出発前夜


帰宅したら三人は宿題を開いたまま寝こけていた。土井先生に叩き起こされて渋々勉強を再開する。
私は第三協栄丸さんから頂いた魚を料理するため、そのまま調理場へ。
「だって分からないもんは分からないです先生!」
「ああもう何度教えたら分かるんだ。仕方ないなあ」
料理しながら先生の様子をちらりと盗み見るが至って普通。さっきまで怒ってたのが嘘みたいに、いつもと変わらぬ様子で三人に宿題を手解きしている。
もう怒ってないのかな。…いいや、そんなはずない。何もないのに機嫌が直ることなんてあるはずない、きっとまだ私に対して怒ってる。
先生は大人だから子供達の前では平静を装ってるんだろう。だったら私も自然に振る舞わなければ。
「いいにお〜い! 魚料理だ!」
視界の端で鼻をくんくんさせたしんべヱが、宿題に集中しろと土井先生にゲンコツを落とされた。

「お魚美味しー!」
先生に手伝ってもらってようやく宿題を終えた三人。頭を使って相当疲れたんだろう、宿題を終えると同時に晩御飯に飛びついた。先生と私も遅れてご飯に手を付ける。
「どこの魚屋さんで買って来たんですか?」
「これね、兵庫水軍で貰って来たんだ。今日たまたま町で第三協栄丸さんと会ってさ」
「え? ななしさん、第三協栄丸さんと知り合いだったんですか?」
「うんにゃ初対面だよー。土井先生に紹介してもらった」
「じゃあななしさん、兵庫水軍の皆さんと今日初めて会ったんですね」
「うん。みんなカッコ良かった!!」
「相変わらず視点がオカシイっすね」
「うるさいなぁ」
「カッコいいって…船の上だったんですか?」
「え? 何が? どういうコト?」
「水軍は筋金入りの海賊だから、陸に上がると陸酔いする人が大半なんです」
「陸酔い!?」
「そうそう。みんな船上では格好良いけど、陸酔いしてる時は別人なんですよ。特に、鬼蜘蛛丸さんとか」
「まじで!? 鬼蜘蛛丸さん、陸で会ったけどめっちゃ男前だったよ!」
「ああ…じゃあ潮風が強いところに居たんですね」
「あ、そうかも」
「ってか、めっちゃ男前って…ななしさん、海に行った目的が…」
「だってカッコ良かったんだもん!」
かちゃ、と質素な音がした方へ目をやれば土井先生が晩御飯を食べ終えていた。あれっ、食べるの早いな。
「ご馳走様でした」
そう言って両手を合わせる先生。もくもくと食べ進めてたから、まあ食べ終わるのが早くて当然か。
「お粗末様でした。今お茶いれますね」
自分の茶碗をひとまず置いて先生が食べ終えた食器を下げようと手を伸ばす。その瞬間、
―ぱしっ―
私の手は、先生の手に払われた。・・・え。
「気を遣わないで下さい。なぞのさん、まだ食べ終えてないでしょう?」
「え、あの、」
「食器は私が自分でやりますから、ゆっくり食べてていいですよ」
自然な笑顔に自然な言葉。だけどなんとなく分かる。
先生は、やっぱりまだ怒ってる。
「ななしさん、ご飯冷めちゃいますよぉ?」
隣からしんべヱの間延びした声。
「あ、ああ、そうよね」
子供達に不審がられちゃいけないから慌てて自分の茶碗を持ち直した。先生は自分の食器を持って表の洗い場へと向かってしまった。
私、ついに先生に本気で嫌われたのかな。鼻の奥がツンとして、ご飯の味なんてよく分からなかった。

