残り一日
みんながここを出発するまで、残り一日。明日にはいなくなってしまうのか…早いなあ。
「土井先生、この宿題、習ってないので分かりません!」
「教えたはずだ、教えたはずだ、教えたはずだ…」
「う、ヤバイよしんべヱ! 教わったことあるみたい!」
「だけど先生、本当に分かりません〜。昨日から頭が痛くて熱が出そうですううう。わああん!」
「ああもう、忍たまの友に全部書いてあるから写しなさい。まだ一日残ってるんだから、諦めずに頑張れ」
「先生の鬼ぃ!」
「なんとでも言え」
洗濯物を畳みながら四人のやり取りを眺める。今更だけど、本当に教師と生徒なんだよなあ。ここにいる間は「家族」っていう感覚の方が強いから、あんまり実感が湧かないのが正直なところ。
「土井先生」
「はい?」
「もしお忙しくないようでしたら、あとで買い出し手伝ってくれませんか」
「買い出し?」
「みんなでご飯を食べるの、私にとっては今日が最後なので…。最後ぐらい、何かいいもの食べたいんです。材料も私が買いますし、料理も私が作りますから、運ぶのだけお願いで出来ませんか」
「ああ、それなら私も出しますよ。たまには奮発するのもいいでしょう」
爽やかな笑顔がナチュラルな先生。うーん、男前。
「え!? ひょっとしてななしさんの料理が食べられるの!?」
会話を聞いてたしんべヱが鼻息を荒くし損ねて鼻水を噴射した。
「だあああ! ほら、チーンして!」
慌ててしんべヱの鼻をかむ土井先生。先生、なんだか教師より保育師の方が似合ってるよ。
昨日と同じく、頭から湯気が出そうな三人を家に置いて二人で出掛けた。
デートですねと言いたいところだが、買い物メモと風呂敷を手にしている時点でそんなに色気のあるもんじゃない。
休みのあいだ、結局土井先生にアピールらしいアピールしてないや。まあいいか。何年でも先生を待つと決めたんだから、のんびり行こう、のんびり。
「ところで何を買うんですか?」
「えーと、まずはですね」
カサカサとメモを開いていたら誰かとぶつかった。
「うわっぷ!」
「あいてっ!」
「あたたた、ごめんなさい!」
ぶつけた鼻先をさすりながら前を見れば、黄色い服を着たおじさんが立っていた。
「あれ?」
「へ? あ、土井先生!」
「兵庫第三協栄丸さん!」
おや? 知り合いなのかな? 土井先生って忍者の割に顔が広いんだなあ。
「こちらの女性は?」
あ、いけね。自己紹介しなきゃ。
「初めまして! 私、土井先生の「居候」のなぞのななしです!」
…"嫁"の部分だけ横から言葉被せてきやがった。先生、だいぶ慣れてきましたね。
「そうなんですか! 土井先生、奥さんがいらっしゃったんですね!」
しかしこの方には通じなかったようだ!いっひっひ!
「だから!なんで皆さんそう言うんですかもう!」
もはや単なる八つ当たり。あんまりヒステリックになるとまた胃が痛みますよー?
