波打ち際に二人佇んで夜の海を眺めた。冷静に考えりゃ私ってば土井先生以外の男性と何してんだろ。まあいいか、たまの酔った時ぐらい。
少し離れた所に館の明かりが見える。潮風に乗って水軍さん達の喧騒がここまで聞こえてきた。
「夜の海って綺麗ですねー」
「今日は特に満月ですからね」
「でも何か出そうで怖いです」
「何か出そうって…それ、疾風兄ィの前ではくれぐれも言わないでくださいね」
「何でですか?」
「そういう話に滅法弱いんです」
「え、全然弱そうに見えないけど」
「疾風兄ィは物の怪に関しちゃ小心者ですよ」
「って義丸さんが言ってましたってあとで疾風さんに言っときます」
「ちょっ、私が陰口叩いたみたいじゃないですか」
「ウソウソ、館に行ったらもう忘れてますから」
義丸さんは「からかわれたなあ」なんてぼやくと、側に落ちてた貝殻をひとつ拾いあげて海へ投げた。水面を跳ねて飛び魚みたいに遠くへ消えていく。おーおースゴイ跳ねる!
「スゴーイ! 海で水切り出来るヒト初めて見ました」
しかも石じゃなくて貝殻。
「今日は波がありませんから」
ははっ、と爽やかに笑ってから浜辺に腰を下ろす義丸さん。隣から見下ろし続けるのも落ち着かないので私も傍に腰を下ろした。
水平線を見詰めたままぼんやりする彼はやっぱり男前で。色素の薄い髪が満月に反射してる。
私ちょびっとしか飲んでないのにだいぶ酔ってんなと頭の隅で思った。
「…でも、」
「はい?」
「海が怖いのは本当です」
また、ぽつぽつと紡ぐように語る彼。
「先代の四功も仲間達も、みんなこの海に食われてしまいました。須磨留を使っても引き上げられなかった仲間は今もこの海の底にいます」
目の前に掌をかざして握って見せる。何かを掴むような仕種。
彼が見ているものって何だろう。いま握って見せたのは須磨留かな、仲間の遺体かな、それとも海そのものかな。私に分かりはしないけど。
彼は私が思っていたよりずっと人情家で繊細みたいだ。
「…また一つ、昔話なんですけど」
「はい」
「あいつが山立に昇格したばかりの頃、お頭や兄貴達が商船の上乗りに同時に出てしまって、浜に私とあいつと若い衆しか居ない時があったんです。いわゆる"初めてのお留守番"てやつですね」
「初めてのお留守番…。四功の一人を置いていけば、かたちの上では留守番に充分ですからねえ」
「そう。だけどあいつ、初めて一人で浜を任されたもんだからテンパっちゃって。部下の行動全部に目を配れなかったんですよ」
「え? 何かあったんですか?」
「その頃、ちょうど網問が入って来たばっかりで。網問の奴、舟を出して沖へ遊びに出たんです」
「え!? ヤンチャじゃ済まされませんよね!」
「今でこそしないでしょうけど、当時はナニブン子供でしたから。それで私が一人で迎えに行ったんですが、」
「鬼蜘蛛丸さんには言わなかったんですか?」
「…今思えば私もまるっきり子供でしたね。言いたくなかったんです。助けを求めるのが癪で」
「なるほど」
「そしたら沖で大物の鮫に襲われちゃって」
「えっ!?」
「自分の手を切って囮になってる隙に網問を逃がしました。鮫は血の臭いに寄ってきますから。その頃は今ほどの腕もなくて、一頭の鮫相手に一人で悪戦苦闘しましたよ。最終的に沖で鮫との持久戦になって」
「それで?」
「もうだめかって諦めかけた時、あいつが助けに来たんです」
「二人で鮫を捕らえたんですか?」
「さすがに二人じゃ無理ですよ。そこは逃げ切りました」
「ああでも助かって何よりです」
「舟を一艘ダメにしちゃったから、あとで兄貴達から三人揃って大目玉だったんですけどね」
「今はもう笑い話にできるからいいじゃないですか」
「…私は、悔しかったです」
「悔しい?」
「一人じゃ生還出来ない自分が、あいつが差し伸べた手を迷いなく取った自分が、」
「・・・」
「諦めかけた時にあいつの助けをどこかで信じていた自分が、とにかく腹立たしくて」
自分の掌を眺めて、またぼんやりと。
「ああ俺は何も出来ないんだって、思った」
最後の台詞はたぶん私に向けられたものじゃない。完全なる自答だ。だって一人称が変わってることにすら気付いてないみたいだから。
「海の怖さを知ったからいい海賊になれるぞって、笑って網問の背を押してやったあいつが、俺とはもう違うところにいるんだって実感して、悔しくて、」
変な言い方だけど、本当の義丸さんが見えてきた気がする。
彼は凄く努力家なんだろう。でも矜持が高いから普段はそれを表に出せない人なのかもしれない。
「…今だから打ち明けますけど、最初ななしさんを口説こうなんて思ってなかったんです」
「へ?」
「だけどあいつが…あなたを気に入ったことが目に見えて分かったから」
「何ソレ。鬼蜘蛛丸さんに対するただの嫌がらせだったってことですか」
「すみません」
「うん、許す」
「土井先生のことは尊敬していますから、最初、あなたに手を出すのはよそうと思ってました。でもあいつの横恋慕に気付いたら、仕返しせずにはいられなくなって。仕事で勝てなくてもこっちで出し抜いてやろうと器の小さい考えに捕らわれて、それで、」
「しかしいざ口説いてみたら私が鋼の要塞だったと」
