祝・就職


久々知君がごろつき共を奉行所に突き出してくれている間、おばあさんが手持ちの救急セットで傷の手当てをしてくれた。
「あいててて…!」
傷といっても打ち身の類だから手当ても気休め程度だ。
「痛そう〜」
「頬、すっかり腫れちゃいましたね」
三人が心配そうに私を見る。
「マジ? 私の顔、そんなヤバイ?」
「ヤバイです」
「マジか。どうしよう、土井先生が家庭内暴力振るってると近所に勘違いされる…」
いかん。いかんぞ。こんなハズじゃあなかった。先生ごめんなさい。なんかもう本当いろいろ何から謝っていいか分かんないけどとにかくごめんなさい。
「気にするとこ、そこですか」
きり丸にいつも通りの呆れ顔を向けられる。むう、なんだよ。他に何を気にするというのさ。

みんながここへ来た事情を訊ねたところ、もうすぐ夏休みが終わるので少し早めに家を出て土井先生んちにお邪魔することにしたんです!、と明るく返された。押し掛けた私に同じく、土井先生の意思の尊重なんてどこにも無いようだ。まあそんなの方便で本当は私の近況が知りたくなっただけなんだろうけど。
少し早めにバイトが終わったきり丸と合流し、町へ買い物に来ていた先輩である久々知君とたまたま出会ったらしい。そのまま私が食べていた五目鮨の匂いにしんべヱが吸い寄せられて、四人でここへ辿り着いたのだという。

お手柄だよ、しんべヱ。君がここへ久々知君を連れて来てくれなかったら、私二度と土井先生に会えなかったかも。
「はい、できた。手当てといってもこれぐらいしか出来ないけれど…」
私から手を離すと、おばあさんは申し訳無さそうに俯いた。
「いえ、充分です。ありがとうございます」
私の軽率な行動のせいでとんでもないことに巻き込んじゃったな。本当に済まないことをした。
「すみませんでした。危険な目に遭わせてしまって…私がもっと自重していれば、こんなことには」
「いいえ! 何言ってるの! 何もしなくたって追剥には遭っていたんだよ。お嬢さんは私を護ろうと一生懸命だったじゃない。おかげで私はこうして無傷だし、よくやってくれたよ」
なんていい人なんだろう。私が逆の立場だったら、今すぐ出て行ってぐらいのことを怒鳴っているかもしれないのに。菩薩様か何かだきっと。
「お嬢さん、お名前は?」
「え? なぞのななしです」
「ななしちゃん、ね。感謝してもしきれないよ、ありがとう。あのね、お礼らしいお礼は何も出来ないんだけど、良かったら」
「はい?」
「このお店、継いでくれないかしら」
・・・え・・・。エエ!?
「ななしちゃんが就職に困っているなら雇ってあげようかと今考えていたんだけど、私はやっぱり足腰が弱いからもう一緒に調理場に長いこと立っていられないと思うの。だから、それが一番かと思って」
た、たなからぼたもち!
「私はたまに様子を見に来るぐらいでいいの。もともと閉める気でいた店だから、ななしちゃんの自由にしてくれていいよ。よければ、どうかしら?」
「やります!!!」
嬉しい! やりました先生! 私、一日で就職先が決まりましたよー!
「ありがとう、おばあさん!!」
あと真の菩薩様にも出会ったんですよ! ああもう、帰って早くいろいろ報告したい!
「良かったですね、ななしさん!」
三人も一緒に喜んでくれる。うう、感激で涙が出そう。
「五目鮨、もし良かったら作り直すから食べていって」
「え? いいんで」
「いただきます!」
私の返答を遮ったのはもちろん、しんべヱだ。全く、こういうことには反応がいい。でもまあいっか。今回はしんべヱに助けられたし。
「ただいまあ」
そうこうしてるうちに久々知君が戻って来た。
「おかえりなさーい」

五人で席に着いて五目鮨を待つ。
「これからしばらく出歩かない方がいいですよ。さっきのごろつき、一人は俺が仕留めましたけど、もう一人は逃げて行きましたから。まあ一人じゃ何も出来ないでしょうが…出会わないに越したことありません」
「うん、わかった。いろいろありがとう」
向かいに座っている久々知君がアドバイスをくれる。しっかり者の先輩だな。
「久々知君は凄いよね! 苦無さばきがプロ級だよ! 私さっきびっくりした!」
「いえ、そんなに大したことは…」
「大したことあるよ! 正直、私には出来ないし! 上級生ってみんなあんなに腕が立つの?」
「久々知先輩は上級生の中でも成績優秀なんですよ」
「だよね、ああ良かった。忍たま全員あんなこと出来んのかと思ってちょっとビビった」
「やだなあななしさん、俺達なんて手裏剣マトにも当たんないっすよー!」
「それは精進しなさい」
それにしても久々知君てば本当に色白美人だなあ。羨ましい…美貌分けて欲しい。この子、くのたま陣にモテんだろーなー。
「ななしさんは、三人とどういったご関係なんですか?」
あれ? 私、説明してなかったっけ。
「土井先生の嫁です!」
ブッ、と盛大に久々知君は噴き出した。え? どーゆー意味? 失礼じゃね?
「どっ、土井先生の…!?」
そのままゴホゴホと咽返る。そんな久々知君の様子を見ながら、他の三人が腹を抱えて笑う。お前らも大概失礼よな。
「知りませんでした! 土井先生、委員会の時もそんなこと一言も言ってなかったのに!」
「委員会?」
私の疑問に対して補足してくれるのはおなじみ乱太郎。
「うちの学園には委員会活動があって、久々知先輩は火薬委員、土井先生は火薬委員会顧問なんです」
へえ、なるほど。
「ひょっとして知らなかったのって俺だけかな…他の火薬委員のみんなは知ってたのかな…」
目の前で頭を抱えてぐるぐると混乱し出す彼。さすがに冗談が過ぎたかな。
「ウソウソ、今の冗談。ほんとはね、」
一部始終を話す。ほんとはただの居候です。
「なるほど、土井先生にもようやく春が来たというわけですね!」
「…君、なかなか面白いこと言うね」
要約の仕方がざっくばらん過ぎる。本当に先生のこと尊敬してますか。
「居候、で思い出した。ななしさん布団買いました?」
隣からきり丸の質問が飛んでくる。
「…あ」
「やっぱり」
深い深い溜め息を吐かれる。なんだよー、おばさんトシなんだから物忘れ激しいんだよー。子供の溜め息って大人には結構ダメージでかいんだからやめてくれよー。
「どうせそんなことだろうと思って、俺さっき注文しておきました。あとで布団屋寄って帰りましょう」
「…きり丸様ァ!」
「注文代、銭三文です」
「金とんのかよ!」

