残り二日


翌日。誰よりも早起きして朝食を作り、朝刊配達に出掛けるきり丸を今度こそ快く送り出すことが出来た。
これだけ早い時間ならご近所さんはまだ起きていないはず。腫れた頬を見られてはコトだから、今のうちに顔を洗って来よう。
共同井戸で桶に水を張り、中を覗き込む。どうやら腫れはだいぶ引いたみたい。ただ内出血が酷いのか、青黒く色が変わってしまっている。治るのに時間が掛かるなあこりゃ。
顔を洗って家の中に戻り、手持ちの救急道具を引っ張り出して変色している頬を隠した。
「おはようございます、なぞのさん」
背後から掛けられた声に振り替えれば、朝から爽やかな土井先生の姿。
「おはようございます。先生、相変わらず早起きですね」
「なぞのさんこそ」
歯磨きセットを手に取りながら先生は思い出したように呟いた。
「そういえば昨日の夕方、」
「はい?」
「隣のおばちゃんが赤飯を持ってきたんですけど、夕飯に出すの忘れてしまいました」
ぶっ
「なんで赤飯なんか持って来たんだろう…。理由を訊いても『何も言わなくていいから!』って笑いながら一蹴されてしまったんですよね。なぞのさん、何か知りませんか?」
きっとそれは私が貴方の嫁だからですよ半助さん! でも言えない、絶対言えない。
「さ、さあ?」
「そうですか。なんだったんだろう…まあいいや。きり丸の分だけ残して、朝ご飯と一緒に食べましょうか」
そう言って先生は井戸へ向かった。
…わ、私、ちゃんと言ったもん。昨日、隣のおばちゃんと洗濯物洗ってた時に、きり丸の姉で居候してるんですってちゃんと説明したもん。隣のおばちゃんが信じなかっただけだもん! 私のせいじゃないもん! だからこれは不可抗力だもん! 私にとってどんだけオイシイ展開だとしても、これは仕方ないことだもーん!!
「おはようございまーす」
「ななしさん、一人で何笑ってるんですか?」
まさかのタイミングで声を掛けてきたのは、寝ぼけ眼のしんべヱと冷めた瞳の乱太郎。
「へ!? あ、ああ、おはよう!」
朝から気持ち悪い大人だなと子供達に思われたようです。ドンマイ私。

みんながここを出発するまで、残り二日。少しでもみんなと一緒に居たくて、新しい職場に通うのを遅らせてもらった。
「今日もいい天気! 絶好のアルバイト日和だなあ!」
きり丸は朝刊配達から帰ってくるとにこにこ顔でそう言う。
「ところできり丸。お前、夏休みの宿題は終わったのか?」
「え゛」
先生の問いに一瞬にして顔が引き攣る彼。
「そこのお前ら二人も!」
先生、まるで背中に目がついてるんだろうか。玄関からそうっと逃げようとしてた乱太郎としんべヱがぎくりとして足を止める。
「しゅ、宿題なんてありましたっけ…?」
恐る恐る訊ねるきり丸を前に先生は胃のあたりを押さえて呻き出した。先生ってば胃が悪いのかし。
「ドリルがあっただろうが! 宿題の!」
「え!? ドリル!?」
「まさか、なくしたのか!?」
「いいいいやまままさかあなななくしたなんてそそんな」
有りえんどもり方。なくしたんだな、こりゃ。
「宿題が終わるまでアルバイト禁止!!」
「ええ!? そんなあ!」
「ええ!?じゃない! 乱太郎、しんべヱ、お前らもだ! 宿題が終わるまでは遊びに行くな!」
「えええ! 私達もですか!?」
「当然だ!!」
「そ、そんなこと言ったって先生! 俺もうアルバイト引き受けちゃったんですよ!? 依頼主になんて言えばいいんですか!」
「断るしかないだろ」
「そんな殺生な!」
ここで頭がフル回転したんだろう、賢い子供きり丸氏。子供特有のきらっきらおめめで私に訴え掛けてくる。
「え…? わ、私…?」

