反省
「以上が全貌でございます」
重くんの説明に目を白黒させるしかない。理解しようにも頭が回らない。何がどうしてそうなったんだ。
「最後のは嘘でしょ?」
「ここで嘘ついてどうすんですか」
「ウソウソ、からかってんだよね? 絶対そうだよ」
「ななしさんてばそれは無いでしょー。せっかく重が長い経緯をイチから説明してくれたってのに」
「だって信じらんないもん!」
冗談にしてもタチが悪い。もしそれが本当なら、先生はいったい何を思ってそんな行動に出たんだよ。
「じゃあ俺達じゃなくてヤマ兄ィやミヨ兄ィが証言したら信じます?」
「今から一緒に海へ戻りますか?」
「・・・」
至極真剣な表情の二人。ああ、これはたぶん真実だ。私ホントにいろいろやっちまった…。
「そのあとどうなったの?」
「とりあえず俺達若い衆には大ウケでした」
「なんでそこで笑いが起こんだよ!? オカシイだろ!」
「いやだって実際オカシイじゃないですか!」
「土井先生ってばどんな説教すんのかと思ったらまさかのチューだもんね! あれは笑うなって方が無理だったよねえ!」
思い出し笑いなのか二人揃って目の前で爆笑し出す。羞恥心に拍車掛かるからやめろおお!
「そのあと私、何してた?」
「チューで骨抜きになって失神して朝まで寝てました」
「骨抜き!?」
「まあ骨抜きと言う名の窒息でしたけどね」
「ななしさんスゲエ苦しんでましたよ。俺、笑い死ぬかと思った」
「だから笑うところじゃねーし!」
「あんなに熱烈で色気の無いキスシーン、人生で初めて見ました」
「ななしさんが土井先生の肺活量に敵うワケないですからね。途中で『ああこの人このまま吸い尽くされて今日死ぬんだな』と思いました」
「俺も」
「っていうかたぶんあの場はみんな思ってた」
「そのあと土井先生は?」
「ななしさんの頭を膝の上に載せたまま、もくもくと一人酒してました」
「みんなが話し掛けても聞く耳持たずでした」
「今思えば不貞腐れてたのかなあ?アレ」
「かもなあ。あとから来た疾風兄ィ達にめっちゃ話し掛けられてたけど、ほぼ無視だったもんなあ」
「『たまには自分から歩み寄れって、俺達はそういうことを言ったんじゃないですよ!』とか『先生さっき言ったことと今やってることが違うじゃないですか!』とか…なんか兄貴達も必死だったよね。俺達には何の話かさっぱりだったけど」
「義丸さんは?」
「お頭からガチの説教です」
「…からの〜?」
「ミヨ兄ィと呑んで馬鹿話です」
「だよね…」
あのヒトはたぶん全く気にしない。性分からして。
「どうしよう」
今になって頭が痛い。二日酔いとは違う精神的頭痛。途方に暮れてテーブルへ突っ伏した。
「どうしようも何もやらかしちゃったもんは仕方ないじゃないですか。今更取り消せないんですから」
「そうそう。気楽に考えましょうよ。酒のアヤマチなんて誰にでもあるもんです」
「急に優しくしないでよ。泣くから」
取り消せない、か。全くもってその通りだ。もう何から反省すればいいのか。
…ああでも、いま冷静に素面で考えてみても分からないよ。肝心な部分が最大の謎のまんま。
「でもさあ」
「はい?」
「結局土井先生はなんで怒ったんだと思う? 何がきっかけかな」
「「は?」」
二人同時に顔面を引き攣らせる。それはもう、ビシッという音が耳に聞こえてきそうなほど。え?なんで? 私の疑問は自然でしょ? 違うの?