五目鮨が出る頃、久々知君は冷奴を三つ注文した。どうやら相当の豆腐好きらしい。それから五目鮨を食べてる間中、豆腐の素晴らしさについての独り舞台を繰り広げていた。
カッコいいのになんて残念な子なんだろう。
食べ終えてからおばあさんと少し話をした。事情を話したら、ここはもうななしちゃんの店だから勤めに来るのは三日後からでいいよ、ななしちゃんの自由だよ、と言ってくれた。本当にいい職場を見つけたなあ。
店を出てから久々知君と解散し、四人で布団屋に立ち寄った。私の布団を買うついでに、乱太郎としんべヱの布団も買った。きり丸が「そんなに布団があっても敷く場所ないですよ、もったいない」と騒ぎ立てたけれど、小さい簡易布団だからきゅうきゅうに詰めればなんとか大丈夫だと思う。だけどさすがに布団三組は持ち運べなくてどうしようか途方にくれていると、店の主人が快く台車を貸してくれた。きり丸に貸すんだったら盗まれる心配は無いだろうから、返しにくるのは明日でいいよとのこと。これもきり丸の顔の広さのおかげかな。
みんなで台車をひきながら、歌を歌って帰路につく。なんだか弟が増えたみたいでちょっぴりくすぐったかった。

家に着くと土井先生はもう帰っていて、私達を出迎えてくれた。
火の気配。先生、夕飯の支度までしてくれたんだ。私ってば初っ端から目標達成出来なかったよ、ちくしょう。
「あれ? お前達どうしたんだ?」
「学園に向かうのに少し早めに出てきました!」
「だから先生の家に泊まります!」
「泊まりますって…お前らなあ…」
どうせ私となぞのさんの様子でも見に来たんだろう、と溜め息を吐く先生。まあ、大人にはすぐ分かりますよね。
「二人の布団も買ってきちゃいましたー」
どさくさ紛れに私もあつかましいこと言ってみた。今更だけど押し入れに入っかな、この布団。
「え? 布団って、な」
そこで初めて先生が私を見る。先生は言葉を詰まらせて目をまん丸くした。
「なぞのさん、その頬どうしたんですかっ!!?」
凄い勢いで食って掛かってくる先生。ちびりそう。
「わあああごめんなさい!ごめんなさい!私、先生が家庭内暴力疑惑掛けられてもちゃんと周りに説明しますからあああ!」
「は!?」

とりあえずみんなで家の中に入る。脅える私に代わり、きり丸が全部説明してくれた。
「全く、あなたは…。とんでもない無茶をする」
「ごめんなさい…」
私の正面で先生は仏頂面のまま腕組みしている。あらら、どうやらこれは説教モードに入るのかな。確かに悪いのは私だけれど。
先生の中の私の好感度、駄々滑りする一方だ。すんごく凹む。
「ななしさんがごろつきを倒したんですよー! ななしさんってば強かったんだ! 土井先生より強かったりして!」
しんべヱが空気読めずに横でけらけらと笑う。
「よしてくれ…」
説教の出鼻を挫かれたらしい先生は、呆れ顔で溜め息を一つ吐き出した。そんな顔しないで。
やることなすこと空回りしてて悔しい。目の奥が熱くなってきた。泣きたい。でもここで泣いたら余計に嫌われる。これ以上面倒臭い女になりたくないから、我慢。ここは我慢。我慢しろ、するんだ私!
「・・・」
先生は黙ったまま懐から苦無を一本取り出した。それを私についと差し出す。
「…?」
「あなたが持っていてください」
「え? なん」
「護身用です。出来ればこれを使うような状況には陥らないで欲しいですが…」
両手でそれを受け取る。
「…べつに、怒っているわけじゃありません。その…」
「?」
「きり丸の話を聞いていたら肝を冷やしました。あまり心配掛けないで下さい」
先生、心配してくれたんだ。
「あ、りがとう、ございます」
結局、不覚にも少し泣いた。心配してくれたことが嬉しかっただなんて不謹慎過ぎて言えない。
けれど先生は鋭いから、きっと私のそんな気持ちもバレてるんだろう。今度兵助に豆腐料理の一つでも奢ってやるかあ、なんて白々しく呟いてた。
「俺、苦無もらって泣いて喜ぶ女の人、初めて見た」
きり丸の一言で何もかも台無しな夜だった。


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