かくして土井先生と二人できり丸のアルバイトをこなすことになった。
きり丸のアルバイトを引き受けたのは私だけど、私一人に任せては申し訳ないと言って先生もついてきた。宿題を前に唸っている三人を家に残し、二人並んでアルバイト先へと向かう。予備のドリルを何冊か隠し持っていたあたり、先生ってばぬかりない。学園では案外スパルタだったりして。
「すみません、なぞのさんに頼ってばかりで…」
「あははは、いーんですよ。どうせ私、暇ですから。弟の世話は姉ちゃんの役目です」
暇なのは本当のこと。午後から昨日借りた台車を返しに行こうかなと思ってたぐらいで、これといった予定は何もなかった。
「今日のバイトは何ですか?」
「私達の知り合いに幻術師がいるんですけど、その方が結婚一周年の記念興行を行うそうです。いわゆる幻術ショーなんですけど、その呼び込みのようですよ」
「幻術ショー! へええ面白そう! 見たことないから一回見てみたかったんですよ!」
「あ、いや、でも…あの方の幻術ショーは…」
「え? なんですか?」
「いえ、なんでもないです」
「言いかけてやめないで下さいよ。気になるじゃないですか」
「私が今ここで水をさしたら、見る前から楽しみがなくなるかと思って」
「言わなきゃチューしますよ」
「あの方のショーにはタネがあるんです。幻術使いとしては本物なんですけどね」
「そこで迷わず即答しないで下さい。泣きますよ先生」
ついに冗談すら流されるようになった。ツッコんでくれなきゃ私ただの痴女じゃんよー、先生のバカー。

見世物小屋に到着したら私達が呼び込みをする前からだいぶ人が集まっていた。よっぽど人気のショーらしい。
看板に『幻術師 里芋行者 再来』と書いてあったから以前にも一度やったことがあるんだろう。
ほっといても満員になるだろうとは思ったけどアルバイト代理だからとりあえず呼び込みしなきゃと思い、気持ち程度に店の前で通行人に声を掛けた。
「あれ? 土井先生、こんなところで何してるんですか?」
小屋に入ろうとした一人の男の子が土井先生に声を掛けてきた。くるくるとしたうどん髪の男の子。『土井先生』と呼ぶってことは生徒かな?
「ああ、きり丸のアルバイトの手伝いだ。勘右衛門、幻術ショー見て行ってくれるのか?」
「はい。あとで三郎と待ち合わせしてるんですけど、ついでに見てみようかと思って」
何年生だろ。久々知君とどっちが年上かし。同級生かな?
「?」
じっと見つめていたら男の子と目が合った。げげ、不審者と思われたかも。
そんな私の不安を察したのか、先生がいち速く私を彼に紹介し出した。
「勘右衛門、紹介するよ。こちらは」
「土井先生の嫁です!」
「訳あってうちに居候しているなぞのななしさんだ」
なんなの先生! そんなに私が嫌いか! 否定どころか私の存在空気じゃねーかよオイ!
「へえ。先生ご結婚されたんですか。いつの間に」
「だ・か・ら! 居候だって言ってるだろう!」
しかもかんえもん君には鮮やかなツッコミをいれるし。え、何コレ、何プレイ。私いま目の前が霞んで見えます先生。
私のボケを無視されることに対してなんだか、かんえもん君にヤキモチなんだか、全力で否定されたことに対してなんだか、ううう、私かんえもん君に生まれ変わりたくなってきました。
「なぞのさん、彼はうちの学園の生徒で尾浜勘右衛門です。兵助のクラスの学級委員長ですよ」
おおなるほど。てことは彼は五年生だな。
「よろしく尾浜君!」
「こちらこそ」

