鉢屋三郎


ぼんやり目蓋を開けると、朝特有の光度にちょっとだけ目が眩んだ。
思わずもう一度目蓋を閉じて、その心地良さにウトウトし始めると、
「二度寝は風邪を引きますよ」
上から声が降ってきた。
その声が愛しい人のものであることに気付くのにコンマ4秒。暗闇を裂いて一気に目を開ける。
「…え?あれ?」
横になって寝ていた私の傍らに、土井先生が座ってた。視界は冴えたものの思考が追い付かない。
「おはようございます、ななしさん」
どうやら朝のようだ。
…私ってば!
「私、朝寝坊!?」
慌てて上半身を起こす。やっちまった! 一番寝坊しちゃいけない日に何してんの私!
ぐるりと部屋を見渡したけれどきり丸の姿は見当たらない。もうバイトに行ったんだ。あああしくじったああ!
「昨日はだいぶ疲れてらっしゃいましたからね。仕方ないですよ」
私の隣で相槌を打つ彼。ってか
「何してんの三郎」
朝から冗談キツイよマジで。土井先生に化けるとかやめてくんね? おばさん、そんなギャグに付き合えるほど元気じゃないんだけど。
私のツッコミを聞いてから二度ほど目をぱちぱちさせると、いつものぶすくれた表情に戻る三郎。反応は可愛くねーけど顔が土井先生だからちょっと可愛いと思ってしまう私は相当に重症だと思う。
「なんで分かったんですか」
「いやいやいや分かるでしょ。だって、ぜんぜ」
全然似てない、なんて軽く言い切ったらさすがに変装名人のプライド傷付けちゃうだろうか。
「…全然雰囲気違うもん」
言葉選んでみた。
「そうかなぁ…結構自信あったのに…」
おやまあ珍しくしおらしい。
「何で土井先生の変装してんのさ」
「何でって…サービスです」
「うっそー。私のこと引っ掛けて笑おうとしただろ」
「分かってんなら訊かないで下さいよ」
前言撤回しよう。朝から生意気な奴だな全く!


昨日みんなでお昼を食べたあと、傷の手当てをしてから夜着に着替えて、破いた着物を軽く洗って干して夜になって、それから繕い始めたところまでは覚えてる。そこから先の記憶が無い。きっと着物縫ってるうちに寝ちゃったんだ私ってば。晩飯も作らずに。
ああもう普段裁縫なんてしないからこーゆーことになるんだよ。女磨きしてないことへの罰がここでも下ったんだ泣ける。
そこからずっと深寝して更に寝坊するとか…どんだけ若さ足りないの自分。ガッカリ。ほんとガッカリ。なぜ生まれてきたし。
「きり丸も土井先生もバイト?」
土井先生の変装が気に入ったらしい三郎に訊ねてみる。昨日お礼にここへ泊っていくことを勧めたから、三郎はあのまま泊まったんだろう。
「ええまあ。きり丸と一緒に売り子のバイトですけど、そのまま学園へ発つって言ってましたよ」
「はっ!?」
な に そ れ !! 私、見送り出来ないじゃん!
「そんな、挨拶ぐらい…!」
「いや、私に言われましても…」
まぁ、そりゃそうだ。三郎を責めたって仕方ない。
あっという間に意気消沈する。しょんぼりと肩を落として、何をするでもなく床を眺めた。
昨日仲直り出来たものの、お昼ご飯以降はどこかぎこちなかったし…土井先生、私と顔を合わせるのはやっぱり気まずかったんだろうか。悲しいなぁ。
「だから土井先生に変装したのに…」
ぽそり、三郎が小声で呟いた。
え? な、なんだと? それって直訳すると、私が起きたら寂しがると思って土井先生に変装した、ってことかい?ええええ、この子ってばなんて良い子なの!
「ありがとうツンデレ王子!」
素直に嬉しい。ちょっと元気出た。
「や、だから誰ですかツンデレ王子」
「ねぇツンデレ、昨日私がやり残した着物どこにあるか知らん?」
「せめて略すなら王子の方にして下さい」
「あっ認めた」
「認めてない」
「うっそん。認めた」
「認めてないって」
「あーはいはい」
「子供扱いすんな」
「どうでもいいけど本当に知らん? 私、あれ以外は他に一着しか持ってない」
「…箪笥の上ですよ」
言われた通り、箪笥の上を覗いてみる。
「あ、ほんとだ。あったあった」
手に取って広げる。
新しい着物を買いたいところだけど、着物って意外と高いんだよね。結構ショボいやつでもそれなりにする。着古してるからいつか買い換えなきゃとは思ってたけど、今すぐ買い換える予算なんてどこにも無い。裁縫はかなり不得意だけど、とりあえず応急処置で何とかしなきゃ。
「あれ?」
何これ。よく見たら直ってね?
あらら、私、昨日最後まで作業したのかし。全く記憶に無いんだが。痴呆始まってんのかな。
「昨日、あなたが寝ちゃってから」
「うん?」
「縫ってましたよ、土井先生が」
「…へ?」
うそ。
ウソウソウソウソ。嘘!
狼狽えながら着物の縫い目を辿って行く。あっ! ほ、本当だ…。途中から恐ろしいほど縫い目が綺麗になってる。私の腕じゃこんなに綺麗に出来ないもん、これは明らかに土井先生だ。
うそ、どうしよう、頭がいっぱいいっぱい、何こっ、えええウソおぉ
土井先生が私の為に針をとってくれた、それだけでもうが胸いっぱいだ。
「う…」
「う?」
「嬉しいよぅ」
気が付いたら顔面崩壊。年甲斐もなくボロボロと大泣き。朝からブチャイクな顔見せてごめん三郎。でも嬉し涙だからいいよね、許して。
「ななしさんて泣くタイミング全体的に間違えてますよね」
「へぇ? 何ぃ? 年食うと涙腺弱いんだようぅ」
「あーはいはい」
「子供扱いすんな」
ちくしょうぅ! まぁ、泣き方が子供だから仕方ないんだがな!
一回りも年下の癖して私の頭をくしゃくしゃと撫でてくる。なんだかこんな時だけ土井先生に撫でられてる気がして、余計に涙腺が崩壊した。
「三郎が居てくれてよかったあぅ」
「よしよし」
「なんだか今日、イケメンに見えるぅ」
「いつもはイケてないみたいな言い方、やめてくださいよ」
「私たぶん惚れっぽいー」
「それは勘弁して下さい」
「きり丸と同じ反応すんなやボケ」
買い換えるなんて考えは捨てよう。私これ一生もんにする!
先生、ひょっとしたら照れ臭くて早出したんだろうか。直接お礼言いたかったなぁ。