「初めまして。私は兵庫第三協栄丸です」
握手を求められたのでその手を握り返す。
「なぞのさん、第三協栄丸さんは兵庫水軍の総大将なんですよ」
「え!?」
先生がくれた補足にびっくりした。凄い人じゃないか。なんで水軍の総大将がこんなところにいるんだろう。
「今日はどうされたんですか?」
「あ、いや、それが…」
言い辛そうに地を見る第三協栄丸さんを、土井先生はジト目で見やった。
「ひょっとして、また水軍を飛び出してきたんですか?」
「いや、まあ、はい、そんなとこです…」
「飛び出す? 第三協栄丸さん、水軍でうまくいってないんですか?」
「違いますよなぞのさん。第三協栄丸さんは時々、海賊でいることに自信をなくしてこうやって水軍を抜け出してくるんです」
「何せワシ、泳げない海賊なもんで」
「お、泳げない!? 海賊なのに!?」
「ちなみに船酔いもします!」
「そんな胸張って言われても…」
第三協栄丸さんは両手を合わせると私達に頭を下げた。
「ここで会ったのも何かのご縁、すみませんが水軍まで一緒についてきてくれませんか! 一人じゃ心細くて、さっきから帰るに帰れないんです!」
「全く、これで何度目ですか」
「お願い!!」
「しかし私達はこれから買い物に行く予定でしたし…困りましたねえ…」
先生は呟きながら私の手元の買い物メモに視線を落とす。
「あ、そうだ。いいこと思い付いた」
「え?」
「魚を分けてくれるなら、一緒に行きますよ」
そんなわけで二人で第三協栄丸さんの少し後ろを歩いた。
「みんなには俺がいなくても大丈夫なんじゃないかな、俺、みんなに必要無かったらどうしよう」
「第三協栄丸さん、前もそんなこと言ってましたね」
「土井先生、なんだかさっきから俺にきつくないですか」
「呆れてるんです」
「そんなこと言わないでくださいよ、ひどいなあ」
「大丈夫、きっとみんな今頃困ってますよ。だって第三協栄丸さん、総大将なんでしょう?」
「あ、ほらっ、奥さんはこんなに優しいのに」
「だから、奥さんじゃありませんて!」
潮の香りと涼しい風。あっという間に海が見えてきた。
「海なんて久しぶりだなあ」
私の独り言に、第三協栄丸さんがにこっと笑う。
「これといってなんにも無いけど、ゆっくりして行ってください! …俺がまだ総大将でいられればだけど」
海に辿り着いてすぐ、水軍の皆さんは第三協栄丸さんを見つけて駆け寄ってきた。
「お頭!」
「お頭、どこに行ってたんですか!」
「探してたんですよ!」
そんな彼らの様子に、お前ら俺がいないと駄目だな、と第三協栄丸さんは照れ臭そうに笑う。なんだ、心配する要素なんてどこにもないじゃん。これを繰り返されてたらそりゃあ先生も呆れるわな。隣に居る先生の顔を見上げたら案の定、呆れ顔だった。
「あ、土井先生。こんにちは」
「やあ網問君、こんにちは」
先生に気付いた大柄の好青年が挨拶してくる。網問君ていうのか。
「えっと…?」
私を見つめて記憶を辿る彼。会ったことないよ、初めましてだよ。背は大きいけれど正面から見ると幼い気がするから、年下かなこの子。
「初めまして、私は、」
そこまで言い掛けてちらりと先生に目をやれば、顔で無言の威圧をされた。こ、怖い。
「私は、土井先生んちに居候してるなぞのななしと言います…」
さすがにこれ以上同じ冗談を言い続けたら先生にガチで嫌われると察知した。私のまともな自己紹介に、隣で先生はホッと息を吐く。くっ、泣けてくる。
「土井先生、奥さんが居たんですね!」
しかし網問君、君は私の話の何を聞いていたんだね。
「おおーい、間切ぃ! 土井先生の奥さんだってー!」
ええええ何故そうなる! 慌てて先生を見れば蹲って胃を押さえてた。先生も何故そうなる!
