北石照代
今日は曇り空。
雨が降りそうな気がするから、お客はあんまり来ないだろうな。
客席に座って一人でぼうっとしていたら、店の外で荷車が停まる音がした。カウンターから身を乗り出して入り口を見れば、背の高い男の子が一人。
「ななしさん、久し振りぃ。活きの良いのが獲れたから持って来ましたよー」
「おお、網問くん。いつもありがとう」
いつものにこにこ顔を見せながら、籠いっぱいの魚を運び入れてくれる。毎度助かるな本当。
兵庫水軍から定期的に魚を持ってきてくれるのは、いつも網問くん。一度だけ間切くんが来てくれたこともあったけど、陸酔いでフラフラだったから、なんだか申し訳ない気分になった。そのあとたまたま顔を見せにやってきた第三協栄丸さんに「出来れば陸酔いの酷くない子にしてあげて下さい」とお願いしてから、網問くん以外はここへ来なくなった。たぶんもうここへの運搬は網問くんの役目と決まってるんだろうな、水軍の中で。
「いつも悪いね、遠路はるばる」
「気にしないで下さい。俺、ここに来るの楽しみなんで」
あらまぁ可愛い顔してなんて嬉しいことを言ってくれるのか。オバサン、単純だから舞い上がっちゃうよ。
「どうせ暇でしょ。ゆっくりしていってよ」
「失礼ですねー。いつもは忙しいんですよ?」
「分かってるよ。網問くん、暇な時じゃないとここへ来ないじゃん」
ぷうっと頬を膨らませて席に着く網問くん。可愛いな全く。
とりあえず彼の前に水を置いて調理場へ引っ込み、簡単に出せるものを探して食品棚を見渡す。えーと、いいや、干し大根を煮戻そうかな。
「今日は試作メニュー食べさせてくれないんですか?」
ウキウキ感満載の現金な声。苦笑しながら網問くんに視線をやれば、わくわく顔で私を眺めていた。
「…いいけど、準備してないからすぐ出せないよ?」
「いいんです! それが楽しみでここに来てますから!」
魚>私、そういうわけですかい。あははー、しんべヱの時とデジャヴってんなコレ。網問くんてば正直過ぎ。
まあ、私の料理を気に入ってくれてるんだろうから悪い気はしない。飛び上がって喜ぶ気にもなれないけど。複雑。
うちの店の新メニューを試食してくれるのも、だいたい網問くんだ。たまにきり丸に食べてもらったりするけど、きり丸はタダで食えるなら何でも美味く感じるようで、食べさせたところであまり参考にならない。その点、網問くんは良い点、悪い点をハッキリ言ってくれる。海賊として新鮮な魚料理に舌が肥えてる分、時々アドバイスもしてくれる。ありがた過ぎて頭が上がらない。
手早く作って網問くんの前へ置いてみた。
「えーと、あれ? 普通の磯辺焼きですか…?」
「ああ、うん。まぁ…」
「でも何だろう? 凄く良い匂いが…あっ!よく見たら明太が塗ってある!美味しそう!」
「まじまじ観察されると恥ずかしいんですけど…」
「いただきまーす!」
が ぶ り
「・・・」
「・・・」
「・・・ななしさん、これ…」
「騙してゴメーン」
「餅のかわりにハンペンて…いや、これはこれで美味しいですけど…」
「ありがとう」
「明らかに土井先生用のメニューですよね。試作品じゃないですよね」
「分かっちゃった?」
「外観に悪意がみられますもん」
「実はもう出したんだけどね。家で」
「えっ!? 土井先生にコレを!?」
「違う、違うの、いやべつに何も違わないけど、聞いてくれよ私の言い訳を! 主婦としてはさ、旦那様にちゃんとした食事をさせてあげたいわけですよ。旦那様の偏食を直してあげたいわけですよ! でもさあ、土井先生ってば味云々関係無く視界に練り物が飛び込んだだけで拒否反応起こすじゃん? だったらもうこの際、味は別にして、如何に練り物を練り物と思わせずに彼の口へ運ぶかを考えたわけだよ。で、結果コレになったわけだよ」
「それで先生はコレを食べて何て言ったんですか?」
「言うも何も、その日はもう口利いてくんなかった!」
「ご愁傷様です」
思い出したら悲しくなってきた。
どうして先生、あんなに練り物嫌いなんだろう。味? 食感? それとも過去に嫌な思い出でもあんのかな。
「罪でふね〜土井へんへいは。ななしはんの好意を無にすうなんへ」
ハンペンくちゃくちゃしなければまぁなんとも男前な発言なのに。いろいろ残念だよ網問くーん。
「ごめんくださーい」
油断しまくってたところへ、お客様がご来店。
「はーい、いらっしゃいませ!」
急いで店の入り口を振り返ればそこに一人の美女が佇んでた。睫毛の長い、活発そうなひと。
「空いてる御席にどうぞー」
誰かを探しているのか、それとも場慣れしていないのか。周りをキョロキョロと見渡して落ち着かない様子だったので、笑顔でそう促せば、私を視界に捉えてじっと見据えてくる。なんだろう…来るところ間違えたとか、そんなオチ?
