傘の下は一つの世界


「あ」

 雨だ。呟きはHR後の喧騒に紛れて消えた。しまった、朝雨が降ってなかったから油断していた。しかも今日はいつものカバンじゃないから折り畳み傘も持っていない。うーん、困ったな。財布を忘れたからバスにも乗れない。新都まで雨に濡れながら1時間歩いたら、確実に風邪を引く。
 止むまで待つか、誰かに借りようかと考えていたら教室内の騒がしさがいつものと違うことに気づいた。なんかキャーキャー言ってる。「槍使いの花屋さんだわ!」とか「青いウェイターのお兄さんだ!」とか「うわああ港のヤクザだああ」とか飛び回っている言葉に、バッと窓に張り付く。

「ラ、ランサー……ッ」

 見下ろした校庭で私の姿を確認した青い犬がぶんぶんと手を振っている。
アンタ綾子だけでなく他の人にも槍を見せたのね!大体なんでそんなに有名になっちゃってんの!魔術と聖杯戦争は秘匿が云々かんぬん叫び出したい気持ちを抑えて一気に階段を駆け下りて昇降口を抜けた。「よ!名前!」雨の日に似つかわしくないカラッとした笑顔のランサーに迎えられて、荒い息を吐き出す。

「……ランサー、なんでここに?」
「迎えに来た。お前、傘持ってねえだろ?」
「それはありがたいけど……」

 目立ちすぎだとか、私を待つ間女子高生をナンパしたりしてないでしょうね、だとか。言いたいことはたくさんあったはずなのに、ランサーを見た瞬間全て消え去ってしまった。なんでそんなにニコニコとご機嫌なんだろう。

「……ありがと。助かった。帰ろっか」
「おう」

 青い傘を傾けてくるランサーに、私は首をかしげる。

「私の傘は?」
「?ないぜ?」
「なんで!?」
「だってカップルは相合傘をするもんなんだろう?」

 テレビで言ってたぜ、とあっけらかんと言う彼にこっちの調子は崩れっぱなしだ。とりあえず少女漫画の中でしか通じない知識をこの男に植えつけてくれたそのテレビ番組に異議申し立てしたい。
 しかし人懐こい笑みを浮かべたままのランサーに『いや相合傘とか結構です』と言えるはずもなく。私は青い傘の下へ迎え入れられた。

「濡れるだろ。もっとこっち寄れよ」

 言われて、仕方なしに身を寄せる。私の右手とランサーの左手が触れるたびドキドキと心臓が訴える。いっそ手をつないでしまえば妙に照れずにすむのに、彼の手を握れない私は弱虫で、私の気持ちに気付いているのに何もしてくれないランサーは意地悪だ。さらにこの男、近寄らせるためにわざと外側の手で傘を持ってやがる……!

「学校は楽しかったか」
「へ?」

 ランサーの声がいつも以上に綺麗で、穏やかで、拍子抜けする。なんなんだ、なんなんだこの猛犬。今日はなんか光の御子ってるぞ……。

「……そう、ね。小テストで満点取ったよ」
「おう、そうか。偉い偉い」

 ランサーが頭を撫でてくる。それは恋人に、というより子供に対してやっているような感じがした。
 「ランサー、どうかしたの?今日なんかいつもと違うよ?」そういえば、傘の下では声が反響して綺麗に聞こえるらしい。昔読んだ本にそう書いてあった。だから、ランサーの声が透き通って聞こえるんだ。

「あ?なんかおかしいところあるか?」
「今日は随分と、ご機嫌に見えるわ」
「あー……それは、」

 ランサーが照れたように頬をかく。彼が照れくさそうにしているのを初めて見たから、驚いて声も出なかった。

「名前といるからだな」

 私を見つめる赤い目が細まる。その色にありありと慈愛が溶け込んでいて、彼が今、誰を思っているのか分かってしまった。

「名前を迎えに行って、同じ傘の下で、家に一緒に帰っているのが、すげー嬉しいからだ」
「──そっか」

 ランサーの手を握る。恋人ではなく、父親のそれに触れるように。
 家に着くまでまだまだかかる。語り合いながらのんびりと歩こうか。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -