小松田屋


あれから宣言通り、先生ときり丸は月に一回必ず帰ってきた。
二人が帰って来た時に私がすることといえば
「今日は何? きり丸」
「今日は扇子屋の店番ですよ」
きり丸のアルバイトの手伝いだ。先生の方も私とは別のバイトを手伝うから、お互いあんまり会話は無い。少し寂しいけどまあ、待つ女の宿命ですよね。
「今日行く扇子屋なんですけど、小松田屋さんていって跡取りに兄弟がいるんです。弟の方の秀作さんはうちの学園の事務員をしてるんですよ」
二人でアルバイト先へ向かう途中、きり丸が私に説明してくれた。
「へえ。なんで扇子屋の跡取り息子なのに忍術学園で働いてるの?」
「秀作さんは扇子屋じゃなくて忍者になりたがってるんです。まあ小松田屋さんは兄の優作さんが継いでるから問題無いでしょうけど、秀作さんてば残念なことに忍者の才能がさっぱりで」
「さっぱりって…」
「いや本当、たぶん会えば分かりますよ」
「会えばって? 今日はその秀作さん、学園じゃなくて店にいるの?」
「はい」
「え、なんで弟が店に居るのに私達が必要なの?」
「兄の優作さんが用事があって出掛けなきゃならないからです」
「私達のバイト内容、店番なんでしょ? べつにそれだけならバイト必要なくね?」
「それが秀作さんには必要なんすよ」
何だ何だどういうことだ。腑に落ちないまま店へ到着する。
「ごめんくださーい」
どうやらまだ開店前らしく店の中は静かだった。
「いらっしゃ〜い」
しばらく間が空いたあと店の奥から鼻にかかる声が聞こえ、人の良さそうな男の子が姿を現した。
「あ、きり丸」
「小松田さん、ちわっす」
彼はきり丸の隣に立ち尽くしている私の存在に気付くとにっこり笑って頭を下げた。
「初めまして、小松田秀作といいます。きり丸からななしさんのお話は聞いてます。土井先生の家に居候されてるんですよね?」
おお、先生と私の関係性を正しく言える人も珍しい。なかなか良い子じゃないか。
「その通り、土井先生の家に居候してますなぞのななしです。今日はよろしく」
私も頭を下げる。小松田君はそのまま後方を振り返って店の奥に呼び掛けた。
「優作兄ちゃ〜ん、きり丸達が来たよ〜」
しばらくすると店の奥から彼に瓜二つの好青年が出て来た。私に頭を下げて、初めまして兄の優作です、と軽く挨拶を済ませる。背中に荷物を背負っているから外出するぎりぎりまで私達が来るのを待っていたんだろう。
「私はこのまま出てしまいますので、店の方と秀作を宜しく頼みます。きちんとおもてなし出来たら良かったんですけど…慌ただしくてすみません」
急いでいるらしい優作さんを見てああもっと早く来てあげれば良かったなと少し申し訳ない気持ちになる。ていうか、店の方と"秀作を"、ってどういう意味なんだろ。
まあいっか。
「いいえ! お気を付けて行ってらっしゃい」
「では、行ってきます!」
優作さんはそのまま駆け足で店を後にした。
「兄ちゃんはいつまで僕を子供扱いするんだろ」
目の前で膨れっ面になる小松田弟。うん、きっとそういう可愛いところじゃない?って思ったけど言うのはやめておいた方がよさそうだ。
「とりあえず開店しますか」
きり丸のその言葉を合図に本日の営業を開始した。

開店してから数刻。いや、一刻もあれば充分か。
きり丸の"秀作さんてばさっぱりで"発言を身を以て痛感した。
お客様の注文とは違う扇子を渡すわ、お勘定を間違えるわ、目を離した隙に商品をばら撒くわ壊すわで、小松田君てば散々だ。忍者になる以前の問題、人として彼はド天然らしい。なるほどこりゃあアルバイトの手が必要なわけだ。優作兄さん、苦労してるなあ。
しかし本人は至って真面目で悪気が無いんだから憎めない。かえってたちが悪い。
店番はプロのきり丸に任せて私は小松田君に一日ぴったり張り付いた。彼が何か大事をやらかしたら大変だ。
当の本人は私に張り付かれているとは思っていないらしく、ななしさんは親切な人ですねえなんてのほほんと呟いていた。

