出勤初日


「それじゃあ行ってきますね、ななしさん!」
「月一回はここへ帰ってきますから、留守の間よろしく頼んます」
「僕もななしさんの料理を食べたいから、きり丸と一緒に帰ってきますー!」
朝から元気いっぱいの子供達。四人を見送る為、先に表へ出る。
三人に続いて玄関から出て来た土井先生に、行ってらっしゃいの口付けはいりますか、と冗談めかして言えば、はいはいまた今度、と軽くあしらわれた。予想通り素っ気無くて少し寂しいけれど、昨日ギクシャクしていたことを思えばこれがいつも通りなのだからホッとする。何気なくきり丸に視線をやれば、ああ仲直り出来たんですねという視線を向けられた。
「行ってらっしゃい。怪我しないようにね」
「「「行ってきまああす!」」」
「留守を任せてすみません、行ってきます」
私に背を向けて歩き出す四人。その背が遠くなっていく。
ついこの間まで一人暮らしをしていてそれが当然だと思っていたのに、今となってはちょっと心細い。ほんの数日で孤独感を覚えてしまった。
年増の癖してこういうことにだけ順応性が良い自分が少し可笑しい。
「さてと!」
あまり感傷的になっていても仕方ない。私も今日から仕事を開始しなければ。
家の中に引っ込んで外出用の荷物を手早く作り、戸締りをしてから職場である定食屋へと向かった。

初出勤。店の中へ入ると先日お世話になったおばあさんが調理場に立っていた。ずいぶん早起きだなあ。
「あら、おはようななしちゃん。早いわねえ」
「おはようございます。早く仕事覚えたくて!」
「ここはもうななしちゃんの店だから、あんまり気負いしなくていいんだよ。今日からよろしくお願いね」
最初のうちは覚えることがたくさんあるから頑張ろう。
調理道具の位置、食器の位置、厠の場所、それから食材の仕入先。仕入先については閉店するつもりで先日どこも取引をやめちゃったから、再取引してもいいし、私の伝手で新しく開拓してもいいよとのこと。まあ後で考えようかな。
店内は御座敷席とテーブル席とカウンター席があってそれなりに広い。作りは以前の私の店と少し似ているから、あんまり違和感が無かった。
ななしちゃんは覚えがいいんだねえ、なんておばあさんが感心したように呟くから、私も以前は定食屋してたんですよ、と慌てて付け足した。だって自慢じゃないけど物覚え悪い方だから、覚えが良いなんて勘違いされたら大変だ。じゃあななしちゃんの方が私より先輩かもしれないね、なんて人の良い笑顔でおばあさんは言う。謙遜し過ぎだと思う。あんなに美味しい五目鮨、私には作れない。
お客が来ないのをいいことに午前中いっぱい、おばあさんに料理のコツを教わった。

午後からは私一人。
本当はおばあさんに料理のコツをもっと教わりたかったけれど、あまり長い時間お年寄りを調理場に立たせるのも酷だと思ったので一人で頑張ることにした。
とはいってもお客なんて来ないからただの時間潰し。食材の在庫が残り僅かしか無いから、仕入先に取引交渉に出ようかな。今日はもう閉店しちゃおうか。
「ごめんくださーい」
マイペースなことを考えていたら、まさかのお客様ご来店。
「はい!」
元気良く返事をして店の入り口へ向かう。お客様第一号だ!
「あれっ」
「やあ! 繁盛してる!?」
店に来たのは第三協栄丸さんだった。実に昨日ぶり。
「今日からここでお店開くって、昨日言ってたろ? だから差し入れ持って来た!」
そう言って壺いっぱいの鮮魚がテーブルにどんと置かれる。
「わああ助かる! ありがとうございます!」
なんて良い人なんだろう。あ、これってひょっとしてチャンスじゃないか。ついでに仕入先の交渉しちゃおっかな。
「お邪魔しまーす」
都合の良い考えを起こしていると、第三協栄丸さんに続き一人の男性が入店してきた。おろろろ、大そうイケメンだ。
「利吉君、こちらがななしさんだよ」
第三協栄丸さんに促されて一歩前に出てくる彼。第三協栄丸さんと一緒にやって来たんだろうか。
「初めまして、山田利吉です。ななしさんのお噂はかねがね」
や、
山 田 利 吉 だとぅ!
「えええええええあの売れっ子フリープロ忍者のぉ!!!?」
「え、あ、はい」
「ななしさん声が大きい!」
や、でも仕方ねーじゃん! これは食い付いて当然だろ! だってあの山田利吉だよ! 本物だよ! 噂に違わず超イケメンだよ!! なんでこんなとこに居んの!? うっそマジすげええぇ!
「私、なぞのななしですっ!」
思わず両手を握りしめて熱のこもった自己紹介をした。オバハンはミーハーなんだよ許して!
「ど、土井先生はパワフルな女性が好みだったんですね…知らなかった…」
物凄い苦笑を浮かべてそんなことを呟く利吉君。え、何、君の中でどういう設定なの私は。
「こんなに豪快な奥さんがいるなんて、俺も昨日知ったばかりだもん!」
隣で笑う第三協栄丸さん。ああそうか、利吉くん、君はななし嫁説を鵜呑みにしちゃったんだね。
「ごめん利吉君、残念ながら私まだ嫁じゃない。嫁候補」