「しっかし土井先生は本当に器用ですね」
まだ朝食を済ませていなかった三郎と一緒に朝食をとるため、私の店へ向かって並んで歩く。三郎は私の着物を眺めながらまじまじとそんなことを呟いた。
「んー…だよね…。私もここまで体型ぴったりに仕上がってると思ってなかった。ちょっと恥ずかしい」
あとでよくよく見てみたら私が繕ったボロボロの縫い目も綺麗に修正されてて、破く前とほぼ同じ状態になってた。っていうか「え?一回破いたんですか?そんな馬鹿な」状態になってた。この着物このまま売られててもおかしくないでしょ、っていう。
裏を返せば私の体型、先生にまるっとバレちゃってたってことだよね。だからこんなに私にぴったりなんだよね。いや、もう、本当お恥ずかしいです。いろいろ精進します。特に腹回りとか。
「時に三郎はいつまで先生の変装してんの?」
「なんで? 雷蔵の方がいいですか?」
「雷蔵って誰」
「学園のクラスメイトです。いつも変装してるでしょ」
「え、あれアンタの素顔じゃなかったんだ」
「私の素顔は誰も知りませんよ」
「何? そんなに自信無い素顔なの?」
「ななしさん、ケンカ売ってますよね?」
くだらない会話をしていると、正面から見覚えのある背格好の二人組が歩いて来た。
「あ!」
「「ななしさんだ!」」
乱太郎としんべヱだ。
久し振りに会った気がする。こんなところで会うなんて奇遇だな。
「やほ、おひさ! 二人とも今日はどしたの?」
「今からきり丸のアルバイトの手伝いに行くんですぅ」
のほほんと答えるしんべヱ。相変わらず癒し系だね君は。
きり丸ってば良い友達持って本当に幸せ者だな。
「土井先生はななしさんとデートですか?」
「えっ」
乱太郎が隣に居る三郎を見上げて素直に質問してくる。ああもうほら、言わんこっちゃない。三郎ってば二人が誤解しちゃってるじゃんよー。
「まぁ、そんなところだ」
「はっ?」
あろうことか三郎から飛び出したのは肯定の言葉。声までしっかり変えちゃって、こんな無垢な子供らまでからかう気かよお前!悪い先輩だな!
「ちょ、さぶ、」
さすがに注意しようと口を開いた途端、三郎は私の腰をぐいと引き寄せた。
おい何すんだよ! やめろおお腹回りの肉がバレるやろ!
「そんなことより早くきり丸のところへ行きなさい」
「は、はいっ、すみませんでした!」
乱太郎は私の腰にある三郎の手を見て顔を真っ赤にすると、慌ててしんべヱを引きずるようにして走り出した。
ごめん二人とも。本当にごめん。私が謝ることじゃないかもしれんけど、とりあえず謝っとくわ。
「おい、クソサブロー。どういうつもりだ説明しろ」
「どうせすぐ嘘だってバレますよ。きり丸のところには本物が居るんだから」
「だからだよ! あの子ら素直だから、本物に喋っちゃうじゃん! また気まずい空気になるじゃん!」
「既成事実にしたらいいでしょう」
「簡単に言うなや! それが出来たら苦労しねーよ!」
「ななしさんの悪い癖はここで一番に私の手を跳ね除けないところだと思いますけど」
「え、ああ、そうかも。そうね。きゃー放してーチカーン」
「やだ」
「なんなのお前。どうしたいの結局」
「いいじゃないですか、ちょっとぐらい。きのう命張って助けたんだから、これぐらいサービスしてくれたって」
「お前、熟女キラーだったのか。知らんかった」
「失礼な。私はオールマイティです」
「ソレ否定になってねーよ」
「まぁ冗談は別にして、私が揺さぶり掛けたかっただけです。土井先生は少し危機感薄すぎるみたいだから、これぐらいがちょうどいいと思いますよ」
「は? 何が? なんの危機感?」
「…オコチャマには難しい話でしたね」
「おま、ふざけんな。ケンカ売ってるだろ」
「関係無いけどななしさん、もうちょっと腹回りの肉どうにかした方が良いと思います」
「関係無さ過ぎだろ! 殺すぞ!?」

今時の若者は何を考えちょるのかよく分からん。
こいつ、学園でもこうなんだろうか。
本当に掴みどころの無い奴だなぁ。


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