鬼蜘蛛丸
…え?
「ななしさんは、」
「はい?」
「土井先生のどこがお好きなんですか?」
「へっ?」
何だこりゃ。どういう展開? 唐突過ぎて思考が追い付かない。
「え?え? 何? 何でですか?」
思った端から言葉にすれば、いきなりですみません、と小さく呟いてようやく私から身体を離す鬼蜘蛛丸さん。先生のどこが好きかってそんなん…他人に言ったところで理解してもらえないだろうから訊かれても困る。
「あ、ひょっとしてドッキリですか? やだあ今日の宴会ってそういう趣向?」
「違います」
「先に言っておきますけど私、先生自身には好きだ好きだ直接連呼しちゃってますからそういうドッキリは企画倒れですよー残念!」
「茶化さないでください!」
ぐっ、と左手で引き寄せられて思わずよろけてしまった。転ばないように体勢を立て直したら鬼蜘蛛丸さんの胸にしがみ付いてしまう始末。
「え」
鬼蜘蛛丸さん自身の潮の香りが鼻腔を漂う程、かつてない至近距離。
ヒイイ何このオイシイ状況! 男の人に抱き寄せられるなんていつぶりだよ、恥ずかしくて顔あげらんないんですけど。出来れば素面で経験したかった…あああもったいねえ。
「私は本気です」
声に含まれる勇ましさや男らしさ。この雄々しさに腰砕けな女なんて世の中ゴマンと居るだろうに。この人はどうやら私みたいなショーモナイのを目に留めてしまったらしい。
大損してるな。雅さんとおんなじだ。
「土井先生のどこが好きかって訊かれたら全部です」
意外で驚いたし、素直に嬉しくもある。内心ぐちゃぐちゃだけど、だからってこの話を冗談で流してはいけない。そんな失礼なこと出来ない。本気で告白してきていると言うなら、私の方も包み隠さず本気で返答してあげなきゃ。気持ちに答えてあげることなんて出来やしないんだから、それがせめてもの礼儀だ。
「全部、ですか」
「全部です」
「私に勝てる部分はありませんか」
「…ありませんね」
「真似できる部分も?」
「ありません」
引っ付いてる胸から爆発しそうな心音が聞こえる。数多の死線をくぐり抜けて来たこの人もこういうことには緊張するんだな。
「お気持ちは嬉しいですけど、私が好きなのは土井先生です」
背に回されている左手に力が籠もった。着物越しでもちょっと痛い。
「教えてください」
勇ましさの中に脅えが見え隠れしてる。声が震えそうなのを抑えてるんだろう。
「土井先生に出逢う前に私と出逢っていたら、私を好いてくれましたか」
「それは…」
「私が先なら、勝てていましたか」
「どうでしょうね」
好きにならない、とは言い切れない。自分でも情けないとは思うけど、私は自分から異性へ滅多に惚れない分、いつも相手に流されやすいから。相手の出方ひとつで変わっていただろうなとは思う。土井先生と出逢わないうちに、鬼蜘蛛丸さんから告白されていたら。義丸さんから口説かれていたら。雅さんが友情の先を一歩踏み越えて来ていたら。きっと今とは違ってた。
…でもたぶん、結果はこうだ。
「鬼蜘蛛丸さんと出逢ったあと土井先生と出逢ったとしたら、私はやっぱり土井先生が好きです」
言葉にしてから自分でしみじみと考えてしまう。もしも土井先生と出逢わなかったら…そう思って今更ながらゾッとした。土井先生の存在を知った今だからこそ、先生の存在しない日々を思い浮かべて悲しくなる。
たとえ叶わぬ恋であれ、出逢えて良かった。そう思う。
「・・・」
しばらくの間があったあと、回された手の力を少しだけ緩めて鬼蜘蛛丸さんは笑った。
「取り付くシマもないですねえ」
フッと柔らかい雰囲気が落ちてきたからようやく私も顔をあげる。どうやら受け入れてくれたらしい。
鬼蜘蛛丸さんはやっぱり大人だ。納得してくれるのも早い。
「すみません。でもお気持ちは嬉しいです。ありがとうございます」
嬉しいのは本当。こんなイイ男に見初められるなんて私には身に余ることだ。私なんかのどこが良いと思ったんだろ。何にせよ女冥利に尽きる。
「じゃあそろそろ行きましょうか。早くしないと料理も乾いちゃいますし」
やんわりと身体を離そうと後ろへ足を踏み出した。のに、
「鬼蜘蛛丸さん…?」
「・・・」
回された左手がビクとも動かないんですけど。何コレ全然動けないよ。ちょっとちょっと。
「動けないんですけど」
「そうですか」
いや、そうですかじゃねーよ! なに素知らぬ顔でとぼけちゃってんの!? こんなにふてぶてしい確信犯がいるか!