利吉君は今日、仕事の関係で兵庫水軍にお邪魔したらしい。そこで魚を運ぶ準備をしていた第三協栄丸さんを見掛け、どこへ持っていくのか訊ねれば土井先生の嫁のところだと返答され、気になって付いて来たのだそうだ。
しかし水軍の総大将どころかあの山田利吉とも縁が深いなんて。土井先生ってば凄い人脈たくさん持ってんだなあ。
「私の父が忍術学園の教師なんですよ。土井先生と同じ、一年は組の担任なんです」
「知らなかった! 先生、そんなこと一言も言ってなかった!」
「聞かれなきゃ言わないでしょ」
んん、ツッコミが手厳しい。今時の若者、山田利吉。
「せっかくだから二人とも食べて行って下さいよ。頂いた魚、今から料理するんで」
「あ、お心遣い無駄にして申し訳ないんですが私はもう行きます。お構いなく」
「え? もう?」
「次の仕事が控えてるもので」
さすが売れっ子と言いたいけど、本当に野次馬に来ただけなんかいとツッコミたい方が先。何しに来たんだ全く。
「また今度、近いうちにお邪魔します」
私ってば不機嫌が顔に出てたらしい、苦笑して一礼された。いかーん、年下に気ぃ遣われちゃったよ。
「うん、暇な時にでもゆっくりおいで」
「はい、それでは」
言葉だけ置いていくかのように、利吉君はあっという間に姿を消した。
「俺は食べてきます」
第三協栄丸さんはそう言って調理場まで魚の壺を運んでくれた。海の男は優しいね。

魚を調理しながら、カウンターに座っている第三協栄丸さんに仕入の取引交渉をすれば、快くOKしてくれた。忍術学園の食堂にも定期的に魚を運んでいるからそのついでだし大して変わらないですよ、とのこと。
「お世話になります。私の方から買いに出向きますから」
「いや、いいですよ! 女性に運ばせるのは心苦しいですから! 必要な時にはうちの若いもんに運ばせます」
「本当ですか!? 助かります。何から何まですみません」
「気を遣わないで下さいよ。土井先生や忍術学園にはいつもお世話になってるし、ななしさんにもこれからお世話になることがあるかもしれないし」
「私でお役に立てることがあったら何でも言って下さいね」
「分かりました」
ありがたや、ありがたや。昨日、町でぶつかったのが第三協栄丸さんで良かったなあ。
「近いうち、また遊びに来てください。これといって何にもありませんけど」
「遊びにって…私、水軍さんの仕事の邪魔しちゃいますもん」
「それぐらい気軽な方がいいですよ。うちの男衆、何せ女性に縁が無いから、べっぴんさんと会話出来るだけで士気があがります」
「あははは第三協栄丸さんてば上手いですね! こんなオバサンでも口説いてくれるんですかーありがとうございますー」
「いやいやこれ冗談じゃないんですよ。現に昨日うちのもんで一人、ななしさんをえらく気に入った奴がいまして」
「・・・」
うん。誰だかだいたい察しはつきますよ、はい。
「人妻はやめとけって言ったら『ですよねー』なんてぼやいてたんで、まあ本気じゃないと思いますけどね! はっはっは!」
笑えない。笑えないよ第三協栄丸さん。あの人は真髄の女タレだからきっと人妻でも容赦なくタレるよ。
「まあ、あいつに魚運びはさせないんで安心して下さい」
「そ、そうですか」
結論、水軍にお邪魔した時に私が義丸さんに近付かなければいいだけの話。肝に銘じよう。
「あ、凄い良い匂いがしてきた」
「水軍さんは焼き魚に慣れてるかと思ったんで、煮魚にしてみました」
ついでに自分の分もちゃっかり用意した。一緒に食べちゃおっと。



この時、私はとんでもない見当違いをしていた。

あとになって知ることになるなんて。





義丸さんだと、思ってた。


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