明日は早朝にここを発つということで、みんな早めに就寝した。
みんなが寝てから一人、表で食器洗いを開始。夜に音をたてるのは近所迷惑かと思い、あまり音を響かせないように細心の注意を払う。
先生、なんで怒ってるんだろう。私、いったい何をやらかしちゃったんだろう。冗談が過ぎたのかな。それとも何か傷付けるようなこと言ったかな。気遣いが足りなかったのかな。考えても考えても思い当たらない。
嫌われたのかな、やっぱり。
実は前々から私のことが気に入らなくて、何かの拍子にそれが爆発しちゃったとか。可能性は多分にある。
先生は私に『あなたを知るのに時間を下さい』と言った。『あなたの想いに対する返事を考える時間が欲しい』とも言った。だから私達の今の関係は宙ぶらりんだ。
この三日間で、先生の中で答えが出てしまったのかもしれない。明日の朝、ここを出ていけと言われたら私どうしよう。
泣けてきた。
いいか、誰も見てないから。泣いてしまえ。あ、でもどうやって拭ったらいいの。手が魚の油まみれなんですけど。
「なんで泣いてんすか」
「!!!」
急に後ろから聞こえた声にびっくりして振り返ったらきり丸だった。良かった!変な声あげなくて! 近所迷惑どころじゃなくなってしまう。
「汚れが目にはねたんですー」
「またヘタクソな嘘つきますね」
「うっ」
なんだよもう。何しに来たんだよ。泣き顔ばっちいから見ないでくれよ。いい歳こいて情けないじゃん。
きり丸は私の隣に腰を下ろすと、洗い物を手伝い始めた。
「先生となんかあったんすか」
手元の洗い物を見つめたまま質問される。…え、なんで分かったんだろ。
「鋭いねえ、きり丸は」
「いや、俺が鋭いっつーか…」
「何」
「隠すの下手くそなんすもん、土井先生」
そうかし? 私には先生、凄く自然に見えたけど。
「…理由がさ、分かんないんだよね」
「え?」
「先生、船から戻ってきたあとずっと機嫌悪くてさ。私がなんかやらかしちゃったんだと思う」
「そうなんすか。俺、なんとなく分かりますけど」
「まっ」
マジで!!?、と大声が出そうになったので飲み込んだ。
「先生、俺達が飯食ってる間、一言も会話に入ってこなかったし」
「なんで? なんで? 私、何がいけなかったの? それって改善の余地ある? 私なんでも直すから」
「いや、ななしさんがいけないんじゃなくて」
「え? 違うの?」
「先生が子供なんじゃないすかね」
は? どういうこっちゃ。
「ななしさん、水軍の誰かとイイ空気になりませんでした? さっき話した鬼蜘蛛丸さんとか」
ほげげ! 何故知っている!?
「義丸さんにカマ掛けられた、けど」
「やっぱり。原因、それだと思います」
「でもそんときは先生、船の上に居たよ?」
「船の上から見えたとか」
「え、だけどそれでなんで先生が怒るの。先生自身には関係なくない?」
「…俺、思うんすけど」
「うん」
「土井先生とななしさんって似た者同士ですよね」
「あ、それ私も前に思った」
「でしょ? ななしさん、それで先生に一目惚れしちゃったわけで」
「…そう、かも」
「だったら、その逆もあると思うんすよね、俺」
…逆って、え、何、逆って。ああそういうこと。いや、それは無いよね。先生が私に一目惚れってことっしょ? もう確実に無いよね。それは都合良く考え過ぎ。だって先生が私に気があるなら、こんな宙ぶらりんな関係には至ってないし。
「先生、こういうことに関して素直には見えないから」
「それは有り得ないよきり丸」
「…まあ俺の推測だからべつにいいですけど」
なんだ、結局振り出しに戻っちゃった。先生が怒ってた理由、分からず終いだな。
「ななしさんにいいこと教えてあげましょうか」
「何?」
「射手座の男ってめちゃくちゃ恋愛下手で、喧嘩した時に先に折れる確率ナンバーワンらしいですよ」
「まじか。それ、どこ情報?」
「くのたまのユキちゃんが占いハマってた時に、散々教えられました」
「ユキちゃんありがとう。会ったことないけど」
「先生、今頃後悔してますよ絶対」
「そうかな…。うん、ちょっと元気出た。ありがとうきり丸」
「情報料、銭三文」
「いつも三文だなお前」
「五文にしますか」
「やだ、負けて」
「じゃあ三文」
「銭袋いま取り出せないから明日ね」
「忘れないで下さいよ」
「大人だねえ、きり丸。お前なんであと十年早く生まれてこなかったの。私、きり丸に惚れりゃ良かった」
「勘弁して下さい」
「コクる前からフるんじゃねーよ。デレツンか」

