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そんなこんなであっという間に当日。
昼は水軍さんも仕事があるそうなので宴会は夜から開始。けれど料理を作る予定があるから、夕方の早いうちに先生と二人で兵庫水軍の海へ向かった。
楽しみ過ぎて足取りが弾む。
「場所は水軍館ですか?」
「らしいです。船上で宴会することが殆どらしいんですけど、何せ船の上は女人禁制なので今回は水軍館なんですって。水軍さんの親睦会を私なんかに合わせてもらっちゃって、ちょっぴりヒンシュクですよねー…」
「ななしさんが気を遣うこと無いでしょう。誘われた立場なんですから」
並んで歩きながらぽつぽつ会話する。先生と二人で遠出することなんてそうそう無いから、不謹慎だけどこれはこれでラッキーかな。
「そういえば先生ってお酒強いんですか?」
「実を言うとそれほど強くないんです。ななしさんは強そうですよね」
「え、私そんな風に見えますか」
案外弱いんですけど。
「えっ、強くないんですか? いや強いですよね。絶対強い」
「ちょ、なんで断定?」
とりとめのない話を繰り返していればしばらくして海が見えてきた。そういえばここへ来るのも結構久し振りだなあ。
「あ!」
浜辺の方から見知った顔が声を上げる。
「ななしさーん!」
ぶんぶんと元気よく手を振る青少年。相変わらず海が似合って清々しいね君は!
「網問くん、やほー!」
思い切り振り返せば彼の隣に居た重くんも私達に気付いたらしい、笑顔でこっちに手を振ってくれた。いつ来ても兵庫水軍の若い衆って好青年だわ〜オバサン年甲斐もなくハシャいじゃうよ!
「お頭、土井先生達がいらっしゃいましたー!」
二人の少し向こうに水軍さん方が固まっているのが見えた。重くんの呼び掛けに第三協栄丸さんを始めみんなが振り向く。
「おー! いらっしゃーい!」
笑顔で手招きしてくれる第三協栄丸さん。仕事を中断しちゃって悪いなと思いつつ、挨拶は先に済ませておこうと彼らの元へ歩いた。先生の一歩後ろに隠れながら。
「今日はよろしくお願いします」
「料理に気合入れようと思って、少し早めに来ちゃいました」
私達の言葉に、待ってましたよお二人さん!、と疾風さんが気さくに笑ってくれる。ほらね〜先生、心配は杞憂だったじゃないですか。先生自身も歓迎されていますよ。
「そりゃありがたい。材料は館の方に置いてありますから、とびきり美味いヤツお願いします!」
「またプレッシャー掛けてきますねえ」
「ウソウソ。ななしさんが作ってくれりゃ何でも美味いですから、好きに作ってください。俺達はあとから行くんで先に館へ行っててください。船の点検が残ってるんで、なるべく早く切り上げてきます」
「分かりました」
第三協栄丸さんと会話しながら、ざっと水軍さん方を見回してみる。どうやらここに義丸さんの姿は無い。
ひとまずホッとした。
「じゃあ行きましょう先生」
「そうですね」
踵を返して二人で歩き出す。
「私も手伝います」
「え、いいんですか?」
「宴会まで特にやることもありませんし」
「あれまあ貴重なシュンカーン。土井先生の口から"暇"の単語が出るなんて」
「…あまり笑えないんですが」
「…ですね、すみません」
揃って苦笑していると向かいの館方面から男性二人が歩いてくるのが見えた。何を隠そう、
「ぅあ゛ッ」
今さっき見当たらなくてホッとしたばかりの本日のラスボスだった。思わず口から変な声が飛び出たけど、そんなことを気にする余裕も無く先生の後ろへ引っ込む。
「あ、お二人ともいらしてたんですね」
義丸さんの隣に居た航くんが悪意無く話し掛けてくる。出来れば素通りしてほしかったよ泣。いや、べつに君は何も悪いことしてないんだけどね。むしろ挨拶は正しい行動なんだけどね! でも泣ける。
「土井先生もななしさんもお久しぶりです」
正面から聞こえる義丸さんの挨拶。そしてこれまた正面から聞こえる、お久しぶりです、という先生の返答。たとえ苦手だったとしても大人として挨拶を無視はいかんよな、そうよな、私もここはきちんと返さなきゃ。
「お、お久しぶりです」
結果、先生の背後から上半身だけ見せてヘラリと愛想笑いする形になってしまった。うわああ我ながらコレ感じ悪いわ! ここまで露骨にするつもりは無かったのに! 航くんに誤解されるよヤベエエ!
「ななしさん?」
案の定、キョトンとした顔で私を見詰める航くん。そりゃそうよね、私いつもはこんな照れ屋キャラじゃないもんね。先生の後ろに隠れてるとか明らかにおかしいよね。年甲斐もなくごめんね。
航くんは私を見詰めてから義丸さんを見て、右見て左見て交互に見て、ピンと閃いたように瞳を丸くした。
「あ、分かったっ」
「何が? 航」
「義兄ィってば手ェ早いからななしさんを口説いたんでしょ。苦手意識持たれてんだ!」
見事大正解です。座布団あげたい。
「そうハッキリ言うなって。傷付くだろ」
溜め息混じりに航くんの額を小突く義丸さん。あいてっ、と航くんが小さく声を出した。
義丸さんは私の方へ向き直ると一拍置いて言葉を探す。くそう、苦手だと思ってもやっぱ色男だなくそう、どうしてこんなイケメンなんだよくそおお見れば見るほどイケメン過ぎるだろくそおおお! 何度もしつこいけどこちとらイケメンに直視されるの慣れてないんだよおおおお!! こっち見んな!!! テレるから見んなああ!!!
