一夜の謎


「先生?」
「・・・」
「土井先生ってば」
「…なんですか」
「どうしてそんなに不機嫌なんですか」
「私のどこが不機嫌ですか」
これってデジャヴ? いいや昔にもあった。確かあの時もこんなふうに兵庫水軍からの帰り道だった。泣ける。
海を離れてから先生はずっとこの調子。私の方を見ようともせずにスタスタと先へ歩いて行く。
ああああどうしてだろう、どうしたんだろう。いったい昨日何があったの。私、先生に何をしたの。覚えてない。思い出せない。謝ろうにも理由が分からない。絡み酒な私のこと、きっと何かやらかしたんだ。たとえばええっとセクハラとか。セクハラとかセクハラとか、あとセクハラとか。他には、うーんと…セクハラとか。
「私、先生にセクハラしました?」
「されてません!」
凄い剣幕で否定された。安心なような残念なような…それはそれで複雑。というかそんなに怒らないでください。
「ど、土井先生は凄いですね。ちゃんと記憶あるし、二日酔いもないし。やっぱりお酒強かったんですね」
作戦変更。このさい話題を逸らしてみる。与太話してる間に機嫌直してくれないかな。もしくは私の失礼について忘れてくれたらいいな。
「・・・」
「・・・」
完全無視。だめだ作戦失敗。こりゃ相当頭に来てる。どうしたらいいだろ。
「あの、先生…」
「はい?」
「情けない話なんですが私、昨夜のことをあまり覚えていなくて…何か気に障ったのなら謝ります。本当にすみません…」
回りくどい作戦は考えずここは正直に謝罪しよう。冗談抜きで本当に泣きたい。こんなことなら私もう二度とお酒飲まない。だって先生に嫌われたら生きてけない。
自分で言うのもナンだけど私の空気読めなさときたらいつも天下一品だ。一瞬、前を向いたままの先生からピリリと殺気まで洩れだした。どうやら今の謝罪は逆効果だったらしい。
「…本当に、」
「はい?」
「本当に、何も覚えてらっしゃらないんですか」
振り返らないままグッと無意識に拳を握る先生。うわわわ何コレ、なんなのコレ。覚えてないって言ったらメチャメチャ怒られるフラグじゃないのコレ。どうしよう、今から慌てて覚えてたことにしちゃおうか。思い出しましたって嘘ついちゃおうか。いやでも先生相手じゃ嘘ついても結局すぐバレるだろうし。ここはもう正直に怒られるしかないな。
ええい自業自得!
「覚えてないです。ごめんなさい…」
ぷ ち っ
「・・・」
何かキレた音が聞こえたような。でも何がキレたのかなんて考えたくない。それを認めるのが怖い。
「…先生?」
いっそう沈黙したかと思えば次の瞬間、彼は目の前から突然姿を消した。
「はっ!?」
正確に言うなら傍の木々を飛び移り、あっという間に先へ行ってしまった。まさしくプロの忍者だ。
「待っ、先生!!」
追い掛けようにも私じゃ絶対追い付けない。えっ、これ一人で帰れってことですよね? 一緒に歩くなってことですよね? 汚らわしいぞ近寄るなですよね!? ガチで嫌われたじゃん!!
「うわああん!!」
誰も見てないのをいいことに年甲斐もなく大泣き。
迷子みたいに愚図りながら家路を一人でトボトボと歩いた。





目が痛い。きっと赤くなってるかも。
半ベソぐらいになった頃ようやく家へ辿り着いた。
「あれ?」
家の前にきり丸が居る。そわそわキョロキョロ、様子がおかしい。
「あ、ななしさん!」
私の姿を見付けるなり走り寄ってきた。私のこと待ってたのか。のんびり歩いて来てごめんよ。
「何?きり丸」
「いったい何があったんですか!? 俺あんな土井先生見たこと無いですよ! 気持ち悪ッ!」
「え?」
てことは先生、いま家の中に居るの? ああでもまあそうだよね。他に行く宛てがあるわけじゃないからね。
てっきり憂さ晴らしにどっか逃亡したもんだと思ってた。
「先生はいま何してんの?」
「それが、何もしてないんです」
「へ?」
「部屋の隅で寝転んだままビクともしないし、話し掛けてもウンともスンとも言わなくて。まるで岩みたいです」
ま、まさかの
ふ て 寝
だと…!?
「あ…あの土井先生が?」
「そうっスよ! 動いてなきゃ落ち着かない性分のあの人がピクリともしないんですよ! 気持ち悪いなあ!!」
お前ちょっと気持ち悪い連呼し過ぎだろ、とツッコミたくなったけどそれは確かに気持ち悪い。私ってばいったい昨日先生に何したんだよほんと。相当やらかしちゃってんぞ。思ったよりだいぶ重症だぞ。タイムマシンがあればいいのに。
「ななしさん、先生と何かあったんですか?」
「それがさ」
「はい?」
「まったく覚えてないんだよね。記憶に無いの」
「うわっ最悪なパターンですね」
「そう。だから先生、余計に怒っちゃたんだと思う。私ってば何やらかしたんだろ。ねえ何したと思う?」
「知りませんよそんなの。ななしさんてホントどーしよーもないですね」
「そんなハッキリ言わなくたっていいじゃん! うぅぅうぅ」
「ちょ、玄関先で泣かないでくださいよ! いい大人がみっともない!」
「泣きたくて泣いてんじゃないやい! せっかく我慢してたのにきり丸が傷をほじくるからあ!」
「俺が悪かったですって! ああもう面倒臭い!」
「励ます気ゼロだなお前!」
「時にななしさん、お魚貰ってきました?」
「は? 魚?」
「今日のバイトで売り捌く分ですよ。料理の礼に兵庫水軍から貰ってくる約束だったじゃないですか」
「そんな約束したような気もする」
「ななしさんてトコトン救いようがないですね」
「反省してます。生まれてきてごめんなさい。呼吸しててごめんなさい」
「仕方ないなあ。内職のバイト引き受けてあるから今日は一日手伝ってくださいよー? 荷物、家の中にありますから」
「なんだかんだ言って他のバイト引き受けてるあたり、お前最初から私のことアテにしてなかったろ」
「ななしさんは救いようがないですから」
「ちょ、もう、HPゼロだよ私。これ以上攻撃してこないでよまた泣くよ」
「きり丸」
ふと玄関先の私達以外の声が聞こえてきたもんだから、二人同時に肩が跳ねた。
「あ、はい」
声がした方に顔を向ければ玄関に土井先生が立っていた。
「その内職のバイト、私にやらせてくれないか」
いつの間に居たんですか。ふて寝してたんじゃなかったんですか。ていうか"その内職のバイト"って…いつから私達の会話聞こえてたの。羞恥心で死ぬる。
「はあ…べつにいいですけど」
「だからお前はななしさんを手伝いなさい」
「へ?」
私?
「先生、私の手伝いというのは、」
「ななしさんは今日、店に出勤してもらえませんか」
「え? でも、」
「出勤してください」
有無を言わせない空気。先生がどす黒い何かを纏ってるように見えて、とても断れる雰囲気じゃない。
「は、はいっ」
彼のあまりの空恐ろしさに二人して脅えつつ、ひとつ返事してしまった。





