回想


「ななしさん、遅いな」
厠へ行ってくると告げたまま戻ってこない存在を、ぐい呑み片手に手酌しつつぼんやり思い出した。
あれからヤマ兄ィと航が酒の相手に加わったので彼女の存在を暫く忘れていた。そういえば今はどれぐらいだろう。厠へ行くと言ったまま結構経ったんじゃないだろうか。
「ななしさん? あ〜そういえば帰ってこないねー」
俺と同じく彼女の存在を忘れていたらしい網問が適当に相槌を打つ。帰ってこないね、と俺へ返事したそばから航と違う話題に花咲かせるあたり、お前は楽天家で良いよなあ。それとも俺が心配性過ぎるんだろうか。こういうところはミヨ兄ィゆずりだって普段からよく言われるし。
「吐いてなきゃいんだけど…」
「吐く!? ないない! ななしさん全然元気だったじゃん。ちょっとしか飲んでなかったし」
「吐いたら逆に元気ンなるっしょ!」
会話を聞いていた航まで網問にのっかって楽観視を始めた。単にあの人の様子見に行くのが面倒なだけだろ、お前ら。
どうしようか煮え切らない顔をしていると、これまた会話を聞いていたらしいヤマ兄ィが俺を宥めて来た。
「大丈夫だ」
「ヤマ兄ィ?」
「ななしさんが外へ出たあと、お頭があとを追って行ったから」
少し驚いた。さすがはヤマ兄ィ、そんなとこまでちゃんと見てたのか。
ああでもそれなら安心だ。俺も存分に酒を楽しもう。
そう思って、ついだばかりの杯を一気に飲み下していた時だ。
「あれー!? 義丸の兄貴、いつの間に参加されたんですかー!」
少し離れたところから大声が聞こえたので反射的に四人揃って目を向けた。声をあげたのはどうやら白南風丸らしい。
「いつもナニも今だよ。お前最初から見てたろ」
「白南風丸くん、タイミング良過ぎー」
何故かそこに山見当番のはずの義兄ィが居た。いつの間に帰ってきたんだかその隣にななしさんも座ってた。なんだ、しっかり戻って来てたのか。心配して損した。
「あー!義兄ィってばななしさん独り占めしてやんの!ずっけぇ!」
「独り占めではないだろ。ミヨ兄ィと白南風丸いるし」
「いーから俺達も行くぞ重!」
さっきまでななしさんの存在に毛ほども興味無かった癖して、急に行動派へ転嫁する網問。ああそうだよな、お前は結構な気分屋だよ。うん知ってた。
網問は俺の手を引いて彼らの傍までズンズン歩くと、義兄ィの向かいに居た水夫達を尻で押し退けて無理矢理そこへ座った。すげぇな、網問だから許される技だよホント。
網問のおかげでななしさんの向かいが空いたので俺もそこへ座る。
「あ、ごめん二人とも。ただいまー」
ひらひらと顔の横で手を振って見せる彼女に、網問は頬を膨らませて分かりやすくぶうたれた。
「もーっ。ななしさんてば戻って来てるならちゃんと言ってくださいよ〜!」
「ごめんて」
「心配で酒がゼンゼン進まなかったじゃないですかあ!」
こいつはどこまで調子が良いんだか。べつにもう慣れっこだけど。
ウソつけ、なんてツッコむのも今更面倒臭いので彼女の隣に居たミヨ兄ィへ酌することにした。
「ミヨ兄ィ、つがせてください」
「ああ、悪いな」
俺に酌されながらミヨ兄ィは義兄ィへ何となく質問する。
「義兄ィ、今日は山見番じゃなかったんですか?」
ミヨ兄ィがこの質問をするってことは本当に今来たばっかりなんだろう。隣の白南風丸にワンコ酒されながら義兄ィも答えた。
「ああ、鬼さんに代わってもらった。陸酔いが大変なんだと」
言われて館の入り口を振り返る。あ、本当だ。蜘蛛兄ィの姿がいつの間にかなくなってら。
「間切ってば、ぼっちでやんのー」
入り口の方を見てケラケラ笑いながら酒をあおる隣の水夫に背筋が寒くなってくる。コレ、行き着くとこまで行ったら間切の奴、玩具にされるフラグだろうな。当人には悪いけど俺、間切じゃなくて良かった。ご愁傷様。
「具合悪いヒトいじめたらダメだよー?」
網問の行動、ななしさんにまでバレてやんの。
不意に背が後ろへ沈んだから振り返った。俺が寄り掛かっていた隣の水夫達が見当たらない。どうやら席を移動するらしい。
席が空いたなあ、と考える間もなくそこへ飛んできたのは航だった。
「やっと空いたー!」
待ってましたとばかりに俺の隣へドスッと腰を下ろす。更にその隣へヤマ兄ィがやんわり腰を下ろした。この二人、席が空くの遠くから見計らってたんだな。出来れば航の教育だけじゃなくて網問の教育にも力入れてくださいヤマ兄ィ。
「おーおー、一気にヒト増えたね。義丸さんてば人気者〜」
「俺じゃなくてななしさんに寄って来てるんでしょ」
「うそん。私の4.6倍ぐらいは男にモテるくせして」
「リアルな数値やめてくださいよ」
まるで旧知の仲みたいな二人の会話。
…何だろう。なんていうか珍しい。違和感ていうよりは、えーと…新鮮。義兄ィが女の人の前でこんなにリラックスしてるところ、そうそう見たことが無い。いつも女の人の前じゃ多少なりともカッコつけてるのに。
「あれ? 二人ともいつの間にそんな仲良くなったんですか?」
新鮮さを覚えたのは俺だけじゃなかったらしい。航が疑問符だらけの顔で二人に質問した。
「うん? ついさっき」
「俺が口説いた」
「口説かれた」
え?
「オトした」
「オトされた」
「だから熱愛中」
「え?え?二人ともマジで言ってるんですか?」
これにはさすがの網問もオロオロし始めた。義兄ィのことだから冗談じゃなくてさもアリかもしれない。
「半分だけねー」
「え?半分?オカシイな。完全攻略したと思ってた」
「残念、勘違い乙」
あ、良かった。冗談だった。
「もう!ビックリさせないでくださいよ二人とも!」
航が気の抜けた顔で声を上げる。正直、ここに居た全員が同じ感想を持った。今の冗談はちょっと笑えない。
「むしろフラれた」
「フってやったー」
「ななしさんスゲエ!」
「オイなんでそこで感動すんだ白南風丸」
こういう時だけ一番神経太そうな白南風丸。今の冗談を冗談と分かってるのかいないのか、ニコニコ顔で二人の杯に酌しまくってる。ある意味ツワモノだな。
「何はともあれ、乾杯し直しましょう。義兄ィがせっかく来たんですから」
ミヨ兄ィが傍にあった酒を拾い上げてそう仕切り直してくれる。確かにその通りだ、乾杯し直そう!
「じゃあ、ここはひとつ新たに!」
全員で杯を掲げて、カンパイ!、と声を揃えた。


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