現実


照ちゃんからお団子を御馳走になったあとアテも無く町をプラプラして、日が暮れ始めた頃に一人で店へ戻った。荷物を調理場の隅へ放り投げて座敷席へ無気力に寝転がる。
困ったなあ。明日から新しい住み処を探さなければ。どうやって探そうか。この店を続けるとしたら町に住む方が得策だけれど、町に知り合いなんて居ないから物件探しは困難だ。このさい店を畳んで照ちゃんみたいに女中の住み込みをするしかないんだろうか。身売り出来るような歳でもないし。
まあいいや、明日考えよう。今日はもう疲れたからここで寝ることにする。ここには幸い座敷席も食べ物もあるから、一日二日程度なら何とかならなくもない。住みつくにはちょっと無理があるけど。
凍える季節じゃなくて本当に良かった。夜は冷えるだろうけど我慢すれば耐えられる程度だ。包みの風呂敷でも店の暖簾でも、布団代わりに出来そうなものは片っ端から羽織ってやれ。
横になってボロボロと脳味噌だけを動かしていた時、店の入り口からいきなり切羽詰まった声が飛び込んできた。
「ななしさん!」
少しビビりながらも上半身を起こして振り返る。そこに顔をグシャグシャに歪めたきり丸が立っていた。
「探したじゃないですか!」
怒ってるのか泣きたいのか、よく分からないような表情で私の傍まで駆け寄ってくる。たぶん当人も自分がどんな顔してるのかよく分かってないんだろう。
「どしたの、きり丸」
「どしたのじゃないですよ!」
「明日からまた授業あるんでしょ? もう学園へ向かわないと暗くなっちゃうよ」
「話を逸らさないでください!」
凄い剣幕で食って掛かるから、ああさすがにこれは揚げ足取って悪かったな、と口を噤んだ。心配してくれたのを知ってて「どうしたの?」なんて、私ときたら今相当にイヤな奴だ。
「バイトから戻って来たらななしさんが店に居ないから、先に先生の家へ帰ったのかと思って、俺も先生の家へ帰って、そしたら部屋に先生だけが居て、それで…」
ぐ、と。きり丸は先の言葉を咽喉奥に詰まらせた。たぶん彼は今その時の光景を思い返してるんだ。
はっきり言ってくれていいのに。先生、部屋で清々してましたけど、って。今更私に気を遣ったところで無駄なのにな。
「…っ、とにかく!一から全部説明してください!」
こんな時、きり丸は子供であり大人であるんだと思い知る。私を見据えてくる真っ直ぐな瞳が、邪推を知らない子供であり、また私を咎める大人のようにも見えた。居た堪れなくてつい視線を逸らしてしまう。
「捜しまわらせてごめんねきり丸。お腹空いたでしょ。なんか作ったげるよ」
「ななしさん!」
逃げるように座敷から腰を浮かそうとすれば、きり丸にグイと手首を掴まれた。そのまま十歳児とは信じられないような力強さで私を引っ張り、もと居た場所へ無理矢理に圧し留めてくる。
「俺の質問にちゃんと答えてください!」
覆い被さるに近い形で私の視線を強引に捉えてきた。ああ、駄目だこれは。逃げられない。
「ななしさん、俺にも全部話してくれるってさっき言いましたよね! 約束守ってください!」
「話すのはいいけど何も変わらないよ。どっちにしろ私、もう帰れないしさ」
「なんで! 昨日の宴会で何かあったんですか!?」
「ううん、宴会はべつに関係無い」
「だったらどうして!」
ああ、ああ、駄目だ。言葉に載せてしまったら、言霊にしてしまったら、きっと終わりを迎えてしまう。
だけど、もう、
「出てけって、先生に言われたんだ」
事実を口にするしか、事実を受け入れるしか、今の私に残された術は無いらしい。
「泣きながら、出てってください、って」
ついに、
ついに、言葉に、してしまった
次の瞬間には脳天へ何かが降ってきたような鈍痛。今更くるなんて。
これが、実感てヤツだ。
「私なんかいなければいいんだって」
目の前で瞳孔を縮めて困惑しているきり丸が、周りの景色と一緒にあっという間に歪んでいく。体内の栓がおかしくなったみたいに、一気に視界が水面下と化した。
「私がいなければ、頭を悩ますことも胃を痛めることもなくなるんだって、」
ボロボロと頬を伝う雫が熱い。雫が熱いんじゃなくて頬そのものが熱いのかもしれない。駄目だよ、駄目、泣いたら駄目。涙は周りに気を遣わせるだけの面倒な物だから、人前で泣くのはいけないって普段あれだけ心掛けてるじゃないか。泣く時はひとりで、っていつも腹に決めてるじゃないか。ほら、正面のきり丸が眉間に皺を寄せて困ってる。今きり丸に迷惑を掛けてる。
だけどどうして、涙腺が締まらない。
「そ、れは…。それは、先生がななしさんを好きだからですよ」
違う、違う、そんなワケない。そんな雑な慰め方って無い。先生みたいに優しい人が、好きな女相手にそんな辛辣な言葉吐くもんか。
「私なんか最初からいなければ良かったって、そう言ってた!」