きり丸も明日は早いだろうから、食器洗い半ばで部屋に帰した。私を励ましに来た可愛い弟に負担は掛けたくないからね!
手早く洗い物を終えてから綺麗になった食器を片付け、一度厠に寄ってから部屋へと戻る。と、
「…あれ」
入り口の前に、夜着姿の土井先生が立っていた。
「先生も厠ですか?」
「いえ、違います」
言ってからああしまったと思う。べつに訊かなくてもいいじゃん、そんなの。私ってばデリカシー無いな。
先生に嫌われたのはこういうところかもしれない。
「あなたを待っていました」
…え。
「・・・」
それから沈黙。ずしりと空気が重くなる。
なんだろう。先生、なんで私を待ってたんだろう。まだ怒ってるのかな。
明日の朝ここを出て言って下さい、って言われるかな。心の準備出来てない。どうしよう、とりあえず深呼吸でもしようか。呼吸困難で窒息死しそうだから。
「あの、」
「すみませんでした」
「…へっ?」
「昼間は怒鳴ってしまって」
視線を下へ落とす先生。『怒ってません』と声を張った、あの時のことを言ってるらしい。
「べつに気にしてませんよ。顔、上げて下さい」
嘘。ほんとはちょっと気にしてるけど。
「私の方こそすみません。私ってば、先生に何か失礼を」
「違うんです」
「え?」
「その…見えたんです、船の上から」
「見えた?」
「あなたが義丸さんと一緒に居るところ。それが、凄く、絵になってて…」
「は? はあ…」
「・・・」
「・・・え…」
先生の言わんとすることがいまいちよく分からない。何、どういうこと? 今の説明だけで理解しろと言われましても、私は理解力が乏しいんですが…もうちょっと補足してくれ。
「それからいろいろ考えて…やっぱりなぞのさんには、私なんかより義丸さんのような頼りになる男性の方が相応しいんじゃないかと、そう思って…」
ムカッ。なんてこと言うんですか先生。私には先生しかいないのに。前にもあれだけ言ったのに!
「私は土井先生がいいです」
私がどれだけ先生を好きか、どうやらまだ伝わっていなかったようだ。
「けど、」
「けどじゃないです。土井先生がいいです。他の誰でも嫌です。土井半助がいいんです」
少し腹が立って早口で捲くし立てたら、先生はみるみるうちに赤くなった。
要するにこういうことだったわけだ。

先生は、自分が回答を出す前に私が他の男性に気移りするんじゃないかと思って少し不安になった。

ムカつくには充分だろ、そんなの。私はてっきり嫌われたんだと思ってたのに。出て行けって言われるかと思ってたのに! 失礼だけど私にはくだらなすぎる。
「私が気変わりしそうで不安だと言うなら、先生の好きなところ百個、これから毎日言葉にしましょうか」
「えっ」
「顔、身体、優しいところ、生徒思いなところ、なんでも器用にこなせるところ、頭がいいところ、大人なところ、それから」
「え、や、あの」
「胃炎持ちなところ、練り物嫌いなところ、枝毛がひどいところ、甲斐性無しなところ、」
「わ、分かりましたからもうやめてください。あとの方に至っては欠点じゃないですか」
「そうですよ。欠点も含めて全部好きです」
ほんの少しの月明かりでもはっきり分かるほど、先生は真っ赤になった。
普段どれだけ尽くしても、言葉にしなきゃ伝わらないというなら、言葉なんていくらだってくれてやる。他に伝える術なんて私は知らない。
「先生は余計な心配しなくていいんです。私は土井先生しか頭にないんですから」
いいですね!と大声を出したかったが夜中なので我慢する。背の高い先生を下から睨み上げた。
「す、すみませんでした…」
眉を下げて苦笑する先生。どうやら安心したようだ。
「分かればよろしい」
私も思わず顔が綻ぶ。正直、出て行けって言われなくてほっとした。
「私ね、先生」
「はい?」
「この三日間、先生と一緒に居て、ああやっぱり好きになって良かったなと思いました」
「え」
「どんどん好きになってくんですけど、責任取って下さいね」
始終赤い顔の先生の横を通り、部屋の中へ戻る。

これからは今まで以上に、もっとちゃんと言葉にして伝えよう。
そう思った。


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