タソガレドキ
土井先生の家で一人暮らしを始めてから数日が経った。
定食屋も軌道に乗り始め、お客もぼちぼち増えてきた、そんなある日。
「今日もつっかれたー!」
閉店作業を終え、その日の売上を勘定する。ここを譲ってくれたおばあさんはもうたまにしか来ないので、基本こういう雑務を行うのも私一人。一人で切り盛りするのはやっぱり大変だけど、誰かを雇って他人様に気を遣いながら仕事するよりずっと気が楽だから、これで良い。
「うーん、ぼちぼちでんな」
算盤を弾き終える頃には外はもう真っ暗だった。どうしよう、家でご飯作るの面倒臭いからここで済ましてっちゃおうかな。何食べよ、てか何作ろ。
「・・・」
ふと、後ろが気になった。背後に誰かが佇んでいる気がする。ただの勘だ。気配はしない。
「…誰?」
恐る恐る訊ねてみた。気のせいだと良い。
「チッ」
やはり誰か居たようだ。背後の人物は舌打ちをすると急に気配を現した。
いけない! 理由は分からないけれど私の直感がそう告げる。慌てて飛び跳ね、前へと転がった。
寸刻前まで私が居た場所から風を切る音が聞こえ、視界の端に誰かの手刀が見える。直感は大当たりだ。身を翻せば、そこに
「なぞのななし、覚悟!」
一人の忍者が居た。どこの誰だ。いったい誰に頼まれてこんなことを!
私の気が動転している間に次の攻撃を仕掛けてくる。殺す気は無いらしく、あくまで体術だ。
「っ!」
間に合わない! 身の前に両腕を構えて防御の姿勢をとった。だけどこれじゃあ、
「お馬鹿!!」
場違いな声が聞こえたのはその時だ。私に振り被っていた忍者の後頭部を、ズベシと叩き落とす人物。顔を上げればそこにもう一人忍者が居た。
「居ない居ないと思っていたら、こんなとこで何をしてるんだ!」
私を助けてくれたらしい彼は先程攻撃を仕掛けてきた忍者にぷりぷりと怒り出す。
「すみません組頭、私…」
「仕事サボって女性に暴行を働くなんて、いい度胸してるね」
「違います!」
「今のどこをどう見たら違うっていうの」
話が全く見えてこない。何だこの人達、上司部下なのか。
「あの、どちら様?」
忍者に対して有り得ない質問だけど、これしか訊き様が無いんだから仕方無い。あなたたち何しに来たの。
私の質問にキッと凄みを見せて答えたのは、部下らしい方の忍者。
「なぞのななし! お前が土井半助の嫁だということは知っている!」
え゛
「大人しく人質になれ!」
ますます話が見えない。っていうかド勘違いしてね?こいつ
「嫁じゃねーんだけど」
少しムカついて答えると、奴はひどく幼い表情になって目をぱちぱちさせた。覆面のせいでよく分かんないけど、本当はこいつ相当若いんじゃないだろうか。
「え? だって、…え?」
急におろおろと視界をさ迷わせる。どうやら私が先生の女房だと信じて疑わなかったようだ。
「あのねえ、尊奈門…」
上司らしい方の忍者がひどく呆れた声で語り掛けた。
「人質作戦なんかで土井半助に勝ったとして、君、嬉しいの?」
「え? あ、ぅ…」
「君に好きな女性が出来たとして、その女性を土井先生が人質にとって、土井先生が君に勝利したとしよう。君は負けを認めるかい? その状況を第三者が見て、土井先生の勝利だと快く受け入れると思うのかい?」
「・・・」
「そもそも情報が間違ってた時点で問題だよ。お前、忍者なのに」
軽く説教タイムを開始する気らしい。なんだかよく分かんないけど、そういうことならヨソでやってくんないかな。面倒臭いから巻き込まれたくないんですけど。
「ごめん、もう帰るから」
「え?」
「え、って…。口に出てたよ」
うそん! 恥ずかしい! 心の声が知らん間に私の口を動かしていたようだ。上司らしき包帯忍者は私の顔色を見てくすくす笑い出した。
「君、面白いな」
「うっかり本音出ちゃったみたいです! すいません」
「しかも認めちゃうんだ」
悪い人では無さそう。曲者には違いないけれど。
「あの…」
上司に怒られてしょんぼりしていた部下忍者が、おずおずと私に声を掛けてきた。
「本当に、土井半助の奥さんじゃないんですか…?」
なんべんもしつこいぞコノヤロー。違ってて残念な気持ちは分かるけど、「嫁じゃない」って自分で言うの実は結構傷付くんだからな!認めたくない事実なんだからな!その辺の女心もうちょっと分かれやニブチン!
