義丸1
番所からの下り坂を義丸さんと二人、並んで歩いた。
義丸さんは何も喋らない。前を見たまま沈黙してる。苦手意識の強い私にとっては多少気が楽だけど、拍子抜けといえば拍子抜け。
まあでもこれはこれでいいか、触らぬナントカに崇りなしだ。私も倣って沈黙した。
「・・・」
「・・・」
静かな空気の中、夜虫の鳴き声が響くだけ。ああ、あとちょっとで館へ戻れる。そしたら宴会の続きを楽しもう。
義丸さんはどこに座るんだろ? 第三協栄丸さんの傍かな。席まだ空いてるだろうか。重くん達は私が用足しに行っただけだと思ってるから、義丸さんを連れ帰ったら驚くだろうな。ずいぶん長便だって今頃ウワサしてんだろうなあ。もしくは重くんのことだから私が吐いてると勘違いして心配してるかも。
『鬼蜘蛛丸、お前…』
そういえば義丸さん、さっき鬼蜘蛛丸さんのことを呼び捨てた。それも無自覚みたいな顔で。私が二人に初めて会った時以来だ。
やっぱりアレは記憶違いなんかじゃなかった。この二人には何か秘密がある。気になるなあ。だけどそれについて訊くのは野暮だろうしなあ。二人の私情だもん。
「気になりますか」
突然、隣の義丸さんが沈黙を破るので思い切り肩が跳ねてしまった。アーびっくりした!心臓が爆音だよ。
「気になりますかって?」
「私と、あいつの関係性」
義丸さんてば私の思考を見透かしたらしい。エスパーか何かですか。それとも私そんなに顔に出てましたか。恥ずかしいんですけど。
「気になります」
ここは正直に返答する。義丸さんは今も鬼蜘蛛丸さんを"あいつ"と呼んだ。だけど浜辺じゃそんな素振り見せなかったし、航くんの返事の仕方からしてみんなの前ではただの上司部下なんだろう。気にならないはずがない。
「話せば長くなりますが…」
「訊いていいんですか?」
「ななしさんにはご迷惑をお掛けしましたからね」
フ、と柔らかく笑われて一瞬ドキリとする。まさか義丸さんにそんなことを言われるとは思ってもみない。何?今度は紳士作戦? 紳士とみせかけて俺について来いタイプ、とみせかけて本当に紳士作戦??
「下心のある話じゃありませんよ。そう構えないでください」
私ときたらまた顔に出てたらしい。今度から名前をサトラレに改めようか。
「すみません…」
「いえ、もとはといえば私のせいですから」
紳士作戦じゃなくどうやら今回は本物の紳士みたいだ。実はかなり反省してるのかな? 隣に居る義丸さんの横顔を眺めれば落ち着いた印象の表情を浮かべていて、どこかホッとする。
「私は、」
瞳の中に、微かな愁いの色が見えた。
「あいつが嫌いです」
不覚にもその横顔に見惚れていた私は、彼の言葉の意味を噛み砕くのにだいぶ時間を要してしまう。
「えっ」
「あいつも私を嫌っています」
どういうことだろう。二人の仲が悪いようにはとても見えない。
第三協栄丸さんだって「船上では信頼関係が一番、ひいては仲良しが一番!」と普段あれだけ謳っているのに。お頭に従順なこの二人がそれに背いてまさか不仲だなんて。
「どうして?」
言葉を探すように少し間を置いてから、義丸さんは小声で呟いた。
「一番の理由は、」
「?」
「私の度量が小さいからです」
「度量が小さい?」
「…昔話になるんですが、」
一拍の間があってからぽつりぽつりと語ってくれる。
「幼い頃から、私達二人はここで水軍の一員として育ってきました。最初の頃は私もあいつも仲が悪いなんてことなくて、一緒に仕事を学んで一緒に鍛錬して一緒に遊んでた。…ずっと対等でいられると思ってたんです」
「・・・」
「だけど違った。私とあいつには決定的に違うものがあった。あいつには水軍としての才があって、私には何もなかった」
「そんなことは、」
「あいつの傍に居た私が一番感じてたことです。傍目にも分かるんです。日に日に開いていく実力の差が悔しくて、どんなに努力してもその差は開いていくばかりで、どうしようもないほど追い付けなくて、」
「・・・」
「あいつが四功の一人に選ばれた日、すでに格差は歴然でした。私の嫉妬心が明確になったのもその頃からです」
…度量が小さいというのはそういうことか。
「あいつの昇格を手放しで喜んでやるなんて、私には出来なかった」
「だから鬼蜘蛛丸さんが嫌い、ですか」
「ええ。けれどお頭の方針に背くことは出来ないし、軍の雰囲気を険悪にすることも出来ないので、人前では良い上司部下を演じてます。お互いに」
「でも第三協栄丸さんには気付かれてるでしょう?」
「そうですね。お頭には敵いません」
第三者として聞くだけなら、確かに義丸さんの度量が小さい話なのかもしれない。だけどもし義丸さんの立場を自分に置き換えてみたら、私はどうだっただろう。どう思って何をするだろう。もしも私だったなら。
そう考えたら嫉妬による嫌悪なんてまだ可愛い方かもしれない。
さっき館で見た通り水軍の人員はハンパじゃない。その中で四功の座を争うというのはきっと並々ならぬ努力があったんだろう。肩を並べていた親友が知らない間に越えられない壁へと変わってしまって、積んだ努力が全て泡になるような器量の持ち主だったなら。
私には、到底堪えられそうにない。
「逆を言えば、お頭以外には気付かれていないと思います」
「義丸さんは立派ですね」
自然とそんな言葉が口を突いた。でも素直にそう思う。たとえ鬼蜘蛛丸さんに敵わないと分かっても、努力を続けて鉤役にまで這い上がるんだから。
義丸さんは少しだけ驚いた顔をすると、また柔らかい表情に戻って「ありがとうございます」とだけ言った。
足もとの砂が増えてきて道が平板になってくる。視界に浜が見えた。館はもうすぐだ。
ふわりと潮風が頬を撫でる。さっきまで風は無かったのに少し吹き始めたらしい。
「少しだけ、」
義丸さんが浜を見詰めながら呟く。
「遠回りしていきませんか」
不覚にもその穏やかな顔にまた見惚れてしまって。
「はい」
断ろうとは思えなかった。話し足りないし訊き足りない。このままだとどこか物悲しい。
何より私の中の義丸さんの印象がだいぶ変わったから。
「満月の海は、綺麗ですもんね」
私の方も浜を見つめたまま返事をした。
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