「そう苦手がらないでください…」
ぽつりと呟かれたけど呟かれたところで無理な話。だってもとは義丸さんがいけないんじゃん。ああ頑張れ私、今日このラスボスをクリアしたら美味い酒が飲めるんだよ本当だよ。
蛇に睨まれた蛙よろしく固まってたら、自分でも知らないうちに先生の服の裾を握り締めてたらしい。前を向いたままの先生の片手が私の腰をポンポンとあやすように叩いてきた。何だか安心する。反動で涙腺緩みそう。
「心配しなくても私は今日、山見ですから。安心して飲んでください」
「…へ?」
今、何と?
頭上へ疑問符を出しまくる私に航くんが補足してくれる。
「宴会の時はいつも山見を決めてるんですよ。敵から夜襲があった時に精鋭陣全員が酔っ払ってて使えないのでは話にならないから、二〜三人を山見番所に立たせて、それ以外のみんなで飲むようにしてるんです」
なるほど。説明助かるよ、ありがとう。
「当番制なんですけど、今回の宴会はたまたま蜉蝣の兄貴と義兄ィが山見番なんです」
…そうだったの。あ、良かった。よく頑張ったよ私。ラスボス攻略したんじゃない?コレ。美味い酒が飲めるんじゃない?コレ!
「そこまで嬉しそうな顔しないでくださいよ。どうやらだいぶ嫌われていますね…私は」
「え!? べつに嫌ってるわけじゃありませんよ!」
ブッ、と。それまで黙って会話を聞いていた先生が勢いよく噴き出して笑うもんだから寿命縮んだ。え?私なんかヤバかったですか?
「ななしさん、今"苦手"を肯定してしまいましたね」
先生に言われて自分の言葉を振り返る。ああそうか。今の言い方ではそうなるか。うわっなんで吐露しちゃったんだ余計に気まずい。先生と航くんのクスクス笑いに挟まれて物凄く苦い顔してらっしゃる義丸さん。たぶん私も今おんなじ顔してる…。
「ヨシ」
不意に隣から聞こえてきたトーンの低い声。見ればこれまたお久しぶりのイケメンがもう一人。いつの間にいらっしゃったんですか。
「これ、船へ戻るならついでに持ってってくれ」
塩水のコップ片手に中サイズの箱を差し出してきたのは鬼蜘蛛丸さんだった。分かりました、って返答しながら義丸さんはその箱を受け取る。
「鬼蜘蛛丸さん、お久しぶりです!」
すかさず挨拶。べつに場を取り繕ったわけじゃないよ、決して違うよ、うん。
「お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ!」
私の返事も半端に踵を返し遠のいていく彼。あれれ、やたら言葉少なだなあ。顔色も真っ青だったし。…あ、噂の陸酔いなのかな?
「鬼蜘蛛丸さん!」
途端、去っていく彼の背へ義丸さんが声を投げた。唐突だったのでちょっと驚く。
「館の荷、さっき由良さんに預けましたから!」
「…了解」
背を見せたままひらひらと手だけ振って見せる鬼蜘蛛丸さん。今にも消え入りそうな声。コップの水をグイ飲みしてるからやっぱり間違いなく陸酔いの最中だろうな。
…ていうか、あれっ?
「義丸さんて鬼蜘蛛丸さんに敬語でしたっけ?」
微かな違和感。確か前に会ったときは同僚みたいな口ぶりだと思ったけど…。
航くんがまたもやキョトン顔で私を見ながら話し出した。
「そうですよ? 鬼さんは山立ですから、義兄ィにとっては上司です」
「えっ」
そうなの? おやあオカシイな…確かにタメ語だったと思ったんだけど…記憶違いだったのかな…。
なんだか釈然としない。珍しく自分から義丸さんへ話し掛けてみようと口を開いたら、義丸さんはこっちを見ないまま先生の横を素通りして行った。
「あ。義兄ィ、俺も運ぶの手伝います」
航くんも彼のあとを追い駆けて私達の前から居なくなる。
「…なんか、妙ですね」
「そうですか?」
私の独り言に随分近くから返答が落ちてくる。顔を上げれば先生が自分の肩越しに私を振り返ってた。
あ、やばっ。私、先生にしがみ付いたままだった!
「あああ、すみません。着物が皺になっちゃいますね」
慌てて手を放し、くしゃくしゃになったそこを元に戻そうと両手で引き伸ばす。思った通り皺が付いて戻らない。ああこれはもう今日は直らないな、先生に迷惑掛けてしまった。
「ごめんなさい」
「構いません。べつに気にしないでください」
眉尻を下げた表情で柔らかく笑い返してくれる。
「だってななしさん、このために私を誘ったんでしょう?」
思いがけず息を呑んでしまった。先生、最初から分かってて一緒に来てくれたんですか。
「ご存知だったんですか」
やっぱり大人だ。私、この人には心底敵わないや。
「早く水軍館へ行きましょう。料理する時間がなくなってしまいますから」
「土井先生」
「はい?」
「好きです」
少し間があったあと、はいはい、なんて軽くあしらいながら先に歩き出す先生。
枝毛から覗く耳が赤く見えたのは気のせいだろうか。夕暮れ時だし。私は単純だから、勘違いしてうっかり期待しそうだ。
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