「違いますー。ただの土井先生の追っかけですー。ていうか、あなたこそ先生の何?」
「私は土井半助のライバルです」
え、ライバル? 何、ライバルって。先生にそんな人が居たなんて少しも知らんかった。
「まあ、こいつが勝手にライバルって思ってるだけだけど」
彼の隣から言葉を補足する上司忍者。ああなるほど、そういうことかい。
次の瞬間、部下忍者は私に勢い良く頭を下げた。
「すみませんでした!」
「へ?」
「私の勘違いで、このたびはとんだ失礼を…!」
あれ、なんだ。意外に礼儀正しい。思ってたより良い奴かもしんない。
部下忍者は頭を上げると覆面を下げて顔を見せた。
「私、諸泉尊奈門といいます」
あ、この子
「本当に、なんといってお詫びしたらいいか…」
「うん、いいよ許す。可愛いから」
「・・・はっ!?」
驚きのあと少し間が空いてから、顔を真っ赤にさせる彼。そんな彼を見て、上司忍者はしばらくのあいだ腹を抱えて笑い続けた。
二人はタソガレドキ城の忍者らしい。上司の方は組頭で雑渡昆奈門さん、部下の方は隊の中でも腕利きらしい(本当かよ)諸泉尊奈門くん。
タソガレドキ城の忍者隊については少しだけ噂を耳にしたことがある。なんでもずいぶんと腕のたつ忍者集団で、忍者隊の中の忍者隊だと。あの噂が本当なら、ここに居るこの雑渡さんは相当凄い人なんだろうけど…。
「すみませんね〜。襲った立場なのに、夕飯まで頂いてしまって」
「あっ、組頭ってばまたそんな食べ方して! 頭巾が汚れますってば!」
さっきからこの二人のやり取りはどう見てもショートコントにしか見えない。『とりあえず何か食べてきます?』と夕飯のお供に誘った私も私だけれど。
「いちいち煩いねお前は。最近、姑みたいだ」
「あとで洗うのは私なんですから! シミになると落ちなくて大変なんですよ!」
噂は嘘だったのかなあなんて思いつつ、人は見掛けに寄らないって言うしなあとも思う。思い込みはいけないよな。土井先生だって教師なんだから、ああ見えて凄腕なわけだし。…あ、私ってば失礼。
「いいじゃないか、ちょっとぐらい。あんまり細かいと美味しいもんも美味しくなくなるだろ」
どうやら尊奈門くんは雑渡さんの世話役のようだ。雑渡さんは訳あって人前で頭巾を外せないらしく、いま口にしているうどんや流動食以外は食べられないらしい。だからいつも食事で何か困ったことがあった際に尊奈門くんを呼び付けるのだが、今日はその尊奈門くんが見当たらなかったのでここまで追い掛けて来たとのこと。
「仕方ないですけど、あんまり勢いよく啜るとまた目に跳ねますよ。いつもみたいに」
尊奈門くん、若いのに苦労性だな。土井先生みたい。
「尊奈門くんて、いくつなの?」
「え? 私ですか? 19歳です」
「へえー。若いのに腕利きなんて凄いねえ」
自分のうどんを啜りながら何となくそう言えば、目の前でかあっと顔を赤くする彼。いやん、この子メチャクチャ素直!
「そんなこと無いです」
照れたようにへへへと笑う。ますます可愛い。オバサンは君みたいな子、案外ツボです。
「ねえねえ、尊くんはさ」
「そ、"尊くん"!?」
「なんで土井先生をライバル視してんの? どういう繋がり?」
私がそう問えばぐっと眉間に皺を寄せてぽつぽつ話出す。
「あの時、土井半助は武器らしい武器を持っていなくて、手持ちの文房具で私と闘ったんです」
ぶっ、文房具!?
「不覚にも出席簿やチョークケースのようなアホらしいものに敗れてしまって…それ以来、私はタソガレドキ忍者隊のみんなから『チョーくん』やら『簿っちゃん』やら情けない名で呼ばれてるんです」
それで復讐を誓ったわけだ。なんて可愛い逆恨みだろう。つーかそりゃ先生も人が悪い。
「それで先生に何度か挑戦してるんだ?」
「はい。だけど、ことごとく敗れてしまって」
「あの時は土井先生に敗けたというより、一年は組の良い子達の口車に乗せられてたじゃないか」
尊くんの隣で雑渡さんがうどんを啜りながら茶々を入れる。
「で、でもぎりぎりまで追い詰めたこともあるんですよ! あの時は邪魔が入らなければ勝てたのに…」
「あの時って?」
「土井半助の弱点は練り物だって聞いて、だから作ったんです」
「何を?」
「練り物の手裏剣」
ブッ
「あっはははははははは!!!」
何この子、チョー可愛いいいい!!!
「わ、笑わないで下さいよ! あの時は結構良いところまで土井半助を追い詰めることが出来たんですから!」
「マジ!? それで何で負けちゃったの?」
「しんべヱに食べられたんです」
「うわっはははははははは!!!」
「だから、笑わないで下さい!」
本人は至って真面目にそういうことしちゃってるんだろうから余計に笑える。ごめん、笑うなって方が無理。
「やだもう尊くん、君すっごく可愛い!」
「え」
私の正面で一気に顔を茹蛸にする。なんてウブな反応するんだ可愛過ぎるるるる
「良かったねえ尊奈門、大人のお姉さんに気に入ってもらえて」
「え、や、あの」
「雑渡さん、この子お持ち帰りしたい」
「いくらでもどうぞ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
茹蛸のまましどろもどろになる尊くんが可愛くて、それから夕食の間中ずっと彼をからかい続けた。
あんまり度が過ぎると土井先生みたいに逆恨みされるかなと思ったけど、雑渡さんも一緒になってからかってたからまあいっか。
先生のおかげで私、交友関係がどんどん広くなっていきます。
楽しいなあ。
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