「…なぞのななしさん?」
「へ?」
私をまじまじ眺めた後、私の名前を口にする彼女。んー…誰だろう。失礼だが記憶に無い。
「すみません。私、記憶力が無いもので…。以前どこかでお会いしましたか?」
「あ、いえ、ごめんなさい。初めまして」
慌てて顔の前で手を振ってみせる。表情豊かで可愛いな。
「あ、いい匂い…」
彼女はスンスンと鼻を鳴らすと、匂いのもとである網問くんの食べ掛け料理に目を移した。
瞬間、ぐうううと彼女の腹が悲鳴を上げる。咄嗟に腹部を手で押さえて真っ赤な顔で私を見上げてくるその様子に、なんだか親近感が湧いた。
「良かったら同じの、召し上がります?」
「す、すみません、頂きます…」
網問くんの向かいに座る彼女へ同じものを出してあげようと、カウンターの向こうへ再び引っ込んだ。そのまま私だけカウンターを挟んで、三人で会話する。
彼女の名前は北石照代。19歳。なんでも忍術学園の元教育実習生で、今は派遣忍者として活躍してるらしい。
どうして私を知っているのか訊ねれば、仕事で利吉くんに会った際に彼から聞いたのだそうだ。で、何故ここへ来たのかというと、
「あああ今思い出しても腹が立つ!!!」
仕事の最中、些細なことで利吉くんと喧嘩になったのが理由。残りの仕事を利吉くんに押し付けて飛び出してきたところ、行き場が無くてどうしようか悩んでたら、ふとここを思い出したんだと。
正直、リアクションに困る話である。なんで喧嘩してここを思い出すの。そして来ちゃうの。フォローしようにも喧嘩の原因を訊いていいか分かんないよ。二人とも忍者だし。
「なんで喧嘩したんですか?」
私が言い淀んだことをさらりと口にする網問くん。君は素直でよろしいねぇ。
「それが利吉さんてば有り得ないんですよ! 聞いて下さい二人とも!」
えっ、聞いて良かったんだ、ソレ聞いちゃっても良かったんだ。初対面だからイマイチ絡み方が分からん。照代ちゃんてば人見知りしなさ過ぎ!
「情報収集の忍務で、町で聞き込みをしてたら…『自分は利吉さんの彼女だ』って言い張る女性に出会ったんです。でも利吉さんにその話をしたら『そんな奴は知らない』って言い張るんですよ! 利吉さん、自分が手を出した女性のことも忘れちゃってるんです!!」
息つく間もなく捲くし立てる彼女。相当頭に来てんなあコリャ。
そんな照ちゃんに返答したのは私じゃなく、ぱちくり顔の網問くん。
「…で?」
「え…。『で?』って…だ、だって最低でしょ!」
「え?それだけで?」
「はっ!?」
あばばばば!いっかんよ網問ちゃん! 君おそらく今、地雷を踏み掛けている!!!