結局、網問君の呼び掛けに反応したのは水軍の皆さん全員で、傍に駆け寄ってきた誰が"間切さん"なのかなんて分かりゃしなかった。
晩御飯の魚を貰う為、先生は第三協栄丸さんと一緒に船へ向かった。船の上は女人禁制ということで、私は浜辺で一人待ち惚け。座ったまま遠くから水軍さんの仕事の様子を眺める。
しかし、あれだな。やっぱ海の男ってのは逞しいな。先生に負けず劣らずのイケメン揃いだよ、うん。今のうちにたっぷり目の保養しとこうか。
「お一人ですか?」
不埒なことを考えていたら後ろから声を掛けられた。振り向けばそこに、色気ムンムンのひと際いい男。
「初めまして、鉤役の義丸です」
「初めまして」
「隣、いいですか」
「? ええ、どうぞ」
私が返事をすると同時、義丸さんは隣にどっかりと座った。
「…義丸さん」
「はい」
「近いです」
「いけませんか」
「べつに構いませんけど」
「ななしさんに一つお伺いしても良いですか」
「なんでしょう」
「土井先生の奥さん、って本当ですか」
…こいつ、生粋の女タレだ。絶対そうだ。伊達に長生きしてない私の女の勘がそう告げる。これだからやだよイケメンは。
つか、イケメンって本来はこうよな。イケメンの癖に潔癖という土井先生の特殊具合に慣れ過ぎて、若干忘れ掛けてた。私みたいなババア口説いたって、いいことなんかなんもねーのに。暇なのかな。いや、暇じゃないだろ、だってさっき鉤役っつってたぞ。
結論、相当なもの好き。
「本当ですよ」
「そうですか。土井先生は否定していましたが」
「先生に訊いたんですか。ならわざわざ私に訊かないで下さいよ」
「べつに先生には訊いてませんよ」
ぐっ! カマ掛けられた! 畜生、やっぱこいつモテる空気出してるだけあって、場数踏んでやがる!
「もったいないなあ。あなたみたいな方が追い掛ける側だなんて」
ちょ、もう、ほんと早く戻ってきて先生。ナイモテ女の私にはこーゆー時の対処の仕方がよく分からん。
「惚れたもん負けですからねえ」
「だったら、私は負けなのかな」
「・・・」
「あはは、冗談です。半分ね」
こいつ、私の手に負えん! 誰か助けてええ
「義丸」
背後から掛けられた私達以外の声に、私は大袈裟に振り向いて反応した。もうこの空気を壊してくれんなら誰でも何でもいいよ!ありがとう神様!
「…鬼蜘蛛丸」
そこに居たのはこれまた色男。義丸さんが呼んだ名前からすると、鬼蜘蛛丸さんていうのか。いつからそこに居たんですか、めちゃめちゃ恥ずかしいじゃん。
「そのヘンにしておけ」
「なんで」
「もうすぐ先生戻って来る」
「あ、そう」
それは残念、とわざとらしく呟いて立ち上がる義丸さん。さっさとどっか行ってくれ。
「では、また近いうちにお会いしましょう」
にっこり笑って船へと戻る彼。はあああ助かった。出来ればもう会いたくないです。
彼のあとを追って鬼蜘蛛丸さんも船へ向かう。どうしよう、お礼を言うべきか。
考えあぐねていると、鬼蜘蛛丸さんは途中で立ち止まり、私を振り返ってこう言った。
「苦労が絶えませんね、土井先生も」
・・・え。
「どういう意味ですか」
私が問い返す間もなく鬼蜘蛛丸さんは前を向くと、そのまま歩いて行ってしまった。
前を向く瞬間、そのままの意味です、という声が聞こえた気がしなくもないけれど。
「先生」
「・・・」
「土井先生ってば」
「…なんですか」
「どうしてそんなに不機嫌なんですか」
「私のどこが不機嫌ですか」
さっきからずっとこの調子。第三協栄丸さんから魚を貰って戻って来た先生はたいそう不機嫌で、私と目も合わせてくれなかった。帰り道を歩く間中ずっと話し掛けてるんだけど、ろくに言葉を返してくれない。
第三協栄丸さんと何かあったのかな。それとも私が何かしただろうか。うーん、思い当たらない。だって魚貰ってくる前までは至って普通だったのに。
あ、それともあれかな。
「網問君が私を先生の奥さんと勘違いした時に否定しなかったから、それで怒ってるんですか?」
キッと私を睨みつける先生。初めて目が合う。
「だから、怒ってません!!」
あまりの剣幕に思わず肩がビクリと跳ねた。
先生、怖い
「ご、ごめんなさい…」
先生は眉間に皺を寄せて困った顔をすると、何か言おうと口を数回開閉させた。だけど結局何も言わずに、そのまま前を向いて再び歩き出した。
先生に怒られるのが怖くてそれ以上何も聞けずに、私は黙ってあとをついて行くしか出来なかった。
よく分からないけれどきっと私が何かしてしまったんだ。
先生、ごめんなさい。
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