貴方の亡骸に
神よ、私の願いをかなえ、望みのとおりにしてください。神よ、どうか私を打ち砕き、御手を下し、滅ぼしてください。仮借ない苦痛の中でもだえても、なお、私の慰めとなるのは聖なる方の仰せを覆わなかったということです。私はなお待たなければならないのか。そのためにどんな力があるというのか。なお忍耐しなければならないのか。そうすればどんな終りが待っているのか。
ステンドグラスから差し込む光が美しく照らし出す教会の、最前列に腰かけ、祭壇の前で跪く背中を見つめる。紡がれる言葉はよどみなく、神父の声は教会に響き、誰に聞き入られることもなく消えていく。
そう、言峰綺礼の祈りは誰にも聞き入られない。
「私の魂は息を奪われることを願い、骨にとどまるよりも死を選ぶ」
もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。ほうっておいてください、私の一生は空しいのです。
ああ、その口をこの手で塞いでしまいたい。後ろからその背に覆いかぶさり、腕をまわし、呼吸さえも妨げてやりたい。
彼は誰に祈っているのか、私には見えない。彼には見えているのだろう。神という存在。我らが父とかいうもの。そんなもの、いやしないのに。人々の願いを聞き入れ、救う。そんな存在がいるのなら、彼はとっくに救われている。彼以上に努力した者も、彼以上に祈り続けた者もこの地上にはいない。真っ先に手を差し伸べられるべきは彼で、その彼が三十数年も救われなかったというならば、神様なんてものは存在しないのだ。
もし仮に神様があるとして、彼だけが無視されているのだとしたら、それもまた人々を救う神などではない。
「何故、私の罪を赦さず、悪を取り除いてくださらないのですか。今や、私は横たわって塵に返る。貴方が捜し求めても、私はもういないでしょう」
ああ、腹立たしい。そんな祈り、やめてしまえ。貴方が跪く必要などない。床にキスをする必要などない。祈りが無意味であることは、貴方だってとっくに分かっているでしょう。
苛立ちを奥歯を噛み締めて抑え込んだ。分かってる、分かってるんだ。祈りをやめることができるならば、彼は言峰綺礼じゃない。彼が言峰綺礼という人間である限り、彼は祈り続ける。信仰を捨てることができないから、彼は彼のまま生きている。
「随分と怖い顔をしている」
気づけば、祈りを終えた綺礼が目の前に立っていた。するりと、彼の掌が私の頬を伝う。
「お前はいつもそうだな。毎回そのような顔をするのなら、聞かなければいいだろうに」
彼の手を取って、両手で包み込む。大きな手だ。己を限界まで鍛えぬいた武人の手。私は彼の手に彼の人生を見る。世間一般の人々と同じになろうともがき、苦しみ、努力した。そのすべてがことごとく無意味に終わった。なまじ聖職者として道徳が人並み以上にあったから悪に染まりきることもできず、己を肯定することもできず、先の見えない暗闇の中で呻いていた若い頃の彼。英雄王は確かに彼を救い、解放したのかもしれない。その欲望は、在り方は、間違いではないと言ってあげたのだから。
言峰綺礼の人生は、尊い。ありもしない忘れ物を何十年も探し続けるなんて苦行、私にはできない。
「さあ、聖杯戦争が始まるよ、綺礼」
貴方の待ち望んだ終わりが来るよ、綺礼。
私にはできっこないことをやり抜いた人だから、その願いがどんなことであれ叶えばいいと思う。彼の幸福がどんなに人とずれていようと、それで彼が幸せになれるのなら、生きててよかったって、生まれてよかったって思えるのなら私は彼に幸福をあげたい。
途方もない月日を苦しんで過ごした彼、努力を忘れなかった彼、一生懸命同じになろうとした彼の、願いを叶えてあげることくらい許されたっていいでしょう?
酸素が薄くなってきて、意識が朦朧とする。熱いを通り越して痛い。流石はキャスター適正もある光の御子だ。火の勢いは手加減がない。意地でも綺礼を連れていくってわけね。
「き、れい」
彼の瞼を下ろして、口元の血を拭ってあげる。安らかな顔、とまではいかなくても穏やかにはなったんじゃないだろうか。
「綺礼」
眉間の皺を伸ばす。彼の頬を撫でる。目を瞑っているからだろうか、随分と幼く見える。
「──私は太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。歪みは直らず、欠けていれば数えられない」
綺礼、綺礼。私の愛おしい人。私の恋した人。
「私はこう呟いた。快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう。見よ、それすらも空しかった。笑いに対しては狂気だと言い、快楽に対しては何になろうと言った」
蛇から差し出された林檎を食べた時の貴方の笑顔が、あまりにも尊く、美しかったから、私は貴方の願いを叶えたいと思った。
「私の心は何事も知恵に聞こうとする。しかしなお、この天の下に生きる短い一生の間、何をすれば人の子らは幸福になるかを見極めるまで、酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せてみようと心に決めた」
今回は聖杯に届かなかったけれど、もしも今度があるのなら、その時は必ず勝ち抜こう。
言峰綺礼の願いを叶えるため、私自身で聖杯を手に入れよう。
「……おやすみ、綺礼」
やっとその生に終止符が打たれた。
かの英雄は呪いの槍で彼を殺してくれた。
ちょっと疲れたね、綺礼。次の戦いまでゆっくり休もうか。