「そ、それは利吉くんが悪いよね! うん、悪い悪い最低だよ!」
「ですよね!! ななしさんてば話が分かる!」
本音を言えば私も『それだけ?』って言ってやりたいけど、これ以上ヘタなことを言えば彼女が余計にヒステリーを起こすと踏んだ。ここは肯定しておこう。
「ななしさんまで? えええ俺にはよく分かんないなぁ…」
ぷぅ、と口を膨らませる。網問くん、拗ねる時に頬を膨らませるのが癖なのかな。なんでもいいから取り敢えず余分なことだけは言わんでくれ。
「それで利吉さんが最低だとしても、どうして照代さんが怒るんですか? 照代さんには直接関係無…あ!分かった!!」
ぽん、と手のひらを打つ彼。
「照代さん、利吉さんのことが好きなんでしょう!」
カッ!!と、まるで火を点けたように照ちゃんの顔は真っ赤になった。うわああすげえ分かりやすい。
「どっ、どーして私があんな仕事馬鹿のことなんか!そんなわけないでしょ!!!」
咽喉ちんこ見えそうな勢いで網問くんに食って掛かる照ちゃん。網問くんてば、あまりの迫力に泣きそうな目で私へ助けを求めてくる。図体の大きいウサギみたい。
「そ、その自称利吉君の彼女さんは、いつどこで利吉くんと出会った人なの?」
無難に話題を逸らしてみる。照ちゃん、けっこう気が短いんだな。覚えとこ。
「え、と…茶屋で声を掛けられた、って言ってました」
茶屋でナンパ! やるな、あの18歳! 侮れねぇ!
照ちゃんのその言葉に、向かいに座っている網問くんがうーんと首を捻る。
「なあんか変だなぁ。うちの義兄ィならともかく、利吉さんが自分から声を掛けた女性のこと忘れたりしますかねー…?」
予期せず網問くんの口から出てきた聞きたくない名前を軽やかに脳内消去する。
けど真面目な話、彼の言うことはもっともだ。あの土井先生に負けず劣らずの潔癖イケメン利吉くんが果たして茶屋でナンパなんかするだろうか。…いや、するかもしれない。利吉くん、この間ここへ来た時に双子座AB型なのをカミングアウトしたし。私達が知らない裏の顔を持ってるやも。
だけどそもそも茶屋でナンパしまくる時間なんてあるのか、あの多忙なフリー忍者に。否、一度や二度は可能でも相手を忘れるほど数打てるはずない。
…考えられるのは、
「ねえ照ちゃん。その女の人が敵方のくノ一だったって、ことは無い?」
「…え?」
「利吉くんに押し付けて来た残りの仕事って何だったの?」
「潜入捜査、です…」
不意に網問くんがピンと閃いた顔をする。
「そうか! 敵方はいち早く情報を掴んで、二人が潜入してくることを知ってたんだ! だから二人の協力心を削ぐため、あらかじめ町に何人かのくノ一を放っておいた。その方があとあと二人を捕まえやすいですからね」
「え…っ」
「照代さん、相手の術に掛かったかもしれませんよ」
さっきも言ったけど、網問くんはよくも悪くもズバッと物を言う。照ちゃんの顔色がサッと青くなった。
「それって…」
「…うん。利吉くん、一人で潜入に向かったんでしょ? 相当危険だよ」
ガタン!と勢いよく席を立つ彼女。次の瞬間には店を飛び出して行ってしまった。
「…台風でしたね」
「うん。残念だな〜今出来たのに、磯辺焼き」
「俺、食べます。おかわりしたい」
「二枚焼いたから一枚は私ね」
向かいに座って真ん中へ皿を置く。
「ななしさん、加勢しないんですか?」
「しないよ〜。利吉くんなら自分で何とか出来るでしょ、何せ利吉くんだし。それに仲直りするだろうから、二人きりにしてあげた方がいいじゃん」
なんだか本当、嵐みたいな人だったけど…いろいろ共感出来るコだったな。歳も近いし。彼女、なんだかんだ言って利吉くんで頭いっぱいなんだ多分。
「モテる男は罪だよねー。利吉くんてばきっと照ちゃんの気持ちに微塵も気付いてないよ? あ〜んな美人を差し置いてさー。地獄に堕ちるね」
磯辺焼きを摘まみながら何と無しにぼやく。ってか我ながら美味いなコレ。先生ってば何が気に入らないんだろう。
なかなか相槌が返ってこないので、磯辺焼きから網問くんへ視線を移す。何故か目の前の彼は物凄く苦笑していた。
「…その台詞、利吉さんより土井先生に言ってあげた方がいいと思いますよ」
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