大した呼び込みもしないうちに小屋の中は満員になった。私達は呼び込み役だから無料で観賞できますよ、と先生が教えてくれたので早速小屋の中に入る。楽しみだなあ。
「とざい東西!」
口上役が声を張り上げて扇子を翻す。舞台上に現れたのは色黒の男性と色白の美女。
「あれまあ凄い美人」
オッサンみたいな感想がつい口から零れる。隣に居た尾浜君に聞こえたみたいでくすくすと笑われた。
「あれが幻術師の里芋行者さん、その隣が奥さんのミス・マイタケ嬢ですよ」
笑いながら優しく補足してくれる。久々知君に同じく、彼もたいそう親切な方のようだ。
「ありがとう」
口上役によるとこれから行うのは美女瞬間移動らしい。まだ行ってもいないのに観客が歓声をあげる。きっとこれをやるのは二回目なんだろう、見るのはみんな二回目なのかな。
片方の櫓にマイタケ嬢が入り、両方の幕がせり上がる。おおおお本当か、本当に出来んのか。出来たら凄い。
「ご覧あれ!」
幕が下がった瞬間、マイタケ嬢は入った時と反対の櫓から姿を現した。
「うおおお! すっげええ!」
凄い凄い、幻術使い凄い! 軽く興奮して素で歓声をあげながら拍手した。なんだかめちゃくちゃ男らしい声が自分から飛び出した気がするけど、周りも歓声あげまくってるから別にいいよね。気にしない。
「ああ、なるほどなあ」
隣の尾浜君が舞台を眺めながらぼそっと呟いた。

観客が帰ってから先生と一緒に里芋行者さんのもとへ。
「里芋行者さん、ミスマイタケ城嬢、お疲れ様でした」
「あれ、土井先生。お久しぶりです」
「呼び込み役のきり丸が都合で来られなくなったので、代わりに私達が来たんです」
「そうでしたか。お疲れ様でした。ええと、私達って…?」
里芋さんとマイタケ嬢の視線が私に向けられる。うわーうわー、舞台上に居た人達がこんなに近くにいるよどーしよー!ここでサインとか求めちゃったら田舎もん丸出しかな! 丸出しだよね!
「こちら、なぞのななしさん。なんでも土井先生の奥さんらしいですよ」
横合いから尾浜くんが答える。おや、まだ居たのかい。
「違う! 居候だ!」
全力で否定する土井先生はもはや条件反射。人間の吸収力ってえのは恐ろしいもんで、私もだんだん慣れてきたよ先生…
「え!? 土井先生、ご結婚されたんですか!?」
真っ先に反応したのは里芋さんでもマイタケ嬢でもなく、その後ろにいるもう一人のマイタケ嬢。
…え!? もう一人のマイタケ嬢!!!?
「あ、あれっ!?」
「違うと言ってるだろ三郎! なぞのさんはただの居候だってば!」
混乱する私よりななし嫁説を否定することの方がどうやら先生にとって大事らしい。もういいよ先生、みんな先生をからかってるだけなんだからそんなにムキになって否定しなくても。私はただの居候だよーうわああん。
「初めましてななしさん。私、鉢屋三郎です」
「三郎は俺と同じ五年生で、変装名人なんですよ」
ははあなるほど! 瞬間移動のトリックが分かったぞ! タネがあると先生が言ってたのも、尾浜君がなるほどって呟いてたのも、みんなこういうことか!
鉢屋君はそのままくるりと一回転、私と同じ姿になった。
「あ、本当だ! 凄い!」
目の前に自分が居るって何か変な感じ。
「んー…」
眉間に皺を寄せ、私と自分を見比べて唸る鉢屋君。何、私どっか変?
「あれ? もうちょっと大きいかな…??」
あろうことか自分についている乳の部分を両手で鷲掴みする。
「ちょ、私の格好で変なことすんなやああ!」
思わず目の前にいるもう一人の自分を思い切り引っぱたいた。なんだこの羞恥プレイ!
「いってえ! 何も叩くことないのに!!」
「いやいや、今のは叩くやろフツー! ナチュラルにセクハラすんじゃないよ学生の分際でえ!」
「なにいぃ!? ぱっと見てどこが胸か分かんないからいけないんじゃないか!」
「はああ!? 腹太いって言いたいのか!? おま、ちょっと表出ろこの野郎!」
喧嘩勃発。なんだこいつ、すげえ生意気! これからクソサブローって呼ぶ!

「ななしさん可愛いですねえ、土井先生」
「…時々、子供みたいなんだよ」
後ろから尾浜君と土井先生の呆れた声が聞こえた、気がした。


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