「その通り大誤算です。自慢じゃないですがオトせない女性なんてそういなかったんで、ここまで難攻不落だとは考えもしませんでした。まさかあの土井先生にこれほど一途な女性がいるなんて…」
「最後のはちょっと先生に謝ってくれません?」
「冗談ですよ。そうコワイ顔しないでださい」
ななしさんは土井先生絡みだとムキになるんですねえ、なんて笑われて気恥ずかしくなる。だって私を馬鹿にするならアレだけど先生を馬鹿にされたらなんか悔しいじゃんか。
「あいつもあなたのそういうところに惹かれたんですかね…」
遠くの水平線を眺める瞳に満月が映り込んでる。義丸さんはやっぱり格好良い。うっかり見惚れるほどに。
これだけ話しててもどこかミステリアスで、きっといま話してることなんて彼の中じゃほんの一部の事実なんだろう。私には彼の全部なんて計り知れない。
ああ、確かにこの魅力に惹かれない女はいないよ。私、自分でもオカシイと思う。
この人の全部を知ってるなんてお頭である第三協栄丸さんぐらいだろうな。今にして思えばあの人も随分と曲者だ。こうなることを全部予測していたのかもしれない。鬼蜘蛛丸さんの気持ちを後押して、義丸さんと私を仲直りさせて。水軍の皆さんがあの人を尊敬する気持ち、少し分かってきた。まさしく頭あがらないよ。
「…義丸さんは、」
「はい?」
「さっき、鬼蜘蛛丸さんも自分を嫌ってるとおっしゃってましたが…」
よくよく考えてみればひとつの疑問。義丸さんが嫉妬で鬼蜘蛛丸さんを嫌ったのは分かる。でも鬼蜘蛛丸さんからしてみればどうして義丸さんを嫌う必要があるんだろう。
「さあ…でも態度には顕著に表れてますよ。私に感化されてるんじゃないでしょうか。私があいつを嫌う限り、あいつにとって私が扱い辛い部下であることに変わりありませんし」
「それだけでしょうか」
「?」
「私はお二人について詳しくないので思い過ごしかもしれませんが…端から聞いてて少し違う気もします」
「と、おっしゃいますと?」
「鬼蜘蛛丸さんも、義丸さんに嫉妬してるんじゃないかなあって」
「え?」
「いくら才があっても四功になるには相当な努力が必要でしょう? 鬼蜘蛛丸さんは義丸さんに勝ちたくて必死だったんじゃないかって、そう思います」
「あいつが、嫉妬?」
「義丸さんは努力家で実力もあるから気を抜いたらすぐ追い越されると思って、きっと鬼蜘蛛丸さんも相当努力したと思うんです。たぶん今もしてるんじゃないかな」
「まさかあいつが嫉妬だなんて…あいつの眼中に俺なんて、」
「眼中に無いようなどうでもいい人を助けに、命懸けで大鮫と戦ったりしないと思いますよ」
「…嘘だ」
「私が鬼蜘蛛丸さんだったらかなり悔しいなあ。初仕事のお留守番で網問くんの危機を真っ先に察知したのは、自分じゃなくて義丸さんですからね」
「鬼蜘蛛丸が、俺に、」
「しかも結果的に網問くんを助けたのは義丸さんで」
「俺の気なんて、知らないはずで、」
「だから悔し紛れに、網問くんに向かってカッコイイ台詞言ってカッコつけてみた」
「俺の悔しさなんて、少しも知らないはずなんだ、少しも、」
「まあ全部ただの憶測ですけど」
「・・・」
「良いライバルじゃないですか。お互いに嫌いだって思ってるけど本音は信頼し合ってるんでしょう? 喧嘩するほどナントカですね」
ハハと自嘲気味の乾いた笑いを溢してから、自分の両目を掌で覆う義丸さん。満月の映り込んだ綺麗な瞳が隠されてしまう。
「…敵いませんね」
「泣くならここ貸しましょうかー? 今ならタダですよ〜。きり丸いないから」
冗談のつもりで両腕を広げてみれば予想に反して胸へ顔から飛び込まれた。結構な勢い。踏ん張って後ろへ倒れなかったもののウオォなんて女らしからぬ声が飛び出してしまった。我ながら色気皆無で恥ずかしい。
あらやだ冗談ですよ、と言おうとして言葉を呑む。しがみ付いたままの義丸さんが顔を上げないので、彼の方は冗談じゃなく飛び付いてきたんだと分かったから。
泣き顔を拝めないのは少し残念だけどこんな男前の慰めになるなら願ったりだ。しばらくはこのままでいてあげよう。
あやすように後頭部を撫でてみたら指先が髪の毛に触った。義丸さんの毛って柔らかそうに見えて案外バサバサだな。やっぱり海男だ。
「…優しくしないでください」
胸に顔を埋めたまま喋り出す彼。何だそりゃ、矛盾してません?
「あいつを出し抜こうとして口説いただけなのに、自分から暗示に掛かりそうだ」
「お好きにどうぞ。難攻不落ですけど」
私はどうやら義丸さんという人をだいぶ勘違いしていた。彼は思ってたよりもずっと、仁義の通った真っ直ぐな男性だ。
「館へ戻ったら飲みましょうよ義丸さん。私、酌しますよ。今日はいろんなこと忘れて馬鹿騒ぎしましょう、私も今日あったこと全部忘れますから」
「非道いヒトですねえあなたは」
「ええ、よく言われます」
人生楽しんだモン勝ちですよ。
人の胸に埋まったまま、土井先生の据え膳はスゲエなあ、なんてショーモナイ声が聞こえてきたからつい笑ってしまった。


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