潮風


明るい場所から急に外へ出たので最初は視界が慣れなかったけど、段々といろんなものが見えてきた。今夜は満月だから外も充分明るい。
はてさて鬼蜘蛛丸さんはどこへ行ったかな。わざわざ外へ出たってことは潮風の強い場所を求めて歩いたんだろう。でも今日に限ってあまり風は吹いてない。きっとそう遠くへは行ってない…というか行かれてないはず。
「鬼蜘蛛丸さーん…?」
周囲をキョロキョロと見渡しながら浜辺を歩く。いっそ大胆に海へ入っちゃったのかな。海賊は好んで夜の海を泳がないと聞いたけれど。それとも宴会は諦めて船へ向かったのかし? それならそれで安心だからべつに良い。
「だっ!?」
ふと何かに蹴躓いた。明らかに岩の感触とは違うそれ。まさかと思って下を見れば、
「…鬼蜘蛛丸さん発見」
浜辺のど真ん中でひとり狸退きしてる彼。いや狸退きつーよりは土下座というべき? なんともいえない姿勢。
足跡の方角からして船へ向かおうとしたんだろうけど、途中で力尽きたんだなたぶん。まさかこんなところで行き倒れてるとは。
「大丈夫ですか?」
隣にしゃがんで気休め程度に背を擦る。詳しくないけど、この人もだいぶお人好しなんだろうなあ。そんなに辛いなら宴会なんてさっさと諦めて最初から船の上に居れば良かったのに。おそらく間切くんもそうだけど、きっと初めから不参加だと周りのみんなに申し訳ないから無理矢理参加したクチだな。
「ななしさん…?」
空気みたいな掠れ声と一緒に泣きそうな顔を向けられる。当人は泣きそうな顔してることにたぶん気付いてないなコレ。そこまで余裕無いだろうし。
「船の傍まで歩くの手伝いますよ。立てますか?」
「あ、ありがとうございます…」
肩を担げば死に損ないながらヨロヨロと立ち上がる鬼蜘蛛丸さん。初めて会った時の勇ましさはどこへやら。真っ青過ぎて別人だなホント。
「ななしさん、何でここへ…」
「鬼蜘蛛丸さんが死んっ…倒れてたらどうしようと思いまして」
「…ご心配お掛けしてすみません」
「いいんですいいんです、性分ですから。私が勝手に心配したかっただけなんで気にしないでください」
気を取り直して一歩踏み出そうと足を出し掛けたその時、背後から聞き慣れた声がした。
「鬼蜘蛛丸」
二人で緩慢ながら振り返れば、何故かそこに第三協栄丸さんが立っていた。気付かなかった、いつの間に。
「は、い」
「これは新人の歓迎会でもあるんだぞ。あいつらの上司であるお前が俺に黙って勝手に抜け出すなんて、ちょっと非常識なんじゃないか」
「面目ありません…」
いきなり説教タイム突入。第三協栄丸さんがお頭として威厳あるところ、失礼だけど初めて見た。第三協栄丸さんの言い分もわかるけど今は勘弁してやってくれませんかね。だって担いでる私が重い。早く歩きたい。
「…まあいい。俺もいつもは船酔いだから気持ちは分かる。どうしても辛いなら今日の山見番をヨシと代わってもらえ」
 ぇ゛?
「すみません。そうします」
ちょ、ちょ、ちょ、それはいくらなんでも短絡過ぎね!? 他にもっと良い案無いの!? 義丸さんじゃなくて蜉蝣さんに代わってもらうとか! ああでも蜉蝣さんも陸酔い族なんだった!!
「ななしさん、すみませんがこれもご縁なんで山見番所まで付き添ってやってもらえませんか」
「えっ」
「頭である俺が館を抜け出すわけにもいかないし…他の奴らはもうだいぶ酔いが回ってるみたいなんで」
「お頭ッ」
途端、蚊の鳴くような声しか出せてなかった鬼蜘蛛丸さんからハッキリした声が飛び出したのでちょっとビックリする。鬼蜘蛛丸さんてばどうしちゃったの。
「私は、一人で行かれます」
「そう言うな。ななしさんには他にも頼みたいことがあるんだ」
頼み?
「何ですか?」
「これ、山見番の二人に持ってってください」
差し出されたのは取り皿の上に盛り付けられた料理。そっか、番所の二人はお酒どころか料理も口にしてないもんね。
「東南風の奴が、せっかくのななしさんの料理を一口も食えないのは可哀想だから、って先に取り置きしてたみたいなんですよ。ついでにお願いします」
「へえ! 東南風くん、やっさしー! 水軍さんって気が利く人ばっかりですね」
「そう言ってもらえると鼻が高いですよ。お手を煩わせてすみませんが引き受けてくれませんか」
「ぅ」
正直、断りたい。だってそれを引き受けちゃったら義丸さんが飲み会に参加するのを認めちゃうってことでしょ? せっかく凌いだラスボスが復活しちゃうんでしょ? 全く面白くない!
面白くない、けど…
「・・・」
すぐ横にある鬼蜘蛛丸さんの蒼白な顔を見てたらそういうワケにもいかないか。私のワガママで具合の悪い人を無理させても仕方ない。ここはひとつ大人になれ自分。そうだよ、べつに今日だけの話だよ、一生続くわけじゃないんだよ、館に戻れば土井先生も居るよ、っていうかみんな居るよ。
「…分かりました」
自分に言い聞かせながら声を絞り出し、第三協栄丸さんから片手で皿を受け取った。





