槍誕


 恋は死に至る病なのだ、ということを教えてくれたのは青い英雄だった。
 彼は私のすべてを変えてしまった。食べ物や服の好みから、ものの考え方まで。たとえばクローゼットの中は青い服ばかりで、小物なども深海の色に彩られている。私に青が似合わないのは自分でも分かっている。けれどもそんなことどうでもよくなるくらいに、私は彼の色に染められてしまった。
 自分が浸食されていくのは甘く、苦く、心地いい。脳から脊髄までドロドロに溶かされていって、私は動けなくなる。頼れるのは、縋れるのは彼だけで。右も左も分からない赤子のようになり、自分が自分でなくなるというのを死と呼ぶのなら、やはり死と恋は同義だ。
 私は彼に魅せられた。彼は死を運ぶ人。唯一の人。この気持ち、一度殺された貴方になら分かるでしょう?

「分からないな。私はランサーに恋をしているわけではないのでね。それより、そんなに奴のことを思っているのに何故あんなことを言ったんだ」

 ──よりにもよって今日に。
 音を立てずに置かれたティーカップに手を伸ばす。一緒に用意されたハチミツを垂らしてぐるぐる、かき混ぜる。

「"クーなんて大嫌い!もう顔も見たくない!バゼットのところでもカレンのところでも、どこへでも行っちゃえバカ!"などと、和やかな往来にはなかなか刺激的な科白だったよ」

 そう、なのだ。
 私はついさっきランサーのバイト先のカフェで、アーチャーが言った台詞と一語一句違わぬことを叫び、あまつさえランサーにビンタをかましてしまったのだ。
 殴られて俯いた状態で動かない彼と、頭の沸騰した私と、突然の修羅場に唖然とするオキャクサマという名のランサーのファン。収拾のつかないその場を私を引きずって退場させることで収めたのはアーチャーだった。そしてそのまま遠坂の屋敷に連れてこられて、今に至る。

「まあ、大体想像はつく。大方奴のナンパ癖に我慢ならなくなったのだろう?私としては君が今まで耐え抜いてきたことの方が驚きだ」
「だって、私が一番に祝ってあげたかったのに」

 あの子たちは私より先にプレゼントを渡して、ランサーはそれを受け取った。にこやかに、甘い言葉も付け加えて。
 多分、いつもの私なら彼が女の子と話していることくらいどうってことなかった。彼が私を愛していてくれていることは知ってたから。でも、今日はダメだった。今日は夏至で、太陽に愛された日で、彼の誕生日、で。
 太陽神か、妖精か、はたまた他の何かかが私に気づかせてしまったのだ。クー・フーリンはその生涯でたくさんの人を愛した。そのすべてが本気だった。偽りなどなかった。彼は本気で、それぞれの女性を愛おしく思っていた。──ならば今この瞬間、話している彼女たちを彼が本気で愛している可能性だってあるのではないのか、と。

「クー・フーリンがたくさんの人を愛したってことは構わない。嫉妬なんてできない。……でもね、今ここにいる、影であるランサーが私以外の誰かを愛するのは、耐えられない」

 視界が歪む。後輩に泣き顔を見せるなんて情けない。涙が出るくらい彼が好きだなんて悔しい。私を塗り替えてしまった彼は、そのまま私を置いてけぼりにしてしまうのに。

「……私にするか?」

 プレゼントを握りしめたままの私の手に、アーチャーがそっと触れる。大きい手。節くれ立った指。ランサーのとは、ちょっと違う。

「私なら君を傷つけたりしないし、他の女性に目移りなどしない」
「かわいい子なら誰でも好きなくせに、よく言うね」
「特定の相手がいない場合だ、それは。私は存外一途だぞ」
「知ってる」

 アーチャーの一途さは身を持って知ってる。

「でも、ダメなの。あの人じゃなきゃダメなの。言ったでしょ、恋は死と同じだって。私はあの人に殺された。生き返らせてくれるのは、彼しかいない」

 自分でもバカみたいって思うくらい、ランサーが好きなのよ。
 「そうか」アーチャーの手が離れていく。私に触れようとするだけで震えるその手を握り返してあげることはきっと一生できない。

「──だ、そうだ。ランサー。随分と好かれているではないか、羨ましい限りだな」
「……え?」

 空気が揺れる。エーテルがひとつの形を作り上げていく。赤い目が私を見た。
 「っな、なんで」咄嗟にイスから立ち上がってランサーから距離を取る。テーブルを揺らしてしまって紅茶がこぼれた。クロスにシミがついてしまうだろうか、ああ、後で謝っておかなければ。
 ぐるぐると回る頭とは反対に、床に縫い付けられたように足が動かない。まるで床から生えた手が私の足首を握りしめているようだ。

「捕まえておかなければ私が攫ってしまうぞ」
「うるせえ、誰がやるか。……だが今回は礼を言う」
「ふん。精々自分の行いを反省するといい」

 アーチャーが去る。
 「……名前」彼を見れない。顔を見せたくない。きっと私は、ひどい顔をしている。
 「名前」俯いた視界に彼の靴が現れる。

「名前、あのな、」
「ごめん」

 ランサーが紡ぐ前に、早口で吐き出す。

「ごめん。勝手に嫉妬して、勝手に叩いて。いいよ、どこへでも行って。もっと、貴方のこと自由にしてくれる人のところに、」
「ばかやろう」

 手首を掴まれた。割れ物に触れるようにそっと。彼らしくない、怯えているような手つき。

「謝るのはオレの方だ」

 この声音も彼らしくない。そうさせているのは私だ。

「お前に、甘えすぎてた」

 手を引かれて腕の中に閉じ込められる。こうやって済まそうとするところ、ずるい。
 そして、許してしまう私も私だ。

「誕生日おめでとう」
「ああ。ありがとな」

 嬉しいぜ、と。ランサーが微笑む。
 今日は夏至。太陽に愛された日。日は長い。ゆっくり仲直りでもしようか。

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