「だからそれは、先生がななしさんを独り占めしたいから、」
「違う!!」
話せば話すほど顔に熱が集まってくる。私いまかなり不細工だろうな。でももう気にする余裕なんてどこにも残ってない。
「私、先生の言うことならなんでも聞くって言った! 欠点を直すから教えてくださいってお願いもした! 私は先生だけのもんだって縋り付いて、それでも先生、聞き入れてくれなかった!!」
「ななしさんの為を思ったら、自分だけのものになれなんて先生じゃなくても言えませんよ」
「知らない! 私はそんなの望んでない!」
感情のままに捲くし立てる。人前でこんなに大泣きしたの、いつぶりだろう。私ってばイイ年こいて十歳児に本気で八つ当たり。
「…だいたい分かりました。じゃあ帰って仲直りしましょう」
溜め息一つ吐いてから私の手を引いて座敷を遠ざかろうとするきり丸。もう嫌だ。私は失恋したんだ。放っといてくれ。
「もういいよ。放して」
「何言ってるんですか。先生、また言葉を間違っただけですから。許してあげてください」
「違う、そうじゃない」
「意地張ってないで。話せば分かりますから」
「違う、違うの、違う」
どっちが大人なんだか分かりゃしない。私ときたらもう感情を上手く言葉にすることも出来なくて、ただ俯いて首を振った。相変わらず涙腺は締まらない。
「…ななしさん?」
いつもは立ち直りの早い私が駄々を捏ね続けるからさすがに不審に思ったんだろう、きり丸が私の顔を覗き込もうとする。だけど私は今のぐちゃぐちゃな泣き顔を晒すのも情けなくて、膝を折って自分の顔を埋めてしまった。
本当、イイおばさんが何やってんだろ。少女じゃあるまいし。年甲斐無い。
「違うんだよ…」
何が違うんだか。自分で言いながら呆れてしまう。回らない頭では感情の説明すら難しくて、口からひたすら"違う"という単語しか吐き出せなくなっている。
分かってよ、きり丸。
駄目だ。
駄目なんだ。私はもう。
いくら私が単細胞なダルマ女だったとしても、先生のあの言葉は私の中心をざっくり貫いてしまった。後からいくら縫い付けてもきっともう塞げない穴。この後たとえ先生と仲直り出来たとしても、今まで通りの関係に戻れたとしても、私には先生を追い駆け続ける自信がなくなってしまった。べつに先生を嫌いになったわけじゃない。むしろ嫌いになれたらいいのに。
そうじゃなくて、
もし今後、先生を追い駆け続けてまたこんなことがあったら私は、
…ああ、そうか。
「…傷付きたくない」
何が"違う"なのか、言葉が見付かった。
「もう、傷付きたくない」
もうこんな思いを味わいたくない。嫌なんだ、こんなに苦しむのは。二度と経験したくない。
ここでようやく、きり丸が私の手首を解放してくれた。
「ごめん、だから、きり丸ごめん、」
ただの平謝り。惨め過ぎて顔を上げる勇気も無い。膝を抱えたまま泣き顔を更に歪ませた。
傷付くのが怖くて逃げ道しか見えない。結局私なんかが先生の支えになりたいなんて馬鹿げた話だったんだ。私は最初から自分のことだけで手一杯な、やたらと脆くて面倒臭い女。
何一つ、いいところなんてありはしない。
「ごめんっ、ごめっ、」
もはや声すら上手く絞り出せない。咽喉奥から嗚咽が洩れ出して言葉を綴れない。ごめんのたった三文字すら喋れないのか私は。どこまで残念なんだ。
不意に正面から、すん、と鼻を啜る音が聞こえた。きり丸も泣いてるのか。え、でもどうしてきり丸まで泣く必要があるんだ。私が負を振り撒いてるから釣られちゃったんだろうか。だとしたら申し訳ない。
だけどどうしよう、やっぱり顔を上げることは出来なくて。
ウジウジと考えてたら、ふっと温かい空気に包まれた。
「え」
膝を抱えている私をきり丸はまるごと包み込んだらしい。子供特有の体温にどこか安堵して、咽喉奥から繰り返し洩れていた嗚咽が段々と落ち着いてくる。
彼は私を抱えたまましばらく黙っていたけれど、少ししてから耳元でぽつりと呟いた。
「俺、大人の事情とか恋愛とか、そういうのよく分かんないですけど」
優しくあやしてくるような声。前を見ないまま私も彼の背を手繰り寄せた。
「話を聞くぐらいなら出来ますから」
きり丸は、優しい子。
「もしも帰りたくなったら、いつでも遠慮なく帰って来ていいですから」
ドケチで素直じゃなくてせっかちで、でも、優しい子。
「ななしさん、これからも俺の姉ちゃんですから」
子供で大人で私の欲しい言葉を知ってる、誰よりも優しい子。
「・・・っ!」
我慢出来ずに膝を畳んできり丸の胸へ思い切り泣き付いた。
「わあああぁあ!!!」
自分でもビックリするぐらいに幼く泣き喚く。私が泣き叫んでる間、きり丸はずっと私の背を擦ってくれた。
私、きり丸に出会えて本当に良かった。
いてくれてありがとう。