「え。ここまできてまだ分からないんですか?」
「何?何が?」
「ななしさん今、何について反省してたんです?」
は? そりゃあもちろん、
「土井先生以外に気を許した自分について」
「・・・」
「・・・」
「なんで? 違うの?」
「いや…」
「それ自体は合ってます、けど…」
「合ってる? ああもう何だ、ビックリさせないでよ」
「そこまで分かってて、土井先生が怒ってる理由がまだ分からないんですか?」
「え? う、うん」
話せば話すほど二人の表情が険しくなってく。彼らの雰囲気に気圧されて、私の声はだんだんと小さくなった。
私ってばマズイことをまた進行形で並べ立てちゃってるらしい。でも何がいけないのか分かんない。とりあえず二人にとって私の好感度がダダ滑りしてることだけは分かる。涙腺痛い。
「さっきの俺の説明を全部ふまえた上で、訊きますよ?」
「はい」
感情を抑えた声で重くんが噛み砕くように丁寧な質問をしてきた。
「ななしさんは、なんで先生が怒ったんだと思います?」
「・・・」
脳味噌フル回転。考えろ、考えろ。必死になって考えろ。今ここで正解を導き出せなかったらきっとこのティーンズ達には見放されてしまう。救いを求めたところで見捨てられてしまう。たった一晩で土井先生どころかこのコらにまで愛想尽かされたら、私、
「えっと…」
「・・・」
「…先生に、一回も酌しに行かなかったから?」
あ、そうか。それかも。自分で解答して納得。
「先生へ酌しないうちに私が泥酔してたから! どう!? コレ合ってるっしょ!?」
はあ、と二人同時に溜め息を吐かれた。それからまるで宇宙人でも見るような視線を私に寄越すと、網問くんが投げやりに「これだもんなー」とぼやき出した。
そんな反応しないでよ。これでも自分なりに一所懸命考えたのに。
「違うのね…」
思わず声が震えてしまう。さすがの私もここまでフルボッコされたら気丈でいられない。ベソ掻くのを我慢するだけで精一杯だ。
柄にもなくションボリする私をさすがに見兼ねたらしい、ドSなはずの網問くんが珍しく助け舟を出してくれた。
「じゃあヒントあげますよななしさん」
「ヒント?」
「土井先生が怒ったのは、ななしさんと義兄ィ関連です」
「義丸さん関連…」
少ない脳味噌を再び余すところなく駆使する。
義丸さんと私について…義丸さんと私…それで先生が怒ること…私は先生の前で義丸さんとベタベタしてて、それで、
「あ」
「分かりました?」
「義丸さん対策で先生を宴会へ誘ったのに、私の方から義丸さんにベタベタ引っ付いてたから? 先生からしてみれば忙しい合間ぬってわざわざ宴会に来た意味が無かった、ってこと?」
「・・・」
「…このヒト凄く残念な人だよ重ェ」
「もったいないよな」
「あの義兄ィが友達止まりなのはこういうことかー」
「そういうの私が居ない時に会話してよぅぅ!」
「御馳走様でした」
今度こそフォローしてくれないようだ。もういいですと言わんばかりに空の皿へ両手を合わせると、二人は早々に席を立った。
「え!? ここで放置!?」
「先生の真意は俺達に訊かないで、自分で考えてください」
「少し反省してくださいななしさん」
「だからしてるってば…ごめんて…」
「そんな泣きそうな顔しないでくださいよ。べつにななしさんを嫌いになったわけじゃないんですから」
「ただ今回はあんまりにも土井先生が可哀想ですからね。こればっかりは灸が必要です」
「・・・」
また来ますねー、なんて店から出て行く二人を追い駆ける気力も無い。客椅子にぽつねんと取り残されたまま、空になった二つの皿を眺めてひたすら思い詰めるしかなかった。
しばらくの間そこでウジウジ悩んでいたけれど、悩んでいても仕方ないと思い直すことにした。何にしろ真相を知れたんだから、とりあえずは帰って先生へ謝ろう。まずはそれからだ。ここで皿と睨めっこしてても前へ進めない。
