綺礼と泰山に行く話


 一言で表すなら、私の目の前に置かれたそれは「マグマ」だった。赤黒い液体は(ひき)肉を食らおうとグツグツ燃え盛り、溺れている白い物体(豆腐、と呼ばれるものだ)は倒壊した建物のようで、私の頭にとある映像をチラつかせた。思わず口元を手で覆う。においが鼻腔を焼き、目にしみる。まだ口内に入れていない、いないのに、このダメージ。涙目になった私はそれを手で押しのける。──けれど、すぐに手元に戻ってきた。

「食わんのか?」

 食うか!!!!……………………とは、言えなかった、残念ながら。

「うううう……」

 私が唸りながらようやく掴んだスプーンをガタガタ震えさせているというのに、向かいの席の神父は夢中になってハフハフ食べている。その緩んだ頬と、本物の感情が浮かんだ瞳を見たら、食べないなんて言えなかった。他のどんなおいしい料理も、彼をこんな顔にはできないのだ。巷で人気のパンケーキも、エプロンボーイが作るハンバーグも。
 ……私は受け入れたい。綺礼のすべてを。だからこれを食べる。そうして、意を決して紅洲宴歳館・泰山特製の激辛麻婆豆腐を口に入れた。

「辛い辛い辛い辛い!?!?!?」

 阿鼻叫喚。口の中に火炎瓶を投げ入れられたかのように熱い。いや痛い。熱い通り越して痛い。舌の感覚がない。呼吸をするたびに喉が焼かれて苦しい。目の奥から涙が溢れて来てテーブルにぽたぽた落ちた。水を飲んでもすぐに蒸発してしまう。

「……は、あ……?」

 自分の体に一体何が起きたのか分からず呆然とする。『おいマスター!?どうした!?何があった!』勢い余って念話を繋げてしまったのか、悲鳴を聞いた花屋でバイト中のランサーが呼びかけてきた。けれど今の私にきちんと応えられる余裕はなく。

「…じ、地獄……」
『地獄!?今どこにいる名前!』
「口の中…地獄……麻婆……」
『あっ……まあがんばれよじゃあなオレ花売らねぇといけねえから!!あばよ!!』

 ちょっと待ってランサー!!いくら激辛麻婆にトラウマあるからってマスターを見捨てないで!!

「どうだ?うまいか」
「うっ……」

 普段死んでいる綺礼の目が今はものすごく期待に満ちた色で輝いている……。

「お、おいしい……デス」
「そうか!店主!おかわりを二人前!!」
「嘘でしょ!?」

 もしも泰山に来ることがあったら絶対に激辛麻婆を食べてはいけない。
 明日(生きていたら)後輩にそう伝えようと決意して、私はスプーンを握ったのだった。



 たった2週間の内に、本当にたくさんのことがあった。
 ランサーは殺されて、ギルは影に取り込まれて、綺礼も……いなくなった。あの寒い教会にはもう私しかいない。私の声しか、響かない。

「お待たせしました〜!」

 明るい声の店員さんに微笑みかける。目の前に置かれた皿の中身は相も変わらず凄まじい色をしていた。いただきます、と手を合わせてからスプーンを握る。
 一口掬って、口の中へ。何度食べても慣れない辛さに涙腺が刺激された。目の奥がじくじく痛む。あまりの痛みに一口食べただけでスプーンを置いた。両手で顔を覆う。

「……辛い」

 初めて食べた時からもう随分と時間が経っていて、これもいつの間にかおいしく感じるようになっていた。……でも、今なら分かる。綺礼がいたからだ。綺礼と一緒に食べていたから、おいしかったんだ。
 じっと目を凝らしてみても、向かいの席に神父は現れない。手を組み祈りを捧げる神父の幻影さえも、見えない。見せてくれない。

「辛い、なぁ……」

 テーブルに雫が落ちた。


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