「放してくださいよ」
「嫌だって言ったら?」
「酔ってるんですか? 飲んでないのに」
「じゃあそういうことにしてください」
ちょ、全然諦めてくれてないじゃん! なんだよ大人だと思ってせっかく尊敬したのに! 詐欺!!
「往生際悪いですね」
「引き際が分からないだけです。一回攻めたら退くこと知らないんで」
「今まさに引き際でしょ! 案外強情だなあもう!」
「水軍はみんな強情ですよ」
知らなかった、一回ぶつかったらあとがメチャクチャ強引じゃないか! もはや開き直り。海の男ってみんなこうなの!? ああでも義丸さんを思えばみんなこうなのかもしんない。紳士に見えて実は亭主関白なのかもしんない。一歩後ろから俺についてこいタイプ。ああだから尽くし型な私がいいと思ったんかな!? そうかも! 勝手な推測だけど! 目測誤ったー!アイタタタ! 最初から大人しく腕に納まってるんじゃなかった! 男性経験少ないとこういうところで馬鹿を見る!
「ちょ、もう、イイカゲン放してくださいよ。金とりますよ」
「いくらですか」
「第三協栄丸さんにチクんぞコラ」
「それは困るっ」
何なんだこの空気! 鬼蜘蛛丸さんて実はこんな人だったの!? さっきまでお互い真剣だったのに今じゃショートコントみたいになってるし! まるで普段の私と土井先生のやりとり!
アレッ、それって土井先生は普段私に対してこんな気分だったってこと? うそん泣ける!!
「うわああん!」
「待っ、何も泣かなくたって!」
打開策を思案しつつふざけてれば、ふと誰かが歩いてくる足音が聞こえた。規則的に砂利を踏み締める音。獣じゃなくて人間だ。
首だけ捻って振り返ろうとした時、ぱっと鬼蜘蛛丸さんから身体を離される。いつも唐突だな。予告ぐらいくださいよ、またよろけた!
「どうした、ヨシ」
鬼蜘蛛丸さんの問い掛けに釣られて背後を見れば何故か義丸さんが坂を下りて来てた。今の見られてたかな。見られてたらちょいヤヤコシイな。
「いえ。影兄ィがせめて料理だけでも食べたいって言うから、もらって来ようと思いまして…」
義丸さんの表情からしてどうやら見られてはいないらしい。良かった、一安心。
「それなら今から俺が持っていく。東南風が取り置いてくれたんだ」
「分かりました」
「それと今日の山見番を代わってもらえないか」
「え?」
「陸酔いが酷くてな。お前が良いなら代わってもらうよう、お頭からも言われたんだ」
「私はべつに構いません」
やっぱり妙だ。二人の会話に覚える違和感。そりゃあ上司部下だから何もオカシイことなんてないし、これが日常風景なんだろうし、だけど、でも、
「ななしさんは付き添いですか?」
「え? あ、はい」
予期せず義丸さんから話を振られたので動揺しつつ返事をした。ら、義丸さんは私の表情をじっと眺めて何か探るような顔をしていた。うわ、今日何度目だこの状況。あんまりガン見しないでくれ、私はすぐ顔に出るから。
穴が空くほど私を見たあと、今度は鬼蜘蛛丸さんへ視線を移す彼。次の瞬間、彼は瞳を大きくさせてピンと閃いたような表情を見せた。
「鬼蜘蛛丸、お前…」
眉間へグッと皺を寄せて絞るように声を出す。彼が先の言葉を綴る前に鬼蜘蛛丸さんが私を呼んだ。
「ななしさん」
「はい?」
涼しい顔で番所への足を踏み出す鬼蜘蛛丸さん。
「酔っ払いの戯言なんで今日の話は忘れてください」
ようやく吐かれた引き際の言葉。今度こそ納得してくれたんだろう。引き際というより、もはや去り際だけど。
「一滴も飲んでないくせに」
「陸酔いです」
「陸酔いコエエ」
鬼蜘蛛丸さんは振り返り様に一笑すると、立ったままの義丸さんと私の横を素通りして番所への坂を上って行った。
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