一年は組


「すごーい! 本当に女の人がいるー!」
おかしい
「土井先生ってば本当に結婚したんだ!」
子供達を見送ったのはつい昨日だったというのに
「けっこう美人!」
「先生ってば、やるー!」
「料理が上手いって本当ですか!?」
「ナメクジさんは好きですか!?」

なんなんだこの状況!!!

目が覚めてから布団を畳んで、井戸で顔を洗って歯を磨いて、それから着替えるまでは至って普通だった。
そのあと厠に行って部屋に戻って来たら
「土井先生のどこに惚れたんですか!?」
何故か部屋の中が子供であふれかえっていた。私を見つけるなり目をらんらんに輝かせて質問攻めしてくる。
土井先生を『先生』と呼ぶからには、彼の生徒達なんだろうけど…何故こんな朝早くからここに居るんだ。
「ななしさん、たっだいまー!」
生徒達の後ろから清々しくこちらに手を振る一人の男子。…きり丸だった。
「きり丸! 何コレ、どーゆーこと!? あんた帰宅は月一回って言ってたじゃんよ昨日!」
「いや〜。それが、土井先生が女の人と暮らし始めたっては組のみんなに言ったら騒ぎになっちゃって〜」
テヘッ、という顔。オイコラかわい子ぶって誤魔化そうとすんなや。
「これはもう見に行くしかない!ということで来ちゃいましたー!」
「気になって仕方なかったんです!」
手前の二人がきり丸の言葉を続ける。えーと…
「三治郎です!」
「虎若です!」
私の困惑をすぐさま察して自己紹介してくる二人。よしよし、三治郎と虎若だな。
「あ、ずるい! 僕は喜三太です!」
「伊助です!」
「金吾です!」
「団蔵です!」
「兵太夫です!」
「庄左ヱ門です!」
ちょ、待て待て! 分からん!
「たんま! 私、物覚え悪いから一人ずつ頼む!」
「僕は兵太夫です! カラクリに興味ありませんか!?」
「僕は喜三太です! ナメクジさんは好きですか!?」
「いや、待っ、テンポ早いから! 助けて乱太郎!」
ぐだぐだなやり取りの中、奥でごつんと鈍い音がした。視線をやればそこに
「おーまーえーらーなああああ」
マジギレした土井先生が立っていた。こ、怖あああ
「いってぇ! なんで俺だけゲンコなんすか先生!」
きり丸が涙目で訴える。
「発端はお前だろーがあ! お前らもそこに座れぇ!」
息を切らしている先生。この子達ってばきっと先生に黙って抜け出してきちゃったんだろうな。
「だけど先生! 僕達ちゃんと外出許可貰ってきました!」
「そういうことを言ってるんじゃない庄左ヱ門! うぁっづ…」
先生は一言呻いてから胃を押さえて蹲った。
「先生、あんまり騒いだらご近所さんに怒られます。ゆっくり話し合いましょう」
どうしていいか分からないのでとりあえず先生の背中をさする。
「え、ええ、そうですね…。すみません…」
顔色が真っ青だ。苦労してんなぁ。
「このままじゃまた授業が遅れてしまう…」
あんまり悲しげに一人ごちるものだからちょっと不憫になってきた。『また』ってことはいつも授業が遅れてるってことか。夏休みの時の三人の宿題ぶりからして、失礼だがあまり優等生クラスには思えないし。
うーん、雰囲気からして良い子達には違いないんだろうけど…悪気が無いにしてもこれはいかんな。
「名前、ななしさんていうんですか!?」
「先生にはなんて呼ばれてるんですか!?」
はて、どうしたもんか。
「土井先生、今日の授業は何の予定でした?」
「え?」
「差し支えなければ教えて頂けませんか」
「忍の合言葉の予定でしたけど…それが何か…?」
合言葉、合言葉ね。
「先生とはデートしたんですか!?」
「ごめんなさーい! ななしさんはケチなので、みんなの質問には答えられませーん!」
「ええええ!?」
「そのかわり、私が出すクイズに正解した人の質問には答えます!」
「クイズ!?」
「でれでででーん、第一問! 忍者の合言葉で海といえば?」
「習ってないから分かりません!」
「それは大変だー。こんな時こそ土井先生を頼りましょう」
「先生、海ってなんですか!?」
「えっ」
先生ってば目が点だ。生徒に授業の質問をされるなんて思ってなかったらしい。間が空いて子供達のテンションが下がったらいかんので、すかさず脇腹を肘で突っついた。
「う、海と言えば塩のことだ。忍者の合言葉で有名だから覚えておくように」
「答えは塩です!」
「正解。よくできました」
「土井先生のどこが好きですか!?」
「全部好きです」
「うわああ! 土井先生、愛されてるー!」
「ナメクジさんは好きですか!?」
「ぶっぶー、今正解したのは金吾(だったよなぁ確か…)なのでその質問には答えられませーん!」
「ええええ!」
「答えて欲しくば第二問! じゃあ、雪といえば?」
授業なんてどうやるのか知らんけど、とりあえず教えるだけなら私にも出来る。
教えた後に覚えてるかどうかは知りませんがね。そのへんは先生に委ねます。

