り出してあげなきゃ。
「雅さん」
「あ?」
「ありがとう」
本当はお世話になる私の方がもっと早くに気付くべきことだった。いったいいつから先のことまで考えてくれてたんだろう。このタイミングで言ってきたってことは、彼は最初からこの問題に気付いてて、私が立ち直るまで切り出すのをずっと我慢してくれてたんだ。
雅さんは、やっぱり優しい。
「改まって言うことか」
私の方こそ照れ臭くて顔が歪む。雅さんがすかさず茶々を入れようとしたところへ、私に助け舟を出すかの如く店主がうどんを運んできたのだった。
- 62 -
prev | next
back