きり丸が店を出てから数刻。日が落ちて店内はすっかり暗くなった。明かりが無ければ過ごし辛い環境だけれど、今は明かりをつけない方が良いだろう。こんな夜にこんなところで女が一人寝てますよ、と外をふら付くごろつき共に知らしめてしまうようなもんだ。こんな時だけ元くノ一の経験があって良かったと思う。夜目に慣れてしまえばあまり不自由なく過ごせるから。
肌寒い空気の中、座敷の上で身を丸めた。今日は泣き疲れたからこのまま眠れたらいい。そうは思うものの、しんとした空間が鼓膜を突いていやに目が冴えてしまう。
きり丸がさっき残してくれた温かさを逃がさないよう、両の握り拳を力いっぱいお腹に宛がった。きり丸と先生、学園へ着いてる頃だろうか。
…寂しいな。私、今一人だ。これからも一人なんだ。先生の家へ訪れるまでは一人が当たり前だったのに、団欒の楽しさを覚えてしまった今となっては裂けそうに辛い。
もう戻れないんだ。
『留守を任せてすみません、行ってきます』
先生の声を聞くことなんてもう無い。
『歌はあんまり得意じゃないんですねぇ』
先生の顔を見ることももう無い。
『髪型変えられたんですね』
『あなたには敵いませんね』
『紅団扇柄があったので、つい買ったんです』
彼にはもう、二度と会わない。
逢えない。
「…ぅ」
暗闇の中、また一人で啜り泣く。つまるところ凍てつくような実感が一晩中私を責め立ててきたせいで、その日は一睡も出来やしなかった。





どれくらい経っただろう。
外が白んでから、ぽつりぽつりと住民の話し声が聞こえて、すっかり明るくなった頃に各店の呼び込みが聞こえ始める。いつもの町の風景。
感傷的になってるから正直今は何もしたくないけれど、それじゃ生きてはいけないので私も仕方なく行動を起こした。厠へ行って顔を洗って歯を磨いて、今日は新居探しに専念しようと重たい頭で考える。
昨日放り投げた荷の中から携帯用の持ち物だけ取り出し、巾着へ移し替えていた時だ。背後で誰かが来店した気配。店は今日お休みなんです、そう言おうとして振り返り、思わず息を呑んでしまった。
そこに立っていたのが、たぶん今一番会っちゃいけない人物だったから。
「…ななし?」

そこに居たのは、ラッキョいっぱいの籠を背負った雅さんだった。


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