右に鬼蜘蛛丸さん、左に料理。
これが思ってたより案外ツライ。番所までの道がこんなに急坂だとは思わなかった。向かう先が山見場なんだからちょっと考えりゃ分かることだったのに。どうして安請け合いしちゃったんだ。自分の安直さに泣けてくる。
少量酒の入った身体でゼエゼエ言いながら坂を上っていく。日頃自分をオバチャンおばちゃん言ってるけどこんな時ほど年齢を感じるな。体力の衰えには勝てんわ。
「ななしさん、大丈夫ですか…?」
鬼蜘蛛丸さんにかえって心配される始末。情けないなわたしゃ。リアルに凹む。
「鬼蜘蛛丸さんこそ具合どうですか?」
「だいぶ楽になってきました。ここは風があるので」
ふわり、山の上から潮風が流れてくる。近付けば近付くほど風が強い。風の無い日でもやっぱ高台の方に行けば吹いてるもんなんだ。酸素不足の身体には風の冷たさが丁度良いな、もっと吹いてくれんかな。
「料理、私が持ちますよ」
楽になった分、余裕も出て来たらしい。私の手からサラリと料理を奪い取る鬼蜘蛛丸さん。
「ありがとうございます」
頑張れ私、帰りは下り坂なんだから。帰りは料理も無いし鬼蜘蛛丸さんを担ぐことも無いし。今だけの苦労なんだ。
…あれ?待てよ? いま冷静になって考えてみたら私コレ相当な地雷踏んだんじゃないの? 帰りに鬼蜘蛛丸さんが居ないのは義丸さんと交代するからであって、それすなわち帰りには義丸さんが居るわけで、帰り道は義丸さんと二人になるわけで。
アッー!? やっちまった!!
「何故に私はノータリンなんだろう!」
「は?」
「え? あ、いえ何でもないです。独り言です」
「独り言にしてはずいぶん盛大な気が、」
「通常運転です」
口に出ちゃったことを気にする間もなく、行き先の方角に明かりが見えてきた。遠くにある、星とは違う明かり。きっとあそこに山見番所があるんだ…うわあどうしよう。着きたくねえ。
「番所の明かりが見えてきましたね」
鬼蜘蛛丸さんの呟きにひたすら心が沈んでいく。やだやだやだなあ辿り着きたくないなあ。いっそここから先は鬼蜘蛛丸さん一人で行ってもらおうか。足取りも軽くなってきたからそろそろ一人で歩けるだろうし。
あ、そうか。その手がある。そうだそれがいい、そうしてもらおう。
いまだ肩を担いだままの鬼蜘蛛丸さんへ話し掛けようと横を向き、口を開く。が、開き掛けた口をつい噤んでしまった。いや何でかって

横顔がやたらイケメンだったから。

無駄に二回言うよ、イケメンだったから! 端から聞けばアホらしい理由だとは思うけどそうとしか言い様が無い。忘れてたわけじゃないけどこの人も本来かなりのイケメンなんだった。たださっきまで瀕死な表情の印象が強かったからこんな至近距離でイケメン担いでる自覚無かった。おかしいな、身体を離したわけじゃないのにいつの間に別人とすり替わったの。そんな次元の話。
イケメンに不慣れなもんだから意識したら緊張してきた。いい歳こいて乙女かよって自分で言いたくなる。
まあ何にせよ陸酔いが治ってることは明白だからここは早く館へ戻ってしまおう。
今度こそお願いしようと思って再び口を開いた時、突然鬼蜘蛛丸さんが足を止めた。
「え?」
少し先の地面を見詰めたままピタリとその場から動かない。
「鬼蜘蛛丸さん?」
「・・・」
眉間へ皺を寄せたまま黙り込んでる。何? どうしたの? どうしたらいいの?
「どうされました? まだ具合悪いですか?」
困った。そうだとしたら非常に困った。片手に料理じゃなくてエチケット桶を持ってくんだった。吐くならせめて私と離れてからにしてくれええこの距離じゃ頭からゲロ引っ被る! 身動き取れない!
「…本当は、」
「はい?」
「言ったらいけないことなんですが、」
ぽつりぽつりと話し出す。さっきまでの絞り出すような声じゃなくて、凛とした澄んだ声。でも何故か私とは視線を合わせてくれない。

「お頭がわざわざチャンスをくれたので、それに甘えようと思います」


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