席を立って二人が食べ終えた食器を洗い、足早に店を後にした。
先生の家へ辿り着いて玄関をくぐれば、先生は部屋の真ん中で変わらずに内職を続けていた。
「ただいま…」
傍らに正座してポツリと呟いてみる。彼は私の方をチラリと一瞥したものの黙ったまま作業を続行した。駄目だ、これはまだ相当怒ってる。
今日の内職、筆のくり込み作りだったのか。先生が動かす小刀の音だけが沈黙の間で響いた。
「あの、先生、」
「私は出勤してくださいと言いました」
ピシャリと一言。全力で会話を拒否された。さっきから泣いてばかりで涙腺緩くなってるし、もう初っ端から心折れそう。だけどここで引き下がるわけにはいかない。なんとか前進しなければ。
「さっき店へ重くんと網問くんが来て、いろいろ聞きました」
「・・・」
「本当にすみません」
床に三ツ指ついて頭を下げる。こんな風に誰かへきちんと謝罪したこと、私の人生で今まであったっけ。
「…それは、」
少し前の頭上から降って来た声は、相変わらず怒ってて。
「何についての"すみません"ですか」
ぐ、と声が咽喉奥に詰まってしまう。先生の指摘が恐ろしいほど適確で、今回の非は全て私にあるんだと否が応でも実感してしまった。
頭を上げて言葉を探す。でも顔まで上げられる勇気はない。
「私、が、」
「あなたが?」
「私が、義丸さんから自分を遠ざけたくて先生を宴会へお誘いしたのに、元も子も無いことをしてしまったので…」
「・・・」
「お忙しいなか無理して来て頂いたのに、一回もお酌に伺いませんでしたし、」
不意に筆を削る音がやんだ。視線をやれば作業していた先生の手が止まっている。そのまま彼は止めた掌を自分の胸下に当てて撫でるように擦り出した。たぶん無意識の動作だ。だってこれは彼が胃を痛めてる時の癖だもの。
「あの…」
言葉を探してまた泣きたくなる。もう正解なんて見付からなくていい。とにかくこの状況を脱したい。
「…訊かせてください」
「はい」
「あの時…」
「あの時?」
手元の筆を眺めつつ、内側の何かを抑えるような声で一言。
「あの時、義丸さんと何があったんですか」
少しだけ驚いた。先生の質問はあまりに想定外の質問だったから。この人が私の行動に興味を示すなんて。
「彼と何を話したんですか」
質問に答えようとして記憶を辿る。けれど、
――『あいつの昇格を手放しで喜んでやるなんて、私には出来なかった』
私は、口を噤んだ。
「…言えません」
あれは、水軍の中でも第三協栄丸さんしか知らない話。そう簡単に他言できるもんじゃない。
「どうして」
「どうしてもです」
義丸さんはきっと私が相手だから話したんだ。思い上がりとかじゃなく、私が水軍の仕事と今後関わりの無い立場の人間だから。どこぞの呑み屋の見知らぬ女にポロッと愚痴溢す程度の感覚で話したに決まってる。
だけど土井先生は違う。今後も忍術学園の教師として兵庫水軍と仕事で深く関わりを持つんだ。水軍の皆さんすら知らないような話を彼の耳へ入れるわけにいかない。それにもしも話してしまったら第三者の鬼蜘蛛丸さんまでバツが悪くなってしまう。
「話の内容は言えませんが、色恋の話は何もしてません。彼とは本当に何も無いです」
「だったらなんであんなに!!」
先生は急に声を荒げると途中で言葉を切った。それから唇を噛み潰して苦々しい表情を見せると、腹を擦っていた掌で自分の顔を覆ってしまう。
「先生?」
俯いたまま深い溜め息を吐いてから、先生は震える声で喋り始めた。
「…もういいです」
私に表情を見せてくれないまま。
彼は、私がもっとも恐れていた言葉を口にする。
「出てってください」
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