午後、小松田君のキャラクターも理解してようやく落ち着いて来た頃。
「きり丸、私ちょっと厠行ってくるから席外すね。すぐ戻ってくる」
「了解」
小松田君にも同じことを言ってほんの少しの間だけ席を外した。
本当に、ほんの少しなんだ。それまでは何事もなく平和で順調だったのに
「そうだ。ななしさんもきり丸も疲れただろうから、お茶を淹れてあげよう!」
私が厠から戻って来た時、小松田君は遣わなくて良い気を私達に遣ったようで
「小松田君、何してんの?」
「あ、ななしさんお帰りなさい。早かったですね。人も落ち着いて来たからみんなでお茶にしようと思って淹れたんです」
「え? あ、危ない!」

ばっしゃん!!

店先にいるきり丸のところまでお茶を運ぼうとした彼はものの見事にすっ転び、お茶をひっくり返した。
「あああああ!!!」
きり丸が悲鳴をあげる。それもそのはず、展示してあった商品の半分がお茶の津波に見舞われびしゃびしゃになったのだ。
「もったいなあああい!!!」
きり丸はすぐさま雑巾を持って来ようと慌てて店の奥に引っ込んだ。私はもう小松田君に呆れてしまって声も出ない。なんでたった一つのことが出来ないんだよう。
「ごめんなさい…」
しかし彼はそれを自分で分かっているし私達のことを気遣ってこうなったんだから怒るに怒れない。忍術学園で彼はいったいどんな事務員ぶりなんだろう。彼の直属上司はよっぽど苦労人に違いない。
転んだまましょんぼりしている小松田君の隣にしゃがみ込んだ。
「ん、もういいよ。火傷しなかった?」
「してないです」
展示品の扇子をお茶から救いたいところだけど素手で触ったら火傷してしまう。きり丸の雑巾待ちだ。
「ごめんください」
だがこんな時に限って来客っていうのはあったりするもんで。凄く間の悪いことに一人の女性が来店した。きり丸が居ないからかわりに接客しなきゃ。
「いらっしゃいませ」
挨拶しながら立ち上がり傍へ歩み寄る。うわあ、この人すごく美人だなあ。
「あれっ?」
背後から小松田君が間の抜けた声を出した。
「山本シナ先生?」
どうやら知り合いらしい。先生、ってことはくノ一の先生かし。えええなんて素敵な先生なんだろう、私もこんな先生に忍術教わりたかった。
「ええ、こんにちは。扇子を買いに来たんだけど…お取込み中かしら?」
シナ先生はびしゃびしゃの展示品に目をやって困ったように言う。一目で状況を把握するあたり、やっぱり小松田君は学園でもこれが日常茶飯事なんだろう。
「確か店の奥に同じものが在庫でありましたから、よければ見て行って下さい」
私がそう言うとシナ先生は少し瞬きしてから、初めまして、と柔らかく挨拶してきた。
「小松田屋さんにこんな素敵な従業員さんが居るなんて初めて知りました」
にっこり、綺麗な笑顔。うおおお私が男だったらイチコロだ。まさしくくノ一教室の先生だ!
優作さんの奥さんですかという彼女の質問に、土井先生の奥さんですよと背後から小松田君が返答する。小松田くん、君、本心ではずっと私のこと土井先生の奥さんだと思ってたんかい。
「ああ、あの噂の! お会い出来て光栄です」
ころころと鈴が鳴るように笑うシナ先生。え、噂って何。私いったい忍術学園でどんな噂になってんの、てかどれだけ広まってんの。
「だったら学園の話をしても大丈夫ね。授業で使う扇子をひとつ試しに買いたいのだけれど、一番値段のお手頃なものといったらどれかしら?」
「あ、はい。それならたぶんこれが、」
手に取ろうとして思わず引っ込めた。…お茶まみれ。
私のその行動を端から見ていた小松田君が勢い良く店の奥へ引っ込んだ。
「在庫、すぐ持ってきます!」
いけない、彼一人に任せては!
「ちょっと待って小松田君!」
シナ先生に軽く頭を下げ、私も慌てて彼のあとを追った。

