作戦コードは『アイラブユー』


 モノレールに乗り込みそこでやっとオルタは全身から力を抜いた。日本とアイルランドは遠い。飛行機でも乗り継ぎを含めて約丸1日かかる。地理に文句を言うのは途方もなく無意味なことなのでこればっかりは仕方ないが、せめて直行便を出してくれればまだマシになるだろうに。
 時差ボケのせいで痛む頭を眉間を揉むことで誤魔化しながら、オルタはスーツのポケットからスマートフォンを取り出した。ロックを外した先の画面に映っている、女の笑顔にオルタの硬い表情がわずかに解ける。うるさい兄2人にこの画面を見られた時に『オルタでも彼女の写真壁紙にしたりするんだ!』と生暖かく鬱陶しい視線を向けられても、変えなくてよかった。
 『今、モノレール乗った。必要なものがあればコンビニに寄る。』
 トークアプリを立ち上げてそう打ち込む。絵文字などの装飾もなく用件だけのメッセージは、結婚したばかりの妻に送るにはいささか無愛想過ぎたが残念ながらオルタは元よりこういう人間だ。今更兄のランサーのように明るく振る舞ったところで病気を疑われるのがオチである。
 そう間を置かず返事がポンッ、と画面に現れた。目をハートにさせた犬のスタンプの下に、白色のフキダシ。その中には『おかえりなさい!いるものはないから大丈夫。気を付けて帰ってきてね!肉じゃが作って待ってます』の文字。
 一字一字を味わうように見つめて、オルタは今度こそはっきりと笑みを唇に乗せた。肉じゃが、と小さな呟きが漏れる。アイリッシュシチューに似た日本の家庭料理は、かつて食事に対して食えればいい、と無頓着だったオルタの胃袋を掴んで以来大好物となっていた。特に名前の作る肉じゃがは絶品だ。よく味の染みたジャガイモが美味く、いくらでも食べられる。
 急に空腹を訴え出した胃袋をさすりながら、オルタは目を閉じた。名前が待つ家に辿り着くまで、まだ30分以上もある。



「ただいま」

 玄関扉を開けると、ダイニングの方から鼻孔を擽る匂いが漂ってきた。「おかえりなさいオルタ!」ダイニングから飛び出てきた名前が抱き付いてくる。片手で妻をしっかりと抱き留めたオルタは、彼女の頬にキスを落とした。
 2ヶ月ぶりに触れた名前のやわらかい体は、オルタの中から時差ボケによる頭痛と長旅の疲れを吹き飛ばしてくれた。ついでに自制心も。頬から細い首に下って、ちゅ、とリップ音を立てながら何度も肌に吸い付く。最初はくすぐったい、とくすくす笑っていた名前も、熱い舌先で鎖骨を舐められた途端慌てて抵抗し始めた。

「オ、オルタ」
「ん?」
「疲れてるでしょう?上着脱いで、上がって」
「脱げ?お前から誘ってくるとはな」
「ち、違うっそういう意味じゃなくて……わっ!?」

 ビジネスバッグとスーツケースを玄関に放り、名前を抱え上げる。そうしてオルタはニヤリと笑った。

「抵抗するのが遅い」

 一直線に寝室に向かう。もはやオルタの頭の中には『抱く』というたったひとつの目的しかなかった。新婚なのに2ヶ月も会えなかったのだ、滾る情欲を思いのままぶつけても許されるだろう。幸い明日は日曜でお互い仕事もない。少しくらい無茶をしても支障はない──そんなことを考えながら寝室のドアノブを握った時、腕の中からか細い声が聞こえた。

「肉じゃが、食べないの……?」

 方向転換。ダイニングへ向かう。名前の料理は冷めてもおいしいが、出来立てはもっとおいしい。作ってくれたことに感謝して今すぐ食べるべきだ。
 夫の忙しない様子に、妻が小さく笑った。


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