一通り教え終わる頃、先生は私に「なんだか私よりなぞのさんの方が教師らしいですね」と言って苦笑した。
あれ、私ってばひょっとして先生の顔に泥塗ったかし。教師としての自信を喪失されたらどうしよう、そんなつもりじゃなかったのだけれど。
「私なんて全然ですよ!」
「謙遜しないで下さい。本当に助かりました。今日も出勤だったんでしょう? 邪魔してしまってすみません」
「構いませんよ、私の店だから自由出勤ですし。生徒に好かれてる良い先生ですねえ、土井先生は」
「いえ、手を焼いてばっかりで」
ふと見れば、私達の会話を端でじいっと聞いている子供達。きっとこういう授業以外のことには興味津々なんだろうなあ、普段から。
「…変なのー」
「何が?喜三太」
「土井先生もななしさんも、どうして恋人同士なのにそんなヨソヨソしく喋るんですかー?」
子供ならではの視点。土井先生も私もヨソヨソしいつもりは無かったのだけれど…そうか、子供の目にはそう映るのか。
「土井先生、ななしさんのことさっきから名前で呼ばないし」
横合いから団蔵が感想を述べる。これに驚いたのは土井先生だ。
「え」
「先生、名前で呼べばいいのに!」
しんべヱが無邪気に追い打ちをかける。私自身は別に姓で呼ばれようが名前で呼ばれようが大して気にしないんだけどな。ただの固有名詞だから、先生の呼びたいように呼んだらいいと思ってる。
「先生、頑張れ!」
しかし何故か子供達は勝手に勘違いして期待を膨らませている。頑張れと言われても…べつに頑張る必要なんてどこにも無いんだから、先生は困るだろうなこれ。
先生も私も名前呼びで一喜一憂するような歳じゃない。だけどここにいる十歳児達はそれで一喜一憂する年頃なんだ。ちらりと先生に目をやれば案の定、困ったような顔で私を見ていた。
「頑張れって言われてもなあ…」
まあ、そうですよね。
「それを言ったら、なぞのさんだって私に対して『先生』だし…」
「…え…」
「・・・え?」
何それ、どーゆーこと? さすがにこれにはびっくりした。私が顔に疑問符を貼り付けたら、それを見た先生自身がかえって驚いてた。どうやら深く考えずに出た言葉だったらしい。
「あ、いや、今のは」
「やだもう! 名前で呼ばれたかったんなら早く言ってよ半助ってば!」
「極端です!!」
真っ赤になる先生に子供達は大爆笑だ。そんなに笑っちゃいかんよ君達、私もつられて笑ってしまうじゃないか!
「青いなあ半助。くノ一の掌で転がされっぱなしじゃないか」
い、今のは私じゃないぞ。慌ててきょろきょろ辺りを見回したら入り口の方に伊達者なおじ様が立っていた。
「山田先生」
土井先生が彼を見て呟く。山田先生…ひょっとしてあの山田先生か、利吉君のお父様の。似てるような似てないような似てるような…うん、親子だ。
「初めまして山田先生! 私、なぞのななしといいます! 昨日、利吉君がうちの店に来てくれたんですよー」
「え!?」
初耳だ、と顔に書いてある土井先生。そういや言ってなかったっけ。
「利吉が? あいつ、こういうことには忙しさ顧みないんだから…ったくもう。よろしく、なぞのさん」
「山田先生は何故ここに?」
「何故も何もないよ。授業をしようと思ったらは組も土井先生も居ないから迎えにきたんです」
「よくここだと分かりましたねえ」
「外出許可を貰いに来た時、ワシが教えたからな!」
私達の会話に割って入ってきたしゃがれ声。ええええまだ居るの。どんどん人が増えてくよ覚えきれない!
「学園長先生!」
入り口から入ってきた白髪のおじいちゃんを見て子供達がそう言う。何ィ、学園長先生だとぉ!? 粗相があってはいけないじゃないか。
「学園長先生は何故ここに!?」
「土井先生の奥さんがどんな人か気になってな!」
土井先生の質問に気持ち良いほどはっきりと言い切る。清々しく私情じゃないですか学園長先生! みんなしてズッコケた。

あとから聞けば学園長先生も山田先生もここへ着いてしばらく、私達の様子を外から覘き見ていたのだと言う。全く、人が悪い。
みんなは土井先生を散々からかったあと、山田先生に連れられて早々に学園へと帰って行った。
「お騒がせしてすみませんでした。気疲れしたでしょう」
たった一人、ここへ居残った土井先生が心配してくれる。やっぱり土井先生は優しい。
「大丈夫ですよ。むしろ楽しかったです」
「そうですか…」
げんなりしている先生。むしろ気疲れしたのは私より土井先生の方なんじゃないの。
「私、先生に謝らなきゃならないですねえ」
「何をですか?」
「土井先生が女性馴れしてると勘違いしてたこと」
「え! まだそう思ってたんですか!?」
「だけど今日でよく分かりましたよー。まさか先生が同棲してるってだけでこんなに大きく騒がれるとは思ってなかったですあっはっはっは!」
「…ななしさんまで私をからかわないで下さい」
・・・あ。先生、今さらっと私のこと名前で呼んだ。
「今度こそ行ってらっしゃいのチューしましょうか?」
「…いつか、気が向いたら」
あんまりからかったら先生の胃に穴が空いちゃうからな。今日はこのへんで自重しておこう。


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