二人して店へやって来たはいいものの仕事する気が全く起きない。客椅子に座ってテーブルの上へ項垂れる。
「ななしさん、どうします?」
「んー…」
「店の暖簾、出しときますか?」
「いい。やる気しないもん」
「ですよね…」
先生にバイトの出鼻を挫かれてきり丸もやる気が起きないらしい。手に持った暖簾をあっさり元の場所へ戻すと、溜め息を吐きながら水を汲み始めた。
「私、本当に何したんだろ」
ぽつり、言葉にしてみる。考えても考えても分からない。どう頑張っても思い出せない。私が先生を怒らせるようなこと…セクハラ以外で何かあるだろうか。暴言でも吐いたかなあ。でもそれは無いと思うんだよなー。だって私、先生に対して何の不満も持ってないもん。
「元気出しましょうよ。先生もそのうち機嫌直しますから」
私を慰めながら向かいの椅子に座り一杯の水を差しだしてくるきり丸。どこまで出来た弟なんだお前は。
「ん、ありが」
受け取ろうとして手を伸ばしたけれど掴むことが出来なかった。コップがきり丸の手から滑り落ちてテーブルの上を転がったから。
「おわっ」
テーブル一面に水が散乱する。きり丸がこんなドジするなんて珍しい。
「どした?」
顔を上げてびっくりした。日頃クールなこの子が真っ赤な顔して私を見詰めてる。何? 私のデコに肉とでも書いてあんの?
「ななしさ、」
硬直したまま口をパクパクさせてる。え? やだ、なんなの?
「え? え? 何?」
「その、くっ、首っ、」
「首?」
テーブルに伏したままの私の首を指差して、わたわたと慌てふためく弟。首がどうかしたのか。
「なになに、ちょっと待って」
急いで調理場に立ち、桶に水を張って自分の首を覗いて見た。肉って首に書いてあんの?
「ヒッ!!」
覗いてビックリ、自分でも聞いたこと無いような悲鳴が口から洩れた。
「なんじゃこりゃ!」
何を隠そう、首の付け根にはっきりとキスマークがあったのだ。それも鎖骨から後ろへ掛けて歩いたように、周到に三つも。
「お、覚えてないんですか!?」
差した指先を腕ごとブルブル震わせながらきり丸が捲くし立てる。こりゃ確かにクールなこの子でも仰天するわな。
「覚えてない!毛頭記憶に無い!」
「嘘でしょ!?」
「思い出せない! え!? 虫刺されじゃないのコレ!?」
咄嗟に痕跡を指でなぞってみたけど虫による吸い口は見当たらなかった。誰がどっからどう見てもキスマークだ。うわ最悪。
「誰にやられたんですか!?」
「・・・」
「う、嘘でもいいから即答してくださいよ。土井先生でしょ?」
さすがのきり丸も目の前で冷や汗垂れ流し状態。
こんなわざわざ衿をひん剥かなきゃ付けらんないような場所、付けた相手は確信犯に違いない。どう考えても不慮の事故じゃないのは確かだ。
普通にしてれば着物に隠れて見えない痕跡。だけど私より頭一つ高い先生には最初から丸見えだったんだろう。あちゃー今になって気まずい。
「それじゃ先生が怒るのも無理ないっすよ」
言葉を失くして青くなってる私を前に弟は冷静さを取り戻し始めたらしく、落ち着き払って呟いた。溜め息混じりにそんなことをぼやかれて余計に意気消沈する。きり丸ってばいつも無意識で傷ほじくるよな。
「もしそれ先生が付けてたとして、ななしさんてば一晩で綺麗さっぱり忘れちゃってるんですもん」
「先生は私なんかにこんなの付けないでしょ。特に人前だし」
「だったら余計問題じゃないですか。他のヒトだったらカンペキ浮気ですよ?」
「えー…でもさあ、そしたら先生が怒ってる理由とは関係なくない?」
「はあ?」
「だって先生は私が誰と何処で何してても興味無いじゃん、たぶん」
「ななしさん、それ本気で言ってます?」
その時、店の外から聞き慣れた声が二つほど飛び込んできた。
「ななしさーん、いますかー!?」
「昨日のお礼に魚持ってきましたよー!」


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