急いで店の奥へ走って来たけれど、焦りも空しく間に合わなかった。
積み上がってる在庫の箱を一つ一つ吟味している小松田君が見えた瞬間、
「ええと…あ、これだ!」
あろうことか彼は一番下の箱をいきなりすっぱ抜いた。そんなことしたら!
「危ない!」
雪崩を起こした在庫の山が小松田君に向かって降り注いだ。私は夢中で彼と雪崩の間に身体を滑り込ませる。
「ひゃあああ!」
小松田君の悲鳴に加えドサドサドサッと派手な音がしたので、ただ事ではないと察したシナ先生と雑巾を持ったきり丸が飛んできた。
ムクリと起き上がって、崩れた在庫の山から二人揃って顔を出す。
「お騒がせしてすみません」
目が合ったシナ先生に何故か私が謝った。

雪崩を起こした在庫の中に剥き出しの扇子の骨があったのだろう、私の左腕にぱっくり開いた切り傷があった。あまり痛みはなく、きり丸に指摘されて初めて気付いた。
小松田君は私が覆い被さったから掠り傷一つ無かった。まぁせめてもの救いだ。
「あ、いててて…!」
優しいシナ先生は私を不憫に思ったらしく手当て役を買って出た。傷が出来たときはそうでもなかったけれどいざ手当てされると結構痛い。薬が傷に凄く沁みる。
「ななしさん、本当にごめんなさい」
私の隣で小松田君は泣きそうな顔で謝り続けていた。
「もういいって。べつに大事にならなかったし」
「甘いわ、ななしさん」
小松田君をキッと睨んで説教を開始するシナ先生。
「ななしさんがあなたを庇ってくれなかったら、この扇子の骨はあなたの目に突き刺さっていたかも分からないのよ? ことの重大さをよく考えなさい」
ずーんと肩を落とす小松田君。今にも消え入りそう。
「ま、まあ小松田君も反省してますし。私は本当に大丈夫ですからシナ先生」
「…そうね。私がここで怒らなくても、あとで土井先生がたっぷり怒ってくれるでしょう」
うん?何故そうなる。どっからツッコむべき?
ぐるぐると言葉を探していたらシナ先生は私にフッと優しく笑った。
「ななしさん、土井先生にそっくりね」
・・・え。何のこっちゃ。どのやり取りのどの部分を言ってるんだろ?
「くノ一を諦めて正解よ」
え、なんで私がくノ一目指してたって知ってるの。それともなんとなく分かっちゃったのかな。会話が脈絡無いんですけど、私くノ一向いてないってこと? それって土井先生も忍者に向いてないってこと? ああもう混乱する。
うんうん唸っていたらシナ先生はにっこり笑って誤魔化した。笑顔があんまり綺麗だったからうっかり惚れるかと思った。

バイトを終えた帰り道、私の口から出てくるのはシナ先生のことばかり。
「いーよねいーよねシナ先生! 私もあんな美人で素敵な女性になりたい!」
「美人つーか…シナ先生、おばあさんに変装することもあるから実際いくつか分かんないっすよ」
「マジ!? くノ一に歳は無いってやつ!?」
「そう。実際誰もシナ先生の年齢知りません」
すっげえええ!ますます憧れる!
「…ななしさんて変なとこ余裕ですよね」
隣できり丸が溜め息を吐いた。
「何が?」
「普通、土井先生の同僚が美人で優しい女の人って分かったら、焦るなり妬くなりしません?」
「べつに。男は浮気してナンボやん」
「土井先生、信用無ぇ…」
先生すげえ不憫、とぼやくきり丸。まあ仕方ないさ。イケメンに生まれた土井先生の宿命です、それは。

後日、きり丸の情報によれば小松田君は土井先生にたっぷり絞られたそうだ。
不謹慎だけどちょっと嬉しかったり。小松田君ありがとう!


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