日常
明け方。
まどろむ意識の中、傍で何かが動いている。
「んー…?」
うっすら目を開けると、上半身を起こしたきり丸と目が合った。
「あ、起こしちゃいましたかななしさん」
「・・・」
寝ぼけた頭を整理する。
ええと、隣にきり丸…ああそうか、私、昨日はきり丸と一緒に布団に入ったんだった。なんで一緒に寝たんだっけ。確か布団が一組しかなくて、あっそうだここ土井先生んちだ。
思い出した。私、昨日から土井先生んちで暮らすことにしたんだ。
「おはよう、きり丸」
「ななしさん、オッサンみたいな声出しますね」
「ウルサイ」
寝ぼけ眼のまま、のそのそと上半身を起こす。
今何時だろう? 朝にしてはまだ随分と薄暗い。
布団を離れて着替えを始めるきり丸の背に問い掛けた。
「えらく早起きだね、きり丸。いつもこんな早いの?」
きり丸は顔だけ振り向いて答える。
「今日は朝刊配達のバイトがあるんで」
ああなるほどそういうことか。ただで早起きなんてするはずないよな、この子。
「そうなんだ。早起きして朝飯作ってやりゃ良かったね。気付かなくてごめん」
喋りながらつい大あくびがこぼれた。生理的な涙を流しながらむにゃむにゃと噛み潰すと、瞳をまん丸くさせたきり丸が私を見ていた。え?何? 私のあくび、そんなにブサイクだったかし?
「どした? 私、そんなヤバい寝癖ついてる?」
「いえ…」
驚いた顔から一変、今度は締まりのない顔になる。綻ぶ口元を無理矢理閉じようとして、まるで嬉しくてたまらないというような、そんな顔。
「へへへへへ」
分かりやすい照れ笑いを浮かべながら玄関で草履を履くきり丸。全く、可愛いやつめ。
「行ってらっしゃい。朝ご飯作っておくから、戻る頃には出来てるよ」
「贅沢メニューは駄目っすよ!」
「はいはい」
「行ってきまーす!!」
意気揚々、きり丸はいまだ薄暗い表へと飛び出した。
玄関先でその背を見送ってから布団へ戻る。隣へ目をやると、昨日と同じく、背を向けたまま寝ている土井先生の姿があった。
「…おはようございます、土井先生」
その背へ話し掛けてみる。
「なんだ、知っていたんですか」
背中越しに返される、はっきりとした言葉。先生ってばいつから起きてたんだろう。私達よりずっと早かったかもしれない。
「きり丸の見送りはいつも先生の役目なんでしょう?」
なんとなくそんな気がした。きり丸が早起きしてバイトに出かける中、先生が眠ったままというのはあまり想像がつかなかったから。
ごろり、先生は寝返りを打つ。今日初めて目が合った。
「起きるタイミングを逃してしまったので、どうしようか思案してました」
ははは、と朝から爽やかな笑顔。ああもう、心臓に悪いからやめて下さい。
先生が厠へ行っている間に着替えを済ませる。そのまま布団を畳もうとしたら、戻ってきた先生に「私がやりますよ」と制された。お言葉に甘えて、先生が布団を畳んでくれている間に朝ご飯の支度をしてしまおう。出来ればきり丸が帰ってくるまでに用意してあげたいから。調理を開始した頃、板戸の向こうで着替えを済ませたんであろう土井先生が私の横に立った。
「何から何まですみません」
「いーんですよ、私居候だし、これぐらいしか出来ないんで。他に何か私で役立てることがあったら言って下さい」
「その…あまり気を遣わないで下さい」
「遣ってませんよ? 好きでやってますから。朝ご飯私が作るんで、先生は髭剃りでもどうぞ」
「はあ…でも…」
「剃ってあげましょうか」
「じゃあ、お手数ですけど炊事お願いします」
うふふふこの冗談を軽く流される感じ。たまらなく切ないね!涙出そう!
そんなこんなで朝飯のねこまんま完成。めちゃくちゃ水くさい。というかもう水だろ、これ。
作るって豪語したものの、家の中に食料らしいものが恐ろしいほど見当たらなかった。結果、これ。
いやでも昨日の野草雑炊を思えばきっとこういうのがきり丸好みなはず…ちょっと不安だけど。
円座に座って一息つく。何にもやることがなくて、二人できり丸の帰りを待った。日も昇ってきたし、そろそろ帰ってくる頃だと思うんだけど…。
「なぞのさんはこれからどうされるんですか?」
先生からの不意の質問。
「え?」
「私もきり丸も、3日後には学園に向けてここを発ってしまいますが…」
「うーん、そうですねえ」
待ってます!と言った手前、私も連れてって〜なんて面倒なことは言えないしな。
「何か働き口を見つけます。住まわせてもらうからには私も家賃半分払いたいですし。今日の午後には職探しに出ようかと」
「え!?」
「…え、何、どーゆー反応ですかそれは。私の歳では働き口が見つからないとでも?」
まあ確かにその通りだけども。失礼しちゃう。
「あ、いえ、そうじゃなくて…。私はまたてっきり…」
「てっきり?」
「…なんでもないです」
「ええ!? 教えて下さいよ! 気になるじゃないですか!」
「忘れて下さい」
「あ、専業主婦宣言すると思ってました? 先生が希望するならいいですよべつに、専業主婦でも」
「しゅ、主婦って…!」
「仕事と両立させるから大丈夫ですよー。兼業主婦、兼業主婦。来月の町内会のドブ掃除もばっちり任せて下さい!」
「や! それじゃ近所のみんなに誤解され」
「手始めにまず溜まった洗濯物みーんな洗ったげます! 私の甲斐甲斐しさをナメんで下さい!」
「ナメてません!!」
阿呆なやり取りをしているところへ、きり丸が帰ってきた。
水ねこまんまを喜んでくれたからホッとした。
その日、洗い場でばったり出くわした隣のおばちゃんが「半助が知らん間に嫁もらった!褌洗ってもらってたぞ!」と近所の方々にふれ回ってたのはまた別のお話。
してやったり!
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